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64.それぞれの日暮れと道化の灰


 そうこうしているうちに日は暮れていた。誘拐に関する長ったらしい聴取からようやく解放されたエルダーは、寮のベッドに座った途端にうつらうつらとしていた。

 王族の水上パレードを観たのが何日も前のことのように感じられる……。


「今日は早く休めよ。な」


 となりのベッドに腰掛けたディルが曖昧に微笑み、ぼんやりとしたエルダーの寝支度を手伝った。半分ほどの意識で横になれば、枕元にやってきたアンゼリカがぱらぱらと光の粒をこぼす。

 めまぐるしい一日だった。箱詰めにされたと思ったら地動震ちどうしんに遭い、大波を防いだところでけちを付けられて、ちょっとだけ疲れた気がする。


 ちなみに、聴取の際に聞いた誘拐の真相についてはボリッジの推察通りだったそうだ。ムング橋でエルダーがさらわれたのはルバーブの計略によるもので、その目的は「調子付いた新人の牽制」と「自身の評価の向上」にあったらしい。

 ルバーブはエルダーを恐れた。それはつまり、自分の持っている力をどのくらい外に見せるか、その加減を誤ったということだ。

 うまくやれなかったのだ。彼の語ってくれた教訓を、すっかり忘れていた。


 でもね、とエルダーは思う。

 それでも何だか、悪い気はしていないんだ。


「あたしも休むけど、あなたもしっかり眠りなさいね」


 口元が綻ぶ。ふにゃふにゃとしたまどろみの淵に立ちながら、エルダーは一つ、魔法を使った。

 淡く輝く真っ白な翼を、元の形に。


「じゃあ、おやすみ――」


 アンゼリカの表情が不細工に歪んだ。



 *



 エルダーのことはアンゼリカに任せて、ディルは寮の表にある拱門きょうもんに向かった。


「オレガノなんか嫌いだあー!」

「謝らないからね。わたしは絶対に謝らないから」

「さっきは気が動転してたんだよ! 脳内麻薬がどばどばで!」

「うん。あの子、人間だもんね」

「ぐうう……」


 オレガノに腕を掴まれたボリッジがまごついている。港ではとんでもないことをしてくれたものの、大大大好きな親友に絞め落とされて完全に我に返ったようだ。「あ、ディル」「げっ……」

 ボリッジの命令で動いていた三人や、腹部に負った傷が開いたシナモンの姿はそこにはない。


「すみません、こんなところで待たせて」

「ううん。あの子は?」

「ぐっすりです。アンゼリカに付いてもらってます」

「そっか。じゃあ、明日謝るんだね、ボリッジは」

「ぐううっ……」


 さっきから目の合わないボリッジに思わないところがないわけではないけれど、ディルは彼女を責めすぎないよう心に線を引いた。今までサポートしてもらった分と、オレガノが手を上げた意味を慮ってのことだ。

 それに、彼女が口にした「赤い悪魔」について、ディルには若干の知識があった。人智を超えた力でラールを半壊させ、また、救国したとされる畏怖すべき存在――ボリッジはきっと、その力を古式魔法によるものだと考えているのだ。

 しかし、そうやって彼女側の事情を推し量ることができたとしても、ディルが彼女に寄り添うことは難しかった。


「エルダーを持ち帰るなんてこと、もう二度と言うなよな」


 うなだれるような首肯に合わせて、金の耳飾りが涼やかに鳴る。


「約束だからな。破るなよ?」

「しつっこいな!」


 ぎろりと睨まれて「ん」と了承した。わずかに強張った表情に彼女らしい仕方なさを感じつつ、さて、と大きく息を吸い込む。

 彼女たちも疲れているだろうし、そろそろ本題に入らなければ。


「エルダーの魔法が普通じゃないって見方はわかったよ。ボリッジが研究してることの参考になるはずだっていうのも、理解はする」


 慎重に前置きをすると、ボリッジの顔付きが怪訝なものへと変化した。大切なものに関しては盲目的な彼女だけれども、こういうときは誰よりも鋭敏なようだ。

 一足飛びに伝えても通じるだろう。多分。


「無理に連れていくのはダメだけど、みんなで話したいなと思ってさ。手掛かりとかあるかもしれないし」


 ぽかんとしたボリッジときょとんとしたオレガノがほとんど同時に目配せをする。


「何だよその、おれだけに都合がいいような提案は」

「ボリッジ。ディルは損得だけで行動したりしないよ」

「それはさすがに買いかぶりですけど……」

「……」


 逡巡するような間があった。「……まあ、そういうことにしておくか」


「じゃあ、今日はもう遅いし、これで――」

「っていうかあんた、大事なことを忘れてないか?」

「へ?」


 ディルの言葉を遮ったボリッジがオレガノの拘束をそれとなく解き、へそを曲げた様子で腕を組む。なんとなくもどかしそうにしている気がするけれど、ひと段落ついたディルに思い当たる節はなかった。

 大事なことって?


