41.最初の依頼と初めての報酬
イェーディーンに着いて三日めの朝、天気は快晴。
ボリッジの勧めもあって簡単な依頼を受けることにした一行は、鉄は熱いうちに打てと言わんばかりに海岸沿いの大通りをぞろぞろ歩いていた。
「アカリキノコってどんなキノコなんだろうな!」
「名前からして光ってそうだけど、実際はどうなのかしらね?」
「それは見てのお楽しみだぞー?」
地図を片手に先頭を行くディル、アンゼリカ、ボリッジの三人が和気あいあいとしている。残りのエルダーとオレガノはなんとなく連れ立つような形でその後ろに続いていた。
彼らが最初の依頼として選んだのは「アカリキノコの採集」だった。難易度としてはギルドに登録したての駆け出しランク向けの依頼で、支給された地図を頼りにアカリキノコの群生地に赴き、それを袋いっぱいに採ってくるというシンプルなものである。
「えっと、ここで合ってるのか?」
小さな洞窟の前で足を止めたディルが片眉を上げる。特にこれといった印はないけれど、地図に載っていた目的地は海岸沿いの洞窟だったし、他にそれらしいところも見当たらない。
試しに覗いてみた感じだと、一定の間隔で壁に設置された魔法灯が洞窟の中を照らしており、いかにも初心者向けといった様相だった。
「行ってみればわかるよ」
マイペースにディルを追い抜いたエルダーがひょいひょいと奥に進んでいく。「あたしたちも行きましょう!」
アンゼリカに背中を押されたディルはエルダーを見失わないうちに洞窟に入ると、ぐにゃりとした感触にうげっと思った。踏み込んだ地面は海水でぬかるんでおり、ちょっとした不注意で足を滑らせてもおかしくなさそうだったのだ。
まあ、転んだところでどこも砂地なので大怪我を負うようなことはないのかもしれないけれど、捻挫でもしたら苦労するであろうことは想像に難くない。
「ちょっと暗いわね。あたしが前にいたほうがいいかしら?」
そう言ってディルのとなりを離れたアンゼリカがエルダーのそばに移動する。
「えっ。君、何しに来たの?」
「明かりになってあげようというのよ」
「えっ。必要ないよ?」
後ろから見ていてもわかるような簡単な口論があって、ディルはうーんと頬をかいた。
「あいつらって仲悪いのか?」
「どうだろう。あれが普通だと思ってたから」
「仲悪いんだな!」
ボリッジとオレガノの会話が聞こえても、黙っているしかないディルであった。
*
心の中で、短い曲を一つ歌う。
楽しそうに進む少年たちの後ろ姿を眺めながら、オレガノは意を決して口を開いた。
「あのね、ボリッジ。わたし、あなたに話さないといけないことが、あるんだけど」
となりでにまにましていたボリッジが顔を上げる。目が合った彼女はオレガノの雰囲気がぎこちないことに気が付くと、その表情を引き締めた。
「えっと……その。いなくなってから今日までの、こと……」
きちんと言わなければと思っていたのだ。ギルドで再会したときはあの三人の事情しか説明できなかったし、その後も時間を作ろうとしてうまくいかなかったから。
「今日までの、オレガノのこと」
「……うん」
姉の笑顔が脳裏をよぎって、オレガノの胸をちくりと刺す。あんなどうしようもないことは、本当はまだ、話したくない。
それでも、と拳を握りしめた、そのとき。
「いいよ、そういうのは。もっといろいろ片付いてからでさ」
頭の上で手を組んだボリッジが、白い歯を見せて笑った。
「で、でも……」
「時間はたっぷりあるんだし、とにかく早く復学できるといいな!」
「えっ……」
それは、と言い掛けた瞬間、前方から歓声が上がった。
*
「うおおおお……!」
「わああああ……!」
洞窟の最深部にて。
ほとんど同時に足を止めたディルとエルダーは、そこに広がっていた光景に思わず目を見張った。
「これ全部キノコなの……!?」
二人のそばを飛んでいたアンゼリカも言葉を失う。
少し開けた空間で彼らを待ち受けていたのは、あたり一面をぼんやり照らすアカリキノコの光だったのだ。
「すっげー……!」
