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50.黒塗りの外壁とガラスの瞳


 場所を移そうというボリッジの言葉に従って舟を乗り継ぎ辿り着いたのは、黒塗りの外壁に囲まれた物々しい一画だった。


「何なの? ここ……」


 アンゼリカが訝しむのも無理はない。草の根ギルドを出たボリッジは、頑なに目的地を伏せていたからだ。

 そして、「嘘」の内容も。


 開け放たれた門を抜け、噴水やベンチ、立像などが置かれた前庭を横切る。


「なあ、ボリッジ。ここってもしかして……」

「我らがメドレグ魔法学校だよ」


 前を歩くボリッジが口にしたのは、ディルが予想していた通りの施設名だった。

 オレガノが通っていたという、世界屈指の魔法学校――。


 やがて見えてきた高い建物の中に入ると、ディルはいよいよ目を白黒させた。

 五階ほどあるフロアがすべて吹き抜けになっており、学生らしき人々がそこかしこを行き来している。

 明らかに講義棟のような感じだけれども、部外者がいて問題ないのだろうか?


 ちなみに、ボリッジの「嘘をついている」という主張に対して、ディルはもちろん説明を求めた。が、どれだけ熱心に尋ねたところで彼女は聞く耳を持たず、こうしてずんずん突き進んでいるわけだ。

 まるで「ついてくればわかる」と言わんばかりに。


 建物内の回廊を歩いている間にも様々な学生とすれ違った。


「うわっ、『はぐれ尻尾』のボリッジだ」

「なあに、あれ。また勝手なことしてるの?」

「特別扱いのオジョーサマはいいよなあ」


 非常に多くの視線と悪口のような小声が飛び交う。しかし、当のボリッジはそういったものなど完全に無視しているようだった。

 そうこうしているうちに中庭に出る。


「どこに行くつもりなの?」


 アンゼリカの問いにボリッジは答えない。

 ディルが覚えているだけでも、メドレグ魔法学校には先ほどのような建物があと五、六棟はあったはずだ。それに加えて実験棟や図書館、植物園などの施設も点在しているため、ボリッジがこの中のどこを目指しているのかまったく見当がつかなかった。


 整備された道を外れて獣道じみたところに分け入る。しばらく進むと、煉瓦造りの古めかしい屋敷が見えてきた。

 ボリッジが近付くのを待っていたかのように、ひとりでに扉が開く。


「そろそろ教えなさいってば!」


 玄関ホールを通り、赤い絨毯の敷かれた階段を上ったボリッジは、二階の廊下の突き当たりでようやく立ち止まった。

 ゆらりと振り返った彼女は、うっすら笑っていた。


「ここはおれの研究室ラボだよ。オレガノもきたことがない、秘密の部屋さ」


 そう言って押し開けたの向こうには、薄暗い空間が広がっていた。うずたかく積まれた本の山や、数えきれないほどの巻物、丸めて放られた紙くずが床いっぱいに散らばっている。

 慣れた足取りで部屋の奥に歩みを進めたボリッジは、そこに掛かっていた分厚いカーテンを力任せに引っ張った。


「こ、これは……!?」


 午後の光を受けて一気に明るくなった「研究室ラボ」の全貌を前に、ディルとアンゼリカの二人は思わず目を見張る。

 その部屋の壁をびっしり埋め尽くしていたのは――。


「まさか、初めて見るとか言わないよな?」


 ――いくつもの()()()、だった。



 *



 ぐっすり眠っていたエルダーは、ふっと目を覚ますと勢いよく起き上がった。

 すっきりばっちり全快である。


「よおし、出掛けよう」


 昨日はまあまあ大変な思いをした気がするけれど、それはそれ、これはこれだ。さくっと支度を済ませた彼は、五日後の建国祭に向けて準備を進める街の中に意気揚々と繰り出した。

 軒先という軒先に吊るされた、色彩豊かなペーパーランタン。昨日よりもっと華やかに飾られ、より一層の賑わいを見せる街並み。それらのものをこの上なく鮮やかに仕立てるのは、空の青を映す水路との対比だ。誰かが口ずさむ下手くそな歌だって、今のイェーディーンを彩る素晴らしいもののように感じられる。

 そんなふうにふわふわしながら回廊の角を曲がると。


「うわあ?」


 想定外の何かにぶつかって一歩ばかりよろめいた。

 さすがに浮かれすぎていたかなと、改めて前方を確認する。


「……オレガノ?」


 そこにいたのは顔見知りの少女だった。いつも通りの仏頂面を浮かべた彼女は、しかし、普段と違って反応が鈍い。


「どうしてこんなところにいるの?」


 エルダーの問い掛けに対してゆっくりとまばたきをしたオレガノは、我に返った様子でさらに目をしばたいた。


「わ、わたし……そう、ボリッジ! ボリッジを、探していて……」

「ボリッジ?」

「怒らせちゃって……」

「怒らせた?」


 とりあえず半開きになっていた口を閉じたエルダーは、すっかり動転しているらしいオレガノをしげしげと観察した。ガラス玉のような深緑の瞳は湿り気を帯び、その目元はほんのりと赤い。

