58.少年の考察と魔法使いの暴論
草の根ギルドのメンバーにとって、指名を受けることによる恩恵は非常に大きい。一番わかりやすいのは依頼達成時の報酬の上乗せで、指名主が用意する心付けやギルドから支給される手当など、普段では得られない特別な対価を望めるようになっているのだ。
報酬というのは最終的には金銭に当たるもので、換金する前の状態ならギルドポイントと呼ぶのが適切なものである。
そして、ギルドランクはこのポイントによって上がっていく。
さて、ディルの目的はあくまでも「ギルドが握っている情報の確認」にあった。オレガノに引き止められた通り、今の自分では、何の手掛かりも持たないままの自分では、やることなすこと闇雲に終わってしまうからだ。
そうして知恵を絞った彼は、降って湧いたようなひらめきによって、神聖視していた指名の仕組みを曲解した。――この場で達成できる初級クラス以下の依頼に、指名で渡せるギルドポイントを可能な限り上乗せしたのだ。
オレガノのランクが四つ星になるまで。
「信じられません! よくこんなこと考え付きますね!」
「あはは、すみません」
苦笑するディルは、それでもニームには本当に悪いことをしたと思っていた。心優しい彼女はただ、自分たちの身を案じてくれただけなのだから。
「せっかくの努力を無駄にして……」
「無駄じゃないですよ」
ディルがした依頼は正確には「さらわれた人々を探すと約束すること」だった。そんな依頼に大金を払う指名主などいなかったためか、草の根ギルドが定めた禁則をすり抜けて承認せざるを得なくなったこの件を、ニームはなかなか受け入れられないようである。
「……そこまで頼りないですか? 当ギルドのメンバーは」
「えっ、そういうつもりじゃ! できることがあったから、つい」
「今後は取り締まっていきますからね! 草の根ギルドのスタッフとして、ディルさんのことは一人前だと思ってますけど……あなたたちみたいな子が危険な目に遭うのは、嫌です」
真剣な表情のニームを見て、ディルは意識的に黙り込んだ。
「何があっても、ディルさんは草の根ギルドには戻れませんよ。いいですね?」
「はい。理解してます」
ディルが即答したことでニームは踏ん切りを付けたようだった。浅い皿型の盆を差し出され、外したバッジをその上に乗せると、メンバー登録の抹消手続きを進めてくれる。
「一つだけ、聞いてもいいですか?」
程なくしてオレガノのバッジを受け取った彼女は、改まった様子で口を開いた。
「ディルさんって、ヘンリーさんと知り合いだったんですか?」
「……え?」
「あなたとすれ違ったとき、言ってたんですよ。知り合いに似てる気がする、って」
ディルは戸惑いがちに首を横に振った。というか、すれ違ったときとはいつのことだ。
そんなやり取りをしているうちにオレガノの獲得ギルドポイントは更新され、彼女は無事に四つ星になることができた。
「それでは、ディルさん。今まで本当にお疲れ様でした」
「はい。ニームさんも、本当にありがとうございました」
「とんでもないです。この国の光が、あなたの行く先をいつまでも照らしますように!」
努めて朗らかにディルの幸運を祈ったニームは、彼の気持ちを間違いなく震わせた。世話になった相手に仇にも似たものを返してしまったのだから、それ相応の成果を出さなければ太陽の下を歩けない。
「わたしも、ごめんね。それと、ありがとう」
バッジを付け直したオレガノの言葉は、ディルとニームの両方に向けられたものだった。
「これが最善だと思ったんです。謝らないでください」
「……うん」
草の根ギルドに所属するメンバーは、草の根ギルドに対して、初級クラス程度の依頼しかできない。すべての人を喜ばせるのは難しいということだけれども、ディルは自分の選択を憂いてなどいなかった。
「ディルがここまでしたんだから、あとはわかっているわよね?」
