55.憂う妖婦と踊る路地裏
ゆるゆるとした街歩きを楽しんだ五人は、ハルの大広場に戻ってきていた。そこにある半円形の舞台で「スヴァルトのフィーカ」という物語を主題にした曲芸が上演されるらしく、彼らの他にもそれを目当てに集まった人々が場所取りじみたことをしている。
「アンゼリカあんた、運がいいなあ! ソラトビネコが人気なのは『スヴァルトのフィーカ』の影響が大きいんだぞ?」
「そ、そうなの?」
「魔物だからってばかにするなよう?」
「え、ええ……」
そんな会話をしながら五人で固まって座れるところを探していると、正面からやってきた女がとんとディルにぶつかった。
「すっ、すみません!」
「いえ、こちらこそ……って、ディルさん?」
あたふたと謝ったディルがえっと顔を上げれば、そこにいたのは目を丸くしたニームだった。仕事中はまとめている髪を肩まで下ろし、耳には小さな飾りをつけて、普段より華やかな格好をしている。
「おいおいニーム、随分とめかしこんでるじゃないか! なるほどなるほど、デートだな?」
「ぼ、ボリッジちゃん!?」
「噂の色男は――っと。何だ、これから待ち合わせなのか」
「へっ?」
びっくりした様子のニームがきょろきょろとあたりを見回した。その仕草はまるで、近くにいるべき誰かの姿を探しているかのようである。
「もしかして、はぐれたんですか?」
「ちょっと前まで一緒にいたんですけど……。ええと、みなさんもお気を付けて!」
そう言ってはにかんだ彼女は「ヘンリーさーん? どこですか、ヘンリーさーん!」と呼び掛けながら遠ざかっていった。
「『ヘンリーさん』って……『暁のヘンリー』?」
ぽかんとしたディルがとなりのボリッジに確認を取る。軽くうなずいた彼女は「そりゃあそうだろう」みたいな態度で、むしろ、知らないほうが非常識なのか?と思いかけたくらいだった。
しかし。
「爽やかで優しい人だよね。……お似合い、納得」
ボリッジの平静さは、オレガノのつぶやき一つであっという間に失われた。
「そっ、そそそれは恋かオレガノ!? あ、相手は三十路過ぎのおっさんだぞ!?」
認識の飛躍がすごい。
「大人だよね。人格者だし」
「げっ、まさかの好印象!?」
わりと本気で焦り出したボリッジは「暁のヘンリー」の欠点を容赦なく列挙し始めた。国営ギルドへの登録権を蹴り続けている偏屈者だとか、記憶喪失のわりに強すぎておかしいとか、まあ、そんなようなことだ。
そして、彼女がむきになればむきになるほど、オレガノは口元の緩みを隠せなくなっていく。
「そ、その笑い……! ひょっとして、おれはからかわれたのか!?」
「恋なわけないでしょ? わたしにはそういうの、わからないし」
「にゃあ゛ー!? さ、さてはあのときの冗談を根に持って……!?」
今日も今日とて和気あいあいとしつつ、ちょうどいい場所を見つけて腰を落ち着けた。
「オレガノさんは面識があるんですね。その、ヘンリーさんと」
「うん。あなたはないの?」
「実は……。いいなあ、オレも会ってみたいです」
しばらくして始まった曲芸は、本物のソラトビネコを主人公役として展開する離れ業の連続だった。物語自体はブラックジョーク仕立てで、常に空腹のスヴァルトが様々な人間から甘いお菓子を騙し取り、その攻防を通して友達になった魔法使いに食べられてしまうというものなのだけれども……魔物であるスヴァルトを相手に奮戦する人たちの姿を空中回転や綱渡りで表現したり、手品やジャグリングを使って翻弄する場面を作ったりと、華やかで胸が躍るようなアレンジが盛りだくさんだった。
すべての演目が終わったときには大きな喝采が起こり、五人も負けじと手を叩いた。
「面白かったね! 魔法も使わずにあんなことができるなんて!」
いたく興奮したエルダーが真っ先に口を開く。
「だな! スヴァルトが梯子を壊したとき驚いたけど、絶妙なバランスで耐えて!」
ディルも身振りを交えながら余韻に浸った。アンゼリカなどは「人間っていろんなことができるのね……」と放心している。
「追い込まれて火の輪をくぐるやつもなかなかだったよな! な、オレガノ!」
「うん! みんなすごかったね、観れてよかった……!」
オレガノの言葉に全員が同意した。どことなくこそばゆい気持ちになったディルは、ふっと、空に広がる夜の気配に名残惜しさを覚える。
楽しいな、と、思った。
「さーて! 一日目も終わりに近付いてきたところでー!?」
「あ……! そろそろあれの時間か……!」
