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42.街中の少年と海上の魔法使い


 小さな明かり一つに照らされた薄暗い部屋には、あいもかわらず古ぼけたインクのにおいが漂っている。うずたかく積まれた本の山や開きかけの巻物はそのままに、天蓋付きベッドの上であぐらをかいた少女は随分とご立腹のようだった。


「おい、どういうことだ。もう一回言ってみろ」


 射殺さんばかりの目付きで見下ろされ、物陰に身を潜めていた少年はひっと縮み上がる。しかし、彼女の機嫌がどうであれ、報告すべき内容に変わりはない。


「だ、だから、何もわからなかったんだってば! あの三人のことは、何も!」


 震えながら答えると、少女の態度がわずかに軟化した。


「あやしい動き一つなかったのか? こんなに時間があったのに?」

「そ、そうだよ。っていうか、そんなの、近くにいるあんたのほうがわかるはずだろ?」

「ばかも休み休み言え。おれに必要なのは多角的な情報だ、距離は関係ない」

「うっ……」


 弱り切った様子の少年は少女の言葉に反論することができない。


「テグに向かわせた人間もあいつらに関する情報は何も掴んでこなかった。それに、オレガノの行動についても、不明瞭な点が多い……」

「そんなに気になるなら直接聞けばいいじゃねーかよお」

「直接? ……」


 口元に指を当てた少女が彼女自身の思考に集中しかけているのを見て、少年は好機とばかりに後ずさった。


「じゃあ、おれはお役御免ってことで……」

「話はまだ終わってないぞ」

「ゔにゃゔ!?」


 威圧的な声にすくみ上がる。


「あんな得体の知れないやつらをオレガノのそばに置いておくわけにはいかない。犬は犬らしく従順に、あんたがやるべきことは一つっきりだ。わかってるだろ?」


 ぎらぎらした青緑色の瞳を前に、少年はおとなしくうなずくしかなかった。



 *



「うわ! エルダーの名前、もうあんなところに載ってるのか!」


 寮を借りて十数日ほど経つと、イェーディーンでの暮らしもだいぶ落ち着いてきた。ギルドの掲示板に貼り出されたギルドポイントランキングを眺めていたディルとアンゼリカは、そこにエルダーの名前を見つけてほーっと口を開く。


「おうおう、同志の活躍に感心するのもいいけど、あんたたちはあんたたちで今の依頼を完了させないと。ほら、行った行った!」


 頭の後ろで手を組んだボリッジにせっつかれて受付に向かう。彼女はあの日の宣言通り、時間があるときは進んでディルたちのことを手伝ってくれていた。


「お疲れ様です。依頼の完了報告ですか?」


 受付にいたのは草の根ギルドマスターの娘ニームだった。素朴で明るい雰囲気の彼女はメンバー登録のときから世話になっている相手で、ディルにとってはギルドいち親しみやすいスタッフでもある。

 集めてきたテンジャーの実を提出すると、赤銅色のバッジに記録された獲得ギルドポイントを更新してもらった。


「二人とも慣れてきましたね。受ける依頼も難易度が上がってきてますし、行き詰まることがあればいつでも相談くださいね?」

「はい!」


 細やかな気配りに感謝しつつ、ボリッジが待つ掲示板の前に戻った。


「このタイミングで第十位かー。なるほどなあ」


 彼女は彼女でエルダーの順位について一家言あるらしく、そんなことをつぶやいている。

 大抵のギルドにはギルドポイントというものがあるのだけれども、このポイントは達成した依頼の対価と同義であり、また、その累計獲得数が全メンバーのうち上位十名に入った者はギルド公認のランキングに載ることができるのだ。


