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4.嘘と本当ととなりのなんとかさん



「……ごちそうさま」

 口元を拭ったアンゼリカが澄まし顔で言うので、エルダーはこれでよしといった感じで彼女に押し付けていた盆をちょっとずらした。

 食べる前よりも血色がよくなっている。気力も回復したようで、元気にエルダーを睨んでいた。

「ねえ、これ、ディルにもある?」

「あるよ。セルリーが用意してくれてるから」

「そう」

 返事はそっけない。エルダーはまったく気にしないので、なんとも思っていないけれど。

 用は済んだので、腕を使って盆を抱え込み、部屋を出ようとすると。


「……ねえ、あなた、エルダーって言うのよね」

「え?」


 ふわりと浮かび上がったアンゼリカが、まるで呼び止めるように、エルダーの名前を口にした。

 そのままディルのそばを離れて目の前にやってくる。光がきらきらこぼれた。


 少しびっくりして、何事かと思うエルダー。しかし、びっくりはそれだけでは済まなかった。

 エルダーの両手を縛っていた細い紐がするすると解けて、床に落ちたのだ。


 紐の先はアンゼリカがしっかり握っているにも関わらず、である。


「あなた、もしかして、悪い魔法使いじゃないんじゃないの?」


 真正面から見つめてくる瞳は揺らがない。透き通るように、きれいだった。

 空の色だ。空はこんなにもきれいな色をしていたのか。


 それからエルダーは思った。

 初めからそう言っているんだけど……。


「……うん、まあ、そうだね。僕は悪い魔法使いじゃないよ」


 しかし、話の流れは悪くないのだから、わざわざ指摘することもないだろうと自然にうなずく。抱えていた盆をベッドの隅に置き、自由になった両手の手首をぐりぐり回しながら微笑んでおいた。

 それに、アンゼリカは真剣らしいから、話の腰を折ったらきっと大変なことになる。


「ねえ、エルダー。あの家に住んでいたのは、あなただけのはずよね?」

「そうだよ」


 おとなしく答えつつ、エルダーは考える。この小さな天使の少女は一体、何を今更確認しているのだろうか。


「あの辺りには、あなたしか住んでいないのよね?」


 ……うなずく前に、やっぱり聞いておくことにした。


「アンゼリカ、君は何を聞きたいの? 僕の家に来たのだって理由があるんだろう。それは何?」


 窓ガラスを割っていきなりやってきた彼らにエルダーが思うことはそれだけだ。セージと久しぶりに会えると楽しみにしていたことが台無しになったのはもう、仕方のないことだ。時間は戻らない。それをどうこう言ったってどうしようもないから、エルダーはその件に関しては帰ることだけを考えることにしていた。彼は過ぎたことにこだわらない。


 でも、アンゼリカがそうやって話をしようというのなら、その前提を聞いておいてもいいはずだ。

 エルダーを悪い魔法使いだと決め付けて、話も聞かずに連れ出した理由を。


 アンゼリカだってそれはわかっているようだった。かすかな明滅のあと、頭の上に浮かんでいる光の輪を支えるように両手で示すと口を開く。

「あたし、天使なの。だから、わかるのよ。悪いものの気配が」

 話しながら視線を迷わせるアンゼリカに、エルダーは黙ったままでいる。

「あのとき、あなたの家のあるほうから、それはもうすごい悪い感じがしたの。それで町の人に話を聞いたら、あっちには魔法使いの家が一軒立ってるだけだって聞いて」


 アンゼリカは自分の服の裾をきゅっと握ると、思い切ったようにエルダーを見つめてきた。その空色の瞳が何を訴えているのか、どうして揺れているのか、エルダーにはもちろんわからない。わかったのは、アンゼリカの言い分だけだ。それになら答えられる。

 これから話すことの筋道をざっと立て、ふむ、と姿勢を正した。


「なるほどね。町の人たちは滅多にあの森に近付かないから、知らなかったんだろうね」

「?」


 エルダーが肩をすくめてみせると、アンゼリカは首をかしげた。そんな彼女からちょっと目を離して息をつく。その姿はまるで何かを憂えているようで、目線も一瞬だけ遠くなった。