わかりやすく含み笑いをしたボリッジと、わかりやすく顔をしかめたオレガノの温度差は明確だった。夕焼けの残光が最後の一欠片まできれいになくなると、魔法灯の明かりがにわかに消えていく。
「えっ! な、何だ?」
動揺したディルの声をかき消すように、耳慣れた鐘の音が三回、悠然と鳴り響いた。周囲に溢れていた音楽がぴたりと止み、雑踏までもが小さくなれば、厳かな静寂が訪れる。
「宴を!」
「ジュニパーに踊りを!」
そんな叫びが聞こえた途端に、あたりが白く染まった。
「よーし、行くぞー!」
「うおっ!?」
ぐいと腕を引かれたディルは、つんのめるように走り出す。
「おい、ちょっと、ボリッジ!?」
「あなた、ディルをどこへ連れていく気よ!?」
「どこだろうなー!」
彼女の行動力にはいつだってかなわないけれど、今はそれにわくわくするのもまた、事実だった。
……理由はちゃんと、知っている。
踏んでよかったよね。魔法陣。
うれしくてうれしくて仕方のない言葉に、ディルは再び泣きそうになった。
振り返った世界はあまりにもまぶしくて、彼の視界には何も映らなかった。
*
一斉に点いた魔法灯の明るさに目が慣れた頃には、エルダーの近くにディルたち三人の姿はなかった。軽やかな演奏が流れ出すとともに、まわりの人々が二人一組でステップを踏み始める。
「えーっと。……みんな、どうしたの?」
そばにいたオレガノに尋ねると、回廊脇に身を寄せた彼女は「そういうものなの」と答えて腕を組んだ。「ジュニパーは踊りが好きだから。彼女のためにみんなで踊るんだよ」
その姿勢からして、彼女自身に踊るつもりはないらしい。
「あら? そこにいるのは、エルダーくん?」
全身がぞわりとした。
ひときわ輝く白い髪と、宝石のような青紫色の瞳――。
「ベラドンナ……!」
オレガノに肩を掴まれたエルダーは数歩ばかりよろめいた。帽子ごと頭を押さえ付られて視点を固定される。
「こんばんは? オレガノちゃん。貴女は踊らないの?」
「……あなたは何をしにきたの?」
「何って、建国祭を楽しんでいるのよ?」
「……」
黙り込んだオレガノからぴりぴりした圧のようなものを感じる。詳しいことはわからないけれど、どうにも剣呑な雰囲気だ。
ベラドンナなんてオレガノよりも弱いのに、どうしてそこまで警戒するのだろう?
なんてことを考えていると。
「そうだわ? オレガノちゃんが踊らないなら、私と踊るのはどうかしら?」
鷹揚な誘いに、興味を引かれた。
「ほら、良いでしょう? この間のお詫びも兼ねて」
帽子の縁から見えた指先は華奢で美しかった。それはそれでありかなあと思ったものの、そうはオレガノが許さない。
「ダメ。近付かないで」
厳しい口調でベラドンナの提案をはねつけた彼女は、二人の間に入るとその身を低くした。
今にも短剣とか取り出しそうな構えである。
「貴女、次に生まれる時は男の子になりなさい? 喜んで迎えてあげるから」
「早くどこかに行って。この子に関わらないで」
「まあ、可愛い嫉妬ね? 私、エルダーくんのことは諦めたのよ?」
「信じられない」
オレガノにとことん突っぱねられ、仕方なさそうに距離を置いたベラドンナが憂うように嘆息する。
「それじゃあ、近いうちに――また、会いましょう?」
靴底が地面を叩く音が聞こえなくなった頃、エルダーはようやく帽子の上の手をどけてもらうことができた。
まわりの人々は相手を変えて踊り続けているようだ。
「君さあ……」
何かしら声を掛けようとしたところで、ボリッジが元気よく戻ってくる。
「さあ、オレガノ!」
「えっ、わたしは踊らないけど……!?」
引き回して満足したであろうディルを放り投げると、抵抗するオレガノを連れて駆け出した。
……相変わらず自由な少女だ。
「あの子ってば、大概にしなさいよね!?」
目を尖らせたアンゼリカが、げっそりしたディルのそばを飛びながら光の粒を撒く。
しかし、彼らに休んでいる時間はなかった。
「ディルー!? あっ、やっぱりディルだわ!? やっと見つけたわよー!?」
「これは……バニラの、声……?」
「わたしとおどりましょうー!!」
つむじ風のように現れた幼い少女に、ディルはあっさりさらわれていった。
「……え?」
呆然とするアンゼリカのとなりで、エルダーはとりあえずにこにこしておいた。
*
薄闇に沈む路地裏にて。
「明日決行でいいんだな」
「……」
「本当に、そこまでする必要があるのか?」
「……」
「わかったよ。トップランカー様の仰せにままに、だ」
不安定に揺れる影もまた、踊っているかのようだった。