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45.大灯台の下と宝石の輝く夜


 ディルがジェレルの大灯台に着いたときには占拠騒ぎとやらはとっくに収束していた。

 周囲に集まっていた人たちも散り散りになり始めたところで、まばらな雑踏の中に素早く視線を走らせる。


「! バニラ……!」


 昼間に選んだワインレッドのドレス。健やかに笑う少女の姿を見つけたディルは、そこでようやく息をついた。


「よかったあ……」

「よかったじゃないよ。急に何なの、あなたは」

「うっ。す、すみません」


 真っ先に追い付いたオレガノに睨まれてしゅんとする。次にやってきたアンゼリカは「悪いものはどこなの?」ときょろきょろしていた。


「あっ、ディル!? ディルじゃない! どうしてこんなところにいるの!?」


 濃紺のマントを羽織った男と話していたバニラがうれしそうに駆けてくる。その場にしゃがんで彼女と目の高さを合わせたディルは、空回りした自分に苦笑いだ。


「大灯台で騒ぎがあったって聞いたんだけど、ケガはなさそう……です、ね」

「うふふ、従者のまねごとはおわったのよ! かしこまらなくたっていいわ!」

「そっか。それなら、その、そうするよ」

「あのね、ヘンリーが来たの! 『暁のヘンリー』、わたしはじめて会ったわ! ほら、あそこに……って、あれ?」


 瞳をきらきらさせて背後を指差したバニラがきょとんとする。先ほどまでそこにいたはずの男はいつの間にか姿を消していた。

 「暁のヘンリー」というと、草の根ギルドポイントランキング第一位に輝くトップランカーの名前だ。

 あの、マントの男が?


「さっきまでいたの! わたしとお話していたの、本当よ!」


 ディルの沈黙を否定的なものとして捉えたらしいバニラが懸命に訴えてくる。それに気付いたディルはよしよしとその頭をなでてやった。


「うん、オレも見たよ。背の高い男の人だよな?」

「む、むむっ? 従者のまねごとはやめたけど、子どもあつかいは……む、むむう……?」


 眉を八の字にして言い淀んだバニラは、少し離れた場所にいた母親に呼ばれて慌てて去っていった。「じゃあね、ディル! まっ、またね!?」

 手を振りながら立ち上がったところで、むくれた感じのオレガノとご対面である。


「……ごめんなさい」


 叱責を受けるかと思いきや、彼女の口から出てきたのは謝罪の言葉だった。


「え、っと。どうしてオレガノさんが謝るんですか?」

「わたしの言い方が悪かったからだよ」

「……というと?」


 聞けば、占拠騒ぎは占拠騒ぎでも、海から大量のマノヒトデ(シーモンスター)が上がってきて大灯台が封鎖されたという珍事だったそうだ。


「けど、あなたはあんなふうに反射で動かないほうがいいと思う」

「ぐう」

「何よ、ディルは勇気があるってことじゃない。どこが不満なの?」

「力量。あの子と足して二で割ってほしいくら……い……」


 そこで三人ははっとした。


「エルダーがいない!?」



 *



 天蓋付きベッドの上に寝転がり、ぺらぺらと本をめくる少女は、小柄な少年の目には機嫌が良さそうに見えた。

 随分と久しぶりなその様子に、なんだかどぎまぎしてしまう。


「言いたいことがあるならさっさと言えー?」

「ゔにゃゔっ!?」


 慌てて背筋を伸ばした。「い、いーことでもあったのかなって思っただけだよ!」

 突っぱねるように答えると、本を閉じてこちらを向いた少女がしたり顔を浮かべる。


「収穫があったのさ!」


 その場にあぐらをかいた彼女はあくまでも満足そうにしており、少年はちょっとばかり拍子抜けした。


「そっちはどうだ? わかったことは?」


 移ろいやすい彼女の気分は、いつ、何がきっかけでひっくり返るかわからない。それまでにまにましていたとしても、次の瞬間には罵詈雑言を浴びせられる可能性だってあるのだ。

 まあ、今は素直に「収穫」とやらを喜んでいるだけらしいけれど。


「相変わらず、ってとこだけど……。そういえば、おれの他にもあの魔法使いをつけてるやつがいたぞ?」


 何気ないふうを装って報告しつつ、誰だそいつは!あやしい!みたいな反応を期待する。

 しかし、彼女の返事は淡白なものだった。


「ああ、だろうなあ」


 だろうなあ、って。

 あっけらかんとしたその態度に脱力しかけた少年は、不意に感じた寒気に「まさか」と頬を引きつらせる。


「他に仕込みでもしてんのか!?」


 少女の表情は変わらない。


「勘ぐってる暇があるなら成果を出せよ。昔みたいに食いっぱぐれる前になあ?」

「げええーっ!?」


 冷や汗をかいた少年は回れ右をした。



 *



 エルダーがいないことに気付いた三人は、大灯台のまわりで彼の姿を探した後、通った道を駆け戻っていた。

 空はもう真っ暗で、魔法灯の光が届かない奥まった場所などは何があるのかわからないほどだ。


「エルダーのことだから、大灯台に行く途中で面白いものでも見つけてそっちにかまけてるだけじゃないですか?」


 困惑するディルの意見は実にそれらしかったけれど、ざわざわした胸騒ぎを無視できないオレガノは頑として首を横に振った。


「あの子ね、依頼を済ませて帰るとき、わたしを撒こうとしたんだよ」

「えっ、撒く? ……ですか?」

「うん。そこまでしていたのに、変……そう、変だと思う」


 土地勘のないディルはまっすぐ寮に向かい、翼のあるアンゼリカはそのそばを飛びながら広い視野で捜索、残ったオレガノはエルダーが入り込みそうな路地を手早く回った。

 ディルが言うように、ただ単にはぐれているだけならそれはそれでいいのだ。今後のことを考えてきちんと説き伏せる必要はあるけれど、オレガノが心配しているのは、それよりもっと恐ろしいことだから。


