56.王族のパレードと流れる人々
建国祭は二日目も活気付いていた。『祝光の三日間』のうち、王族の姿をもっとも近くで見られる唯一の日ということで、どこもかしこも多くの人でごった返している。
あいにくの曇り空の下、ディルたち五人は離れ離れにならないよう注意しながら目的地に向かって歩いていた。
「フェンネル王子の初参加とあって、警備も増し増しって感じだなー」
楽しそうに手びさしを作ったボリッジがにんまりと笑う。彼らが目指しているのはムング橋という大きな橋梁で、案内役を買って出た彼女によると、王族の水上パレードを観るのにうってつけの場所なのだそうだ。
昨日までどこに隠れていたのかと言いたくなるほどの人波にもまれてえっちらおっちら、イェーディーンを流れる大河のうちの一つが近付くと、ディルはどうにも落ち着かない気持ちになってしまう。
「本当にあそこを通るの?」
「昼までにはくると思うぞ? 経路も時間も公にはされてないけど、三本ある大河はみんな回るのが習わしだからな!」
「へええー」
エルダーの言葉に答えたボリッジはふふんと胸を反らしていた。祭日の空気にあてられて、ちょっぴり開放的な気分になっているようだ。
到着した橋上は道中と同じくらい混み合っており、少しでも空いている欄干を見つけるのに苦労した。大人だったら収まりきれないようなところにぎゅぎゅっと詰まってみる。
暇を持て余してじゃれ合う少女二人のとなりでは、片手で帽子を押さえたエルダーが橋の下を覗き込んでいた。
「さぞかし立派なパレードなんだろうね。何せ、王様の乗ったフロートが出るんだから」
いつものように笑うエルダーは、いつもより期待のこもった声でそう言うと、まるで同意を求めるようにディルのほうを見た。完全にうわの空だったディルはほとんど反射的に「あ、ああ」とうなずく。
わずかにではあるけれど、眉をひそめられてしまった。
「ディルは最近、眠りが浅いのよ。ねっ、ディル?」
「えっ? そ、それは、まあ……」
アンゼリカにフォローされて内心焦った。「ふーん」と相槌を打ったエルダーがにっこりする。
「君ってつくづく間が悪いよね」
「あー……」
浮足立つ理由を説明する必要もなし、彼が納得したのならそういうことにしておこうと思うディルである。
「こういうときは、そうね! 温かい飲み物でも買ってくるのがいいわよね!」
「へっ?」
「おっ、だったらおれの分もー!」
アンゼリカの出し抜けな提案に、オレガノにくっついていたボリッジが素早く手を挙げる。
「それならわたしも行くよ。ボリッジはここで待機」
「任されたー!」
元気いっぱいの返事を受けて、アンゼリカとオレガノの二人は川沿いの移動屋台へ向かった。それを見送ったボリッジが改めて欄干にもたれかかる。
ディルたちも彼女にならおうとしたところで。
「よォ、エルダーじゃねェか!」
三人仲良く振り返れば、壁と見紛うほどの巨漢がのっしのっしと歩いてきた。
「やあ、ナスタチウム。奇遇だね!」
「だなァ! 王様のパレードを観にきたのか?」
「うん。ここがおすすめだって聞いて」
簡単に微笑むエルダーのそばで、ディルはぎょお……とする。
「おい、締まりのない顔をするなよな。まさか初めて会ったのか?」
「こんな近くでは……。本当に大きいなあ……」
「せめて口を閉じろー?」
ボリッジに注意され、ついでに顎を押し上げられた。
「君もパレードを観に?」
「うんにゃ、俺ァ息子を探しててなァ」
「息子? 巨人族の子供なんていたかなあ」
「お? カラムは俺みたいな図体してねェぞ?」
「えっ」
その場にしゃがんでも岩のようにしか見えないナスタチウムは粗野な印象が強く、近寄りがたい雰囲気すら感じられる。しかし、彼がエルダーと話している内容はごくごくありふれたもので、ディルはそのギャップに気抜けするようだった。
「けどお前、そんなちびっこくて観えんのか?」
「どうだろう。難しいかな?」
「のんびりしたやつだなァ」
「そう?」
首をかしげたエルダーは普段通りの様子で談笑を続けている。既視感のある光景だと思ったら、クマのような男の髭面が脳裏をよぎった。
ふと、まわりの人々がざわつき始める。
「いらしたぞ!」
「どちらに!?」
「左岸側だ!」
急に騒がしくなった雑踏に混じって楽器の音が聞こえてきた。どこにいるかはわからないけれど、王族の水上パレードがやってきたようだ。
「こいつァちょうどいい! 俺の出番ってやつかねェ!」
「へ、えっ!?」
そんな声がした途端にエルダーの体ががっしりとした手に掴まれた。唖然としたディルが何事かとまばたきしているうちに、彼の体は垂直に放り投げられる。
「……な゛あ゛っ!?」