言い回しこそ厳しかったものの、アンゼリカの声音にはオレガノを鼓舞しようとする響きが含まれていた。しっかりうなずいた彼女に笑いかけ、ディルは草の根ギルドの外に出た。
*
壁に小刀を突き立てていたボリッジが唐突に横向きに倒れた。ごろんと大の字になった彼女はひいこら言っている。
「おい、あんた。脱出に使えそうなものとか、持ってないのか?」
息も絶え絶えに尋ねられたエルダーは、どうかなあ、と思った。杖はどこかにやってしまったけれど、愛用の帽子なら手元にあったので、中身を確認しつつ取り出してみる。
先日買った三段ケーキみたいな帽子と、リコリスにもらったお役立ちセットが一式。バジリコがくれた分厚い魔術書に、生成り色の封筒――は、しまっておいた。
「おっ、意外と大荷物じゃないか。どれどれ?」
ボリッジが目を付けたのはリコリスにもらったお役立ちセットだった。一つ一つ入念に観察し、じっくりと吟味しているようだ。
三段ケーキはいいやと断られたので収納し直していると、耳慣れない奇声が聞こえた。
「あ、あああんた、この本どこで!?」
見れば、古めかしい魔術書を抱えたボリッジが興奮した様子で詰め寄ってくる。「ほら、これ! 『赤い悪魔の詩』の初版本!!」
後ずさったエルダーは背面の壁にぶつかってうわあとなった。
「それは、ピャーチで会った何でも屋が」
「いくらで!?」
「くれたものだから、値段は答えられないよ」
事実を伝えただけなのに一人で身悶えている。
「えっと、ほら。まずは脱出するんでしょ?」
「ゔにゃゔ。交渉はそのあとかー……」
名残惜しそうに魔術書を手放したボリッジは元の位置に戻ると穴掘りを再開した。
せっかく出したものたちはどれも使わないらしい。
「……」
お役立ちセットを片付け、魔術書を拾い上げたエルダーは、革張りのその表紙を軽くなでた。あかいあくまのうた……そんな題名だったっけ。
霧の世界に飛ばされてから面白いことがありすぎて、存在ごと忘れてしまっていたのだけれども。
「ねえ、ボリッジ」
「隙間さえできればー!」
「『赤い悪魔』って、何?」
エルダーのことなど眼中にないという感じなのか、ボリッジは彼の問いかけをことごとく無視した。
仕方がないのでぺらぺらとページをめくってみる。……明かりがないのでよく見えない。
「……」
本をしまったエルダーはその指で近くの壁に触れた。
*
エルダーやボリッジをさらったのは何人かの男たちだったそうだ。王族の水上パレードに大衆の関心が向いている間に何らかの方法で彼らの意識を奪い、橋を抜けたあとは細い路地やシュダー街を経由しながら姿をくらませたらしい。
「かなりの手際ですよね。完全に組織的な動きをしてる、っていうか」
「ギルド側も同じ意見だったよ。この日に合わせて計画された犯行だろうって」
「うーん……」
草の根ギルドからそう遠くない回廊にて。オレガノが教えてくれた情報を慎重に聞き取ったディルは、アンゼリカを腕に抱えた状態でちょっとばかり考え込んだ。
男たちは全員、眠っているようにおとなしい少年少女を保護者面で背負い、先を急いでいたという。しかし、そんな目撃証言は一定の距離を越えたところでぱったりなくなり、その代わりに出てきたのが、細い水路から広い運河に向かう舟が何隻か大きな積荷を載せていたという話だった。
「それって、荷物の中にエルダーたちを隠して運んでるってことよね?」
「うん。この街にいる人さらいたちがよく使う手口だから、すぐにでも検問を始めるみたいだけど」
「どういうことかしら。ディルはどう思う?」
「そうだな……」
アンゼリカに問われたディルは、そこはかとない引っ掛かりを言葉にするために、頭の中で組み立てた仮説を順番に整理する。
人身売買を目的とする者たちの仕業であれば、一刻の猶予もないけれど……。
「舟の行方を追う? それとも、検問に参加しようか?」