「やっぱりすごいよなあ。ランクももう二つ星だし……」


 再び感心するディルを横目に見たボリッジの瞳は、しかし、少しばかり冷めていた。


「そこはまあ、サポートについてるオレガノの力量あってのことだろ? それに、初心者応援ボーナスでポイントが加算されやすい時期ってのもあるだろうし」

「お、おお?」

「何はともあれ、あたしたちも負けていられないってことね!」

「おお……!」


 アンゼリカがやる気になっている。ディルは改めて頑張らねばと思った。


「そういえば、ここに載ると指名で依頼がきたりするんだよな?」


 ちょっとした憧れを抱きながら尋ねると、眠たげにあくびを噛み殺したボリッジが意地の悪い笑みを浮かべた。「そうだなあ。報酬に色も付くし、あんたたちにとっては最重要事項かもしれないな?」

 小突かれたディルは呆れ顔だ。「身も蓋もないこと言うなよ……」


「まあ、目指すとしたら六位までが妥当じゃないか? 五位から上はいつものメンバーが占拠してるし」


 ギルドポイントランキングに視線を戻したボリッジはどことなく退屈そうだった。同じほうを向いたディルは「いつものメンバー」とやらを確認する。

 一位「ヘンリー」、二位「ベラドンナ」、三位「キャットニップ」、四位「ルバーブ」、五位「ナスタチウム」……さすがは上位五名、五つ星が最高評価のギルドランクにおいて四つ星以上しかいないようだ。


「いつもってことは、魔物モンスター退治とか朝飯前なんだろうなあ」

「猛者が揃っているに違いないわね。筋骨隆々の」

「確かに!」


 なにぶん会ったことがないので想像ばかりが膨らんでいく。


「トップランカーなんてろくなやついないけどな……」


 ボリッジの言葉はディルの耳にはまるで届いていなかった。むっきむきで怪力で、逆三角みたいな形をした体の上にちょこんと乗った髭面のこととかを考えていたからだ。


「……なあ、あんた! そんなにここに載りたいのか?」

「えっ?」


 ふとした問い掛けに我に返ったディルは、少し迷いながらもはにかんだ。


「載りたいっていうか、指名されたいんだよ。そういうのって、その人自身が必要とされてるってことだろ?」

「その人自身?」

「うん」


 ギルドに登録して活動している以上、依頼主の困りごとを解決しているという事実に変わりはないのかもしれないけれど……大勢いる中の誰かとして成果を挙げるより、自分という個人を意識して頼ってもらえたほうがやりがいがあるのではと思ったのだ。

 眉間に手を当てたボリッジが「なるほどなあ」と相槌を打つ。


「念のために言っておくけど、金が絡むギルドでの指名は単なる成功率の話だからな? 依頼の内容が重ければ重いほど、わかりやすく仕事できるやつに任せたいだろ?」

「お、おおう……」


 びっくりするほど現実的な意見が返ってきた。ともすれば年下に感じられる彼女だけれども、今のように妙に大人びて見えるときがあるので、ディルは度々舌を巻いてしまう。

 そんなディルのとなりでは眉をひそめたアンゼリカが「どっちだって同じことじゃない」とぼやいていた。


「それを踏まえた上で、だ。あんたに受けてほしい依頼があるんだけど、もちろん断ったりしないよな?」

「……え?」


 いたずらを持ち掛けるようににんまりしたボリッジの口元には小さな八重歯が覗いていた。



 *



 軽やかな足取りで草の根ギルドにやってきた女がギルドポイントランキングの前で立ち止まった。


「おや。久方ぶりのご帰還ですか?」


 声を掛けてきた男には目もくれず、女はただ、そこに書かれていた名前をじっと見つめる。「ギルドポインランキング第十位、エルダー? エルダー……くん?」


「はい。一部では『彗星』とか呼ばれている、期待の新人君ですよ」

「新人――」

「珍しいですね? 貴女がランキングを気にするなんて」

「……。そうかしら?」

「ええ。それだけに、私は彼が心配です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 一瞥したはずの視線がばちりと合い、女は静かに口角を上げた。


