第二話
我が家、時任家が暮らす住居は、よくある二階建ての一軒家。二階にある四つの部屋のうちの一つが俺の部屋で、全体的には広くもなく狭くもなく。裕福でなければ貧乏でもない。
つまりは普通。まるで俺の高校生活をそのまま表しているかのように。……ちょっと悲しい。
「あ、ご両親にはすでにお話してありますのでご心配なく。お二方とも、ご理解のある方でしたよ」
部屋に向かう道すがらそんなことをいう美桜さん。許可取ってもらってないとそら困るけど……こんな状況に理解を示すっていう俺の両親が理解できないわ。
階段を登る最中
「ずいぶんと……いい家ですねぇ」
とボソッと言った。その間は何なんだ。
とりあえずは部屋の前に着いたので、ドアだけ開いて先に入ってもらう。レディーファースト的な。
「どうぞ、狭くて汚いですが」
興味深々という目を向けながら部屋におずおずと入る。
「いえいえ、恐縮です」
恐縮されてもなぁ。……なんか変な人かもしれない。
美桜さんに続いて入った後、八畳ほどの部屋に置かれたテーブルに向かい合って座る。茶封筒はテーブルの上に置いた。
苦節かわかんないけど十七年。これまでの人生、この空間に女子を入れたことなど一度も――ああいや、あいつは置いておいて――ない。
それだけなのに長いこと共に過ごしてきた俺の部屋が、まるで異空間じみたように感じる。しかもとびきりの美少女だ。あいや、年齢は聞いてないから少女かはわかんないけど。
なんというか、俺の部屋という存在でしかなかったこの空間が、今この美桜さんがいるだけで、すごい美少女のいる絶対不可侵素敵空間くらいに変化している。世界は美少女により変わるのだ!
――とはいえ。浮かれてばかりもいられない。
エアコンを入れた後は一切の会話なく、時計の針の進む音だけがかろうじて静寂を消してくれている状況だったりする。
美桜と名乗った女性はさっきから視線を部屋中に注ぐことに忙しく、本棚、机、パソコン、窓と、あちこちに目を泳がせていた。ちなみにエアコンの設定温度は二十八度にしておいている。
「……何か飲み物でも?」
自分でも、そうじゃなくね? と思いながらも提案してみた。
「あ、いえいえ結構です。ありがとうございます。今は状況の説明をしなきゃでしたね。……ごめんなさい、ボーッとしちゃってました。物珍しくて、つい」
慌てて手を振りながらそんなことをおっしゃる。ティンときた。
「男の部屋に上がったことがない、とかだったり?」
「ぁ…………あはは、内緒ですよ? お恥ずかしい話ですよね」
そういって顔を赤くしながら笑う美桜さん。今度はキュンときた。抱きしめたい。
と、わざとらしく拳を口元に持って行き、オホンと咳をする美桜さん。
いかにもなその振る舞いに、いよいよ話が始まるかと思わず正座になった。
「じゃあ、説明します。その前に質問というか、このお話に必要な問いを一つ。答えて頂ければ幸いです。――ずばり、最近の地球はおかしいと感じたことはありませんか?」
いきなりだけど、まあ思っていることを。
「あーっと、そうですね。二月なのに夏みたいな気温ですからね。もう三年もこんな状態ですから、みんな話題には出さなくてもおかしいとは感じてると思いますよ」
と言うと美桜さんは、正解、と言わんばかりに人差し指を天井に向けた。
「その通りです。一つショッキングなことを……ごめんなさいハッキリと言いますけど、地球は今、非常に危険な状態です。それは、この地球上に存在する、ありとあらゆる生命が失われるほどの危機です」
「――」
何も言えず、ちょっと固まってしまった。
地球が何かまずいことになってるんじゃないかってのは、きっと誰もが思っていたことではある。それこそコメンテーターだって口酸っぱく言ってた。
けれどこうして直に聞かされると途端に現実味を帯びると同時に、どこか信じきれなくて固まってしまった。
もし本当だったとしても、俺みたいな一般人にやれることは少ない。むしろ大多数がそうだろう。結局、現実では一般人ではやれることなんて、何もない。
小さな努力はできるかもしれない。例えば今つけてるエアコンを消してうちわで扇ぐだけにするとか。
でも、それをしたところで環境が良くなるわけじゃない。
言ってしまえば、俺一人がそうした所じゃ何の影響もないから。あったとしても一パーセントにも満たないだろう。
無論、世界中の人間が「暑かったらうちわ」となれば、環境はそのうち改善されていく。
けど、それは成しえない。断言は出来ないけど、人は十人十色、千差万別。