「実は、少し前にあの森に引っ越してきた人がいるんだ」

「……えっ?」


 目を丸くした小さな天使に、エルダーは事情を説明した。

 やってきたのは二十代後半くらいの男で、髪は黒く、人目につくのを避けていたこと。隣人として最低限の挨拶をしにきたときも、町の住人にはあまり知られたくないからとエルダーに念を押していったこと。それからあとは滅多に見掛けなくなり、エルダーもそのことを忘れ掛けていたことなどだ。

 アンゼリカは呆然としながらそれを聞いていた。確かに、エルダーの住んでいる町の外れには人気のない森がある。町の住人から情報を得てやってきたというアンゼリカには目から鱗の真実だったことだろう。


「じゃ、じゃあ、あなたの家のあるほうからした気配って」

「僕は悪い魔法使いじゃないから、もしかしたらその人が」

「ああっ、そんなまさか!」


 悲鳴を上げて青い顔をするアンゼリカ。そんな彼女に背を向けつつ、考え込むエルダー。

 初めて会ったときとは打って変わってあまりにも簡単に信用されてしまったので、少し心配になったのだ。


 そんなに自分の「嘘」は巧みだったのだろうか。ちょっと判断が付かない。


「人違い、だったのね。あたし、なんてことを……」


 アンゼリカは愕然としていてかわいそうな気もしたけれど、人違いは人違いだ。それは間違いない。

 エルダーは振り向き、曖昧な笑顔で彼女を労った。

 他のことは嘘でも、それさえわかってもらえればそれでいいのだ。


 そう。エルダーはさっき、さらっと嘘をついた。

 思い付いた空想をそれっぽく並べて言い繕って、架空のおとなりさんを生み出したのだ。

 町の住人がエルダーの住んでいる家の近くに来ないことや、そばの森を避けていることなどは事実だ。もし実際に誰かがそこに越してきたとしても、彼らがそれを知ることはない。だから、ありえない話ではないのだ。本当っぽく聞こえる嘘にうってつけの条件が揃っている。それに、その隣人の外見の特徴はセージから拝借したものなので、容姿なんかを事細かく聞かれてもぼろは出ないだろう。

 それに何より、エルダーの言ったことが嘘だろうが本当だろうが、今の彼女にそれを確かめる術はない。どちらでも同じだ。


 エルダーがなぜ嘘をついたのかというと、それは必要悪に似たものが理由だった。

 エルダーは悪い魔法使いではない。しかし、アンゼリカはあの近辺からそういった悪い気配を感じ取ったと言う。あのまわりにはエルダー以外誰も住んでいなかった。今後のことを考えると、アンゼリカからの疑いは晴らしておきたい。それなら、どうするか。

 そういう話なのだ。


 とりあえず、困惑しているアンゼリカをなだめることにした。


「誤解が解けてよかったよ。これで僕、捕まったりしないよね?」

「そんな、するわけないじゃない! ああ、本当にごめんなさい。ディルが起きたらあたしから説明するわ」

「うん。ディル、早く起きるといいね。じゃあ、僕はこれ片付けてくるから、アンゼリカは彼を見ていてね」

「ええ……その、悪かったわね」


 盆を取り上げ、エルダーをすっかり信用したらしいアンゼリカを置いて、のんびり寝室をあとにした。

 あの細い紐を解いてくれてよかったと思う。何せ、痛いから。


 となりの部屋では椅子に座って湯を飲んでいたセルリーに迎えられた。彼はどこかうれしそうにしながら、盆をキッチンに運ぶエルダーの背中に声を掛けてくる。


「仲直りしたみてえだな。よかったなあ。友達同士、うまくやれよ?」


 どうやら話を聞いていたらしい。隔てるものが壁一枚しかないから、まあ仕方がない。

 しかし、そんなことはともかく、エルダーには彼の言葉の意味がいまいち理解できていなかった。振り向きざま、尋ねてみる。


「ねえ、セルリー。友達って、仲違いをしたら紐で縛ったりするものなの?」


 純粋に感じた疑問だった。ずっと一人だったエルダーには、セージ以外の友達がいないから、わからなかったのだ。もし、友達がいたとして、喧嘩をしたらそういう場合もあるのだろうかと。


 それなのに、セルリーが凍り付いてしまったから、エルダーはそれに対する返事を聞くことができなかった。

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