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47.置いてけぼりの天使と瓶詰めの糖花


 薄暗い部屋の中心でぬっそり起き上がった影を見た小柄な少年は、あ、これ今日はまずいな、と思った。

 ひと月ほど前、寝る間も惜しんで人探しをしていたときの雰囲気と同じものを感じるのだ。


「なんでだよ……」


 低く唸るようなつぶやきが聞こえた。


「いくらはたいても埃一つ出ないなんておかしいだろ……」


 それは一理あるけれど、潔白すぎて逆にあやしいというのは、もう少し大人が相手のときに限ったことのような気がする。

 本当に仕方のない女だなあと呆れながら、少年はずかずかと少女の元に向かった。


「オジョーさあ、この間の仕込みはどーなったんだよ」

「あ゛あ゛?」

「ひっ」


 いきなり失敗した。普通に話そうとしただけなのに、馬鹿にするような言い方になってしまった。

 下手を打つと小刀が飛んでくる……!


「あんなのただの取り越し苦労だぞ」

「ゔっ……! にゃ、あ……?」

「おれは他に仕込みなんかしてないし」


 少年は呆気に取られた。


「まあ、うまくいったらおこぼれにあずかるか、くらいの気持ちはあったけどー。そんなことより、あんたまた、手ぶらでここにきたんじゃないだろうなあ?」


 突然の猫なで声に身の毛がよだつ。


「その尻尾、引き抜くか?」


 これはいよいよ後がなくなってきた。せっかくの飯の種を失うわけにはいかないし、どうにか、どうにかしなければだ!



 *



 一行の資金集めは比較的順調に進んでいた。

 別段そうと決めたわけではないものの、ギルドランクがそこまで高くないディルとアンゼリカにはボリッジが、魔物モンスター討伐依頼を受けることの多いエルダーにはオレガノがついていくというのが定番になりつつあり、あとは各自できることを頑張るという単純な――それゆえにわかりやすいやり方が、結果として彼らの能率を上げたようだ。

 そんなある日のことである。


「国を挙げての祭りってのはいいよなあ! みんなとにかく活気付くし、それに何より金が回る!」

「ゔおあっ!?」


 となりのボリッジに背中を叩かれたディルは、思いっきりたたらを踏んでいた。


「辛気くさい顔してるとこの国の光に見放されるぞー?」


 にんまり笑う彼女は相も変わらず歯に衣着せぬ物言いで、その指摘が的を得ているだけに、ディルは密かに溜め息をつく。

 建国祭が間近に迫り、なんとなく浮つき始めた街の中で、彼はどうしてもそういった空気に馴染めずにいたから。


「ちょっと、やめなさいよね。水路に落ちたらどうするのよ」

「泳ぎ方くらい習ってるだろー?」

「そんな話をしているんじゃないわよ」


 ボリッジを睨むアンゼリカはいつものように振る舞っていたけれど、ディルはずっと、彼女のことが気掛かりで仕方なかった。

 あの夜。ベラドンナにかどわかされたエルダーが元通りになって半刻後、徐々に正気を取り戻していった彼女は、ひどく申し訳なさそうにしていた。情けなくてごめんなさいとか、次はどうにかするとか、そういうことを言って、でも、それだけだった。

 ディルには聞けなかったのだ。彼女があのとき何に怯えていたのか、そしてそれは自分が知ろうとしていいことなのか、そういったことがわからなくて、今日まで過ごしてしまった。

 そんなことばかりだった。


「ところであんたたち、建国祭の間も依頼を受けるつもりなのか?」

「どういう意味よ?」

「せっかくの祭りだし、三日くらい息抜きしてもいいんじゃないかって思ってさ」


 からからに晴れた空の下、昨日までいなかった街商が回廊の隅に店を広げている。装飾品や糸玉など売っているものは様々で、ボリッジいわく、商いを営みとする者にとって最大の稼ぎ時であるこの時期は、色々な場所から多くの商人が集まってくるのだそうだ。

 そういえば、ディルたちが乗り掛けたキャラバンの目的地もここだった。ふと思い出された面々のことが懐かしく感じられ、ディルは「あっ」と気が付いた。



 *



 夕刻前にすべての依頼を済ませたエルダーは、特にこれといった用事もないので、ぷらぷらと寮に戻っていた。普段であればディルとアンゼリカの二人が部屋にいて、「おかえり」と声を掛けてくるのだけれども、いつもより時間が早いせいか、扉を開けた先はしんとしている。