ならそれを成すということは即ち、世界中の人を統率するに等しい話だろう。そんなのは不可能だ。
だから、為す術がない。皆いつも通り学校に行ったり、通勤したりを繰り返すしかできない。
今を――例え自分勝手であっても――己のために生きるしかないんだ。
「このままの状態を放置していると、見込みでは最低で二年以内に季節というものはなくなります。
近い将来、永遠に猛暑、あるいは極寒、または、南極や北極の氷床が融解することにより全世界が海と化す状況になるとまで言われてたりするんです。
さらには各地で様々な異常気象が巻き起こります。そうですね、大雨や干ばつなどは勿論のこと、地震や竜巻、火山の活性化などでしょうか。ありとあらゆる現象が起こりえます。
そうなると植物が地球上から消え、昆虫が消え、それを食す動物が消え、その動物を食す動物が消えます。最終的には、人間も。……いえ、もしかしたら最終的ではなく最初に消えるのが、人間、かもしれません」
……だいぶヘビーな話だ。でも、なら何でもっと騒がないんだろう。
「そこで、この世界的規模の危機的状況を打破するため、現代の科学を持ってしても予想し得なかった急激な異常が起こり始めた三年前、二つの勢力が作られました。
一つは私達、センティネルシールド。活動内容は、地球本来が持つこの豊かな自然を生み出した力を、もう一度覚まさせ、かつ、人は今一度自分達の暮らしを見直そうと考える勢力です。
私達は、NP○やNG○等を管轄下に置いています。また、それら団体への金銭面、物資の面で援助を行ってもいます。名目上は政府に属したり何にも属さないのですが、私たちの協力を得ている団体はそのうちの八割にのぼります」
なるほど、対策は行っていたわけか。
ここまで聞いて、思わず握りこぶしを額に押し付けた。
どうも現実感を帯びなかったのだが、こりゃあ真剣に聞かなきゃいけなさそうだと自覚したからだ。……実は夢でも見てるんじゃないかと、都合良く解釈していた。
「もう一つの勢力。これが問題なんです。
エンデシュロスという名の組織なんですが、彼らはこの地球を破壊し、宇宙空間へ強制的に人間を送り込もうと考えている勢力です。
彼らのやり方は非道そのもの。地球のコアまで進行し、そこにこれまでにない未知の爆弾か核兵器かわかりませんが、そのようなものを使って地球をコアから破壊しようと目論んでいます」
昔の特撮とかバラエティとかであったような光景が目に浮かぶ。発泡スチロールで出来た地球がバーンと砕け散る様。
……てっかあああああい! 前言撤回! 夢だこれ! なんだ地球を破壊って!
思わず拳を外して目を見開いたが、美桜さんはいつの間にか目を瞑っていて、見えていない様子で構わず続ける。
「この二つの勢力は、いわばこの星の未来を担う世界的にも最重要な存在です。私達は地球の力を信じて活動する一方で、彼らの活動の阻止も行っていかなければなりません。
しかし、お互いとても大きな勢力であるため、私達で彼らの活動を完全に阻止することはほぼ不可能に近いです。
まったく同じ脚力、持久力を持つ人同士がかけっこをいくらやっても差はつかないでしょう? それと一緒です。でも、同じ脚力でも……ある部分を少し変えると差をつけらることができます」
その話を聞いて、一つ引っかかる。
朧気だけど何で俺がこんなことになってるか分かってきた。
「そう、真っ直ぐなストレートコースだったら、差はいつまでも付きません。が、コースをカーブに変え、その内側を走るだけで少しは差が開きます。
ですので、二つの勢力、という名のコースを離れ、私達センティネルシールドはまったく関係のない第三者に協力を求めることで、カーブを付けようと考えたのです。……結局は私達の仲間となるんですが、目立った活動さえしなければただの一般人にしか見えません。いくら大きな勢力とはいえ、一般人を一人一人を調べるなんてことに労力は使いませんから」
「なるほど、それで」
「はい。そうして協力者を探していた所、見つかったのです。
本当に何の変哲もなく、目立った功績も何もない。知力、体力ともに並み。現在のところ歴史に名を残すなんて考えられない、あり得ない、いてもいなくてもいい存在の全くもって非の打ち所のない普通であり平凡な日常を謳歌しまくっているゲームとか漫画とかが大好きな世間知らずでペーペーのいわば超普通な高校生のあなたに、本当にたまたま偶然にも白羽の矢が立ったのです」
ボロックソに言われてる気がするの俺だけですかね。世間知らず辺りからのフレーズって言う必要ありました?
