39.巡りの都と歓迎の挨拶
テグからイェーディーンに移動する間に一行が立てた計画は単純明快だった。
まずは路銀を稼ぐ、だ。
これまでは出会った人々の厚意でそれほど大きな不自由もなくやってこられたものの、ここから先は地固めをしておいたほうがいいという話になったのだ。
資金さえ整えばメニーヒュマ大陸からグラス大陸へ渡ることができるし、そこからはグルンまでひと続きの大地を進むだけなので、この難所さえ乗り切れば一行の旅は大詰めに等しい。
具体的に何をするのかというと――。
「冒険者ギルドかー!」
――青い瞳をらんらんとさせたディルの言葉通りである。
陽が沈むと同時にイェーディーンに降り立った一行は、オウギに礼を述べて彼と別れたあと、適当な食堂に入っていた。店内はかなり混み合っており、隅にあった二人掛けテーブルを四人で使っているような格好だ。
「ギルドならおつかい程度の依頼から魔物退治依頼まで色々あるから、それぞれに合った得意な方法で資金集めができると思うよ」
とはオレガノの言で、イェーディーンに着いたとはいえ右も左もわからない状態の三人を放置するつもりはないと言い切った彼女は、知り合いがいて信頼のおけるギルドを紹介すると約束してくれていた。
エルダーとしては金銭的な問題に関心などなかったけれど、冒険者ギルドという組織にはそれなりに興味を引かれたので、そういうことがあってもいいかなという感じである。
「この時期なら建国祭も近いし、依頼の数自体多いはずだから、うまくやれば一気に目標額に近付けるかもね」
「建国祭?」
気になる単語に顔を上げたエルダーは、運ばれてきた大皿料理に伸ばしていたスプーンをぴたりと止めた。
期待を込めた眼差しでオレガノを見つめる。
「……サーラルができた日を祝うお祭りがあるんだよ。王族の乗った舟が水路を巡ったり、露店が並んだり、そこかしこで大道芸とか演奏会が始まって……街中が飾られて、みんな好きなように騒ぐ。……そういう、お祭り」
とつとつとした説明に抑揚はなかったものの、その内容はエルダーの表情を明るくさせた。「面白そうだね!」
オレガノがほっと息をつく。
「しかもそれが三日三晩続くの。見応えはあるんじゃないかな」
「『祝光の三日間』って言うんでしたっけ?」
「うん。よく知ってるね」
エルダーはへえー、と思いながら、改めて大皿料理に目をやった。穀物と魚介類を炊き込んだものがほかほかと湯気を立てている。
「国を挙げての行事だから、気合いが入っているみたい。そういえば、わたしも去年、簡単な依頼を受けたよ」
「どんなことをしたんですか?」
「えっと、確か……お祝いの料理に使う魔物の、ハンティング……」
「……」
ディルが不安そうにしたのがわかったのか、オレガノはそのあとすぐに「祭事用マスコットの色塗りとか、ランタン作りとかそういうのもあるから」と付け足していた。
「住むところはギルドで借りればいいとして、今日はひとまず、わたしの寮に泊まっていって」
「えっ?」
降って湧いたような提案にディルが唖然とする。エルダーもぱちぱちと目をしばたいた。
アンゼリカにいたっては思い切り眉をひそめている。
「……当然のことだと思うけど。イェーディーンまで送るなんて言っておいて、わたし、ここまで何もしてないし」
「そ、そんなことないです! オレガノさんにはいつも助けられて……」
「じゃあ、言い方を変えるよ。人さらいにかどわかされたり、変なところに泊まってぼったくられでもしたら寝覚めが悪いから、今日はとにかく付いてきて」
「……ハイ」
馬車から降りた途端にすりに遭っているディルはぐうの音も出ない。
「それにしても、さっきの子は一体何だったの? この街にはあんなのがたくさんいるってこと?」
ディルの手にスプーンを握らせたアンゼリカが怪訝な顔で問いただす。オレガノの表情が少しばかり曇った。
「……あの子は多分、シュダー街の子だと思うから」
――オレガノいわく。一見すると華やかなこのイェーディーンには、いわゆる極貧層として区分される者たちの暮らす「シュダー街」という場所があるのだそうだ。
彼らは街の廃棄場から換金できそうなものを集めたり、物乞いしたり、すりを始めとした盗みを行うことで日々を食い繋いでいるらしい。
肩を持つ気はないんだけど、とオレガノは言った。ただ、そういうふうに多くのものを選べない人たちがいるということは理解しておいてほしい、と。
「あんなふうに大通りにまで出てくるのはめずらしいんだけどね。危ないところはあとで教えるから」
「ありがとうございます……」
話半分に聞いていたエルダーは「絶対に近付かないこと」と念を押されて曖昧にうなずいた。
まあ、必要がない限りはそうしたほうがいいのだろう。
「でも、アンゼリカって、悪いものの気配がわかるんじゃなかったっけ?」
ふと思い付いたことを口にすれば、指摘を受けた彼女はしかめっ面をした。
「それは、そうだけど……その、油断していたわけじゃないのよ!? 嘘だってついていないし!」
「ふーん?」
「あたしにも、何が何だか……」
尻すぼみになっていくアンゼリカを横目に、小皿に取り分けた料理をもぐもぐと味わう。
「……なかったのかも」
オレガノがぽつりとつぶやいた。
「ああいうことが日常的になっていて、悪意みたいなものが薄れていた。……そういう可能性も、あるのかなって」
彼女のその発言で、夕食の席は水を打ったようになる。
もしそれが本当なら、愕然としたアンゼリカを救う方法などないのではなかろうか。
「えーっと、要するに! もっと注意しよう!って話ですよね? ね、オレガノさん!」
「……う、うん」
「ほら、アンゼリカ、そういうことだから! さあ、温かいうちに食べよう!」
「そ、そうね……」
「この貝、きっと美味しいぞ!」
妙に明るいディルの声を皮切りに、四人は食事を再開した。会話がないわけではないけれど、いまいち盛り上がりに欠ける晩餐である。
「ところで、あの、言っておきたいことがあるんだけど……」
大皿が空になったタイミングで改まったオレガノは実に珍妙な面持ちをしており、エルダーはうん?と思った。
言っておきたいこと。……聞いてほしいことではなく?