 ちょっぴり変な感じかも、と思っていると。


「うわっ」


 一歩進んだところでどきりとした。窓際にうっすらとした光が――アンゼリカが、いたのだ。


「いるならいるって言ってよ」


 文句を垂れても彼女は無反応だった。真っ当に不気味である。


「えっと、あの、そうだ。ディルは、ディルはどうしたの?」

「……出掛けたわ」

「一人で? へえー?」


 少しばかり意外だった。エルダーの中でこの二人はおおよそ一緒にいるものと決まっていたので、ディルのほうから離れるなんてことがあるのかと若干の好奇心を抱く。


「君は置いていかれたんだね」


 その一言で、しょげ返っていたはずのアンゼリカがぴゅんと目の前に飛んできた。


「気を遣われたのよ! 休んでいてって!」

「ふうん?」

「置いていくわけないわ。ディルが……置いていくわけ……」


 まあ、エルダーからするとこの二人はべったりしすぎなので、そういう日もあるのだろうと笑っておく。しかし、わざわざ彼女と過ごす必要もないし、再び街に行こうかと考えていると。


「そうだわ! あたし、あなたに聞きたいことがあったのよ!」

「えっ」


 なかば自暴自棄っぽいアンゼリカに捕まってしまった。


「うーん。僕も予定を入れているわけじゃないし、付き合ってあげてもいいけど……」

「どうしてそんなに上から目線なのよ」


 残念なことにお互い様である。

 左の壁に頭を付ける形で横並びになったベッドのうち、窓際のほうに腰掛けたエルダーは、やむを得ない気持ちでとんがり帽子を脱いだ。

 ナスタチウムからもらった瓶詰め菓子を取り出して蓋を開ける。


「何そ、れ?」


 色とりどりの糖花を見て怪訝そうな顔をしたアンゼリカに空色のものを投げ渡した。ディルがたまに美味しい焼き菓子を持ち帰ってくるので、それのお返しみたいなものだ。

 適当に選んだ黄緑色の糖花を口の中に放ると、砂糖の甘い味がした。


「聞きたいことって?」


 杖を回したエルダーは、自分用のマグカップと小さめのマグカップを呼び出して、熱々のホットミルクを注ぎ入れる。

 アンゼリカのものは備え付けの机の上に乗せておいた。


「き、霧の世界でのことよ」

「霧の世界?」


 まぶたの裏に焼き付けた光景はいつだってエルダーのそばにある。たった数日しかいなかった場所でも、心の奥にとどめたものはきっとずっと続くのだ。「霧の世界がどうしたの?」


「あたし、あなたに言ったわよね。グルンに帰りたいならあの子を止めて、って」

「うん。言ったね」

「次の日、あなたはオレガノについていったじゃない。機会はいくらでもあったはずなのに、どうして止めなかったの?」


 ゆっくりとした動きで、アンゼリカが空色の糖花を齧る。エルダーはぱちぱちと目をしばたいた。


「きれいだったからだよ?」

「……え?」

「きれいだったからだよ」


 平然と答えたエルダーに、アンゼリカはちょっとだけまごついたようだった。しかし、あのときエルダーがオレガノの狩りに同行したのは八割以上が興味のためだったし、アンゼリカの言葉は二割のほうに含まれていたから、そんなに当惑されても困るのだけれども。


「あの世界はきれいだった。だから、もう少しだけ、あのままでもいいかなって思ったんだ」

「……それだけの理由で?」

「それだけって、他に何かあるの?」


 押し黙ったアンゼリカは手元の糖花をぱくりと口に入れると、もぐもぐ咀嚼し始めた。ちょうど、ネズミやリスが木の実で頬をいっぱいにするような感じになっている。

 もう一つ、今度は青色の糖花を投げてやった。


「……ありがとう。でも、これはディルの分にするわね」

「? そんなことしなくていいよ。後でちゃんとあげるから」

「うう……」


 どうしてそこで不満げにするのだろう。


「そういえば、最近その、依頼とかはどうなのよ」

「へ? 依頼?」

「オレガノとはうまくやっているの?」


 質問の意図がわからないけれど、エルダーはエルダーなりに、最近退治した海洋魔物シーモンスターのことをかいつまんで話してやった。適当に相槌を打つアンゼリカは存外おとなしく、やっぱり真っ当に不気味であった。