 ごくごく普通に覗き込むと、不意にそっぽを向かれた。


「ち……違う、今のは違うから!」

「? 何が?」

「っていうか、今日は休んでいるんじゃなかったの? どうして出歩いてるの……!」

「君こそどうして泣いていたの?」


 うなだれたオレガノが回廊の壁に寄りかかった。エルダーは彼女の奇行に疑問符を並べるばかりだ。

 しばらくしてこちらを見た彼女は、先ほどと同じ瞳をしていた。


「……あなたは、さ」


 躊躇いがちに、少しだけ眉を下げた表情が印象的だった。後悔なんてものはもうないはずなのに、だからこそ彼女はあんなにも晴れやかに笑うことができたのだと思っていたのに、どうしてそんな顔をするのだろう。

 どうして。


「……お姉ちゃんは、本当にあの場所にいたよね?」


 欲しい答えはいつだって遠い。



 *



 大小様々な魔法陣がおびただしい量の紙に描き込まれ、壁一面にびっしりと貼り出されている。


「何よこれ! どういうことよ!」

「おいおい、面白くない冗談を言うなよな。これがあんたたちのついた『嘘』だろ?」


 ぞっとする光景だった。

 三人をグルンから移動させた魔法陣。マジョラムの魂を霧の世界に閉じ込めた魔法陣。

 恐るべき力を秘めた、特別なかたち。


「ここにあるもの全部、ボリッジが集めたのか?」

「集める? いいや、()()()んだよ」

「……描いた?」


 扉のそばで立ち尽くしていたディルは素頓狂な声を上げた。

 遠目でもわかるほど、この部屋にある魔法陣は精緻で美しいものだった。線の太さは均一で、歪んでいる部分などどこにもなく、こんな細かい図形をボリッジがその手で生み出したなんてにわかには信じられないくらいだ。


「すごいじゃんか!」

「……は?」

「ボリッジが研究してたのって魔法陣だったんだな! どれもきれいに出来てるし、もっと近くで見ても――」

「え、おい……!」


 一歩踏み出したディルは、背後でばたんと閉まった扉に驚いて足を止めた。振り返ったところでもちろん誰もいない。


「……あんた、本当に何も知らないのか?」

「へ?」


 握っていたカーテンを離したボリッジが、ゆらりとこちらに近付いてくる。


「本物の魔法陣なんて……復元には程遠い、失われた()()()()じゃないか」

「……え?」


 ボリッジの口調はあくまでも淡々としていた。ディルは彼女の言っていることがうまく理解できずに、ただただ呆気に取られる。

 魔法陣が、失われた魔法?


「そんなわけないでしょ? あたしたちは魔法陣を踏んで、それで」

「どこに飛ばされたって?」

「スィーニの南東のほうに、だけど」


 冷ややかなままの視線を向けられて息が詰まる。


「そこの記事を見てみろよ」


 床いっぱいに広がっていた読み物のうち、ディルの足元にあった紙を指差したボリッジがふんと鼻を鳴らした。


「これって……新聞……?」


 拾い上げたそれをざっと流し読みすると、ディルは困惑した。どうやら普通の新聞ではなく、魔法に関する研究結果などが載った専門紙らしい。発行日は半年前で、小さめの記事の見出しに「転移魔法陣、より遠くへ」と書かれている。


「『実験体によるイェーディーンから領境までの移動実験に成功』……?」

「そうだよ。それが今の魔法陣で転移できる最大距離なんだ。わかるか?」

「……嘘だろ?」


 そんなのは、三人がグルンから飛ばされた距離とは比べものにもならない――。


「それはこっちの台詞だよ。……あんたたちは、嘘をついてるんだ」

「でも! オレたちは本当に、魔法陣を踏んで……!」

「オレガノもそう言って譲らなかった!!」


 その叫びはまるで悲鳴のようだった。


「……おとぎ話に出てくる魔法陣と、実際の魔法陣は、まったくの別物なんだ。これまではそうやって誤魔化してきたんだろうけど、おれには通用しない」


 ディルは言葉をなくした。彼の心を鈍器のように殴ったのは、自分の主張を信じてもらえないという悲しみや悔しさではない。彼女の、自分たちに対する関わり方への失望だ。

 初めて会ったときからずっと、そういう気持ちで一緒にいたのだろうか。笑ったり怒ったり泣いたりしていても、その根底にあったのが覆しようのない疑念だったとしたら。

 そんなのは、魔物モンスターよりはるかに厄介で、あまりに度し難い。


「なあ、ディル。あんたたちは……あんたは一体、誰なんだ? オレガノをたぶらかしてまで、何が目的でここにいる?」


 ディルはただ、ぐちゃぐちゃした感情をどうすることもできないまま、ボリッジのことを見つめ返した。

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