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61.少女の弁達と不本意な結末


 海から嫌な風が吹いてくる。肌寒さとともにじっとりとしたものを感じさせる、気持ちの悪い風だ。

 用心深い貴女きじょの仕事だろう、複雑に絡まった縄目から手を離したルバーブは、自分を鋭く見据える「暁のヘンリー」にそら笑いを向けた。


「軽蔑、ですか? あまり耳慣れない言葉ですね」

「……」


 端正な顔立ちに、グレイッシュホワイトの長い髪。濃紺のマントはニームが度々補修をしているもので、彼のトレードマークとも呼べる逸品だった。

 腰に下げた剣を抜いた「暁のヘンリー」が、その切っ先をルバーブに突き付ける。


()()()()()()()()。存分に」


 穏やかな口調とは裏腹に、彼の踏み込みは速かった。ぞっとして身を引いたルバーブは、反射的に取り出した小瓶を甲板の上で叩き割る。

 中の液体が一気に蒸発し、次の行動に移ろうとしていた男の足元をふらつかせた。


「アクマヒカゲシの毒です! それで少しは大人しく――」

「流石ですね。頭が良くて、機転も利く」

「!?」


 そのまま倒れるかと思われた男は、しかし、場違いな称賛をしながらそこに立っていた。耐え難い目眩めまいや激しい吐き気、手足の痺れなどに襲われているはずなのに、だ。


「ベラドンナにも引けを取らない求心力と、キャットニップにも勝る情報力。真っ直ぐな強さは、ナスタチウムと並ぶものでした」

「何を、急に――」

「貴方に足りないのは『自信』です。貴方が俺に負けるのは、その一点によるものだと知りなさい」


 改めて剣を構えた「暁のヘンリー」がルバーブの視界から消え失せた。



 *



 ボリッジが語ったのはにわかには信じられない話だった。


「今回の件を企てたのはルバーブだ。草の根ギルドポイントランキング第四位の、あのルバーブだよ」


 三人の少年少女たちから事情を聞き終えた彼女は、左手を腰に当て、右手を空に向けたポーズを取ると当たり前のようにそう言った。

 困惑したディルは無意識のうちに「まさか」とつぶやく。


「まさか、って。あいつらの勇気ある証言をなかったことにするのか?」

「それは……」


 ディルはちらりと彼女の後ろを見た。勇気あるというか、ボリッジの鎌かけによってあえなく陥落した彼らはめそめそと泣きながら告白したのだ。王族の水上パレード後、不意に現れたルバーブに協力してほしいと頼まれた、と。

 十歳の少女クミンと九歳の少年ビーバームはすっかり怯えた様子で、もう一人の少年カラミンサはナスタチウムにこんこんと叱られている。


「……だって、なんで。ルバーブさんがそんなことするわけ、」

「ああ、動機から知りたいのか。それなら簡単だぞ?」

「え?」

「ルバーブはこいつを牽制したかったのさ」


 空に向けていた手を少しずらす形で指し示された「こいつ」は、普段通りににこにこしていた。「うん?」

 さっぱりわけがわからないという顔をしたアンゼリカが「こいつって、エルダーのこと?」と念を押す。


「そういえば、君、閉じ込められていたときも似たようなことを言っていたよね? 僕のせいとか何とかって」

「あんた一人をおどかそうとしてたのは事実だからな。効果がなくてざまあみろって感じだけど、五人もさらうことになって不本意だったはずだよ」

「不本意……?」


 釈然としない表情のオレガノとは違って、ディルは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けていた。ルバーブのことはともかくとして、さらわれた人数が五人にまで跳ね上がったのは、犯人にとっても予期せぬ誤算だった――つまり、人さらいたちの犯行に思わせたくて手口を似せたわけではなく、その場しのぎの処置でそうせざるを得なかったということか?


