48.開かずの仕立屋といわくのからくり
子猫を抱いた老婆に手を振ったディルは、依頼達成書を持って草の根ギルドに戻ることにした。
今回選んだ依頼は迷子のペット探しを同時に二件だった。掲示板にずっと貼り出されていたのが気に掛かり、アンゼリカと一緒に受けてみたところ、みんな無事に見つけることができたので本当によかったと思う。
この依頼のおかげでシュダー街以外の街の地理もおおよそ頭に入ったし、ディルは大変満足だった。
「エルダーは今日も魔物退治かな」
「随分派手にやっているみたいね。『暁』の再来か?なんて言われちゃって、浮かれているんじゃないの?」
白いリボンで髪を結んだアンゼリカはすっかり元気を取り戻していた。檻が怖いと打ち明けてくれた彼女は、その後の質問に答えることはなかったけれど……答えられないようだったけれど、ディルにはそれで十分だった。
聞いてはいけないことというのは、きっと、そういうもののことを指すのだろうとわかったから。
「お疲れ様です。依頼の完了報告ですね?」
「はい!」
草の根ギルドに着き、ポイントの更新をしてもらうと、手続きを終えたニームが穏やかに表情を緩めた。
「ディルさんまた、ご指名がきてますよ!」
「えっと、ひょっとしてバニラですか?」
「当たりです!」
そう言って指名専用の書類を見せた彼女は心からうれしそうにしており、ディルもなんとなくほのぼのとした気持ちになる。
「ディルさんの仕事ぶりはとってもひたむきで、暖かみがありますから。その結果がこのようにして実を結ぶというのは、後方支援にあたっている側としても喜ばしいことなのです」
「そんな……いえ、ありがとうございます!」
「応援していますね。困ったときは力になりますから!」
「助かります!」
照れくさいのを誤魔化すようにはっきり答えながら、ディルは受け取った書類に目を通した。
依頼内容は……「開かずの仕立屋」の調査?
「まずは一度お話したいという言伝を預かってますが、どうされますか?」
ディルはきょとんとしてアンゼリカと顔を見合わせた。
*
その店はイェーディーンの中心街、しかも、大通りが交わる四つ辻にあった。暗っぽい色味で整えられた外観は品よくまとまっている印象で、遠目から見ても格式高い雰囲気が伝わってくる。
「あれが『開かずの仕立屋』だよ。誰がオーナーになってもひと月と経たずに潰れるからそう呼ばれてるんだって」
ディルに誘われて彼の受けた依頼についてきたエルダーは、ふーんと思った。「開かずの」というからには、もっとこう、ツタとかが絡まった、おどろおどろしい様子の廃墟みたいなものを想像していたのだけれど。
「何が原因でそうなっているのか調べてほしい、ってことだよね?」
「そうよ。商人たちにタブー扱いされるいわく、その正体をディルが鮮やかに突き止めるというわけね!」
「過大評価が過ぎる気が」
「アンゼリカはいつもこんなふうだよ?」
やる気に満ちたアンゼリカの翼がひときわ強く輝く。ちなみに、オレガノとボリッジの二人は揃って用事があるらしく、今日は三人で行動することになっていた。
「おかしなところがなかったら、それはそれでいいって話だけど……」
扉の前、三段ほど階段を上ったディルが懐から鍵を出す。
依頼内容をおさらいすると、近頃この店を買い取った依頼主が新装開店するにあたって、念のために、一応、変なものがないか調査してほしいというのが主な要件なのだそうだ。いわくのからくりを解くというのはあくまでも副次的なもので、こちらの内容については未達でも構わないとのことである。
しかし、ここにいるメンバーでその依頼を無視する者など誰一人としていなかった。
「できることならどうにかしたいよな」
鍵を回したディルにうなずいたエルダーはもちろんと微笑む。だってそんなの、面白そうじゃないか!
彼に続いて足を踏み入れた店内は意外ときれいだった。木でできた棚は念入りに磨かれ、板張りの床には埃一つなく、布地の類いが置いてあればすぐにでも開店できそうなほどだ。
「ぴかぴかじゃない! 妙だわ!」
「そうだね。これもいわくに関係あるとか?」
「あ、そのあたりは昨日のうちに掃除させておくって言ってたから違うと思う」
広い空間ではないので、まずは三人それぞれで気になるところを調べることにした。
「そもそも、店が潰れる理由って何なのかな?」
石でできた壁を木の杖でこつこつと叩いていたエルダーは、他の角にあった店は繁盛していたのにな、と内心首をかしげる。集客に問題があったわけではないだろうし、たとえそうだったとしても、すべてのオーナーがひと月以内に店を畳むというのは考えにくいのではなかろうか。
「それがさ。この店で働くと、絶対に体調を崩すらしいんだよ」
「体調を崩す?」
壁を一周した後は木の棚の奥を確かめることにした。
「最初のうちはいいんだけど、しばらく経った頃にめまいがしたり、吐き気をもよおしたり。泡を吹いて倒れる人もいたって」
「へーえ……」
それは明らかに異常だ。この場所にはそういった、不思議な性質があるということになる。
あの、霧の世界と同じように。
「君は何か気が付いた?」
天井近くを飛んでいたアンゼリカを見上げると、彼女は首を横に振った。
「魔力干渉の話をしているのなら、今はわからないわ。他に条件があるのかもしれないし」
「条件って?」
「たとえば、そうね。セルリーのときみたいに妖精が関わっているとしたら、生活の邪魔をされた場合よね。人間もそうでしょうけど、無害なものは放っておくじゃない」
「ああ……」
ふむと納得したエルダーは木の杖を構えてにっこりした。
「暑いほうと寒いほう、どっちが苦手かな?」
「え?」
木剣を使って棚の下を探っていたディルが顔を上げる。いつもの調子で杖を回し、普段通りに二つの線を描き加えようとしたエルダーは、そこでぴたりと動きを止めた。
もうこんなことするんじゃねえ、と言った男の悲しそうな瞳が、脳裏をよぎったのだ。
「……。君をあの森に囚えた妖精は、罰を受けることを認めたのに」
誰にも聞こえないほど小さな声で独りごちる。こんな胸のもやもやは、後悔とか罪悪感とかいうものは、さっさとなくなってしまえばいいのに。
「何か考えがあるのか?」
期待するように尋ねられて我に返った。いつの間にそこにいたのか、となりでまばたきをしたディルが「あれ?違うのか」と気まずげに頰をかく。
「えっと、ううん? 妖精が隠れてるなら、環境を変えれば――いきなり暑くしたり、寒くしたりすれば、炙り出せるんじゃないかと思ったんだけど……」
「おお、なるほど!? ……でも、それって結構な荒療治だよな?」
「加減を間違えたらひどいことになるわね。うまくやれないならやめたほうがいいわよ?」
そう、と答えたエルダーは改めて杖を握った。やっぱり前はうまくやれなかっただけか。
そういうことなのか?