「利用だなんて、おかしなことを言うのね?」


 男はやれやれと肩をすくめた。



 *



 一方その頃、エルダーはというと。


「子供はおやつの時間ってか!? とんだ余裕だなァ!」


 ――正午を知らせる鐘の音を聞いて、持参していた昼食の包みを開けたところだった。


「そんなつもりはないんだけど……」


 ほとんど真上を向くようにして顔を上げれば、太陽の光を遮るほどの大男が豪快に笑う。


「この状況でかァ!? 肝っ玉座ってやがるな、うちの期待の第十位様はよォ!」

「……そうかな?」


 首をかしげたエルダーが今いる場所は、ぐらぐら揺れる中型船の船首だった。

 目の前には真っ青な海。イェーディーンの港を背に守る形で出航した船が対峙しているのは、ヒルイルカと呼ばれる海洋魔物シーモンスターの群れだった。

 エルダーが仕留めたものは隅のほうに引き揚げて網を掛けてあり、残っているのは数匹程度だと思われる。


「でも、食べるものはきちんと食べないと、君も力が出なくなっちゃうんじゃない? ねえ、()()()()()()

「俺ァいいんだよ、朝メシ一回たらふく食えりゃあ百人力さ!」

「そう? じゃあ、僕は遠慮なく」


 包みの中身は刻んだ野菜と魚のフライを挟んだ細長いパンだった。ヒルイルカの駆除に向かう際に街の露店で買ったものだ。


「よォし! そんなら、残りの獲物はみんな俺が頂いちまうとするかねェ!」


 そう言って笑った巨大な影がエルダーの上を跳んでいく。


「底が知れない、ってこういうことだよね……」

「あ、おかえり」

「え? ただいま……?」


 船尾でヒルイルカを狩っていたはずのオレガノが戻ってきた。朝から出ずっぱりというだけあって、疲労の色が滲んで見える。

 二人並んでその場に座ると、しばらく無言で昼食を取った。


「……あなたは今、何匹くらい?」

「どうだろう。あんまり数えてないけど、十匹は超えているんじゃないかな?」

「そう……。わたしは苦戦気味かも……」

「苦戦って、矢が当たらないとか?」

「矢は当たるけど、仕留めきれない」


 オレガノのハンティングスタイルは、遠距離から矢を射って獲物が怯んでいる隙に懐に飛び込み、持ち替えた短剣で素早くとどめを刺すというものだ。魔物モンスターの特徴さえ把握していれば、陸上においてその型を変える必要はあまりない。

 しかし、海上では獲物に接近するのが難しいため、なかなかそうもいかないらしかった。


「うおおおおおりゃァあああッ!!」


 海に放った浮き桟橋を足場に跳び回りながら、ナスタチウムが斧を振るう。

 ……そういえば、似たような声を上げて窓ガラスを打ち破り、家に押し入ってきた人がいたなあと、エルダーはこっそり思い出し笑いをした。


「? どうしたの?」

「ううん、なんでも。あとは全部やっつけてくれるんだって」

「すごい身のこなしだよね。やっぱり、弓だけでどうにかするしかないか……」


 狩人としての意地があるのだろう、オレガノはその後もずっと考えごとにふけっていた。

 打ち倒されていくヒルイルカを引き揚げるのは依頼主の船員たちの仕事だった。適当なタイミングで魔法を使ってそれを手伝っているうちに、エルダーのランチタイムは終了を迎える。


「俺が二十三匹で、お前が十九匹、お嬢ちゃんは八匹か!」

「僕たちはこのままギルドに報告に行くけど、君はどうする?」

「俺ァ一日のうちに他の依頼をぱんぱんに入れてるんでね。港に着いたら解散だ!」

「そっか。また三日後に会えるといいね」

「お前らもなァ!」


 草の根ギルドポイントランキング第五位、ナスタチウム。

 彼は数少ない巨人という種族のうちの一人で、一日全力で働くと三日は爆睡する男だった。





 その日の依頼をすべて済ませたエルダーが寮に帰ると、中庭で木剣を振るディルに遭遇した。


「どうしたの、君」

「え、えるっ……!? あ、あのこれはその、えっとっ……!」


 いまいち要領を得ない答えだったので、とりあえずそっとしておこうと思って二階に借りた部屋に戻った。

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