「あっ、いたわよ!? ……でも、あれは?」


 寮の前、ディルとオレガノが合流したところでアンゼリカが降りてきた。どこに、と言い掛けたオレガノを、奇妙な浮遊感が襲う。「きゃあっ!?」


「先に行って!」


 金の腕輪を光らせたアンゼリカがオレガノの腕を掴んで上昇した。呆気に取られているうちに手を離され、とっさに着地したオレガノは、そこが乗合舟の停泊場であることに気付いて恥ずかしくなる。

 往来にいる人たちの視線が痛い……!


 しかし、そんな気まずさは束の間のことだった。突然現れた彼女に驚いたのか、こてんと尻餅をついたエルダーがぼんやりとした眼差しを向けてきたからだ。


 なんとなく、名前を呼ぶことがはばかられた。

 すると。


「ああ、大丈夫? びっくりしたわね、エルダーくん」


 彼の背後に妙齢の女が立った。オレガノから目を離したエルダーは、となりにかがんだ彼女に助け起こされて「平気だよ」と微笑む。

 陶器じみた滑らかな肌と、後頭部でまとめた絹のような白髪。青紫色の瞳は輝く宝石もかくやという美しさで、その雰囲気は他者を圧倒させるものを持っているように思えた。


「え、えっと。その人は……?」


 狼狽えるオレガノをよそに、帽子の上から頭をなでられたエルダーはわずかに表情を歪める。


「あっ、エルダー! こんなところで何してるんだよ!」


 アンゼリカを連れて走ってきたディルがオレガノの近くで足を止めた。「あれっ。オ、オレガノさん……?」

 黙ったまま動かない彼女に戸惑ってか、それ以上は何も言えないようだ。


「……その人は、誰?」


 非難を込めたオレガノの問いに、エルダーは答えない。気が抜けたようなその姿は、彼女をひりひりと焦らせた。

 突っ立つだけのエルダーを背中側から抱きしめたくだんの女が、ほうけるように口を開く。


「初めまして、可愛らしい後輩ちゃんたち? 私はベラドンナよ」

「……ベラドンナ?」


 まっすぐに彼女を見つめたディルが顔をしかめた。

 オレガノはオレガノで、死角から側頭部を打ち抜かれたような衝撃を受ける。

 ()()()()――!


「ああ、貴方が赤い髪の坊やね? お噂はかねがね」

「えっ? あ、どうも……?」

「あと何年かしたら素敵な殿方になりそう……。良いわ、貴方も一緒にいきましょう?」

「へ?」


 ベラドンナと名乗った女がおっとりとした笑みを浮かべた瞬間、ディルがふらりとくずおれた。「ディル!?」

 彼の様子を確認したアンゼリカがきっと彼女を睨み付ける。


「ディルに何をしたの!?」

「いいえ、何も? だって、()()()()()()もの。彼にはね?」

「ディル! しっかりして、ディル!」

「……っ」


 知っている名前にこの状況と、嫌な想像ばかりが膨らんでいくオレガノは、舌打ちしたい気持ちでいっぱいになった。確証のない話を鵜呑みにするのはよくないけれど、こうして目の前に立つ彼女を見て、にわかに実感したのだ。

 この女は人でなしだ、と。


「……その子に、何の用?」


 押し殺したはずの感情が滲み出た。ふがいなくて握った拳が小刻みに震える。

 対するベラドンナは心から不思議そうにまばたきをした。


「何の用って、迎えに来たのよ? 期待の『彗星』くんだもの、私の下僕として可愛がってあげるのが道理でしょう?」


 オレガノは言葉を失った。

 まことしやかにささやかれる、あの噂は本当だったのだ。


 草の根ギルドポイントランキング第二位、ベラドンナ。

 夢魔と人間の混血である彼女は、異性を惹き付ける力で気に入った男を囲い込み、それを傀儡くぐつとしてトップランカーの座を保つ妖婦だと――。


「さあ、お姉さんと色んな話をしましょう? ね、エルダーくん?」

「うん」


 エルダーと手を絡めたベラドンナは当たり前のようにその場から離れようとした。

 彼女に魅入られた者は、彼女が飽きるその日まで、彼女だけの人形おもちゃと成り果てる。

 きれいなものも、そうでないものも、彼の瞳には映らない。


「待ちなさい……!!」


 オレガノは激昂した。振り返った二人に刃物よりも鋭い視線を向ける。


「あら、どうする? エルダーくん。彼女、私たちの邪魔をするみたいよ?」


 エルダーから一歩引いたベラドンナは困ったように笑っていた。その表情に神経を逆なでされたオレガノは、それが彼女の謀略であることに気付かない。

 狭まった視界の外側で、木の杖がくるりと回っていた。

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