一拍ほど反応が遅れた。エルダーを投擲したナスタチウムの動きがあまりにも自然だったので、何が起こったのかわからなかったのだ。
ぞっとしたディルは、空高くで宙返りする小さな影を見上げることしかできない。
「ここからならよォく観えるだろォ!!」
「……え?」
ナスタチウムが巨大な腕を水平に振るう。彼の手に再び掴まれたエルダーは、あっという間にその右肩に座らされていた。
状況が飲み込めないディルに対して、当のエルダーは腹を抱えて大笑いしている。
「ま、紛らわしい……!」
安心して文句を垂れたディルを、エルダーがひいひいと指差した。
瞬間。
「なんでえっ!?」
同じ目に遭ったディルの悲鳴は呆気なくかき消えた。
*
はっとしたときには王族の乗ったフロートは橋の下を通過していた。エルダーとは反対の肩に座らされたディルは、アンゼリカが運んでくれたコーヒーを黙々とすすりつつ、実に複雑な気持ちで川面に映る曇り空を眺める。
「とんでもないところにいて驚いたけど、パレードはしっかり観れたみたいね」
「う、うん……」
「どうだった? 『祝光の三日間』で一番の祭事なんでしょう?」
「うーんと……そうだなあ……」
アンゼリカに尋ねられたディルは、正直な感想を伝えるわけにはいかないと口を濁す。
パレードの進行に不備があったわけではない。楽隊の演奏は美しく、どの舟も洗練されたもので、サーラル王室の面々はまさしく華やかだった。当然のことではあるけれど、これ以上ないほど素晴らしい行進だったと思う。
思うのだけれども……。
「王族っていうからすごい人たちを想像していたけど、そうでもなかったね」
「ごっふお!!」
となりから飛び出した率直すぎる言葉に、ディルは激しくむせ込んだ。「え、え、エルダー!?」
似たようなことを考えていたやましさも手伝って、さあっと血の気が引いていく。
無表情に見えたナスタチウムは、一転して豪快に笑った。
「第五位様には怖いもんがねェってか!?」
「ひっ!?」
「うわあっ?」
突然の揺れにびっくりした二人はほとんど同時に彼の首元にしがみつく。
「ちょっと、肩から落ちたらどうするつもりよ!?」
「悪ィ悪ィ! あんまり面白くってなァ!」
「もう!!」
アンゼリカの苦言が響いているのかいないのか、愉快そうに謝るナスタチウムは目尻に浮かぶ涙を乱暴に拭った。
「あのな、エルダー。世の中には不敬罪ってもんがあるんだよ」
「フケイザイ? ……って、何?」
ばくばく鳴る心臓を必死に落ち着けるディルは、そんなやり取りが交わされるのを見て脱力した。昨晩から抱いていたそこはかとない不安が散り散りになっていくのを感じる……。
初めて知ったことだと言わんばかりにナスタチウムの話に耳を傾けるエルダーは、彼の説明が最後まで終わっても、悪びれる様子はなかった。
「ありがとう、ナスタチウム。おかげで楽しめたよ」
「おう、そいつァよかったな! しっかしお前、ちっとは気ィ付けろよ!?」
「問題ないよ。困ったときは相手の記憶をどうにかするからね」
「おっかねェこと抜かすなァ!?」
いまだに混雑している橋の上に二人揃って降ろしてもらう。オレガノとボリッジがいたところはこれっぽっちも空きがなかったので、彼女たちとは橋のたもとで合流することにしていた。
「オレまで乗せてもらって、本当にありがとうございました」
「どうってこたァねェさ! 年に一度の建国祭だ、この国の光は旅人も照らすだろうよ!」
丁寧に頭を下げたディルは、大きく飛び跳ねながら去っていく後ろ姿を見送って、軽く息をつく。
「よし。それじゃあ、オレガノさんたちと落ち合わないとな」
「うん。でも、みんななかなか移動しないね?」
「船影が残ってたからな。そのうち嫌でも歩くことに、ぐえっ!?」
「うぐっ?」
そのうちは比較的すぐにやってきた。唐突に動き始めた人々がディルの体をあらぬほうに押し出し、流れるように離れたとんがり帽子も人波にのまれてあっぷあっぷとしている。
近くに引き戻してやろうにも、人垣が厚くてどうにもならない。
「エルダー! 大丈夫か、エルダー!」
「ここはあたしが確認して……って、え?」
少し高いところにいたアンゼリカが眉間にしわを寄せた。ちらりと見えたエルダーは気絶したようにぐったりとして――フードをかぶった何者かに、抱きかかえられている?
「エルダー!?」
手を伸ばす余裕もない。フードの人物はそのままどこかに行こうとしていた。
すーぐに人さらいに遭うからな、というボリッジの言葉が、ぞわりとしたものをディルの背筋に駆け巡らせる。
「アンゼリカ!!」
ディルが叫ぶより早く羽ばたいた彼女は、死角から飛び出した影に取り付かれて失速した。