落ち着いた口調なのでわかりにくいものの、オレガノはかなり焦っているようだった。ベラドンナにしてやられたのが響いているのかもしれない。
ディルは深く息を吸った。
「別の可能性を潰すっていうのは、どうでしょうか?」
「べつ、の……可能、性?」
前のめり気味だったオレガノが、その勢いをちょっとだけ緩める。後手に回るなら後手に回るなりにというのは、抜け穴の存在を暗示するとともに、ギルドがひらいた道をなぞるなという助言だったと思うのだ。
「ディルはね、人さらいたちの仕業じゃない場合のときのことを考えていたのよ」
人数が必要なやり方ではなく、三人だからこそできることを。
面食らったオレガノは目からうろこが落ちたように「聞かせて」と続けた。
「そもそも、この街にいる人さらいたちっていうのは、狙う対象は無差別に選んでいるんですよね?」
「? うん。さらいやすさとかはあるかもしれないけど、そのはずだよ」
「にも関わらず、今回狙われたのは草の根ギルドのメンバーだけだった。五人に共通していることって、他にもあるんでしょうか」
「他……」
指折り数え始めたオレガノと一緒に、五人の特徴を確認してみる。
草の根ギルドポイントランキング第五位の少年エルダー。
次代のトップランカー候補の少年カラミンサ。
採集系の依頼しか受けない少女クミン。
近頃ギルドに登録したばかりの少年ビーバーム。
メドレグ魔法学校きっての秀才少女ボリッジ。
草の根ギルドのメンバーであることと、十五歳以下の子供であること、そしてあのときムング橋にいたこと以外にこれといった繋がりはないように感じられる。
「ということは、ですよ? 狙う対象は草の根ギルドに所属している子供なら誰でもよかった、ってことになりませんか?」
「……。それじゃあ、草の根ギルドに嫌がらせがしたいだけみたいな……」
「そうなんですよ」
「え」
ルバーブが口にした「宣戦布告」の意味はこの印象に基づくものだろう。彼が憤るのも当然のことである。
「そんなことをするのは、草の根ギルドの評判を落としたい人か、それで得をする人くらいのものですよね」
「う、うん」
「ここまでは、オレガノさんを待っている間に考えたことなんです」
「……?」
そこで息をついたディルは、のっぺりとした空を見上げて困った顔をした。
「えっと、筋は通っているんじゃないの? どうしてそこで止めちゃうの」
「思ったより、人さらいたちの仕業っぽかったからですよ」
「……もっとはっきり言ってくれないかな」
オレガノに急かされて視線を戻した。
「草の根ギルドって、人さらいたちに嫌がらせをされる理由とか、ないですよね?」
記憶を探るようにむうとしたオレガノが「そうだね」とつぶやく。
「人さらいたちの問題は扱いが難しいって、ボリッジも言っていたし……」
「となると、さっきの考えのまま仮定を進めたときに、違和感が出てくるんですよ。犯人の候補として挙げられそうなのは『草の根ギルドに個人的な恨みがある人』か『草の根ギルドに任せられるはずだった依頼が流れてくる他ギルドのメンバー』ってことになるんですけど、」
「そのどちらかが、今回のことを企てた?」
「うーん……。実行犯に人さらいたちを雇うか、彼らの犯行だと思わせるために手口を真似るかして、本当のことを悟られないようにしたのなら。でも……」
「でも……?」
そう。「でも」なのだ。
「人さらいを雇うとか、手口を真似るとかまでしてるのに、やってることが中途半端じゃないですか?」
「……え?」
中途半端?と眉をひそめたオレガノに、ディルははいと答える。
「だって、草の根ギルドのメンバー以外も連れ去っておけば、人さらいの犯行にしか見えないわけじゃないですか。オレが犯人だったらそうしてますし」
「……なる、ほど?」
「なんで最後だけ手を抜いたのか――」
そこまで話したところで、ドォン、という爆発音じみたものが三人の鼓膜を震わせた。