つーか白羽の矢ってたしか、生贄の子の家に目印として立つんじゃなかったっけ。おい現状にピッタリじゃねぇか。
「……それって、所謂ニートとか隠居してるご老人とかじゃダメなんですか?」
悔しかったので反論してみる。
「ええと、また後にお話しますが、それに類する方々はこの体制に向いていないのです。中には向いている方もいるかもしれませんが、その方々よりは調べやすい上に適している年齢ということで、高校生の中から選ばれました」
ふーむ? その話を聞かない限り何でダメなのかはわからないけど……話してくれるんだったら後回しでいいか。
続けますね、と加えてから再び口を開く美桜さん。
「そのメモリスティックの中身は、残念ながら明かすことはできません。もちろん守るのですから中身は知りたいでしょうけど、これは国家機密に値します。
ホワイトハウスが絡んでる時点で世界レベルの機密事項です。その辺りは理解してもらえると助かります。一つ言えることは、そういった類のとても貴重なデータであるということだけです」
と、話が終わったのか、ずっと天井を指していた人差し指が下がる。そして「何かありますか?」とでも言いそうな表情で首を傾げる。
ん、たぶん一旦区切りがついたのかな。なら今度は、今の話を聞いたこっちが何か言う番か。
腕を組んで考える。
――――いや正直、よく出来た話だなという感想。
これが現実の話だってのは、もういい。それはいい。作り話だって言いたいんじゃないんだ。
ただ一つ。
彼女が言ったように、俺はただの一高校生だ。なら――そんな俺が加担しなきゃいけない理由だって、ない。
きっと語られていない話もあるだろう。地球レベルの問題に対する、文字通り世界を股に掛けた巨大勢力同士の争い。黒い妄想なんていくらでもできる。
戦争か? 虐殺か? 拷問か? 裏切りか? 陰謀か? ……冗談じゃない。なんでそんなものに俺が巻き込まれなきゃいけないんだ。
だってそうだろう。いきなりこんなことを言われて「はいやります」なんて言うほど、俺はお人好しじゃない。
「もし俺が、協力を断る、と言ったら?」
と言うと、美桜さんは自身の前で手をフリフリしながら、とんでもない! という顔をした。
「あなたは私から話を聞いた時点で、この国家間の、ある意味争いである事情を知ってしまった上に、このメモリスティックが重要なものであるとわかってしまっています。ですので、断ってしまうと拘束ないし監禁されるまで永久に全世界から指名手配されることになりますよ?」
……おいおい、随分な言い草だな。俺本人の意志は関係ない――っていうか勘定に入ってないのか。
正座を崩してあぐらをかく。ちょっと腹が立ってきた。
「あんた達……俺の自由をいきなり奪いに来たくせに、それを犯さないでくれと言ったら社会的に殺すってのか? なぁ、それって正義か? 世界を守るためなら、一高校生の一生を文字通り殺すことになるんだ。それは、本っ当に正しい行いなのか? ただの一高校生なら、犠牲になっても世界に影響はないわな。言われたように俺はクソみたいに何の特徴もないわけだし。
でもな、あんたらは――胸を張って、無関係な一般人を殺すって言ってるんだぞ?」
すると、美桜はゆっくりとうつむき
「…………それが、世界の決定です」
と言った。
「世界の決定、ね」
重い言葉だと思う。
けど知ったこっちゃない。悪いけど、おいそれと良い返事はできない。
あのアイスの棒、絶対に「ハズレ」だったなこれ。おかげでこれからの人生が大ハズレになったみたいだよチクショウめ。
組んでいた腕を解き、ゆっくりと腰を上げる。よっこいせ、と立ち上がった。
「あ……どこへ?」
美桜さんの方へは振り向かず、着替えを棚から引っ張り出し
「学校帰りに汗かいたもんで、シャワー浴びてきます」
と努めて無愛想に言う。すると美桜さんも立ち上がった。
「では、私も一緒に」
ダン、と。
その言葉を聞いた瞬間、ドアへ向かう足が、一歩目を踏み出したところでまるで床に突き刺さったかのように止まる。
なかなか言うことの聞かない首をなんとか動かして美桜さんの方へ向き直った。
「……今、なんと?」
きょとんとした表情を浮かべる美桜さん。そして何の疑問も持たない様子でもう一度言った。