「辞めたんだってな。ギルド」


 「ああ!」と手を打った。それは確かに大事なことだ。


「随分と余裕じゃないか。次の働き口に当てでもあるのか?」

「あー……」


 答えに困って頰をかく。ぶすっとしたボリッジの「向こう見ず」というそしりがシンプルに胸に刺さった。


「体と一緒に頭も冷えたし、おれは帰るぞ!」


 不機嫌なまま門の外に出た彼女に、ディルは慌てて声を掛ける。「もう一つ!」

 のろりと振り返った青緑色の瞳には、胡乱の二文字が浮かんでいた。


「もう一つ、言いたいことがあって……その、ありがとな! エルダーのこと、助けようとしてくれて」

「……は?」

「さらわれたときのことだよ。おかげで早く居場所がわかったんだ」


 一瞬だけ肩を怒らせたボリッジが見る間にげんなりする。タイミングがタイミングなので、恐らく呆れられたのだろう。

 それまで黙っていたオレガノがにわかに苦笑した。


「こういうのを天敵って呼ぶのかな。ね、ボリッジ」

「グルンの人間ってみんなこうなのか? 緑の国っていうだけあって、頭お花畑か?」

「返すものが増えちゃったじゃない。どうしてくれるの」


 義理堅い彼女にしては軽やかなその声音に、ディルはちょっとした驚きを覚える。それは決して嫌なものではなく、むしろ、葉陰が安らぐ陽だまりのように温かいものだった。


「わたしも帰るね。明日の朝、またくるから」

「はい。おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 楽しそうな足取りでボリッジの元に歩み寄ったオレガノは、ふくれっ面の彼女とともに道の向こうへ消えていった。


 大波の代わりに花びらに飲まれた街は何事もなかったように明るく、賑やかなままだ。今日だけでもたくさんの騒動があったはずなのに、明日の建国祭は滞りなく開かれて、その翌日からはまた、資金集めに勤しむ日々が続くのだろう。


 私はそちらの少年の提案を飲むのが得策かと思いますよ?

 よく頑張りましたね。君の行動力は素晴らしいものでした。

 納得がいきました。非常に。


「……ルバーブさんは、どうなるんだろう」


 誰に言うともなく独りごちる。部屋に戻ろうと踵を返したディルは、久しく耳にしていなかった敬称で呼び止められて全身が粟立つのを感じた。



 *



「酷い有様ね?」


 絹のような白髪が蠱惑的に揺れる。失意と呼ぶには自己愛の過ぎる感情を持て余した男は、誰にでも明け透けで、それ故に痛く愛らしい女に虚ろな目を向けた。


「いけませんよ? 男の住まいに一人で訪れて、有らぬ誤解を与えては」

「まあ……貴方また、おかしなことを言うのね? それが分かっているのなら、ただの道化でしかないじゃない」


 は、と口を開く。我ながら悪趣味な冗談だと思ったのに、天然で返されては立つ瀬が無いというものだ。

 男がいるのは草の根ギルドの禁錮きんこ室――罰としての謹慎を果たす為の、備品すら置かれていない小部屋である。


「何の用があって此処に? 掛かっていた鍵はどうしたんですか?」

「? 扉なら初めから開いていたわよ?」

「え?」


 青紫色の瞳がゆっくりと瞬く。男を此処に閉じ込めた彼の父は、姉は、間違いなく錠を下ろしたはずなのに。


「貴方って本当に……ううん、そんなことより、これからどうするの? 塵のような努力を自ら灰にしたわけだけど?」

「おや、慰めてくれるんですか? 本命に振られてようやく、この私が視界に入ったと?」

「は?」


 不可解そうな顔をしてもなお美しいその妖婦に、ざらざらとした気持ちを抑えられなくなっていく。

 どんなに真っ当に頑張っても、もがき苦しんでも、望んだ通りには報われない。どれだけ狡猾に立ち回り、卑怯な手を使おうと、必ずしも罰せられるわけではない。

 それがこの世界の本質だ。


「だって、そうでしょう? 貴女は私の事など気にも留めなかった!」

「……。支離滅裂も良いところね?」

「私に才が無いから! だから貴女は最初から……!」


 ひび割れた自尊心に追い討ちを掛ける行為だと分かっていながら、男は彼女を唾棄するのに必死だった。「次代の草冠(リトルマスター)」の名に恥じない人物になろうと、収まりが悪いまま覚えた言葉遣いが崩れていく――。


「待って。貴方ひょっとして、私のことが好きなの?」

「がッ、あ゛っ!?」


 期せずして品の無い声が出た。


「あら、図星? 貴方に私の力が効かなかったのは、そういうこと?」

「ま、待つのは貴女の方です! 今、何と!?」

「私が魅了チャームを使う前に、貴方は私に恋をしたのよ。あは、うふふ、きゃはははは! そんなの純血の夢魔(おかあさま)にだって太刀打ちできないわ!」


 ころころと笑い始めた女は、男が知り得る中でも飛び抜けて憎らしかった。

 しかし、その話が事実なら、この件に関する全てはただの。

 ただの、喜劇という事に?


「もう、可愛いったらないじゃない! うっかり好きになってしまいそう!」


 改めて失意の底に落ちた男の影を、大きな猫が踏み付けていった。

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