「この子が狙われた理由は? わたしが見てるところでは恨まれるようなことはしてなかったはずだけど」

「恨まれるようなことかー。そういうことなら、こいつきっと、目立ちすぎたんだよ」

「目立ちすぎた? って、どういう意味よ」


 オレガノとアンゼリカの二人は不思議がっていたけれど、その一言でエルダーははっとしたようだった。「そっか。僕はルバーブを怖がらせちゃったんだね」

 ディルはボリッジの視点を認めながらも、そうすることで導き出される犯人像を否定するために口を開く。


「オレは納得いかないよ。目立ちすぎたから牽制するって、ルバーブさんがそんなことする必要ないじゃないか」

「ところがどっこい、それがあったりするんだよなあ」

「え……」


 ついさっきまで誘拐されていたとは思えないほど軽やかに答えたボリッジは、あくまでも主張を変える気のないディルを見てちっちっちっと人差し指を左右に振った。


「エルダーは最近、不動だったはずのナスタチウムの順位を追い抜いただろ? 次の席に座るルバーブとしては、今度は自分の番だ!って焦ったのさ」

「……。ルバーブさんはそんな人じゃないし、その理屈だったら他のメンバーだって怪しいことになるだろ」

「あんたも強情っ張りだなー」


 そうは言っても、悠々としたルバーブの印象からは程遠いこじつけなのは確かだ。ディルはその時点で彼女の物の見方に歪みがあるのではないかと疑い始めていた。


「こういうときは多角的な視点を持たないと。よし、ちょっとだけ切り口を変えてやるか」

「切り口を……変える?」

「偏屈者のヘンリーのことだよ」


 それはちょっとのうちに入るのか?


「いいか? ヘンリーは草の根ギルドで一番のろくでなし――じゃなかった。まあ、世論ってやつをそのまま採用すると、ずば抜けて優秀なメンバーなんだよな?」

「あ、ああ」

「ってことは、当然、国営ギルドのメンバーにもなれるはずだ。なのに、あいつときたらずーっと、それこそ根っこでも生えたみたいに草の根ギルドに居座ってるんだよ。なんでだと思う?」

「へ?」


 思わぬところで意見を求められたディルは「えーっと」と口元に指を当てた。草の根ギルドポイントランキング第一位の猛者だ、それ相応の理由があるのだろう。

 しかし、勝手気ままなボリッジはそんなディルの返答を待たない。


「女だ。あいつはニームがいるから草の根ギルドを離れないんだよ」

「え゛」


 唖然としたのはディルだけではなかった。静かに話を聞いていたオレガノもごくわずかに目を見開き、そして、何事もなかったように元の表情に戻った。


「あのなあ、おれはこの上なく丁寧に説明してやってるんだぞ? あからさまにがっかりするなよな!」

「は、はい。すみません」


 怒られたディルはいそいそと居住まいを正す。

 いや、でも。「暁のヘンリー」が恋人のために鞍替えをしなかったとして、それがどう関係してくるのだろう。ルバーブとは何の繋がりも――。


「で、だ。ニームがギルドマスターの娘なら、もちろん、その弟であるルバーブはギルドマスターの息子なわけだろ?」


 ――あ、と思った。嫌でもぴんときたディルに、ボリッジはしたり顔だ。「わかったみたいだな」 

 「次代の草冠(リトルマスター)」の異名を持つルバーブだけれども、姉のニームと恋仲にある男がとんでもなく優秀で、しかも、彼女と添い遂げる意志までちらつかせていたとしたら?