「では、私も一緒に、と」
「何言ってんだあんた」
「えっ?」
やべ、心の中で思うはずだった言葉が出ちゃった。いやいや、でもここってツッコミどころでしょ。
「あいや、すいません。でもシャワーくらい一人で入れますけど」
「それはもちろんわかりますが、ご理解ください。『対象の、ありとあらゆる全ての日常生活に常に密着せよ』。それが私に与えられた今回の任務です」
というと、またもやドヤ顔に変わった。違う、そうじゃないよ美桜さん。
しかしここにきて明かされた驚愕の仕事内容。
……普通に考えたら密着しなくていい場面もわかりそうだけど。
っていうか冗談じゃない。こんな可愛くてスタイルいい子と一緒にお風呂なんてそんなのお前、そんなことしたらさっき聞いた話なんて全部吹っ飛ぶわ。そして間違いを犯してしまいそうだわ。ドーのテーなんですけども。
とりあえず自分自身と美桜さんを落ち着かせるために、美桜さんの両肩に手を置いた。思ったより華奢でまた胸が高鳴る。いやそんなのは後だ。
「頼むんで風呂にまで一緒に来るとか勘弁してください」
すると、まるで懇願でもするように胸の前で手を合わせながら首を振る美桜さん。
「そんな……困ります! それでは、任務が充分に達成できません! 私も一緒にシャワーに入らせてください!」
おお……なんと嬉しい言葉だろうか。ちょっと涙が出そう。
もっと別の状況で言われたかったなぁ……。初めての彼女との、ほ、ホテルとかで? ウエッヘヘヘ。
――じゃなくて、結構バカなのかもしれないなこの人。困るのはこっちもだ。
「じゃ、逆に考えてみてください。美桜さんが風呂入る時とか俺について来て欲しいですか?」
というと、美桜さんは少し考えるようにうつむく。そしてみるみるうちに頬が、耳が、順に赤く染まった。
「……そうですね、お風呂やトイレはさすがにやめておきましょう」
「納得してもらえて何よりです」
……なんだかちょっとだけ悲しいのはなぜだろうか。
シャワーと言いながら浴室でガッツリ全身を洗う。べ、別に深い意味なんてないんだからねっ!
いや本当に深い意味はない。ただ一人の時間をなるべく多く作りたかっただけ。
んでまぁ、頭を洗いながらやっと冷静になってきた。
逆に考えれば、俺が自由を奪われるという事実を我慢すれば地球が救われるかもしれない……のか? いや、そこまではわかんないけど、役に立つのは間違いないだろう。
エンデシュロス、だったか? そいつらの思惑通り地球をぶっ壊されるのはカンベンだからな。
生まれてからずっと、この星には世話になってきたんだ。それを救う助太刀をして罰が下ることはないはず。それに、この世界タイトルマッチなんとか……まぁいい、この協力者体制が解除されたあとに、どっかの記者でもひっ捕まえて暴露本でも出したら億万長者になれそうな気がするしな。うん、悪くない話だ。損得勘定は持って生きていきたい。
あとはそう、純粋に――
「面白そうなんだよなぁ、っと」
言いながら、頭からシャワーを浴びて洗髪料を落とした。
だって、ワクワクしないはずがない。美桜さんが言っていたことに間違いは一切ない。俺はずっと平々凡々とした毎日を送ってきたんだ。
それが唐突にとはいえ、なんかすごいことが起こりそうな日常に変わるのだという。詳細は分からないけど地球レベルの話に関わる時点で、これまでの人生、いやこれからの人生でも究極の事態と言える。しかも大々的に活動してるんじゃなく、暗躍する集団っぽいし。
どうよこれ。もう漫画とかの二次元の世界じゃん? ただの高校生が世界中で活動する集団に仲間入りして活躍するとか。
だったら、だよ。もうさ、言うまでもないよね。
――そんな楽しそうな話に乗らないヤツはいないでしょ。
正直、さっきの黒い妄想がよぎらないことはない。それに関わるのかと思うと背筋が凍る。
でもそれ以上に好奇心が勝るのは――俺がまだガキだからだろうか。
「だいたいさ、断った所で拘束とか監禁とかされるんだったら、もう楽しんだもん勝ちだと思うんだよな」
ポロッと出た一言は、意識してなかったクセにひどく腑に落ちた。
……よし、やろう。楽しんでやろう。それどころじゃないことになるかもしれないけど、そういうのも覚悟して。
この状況に、自分から乗ってやる――!