まるで光の絨毯だ。ふわふわした足取りで歩き出したディルは、隅のほうに小さな泉を見つけてわっと顔を綻ばせた。喜び勇んで四人を呼ぶと、真っ先にやってきたアンゼリカと透き通った水底を覗き込む。
オレガノは近くにあった流木に腰を下ろし、ボリッジもそのとなりにくっつくように座った。
「あいつ、面白いくらいはしゃいでるなー! やっぱり、最初の依頼はこうでなくちゃな!」
「うん……」
「おっと、あっちはそうでもなさそうか?」
「え?」
四人から離れたところで一人、ぼうっとしている影があった。「エルダー?」
アンゼリカと笑い合っていたディルが声を掛けると、我に返ったように周囲を見回す。
「あ、ああ、採集だよね? さっさと終わらせようか」
泉から目を逸らして黙々とキノコをむしり始めたエルダーは、ディルが思うにちょっと変だった。
「急にどうしたんだよ?」
「なんでもないよ。セルリーに連れていってもらった森の中の泉のことを考えていただけ」
「え! そんなとこ行ってたのか?」
「うん。君がリコリスの手伝いをしていたときにね」
「ああー……。森っていえばひどい火事だったけど、まだ残ってるのかな」
ふと湧いた疑問だった。採集したキノコを次から次へと袋の中に放り込んでいたエルダーが、ぴたりと動きを止める。
「残ってないよ。あんな場所は、きっともうどこにもね」
唾棄するような言葉じりに、ディルはぐっと息を呑んだ。
だってそれは、拒絶の意味だと知っている。
「ディル?」
アンゼリカの呼び掛けが遠い。エルダーの考えていることはよくわからないし、それは今に始まった話ではないけれど。
……でも。
崖道の上からイェーディーンを見下ろしたときや、実際に街に着いたとき、ギルドを訪れたときだって……彼はずっと、楽しそうに笑っていたじゃないか。
――それなのに、いきなり何だ、あの態度は。
心に生まれたわだかまりの正体は掴めないまま、ディルはただ、これでいいわけがないと思った。
*
気分が悪い。
アカリキノコでいっぱいになった袋を杖に引っ掛け、来た道を戻りながら、エルダーはひどい不快感に襲われていた。
ディルがおかしなことを言うからだ。初めての依頼を受けて、きれいなものを見て、せっかく楽しく過ごしていたのに。ディルが全部台無しにしたのだ。
彼はいつもそうだ。邪魔になることばかりして。
「空気おっもいな! こいつらも仲悪いのか?」
「ちょっと、ボリッジ」
「前途多難だなー!」
少女たちの会話など耳に入らないほどもやもやしていたエルダーは、物の見事に注意力散漫だった。
ずるりと、靴底が滑る。
「エルダー!?」
視界がぶれたと思ったら、ディルが慌てて駆け寄ってきた。
……転んだのだ。しかも、恐ろしく派手に。
「ケガはない!?」
となりにしゃがんだオレガノに支えられて上半身を起こすと、その場に突っ立っていたディルが突然笑い出した。
「ど、どうしたの、ディル?」
さすがのアンゼリカもぎょっとしている。
「い、いやごめん、ごめん何か、顔に泥が、っくく、面白くなっちゃって。エルダーも普通に転ぶんだって思ったら、そう、あはははは!」
「……」
腹を抱えて涙を拭うディルの姿に、エルダーは心から白い目を向けた。手元にあった泥をそれとなく掴むと、締まりのない顔面めがけてぶん投げる。「うげあ!?」「えええ!?」
ディルの悲鳴と少女たちの声が重なった。
「君も面白い格好してるんじゃない?」
ふんと鼻を鳴らせば、一瞬だけ静止したディルが改めて吹き出した。
「ああ、うん、そうだな。……そうだよな、笑って悪かったよ」
泥にまみれた彼はそれでも清々しい表情をしており、エルダーは思わずぽかんとする。
「……変なやつ」
溜め息混じりのつぶやきはあっさり聞き流され、差し伸べられた手を借りて立ち上がったエルダーは仕方ない感じで歩き出した。
「あれ、こいつらは仲良かったのか?」
「どうだろう。こういうのは初めて見たけど」
「仲良いんだな!」
寮に戻って諸々の泥を落とした二人は、その後しれっと依頼の完了報告を済ませたのだった。