「ヘンリーの気持ちはどうであれ、次期ギルドマスターの座は『暁』に譲られるんじゃないか、なんて噂も立ち始めていたくらいだ。ルバーブに人望がないとは言わないけど、ギルドってのは実力主義の組織だからな」

「ルバーブさんには、後がなかった?」

「ご明察!」


 そのために、自分の立場を揺るがす要素はすべて潰しておきたかったと。

 そのために、背の高い木が強い風によって倒されるように、エルダーの心をも折ろうとしたと。


「不本意っていうのは、何?」


 黙り込んだディルの代わりに尋ねたオレガノは、淡々と憤っているようだった。


「おれが首を突っ込んで、計画変更を余儀なくされたことだよ」

「首を、突っ込む?」

「エルダーには話したけど、おれはこいつがさらわれるのを止めようとして巻き込まれただけなんだ」

「え……」

「おれってば高貴なオジョーサマだからなー、ルバーブも焦ったんだろうなー」


 アンゼリカが「高貴……?」と眉をひそめる。


「罪を軽くするための偽装工作だったってことさ。無作為にさらった子供の中に、うーっかり、他国のえらーい要人が紛れていましたって具合にな?」


 ディルは深く息を吸った。草の根ギルドのメンバーだけを連れ去った、というのは間違った認識であり、草の根ギルドのメンバーしか連れ去ることができなかった、というのが正しい事情だとすれば、ディルの感じた引っ掛かりは解消されるのだ。

 破綻しかけた計画をそれらしく整えるために、顔見知りで懐柔しやすい子供たちをルバーブが適当に見繕った。

 そういう考え方ができるということだから。


「何だよ、まだ腑に落ちないのか?」


 ボリッジに小突かれたディルは「腑に落ちないっていうか……」と口ごもる。


「あいつ今頃、いろんな証拠を処理してるかもしれないぞー?」

「……もしそれが本当なら、止めないといけないけど」


 溜め息をついたボリッジが頭の上で腕を組んだ。「まいったなー。おれはあんたのそういうところを責められないんだよなー」

 そう言って海を見やった彼女は苦笑いしていた。



 *



「みなさーん! 大丈夫ですかーっ!?」


 血相を変えたニームがつんのめるように走ってくる。それと同時に港にやってきたのは十数匹の猫を連れたキャットニップだった。


「あー、きみたちも来ちゃったんだねー」


 ディルたちを見つけてのんびりまばたきした彼は、周囲の様子をぐるりと窺うと改めてこちらを向く。「ルウは?」

 その問いにいち早く答えたのは海側から駆けてきた彼の愛猫だった。


「えっ、船に? ……ヘンリーと、二人で?」


 ひどいだみ声で二度三度と鳴くヴェルヴェーヌはディルの目にも懸命に映った。うんうんと相槌を打ったキャットニップが優しい手付きで彼女を抱き上げる。「ありがとう。ぼくは平気だよ。……うん、平気なんだ」

 つぶやいた彼はその体に顔をうずめてしばらく動かなかった。


「五人とも怪我はないみたい。よかったあ……」


 さらわれた子供たちの安否を確認し終えたニームがキャットニップに近付く。ヴェルヴェーヌから離れた彼の瞳はいつも以上に気怠げで、どことなく虚ろですらあった。


「ねえ、ニームちゃん。ルウは、捕まるの?」

「え?」

「自作自演って、どういう罪かな?」


 ふわふわしたキャットニップの言葉に、ディルは愕然とした。「知ってたん、ですか……?」

 ニームが表情を歪める。しかし、キャットニップはぼんやりしたままで、ディルはその態度にいらだちを覚えた。


「どうして止めなかったんですか!?」

「えー?」

「わかってたなら止めるべきでしょう!?」

「うーん……」


 彼が即答しない意味がわからない。だって、「猫使い」キャットニップと「リトルマスター」ルバーブは良きライバル同士で、また、お互いを信頼し合う仲だと有名だったではないか。

 それなのに、こんな簡単な間違いを放っておいたと?


「じゃあー、きみには止められたのー?」

「そんなの当たり前じゃ……!」

「ぼくにはルウしかいないんだよー? ルウに嫌われたら、ぼくはきっと、ぼく自身を大切な猫たちに食べさせて死んじゃうよー」

「な、あ……っ?」


 そのときだった。どん、という奇妙な振動がディルを襲ったのは。


「楽しければ、よかったんだ。ただ、それだけが……正しいこと、だったのに――」


 キャットニップの弱音が誰かに届くことはなかった。

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