「あの、それならやめたほうが……」
「大丈夫だよ。確かめないと気が済まないし」
いまいち釈然としないまま熱風を呼び出す。三人並んでほかほかしていると、途中から少しずつ蒸し暑くなってきて、そこはかとない引っ掛かりを覚えた。
「特におかしなことはないな……」
上着を脱いで腕まくりをしたディルが額の汗を押さえる。が、そのときすでに異変は起こっていた。
「あ、あえっ……?」
エルダーの手元に天使の少女が落ちてくる。
「!? アンゼリカ!?」
「か、体が……う、動かな……っ」
必死に訴えるアンゼリカの呼吸は浅かった。焦るディルに彼女を渡して周囲を確認したエルダーは、あくまでもしんとした店内にその原因を見つけようとして――。
「ゔぐっ……?」
「エルダーまで!?」
急転直下。突然込み上げた吐き気に口元を押さえる。
「オレは何ともない、ってことは……まさか!」
思わずその場に膝をつき、固く目をつむった。あまりの気持ち悪さにすべての音が遠く感じる。
「できるだけ息を止めろ! 行くぞ、近くに薬屋があったはずだ!」
「ううー……」
「ここにいるほうが危ないんだよ! 歩けってばー!」
記憶にあるのは、四苦八苦して店の外に出たところまでだ。そこからの意識は曖昧で、エルダーが次に気が付いたときには、いわくの正体をしっかと掴んだディルの姿があったのだった。
*
調査結果を報告するためにバニラの屋敷を訪れたディルは、通された応接室の机に一枚の布を敷くと、すらりとした植物を置いた。
あの店の床板を引きはがした先に群生していたものである。
「これがいわくの正体なの?」
「ああ。アクマヒカゲシっていう毒草なんだ」
「どく!?」
ソファに座っていたバニラがぎょっとする。
「いっ、いい今、ふつうにさわっていなかった!?」
「この状態なら毒性は低いから。って言っても、バニラは真似するんじゃないぞ? かぶれるかもしれないし」
「それは……もちろんだけど……」
机の上を気にしてそわそわするバニラに申し訳なかったので、ディルはちゃっちゃとその植物を布で包んだ。
「『開かずの仕立屋』にあったのは、この草から採れる毒の……そうだな、素みたいなものだったんだよ」
「そっ、そんなあぶないものが、かってにできるの?」
「条件さえ揃えば、あるいは。でも、これ以上のことを調べるには、もっと詳しい人を呼んだほうがいいだろうな」
「う、うん……!」
ちなみにこの件はバニラの母親にも話してあるので、近いうちに然るべき措置を取ってくれると思う。
何にせよ、有毒なものが混ざった空気は、そこで働く者たちの体をじわじわと蝕んだ。
これがいわくのからくりだったというわけだ。
「えっと、そういえば、ほかの人は? いっしょにつれていきたいって……その人たちは……?」
ディルは少しばかり迷った。エルダーの魔法が影響したのか、あの二人は短時間で大量の毒物を吸い込んで倒れてしまったのだ。……幸いなことに、今はどちらも安静にしているけれど。
しかし、そんなことをこんな幼い少女に伝えてもいいのだろうか。
「あっ、あのねっ、ディル!」
逡巡するディルを、バニラがじっと見つめた。
「わたし、わたしには――依頼にたいする、その、せきにんが、あると思うの!」
「……責任?」
「だ、だから……そのままのことを、話して……?」
バニラは震えていた。自分の依頼で恐ろしいことがあったのではないかと怯えながらも、そういった可能性から目を逸らさずに、真正面から受け止めようとしている。
そうだった。彼女はただの、幼いだけの少女ではないのだ。
「それを言うなら、オレたちにも責任はあるよ。判断を誤った、オレたちにも」
「!! やっぱり何かあったの!? しんじゃったの!?」
「極端だな!?」
とんでもない妄想は訂正した上で、ディルはその日あったことを丁寧に報告した。息を呑んだり、胸をなで下ろしたり、ころころ変わるバニラの反応をちょっぴり面白がってしまったのは、さすがに不謹慎だったかもしれない。