「ほとんど毎日そういうことしてるのね。でも、魔物モンスターって、そんなに目につくものだったかしら?」

「ナスタチウムは喜んでいたよ? 『こんなことは滅多にねェ!』って、斧をぶんぶん振り回して」

「名をあげるにはうってつけだものね……」

「『大量発生してるうちに稼げるだけ稼いでおけ!』とも言っていたかな」


 そんなふうに雑談しているうちに、段々と日が傾いてきた。窓から見える街並みも、魔法灯の輝く夜のものへと変わっていく。


「……ねえ。このあたりに手紙を出せるような場所って、あったかしら?」

「手紙?」


 急に尋ねられたエルダーはぽかんとした。


「手紙も何も、ギルドに依頼すれば大抵のことは済ませられるはずだよ?」

「え……」

「ああ、でも、ギルドのメンバーができる依頼は初級クラスくらいのものだけどね。実際に届けるっていうか、運んでくれる人に預ける感じなら問題ないんじゃないかな?」


 そのあたりの取り決めは過去にあった癒着とかいうものが関わっているらしいけれど、それはそれとして、アンゼリカの真っ白な翼の光が明滅している。どうかしたのだろうか?


「ディルがプリヴェート宛てに手紙を送るって言って出ていったのよ! そんなに近いところなら、とっくに戻っていないとおかしいわよね!?」

「……。そう?」

「探してくるわ!」


 窓から外に飛び立とうとしたアンゼリカが急停止した。


「た、ただいまー……」

「ディル! 遅かったじゃない、どこに行っていたの!?」


 ぐるんと進路を切り替え、扉を開けたディルの元にすっ飛んでいく。エルダーもにっこり笑って彼を出迎えることにした。


「おかえり、ディル。アンゼリカが随分寂しがっていたよ?」

「え、エルダー? 戻ってたのか。あー……」


 目を逸らしたディルが「まあ、今でもいっか」とつぶやき、小脇に抱えていたチョコレート色の包みをアンゼリカに差し出す。


「? なあに、これ?」

「手紙を出した後に買いに行ってたんだ。だからちょっと遅くなって……アンゼリカにと思って」

「……くれるの?」

「うん」


 包みを受け取ったアンゼリカが不思議そうな顔をして机の上に移動する。もたもたした手付きでラッピングを外すと、四角い小箱が姿を現した。

 ディルは少し離れたところで腕を組み、固唾を呑むようにじっとしている。エルダーは何だ何だとその箱を覗き込んだ。

 少年二人に見守られながら、アンゼリカはその蓋を慎重に開けた。


「これって……」


 中に収まっていたのは白いリボンだった。良質な糸を使って織られているのか、控えめながらも上品な光沢がある。


「えっと……いつも助けてもらってるし、感謝の気持ちっていうか……元気出るかなって思ったんだけど……」


 次の瞬間、アンゼリカの瞳からぼろりと涙がこぼれた。「え゛っ!?」腕を解いたディルが盛大に狼狽する。


「え、ええエルダー!? 今、今オレなんかまずいことしたか!?」

「そんなこと僕に聞かれても……」

「だ、だよな……!」


 宙に浮かせた手をうろうろさせるそのさまは非常に滑稽だった。しかし、ディルに覚えがないのなら、アンゼリカはどうして泣いているのだろう。

 大切な彼にプレゼントをされたのだから、うれしそうにすべきところだろうに。


「違う――違うの、ディル。あたし……あたしね、」

「あ、ああ! もしかしてどっか痛いとか!?」

「あたし、檻が……檻が、怖いの」


 涙を拭ったアンゼリカが絞り出すようにそう言うと、一瞬だけ固まったディルが「へ?」と間の抜けた声を上げた。「檻なんてどこにも……あっ!?」

 それからすぐに目を見開いてエルダーのほうを向く。すっかり部外者っぽくなっていたエルダーは、手に持っていた瓶詰め菓子を「食べる?」と掲げた。「食べない」と断られた。


「そっか、檻が……。檻……?」


 それまで得心した様子だったディルが、口元に手を当てて眉間にしわを寄せた。


「檻って……なん、で……?」

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