そうだ、自分から。乗せられるんじゃない。あくまで自主的に、だ。
思わず鼻歌を歌いながら、もう一度シャワーで全身を流した。
スッキリした所で浴室から出る。
いつも浴室から出て右にバスタオルを掛けてあるので、顔についた水滴を左手で拭きながら右手を伸ばし――何も掴めない。
「あれ? いつものとこに掛けといた筈だけど」
と、かけてあった場所から落ちたかと思い、下を向いて呟いたところで気が付いた。見覚えのある柄のバスタオルが、いつもの場所ではなく俺の真正面にかけてある。
そこは脱衣する空間であるからして、掛けるところはないはず。「っかしーな」なんて言いながら、タオル掛けが移動した原因が付いているキャスターにあるかと思い、しゃがみつつ体の向きを正面に変えた。
再び、異変に気づく。
そこにはタオル掛けも、キャスターも無い。っていうかタオル掛けはいつもの場所にある。
代わりに――バスタオルの下からはスーツの裾部分が見えていた。
ゆっくりと顔をあげる。
黒いスーツ姿の女性。ついさっきまで話してた人に似ている。
しゃがんだままウンコ座りの姿勢になっている俺の股の中心――つまりは俺のモノに、明らかに目線が行っていて。
そのせいか、その女性は――美桜さんは、みるみるうちに茹で上がったタコのように顔中真っ赤にしていった。
「エンッ!」
驚きすぎて変な声が出た。
「ひぃ! そ、その、ごめんなさい!」
妙な声をあげながら前を隠したのと同時に、悲鳴のようなものをあげた美桜さんは謝りながらバスタオルを俺に投げつけて、走り去ろうと振り返り――こけた。
勢いがコントロールできなかったようだ。顔面からイったけど平気だろうか。
「すいませんでしたぁ!」
もう一度謝りながら、再び風と共に走り去っていく美桜さん。
……何がしたいかはわかったけど、詰めが甘すぎませんかね。
思わず俺もその場で五分くらい呆然としてしまった。
部屋着を着たあと、自室の前で一時停止。しばし開けずに考える。
さっきのことがあった手前、「うぇーい」と呑気に開ける気なんてならない。だがここは俺の部屋だし、俺が帰ってくるのはおかしくない。
ので、やっぱり深く考えずに開けた。
美桜さんはテーブルの向こう側に座っていた模様。が、こっちの姿を見ると大慌てで頭を下げ
「さっ、先程はしちゅれ、失礼しました! 私なりにできることをと思ったのですが、余計でした……本当に申し訳ありません!」
と、噛みながらも机におでこをぶつけながら謝ってきた。ちょっと鼻が赤かったように思う。
「あー、いや気にしないでください。こちらこそ失礼しました」
と制止しながら向かいに座る。たしかにこっちも恥ずかしいけど美桜さんも恥ずかしい思いをしたわけだし、それに謝ってくれてたんだから過ぎたことだ。
――さて、話の切り出し方に困っていたけど、幸い会話は始まった。流れを止めることなく言おう。
「協力するかどうかなんですけど…………俺、やることにします」
言った。
言ってしまった。
――さあ、もう後戻りは出来ないぞ、俺。
すると、今のいままで頭を下げていた美桜さんがバッと顔を上げた。満面の笑顔が咲いている。
「ほ、本当ですか!? 失礼なことばかりしちゃってたから、もうダメかと……あいえ、そうじゃなくて、本当にありがとうございます! センティネルシールドを代表してお礼を申し上げます!」
そして再び頭を下げる美桜さん。
……いやぁ、好奇心で協力しようと思った自分がさっそく申し訳なくなってきたぞ。
そうしてウキウキな様子を隠せないまま、再び顔を上げる美桜さん。さっきから上下に忙しいな。
思わずこっちも笑顔になりつつ、改めて挨拶を。
「いえいえ、それじゃよろしくお願いします」
「はい! 不束者ですが、末永くよろしくお願いします!」
よほど嬉しいのか、ちょっと涙を浮かべながら手を伸ばす美桜さん。
若干ズレたその挨拶に苦笑しながら、俺も今度こそ手を伸ばして――しっかりと握手を交わした。
小さくて柔らかくて温かい、美桜さんの手。今にも泣き出しそうで、でも見ているこっちが思わず照れてしまいそうになるほど魅力的で嬉しそうな、その笑顔。
俺はこの感触を、そして今の美桜さんの表情を――ずっと忘れないでいようと思った。
こんなに必死になってくれて、でもどこか危なっかしい彼女のことを。
名残惜しくも、繋いだ手をどちらからともなく離す。
「えっと……それで、俺は何をすればいいんでしょうか?」
「あ、そうですね。さっきはたしか……白羽の矢が立った、て所で止まってましたか。それじゃあ、これからやってもらいたいことを話します」
――いよいよ、か。
俺がやるべきことがわかる。これから先はきっと、好奇心だけで聞いていい話じゃない。
しっかりと受け止めよう。そして、こなしていこう。
そう決意しながら、美桜さんの瞳を見据えた。