「わたし……あなたたちが船に乗るまで、手伝うことにしたから」
「……」
「……」
「えっ」
ぽかんとしたエルダーに、オレガノは一瞬だけ頬を引きつらせた。
「手伝うって、オレガノさん、学校は? もう一度通ったりとか」
「学校? 学校なんてふた月も無断欠席してたら除籍になってるはずだよ」
何を今さらといった感じの口調だった。ディルはただただ絶句し、アンゼリカも黙ったままだ。
うつむきがちに首元に手を当てたオレガノは大きく深呼吸をした。
「……わたしなりに考えてることがあって、それのついでみたいなものなの。……だから」
彼女の中では結論が出ていたことだったのだろう。強がる様子や、憂うような雰囲気は微塵もない。
エルダーはそれを、もっともだという気持ちで眺めていた。
「……そういうことなら、今後ともよろしくお願いします!」
朗らかに答えたディルに、オレガノは少しだけ微笑んだ。
*
小さな明かり一つに照らされた薄暗い部屋には、古ぼけたインクのにおいが漂っている。
うずたかく積まれた本の山。開きかけの巻物に、丸めて放られた紙くず。
雑然とした部屋の中心には、一人の少女が佇んでいた。
「これだとうまく繋がらない。邪魔しているのは、あれか? ってことは」
足元に広げた大判の紙を睨みながらぶつぶつとつぶやく。歪みのない直線、均一な力で引かれた曲線が織りなす円形は精緻な模様のように美しく、今にも輝き出しそうに見える――が、その場にしゃがんだ少女がわずかばかりの魔力を注いでも、望んだ結果が現れることはなかった。
「ああ、だめだ。発想を転換しないと」
唸った少女は近くにあった本を引き寄せると凄まじい速度でページをめくっていく。魔法に関する記述や手描きの図説がいくつも載ったそれは魔術書と呼ばれるもので、最新の研究結果が記されたものから歴史書のようなものまで種類は多岐に渡り、この部屋にある書物はほとんどがその類いのようだった。
刻一刻と時は過ぎ、改めて目を通した資料は二つ三つと増えていく。やがて集中力の低下を感じた少女は、絨毯の上に大の字に寝転がるとまぶたを閉じた。
この世界には魔法という力があって、それは、正しい工程さえ踏めば誰にでも使えるものだと言われている。
火を起こしたり、明かりを灯したり、できることは様々で、大抵の人がその恩恵を受けたことがあるようなものだ。
しかし、本当の意味での魔法は、そんな単純なものではない。
少女はそう信じていた。
現に、魔法として伝わっている力には限りがある。生まれ持った魂に紐付けられた魔力量や、各個の技術、感性の差による制約は、当人たちにしか推し量ることのできない限界だ。
そういった枷を取り除き、本来の魔法が持つ十割の力を蘇らせること。そして、その力を万人に使えるものにすることこそが、少女の使命だった。
だというのに……。
部屋の外がにわかに騒がしくなった。まぶたを上げた少女は煩わしそうに体を起こすと、勢いよく開いた両開きの扉に鋭い視線を向ける。
「おい、オジョー! やっと見つけたぞ、ビッグニュースだ!」
興奮気味に駆け込んできたのは小柄な少年だった。薄暗い部屋の中心でのそりと動いた少女の影にびくりとする。「ゔ、ゔにゃあ!?」
もはや見慣れたその反応に、少女は思わずため息をついた。
「な、なんだよ、またそんな暗いとこで落書きばっかして、脅かすなよな! おれのことは雑巾みたいに使うくせにさあ!」
「見つけたって何を? くだらない報告だったらただじゃおかないからな」
命知らずな悪態を寛大な心で無視して尋ねれば、それがまた癪に障ったらしく、目くじらを立てて吠え掛かってくる。「ちっげーよ!」
要領がいいのか悪いのか、まあそんなことはさておいて、今回持ってきた情報に対する自信だけは十分なようだ。
「そんなに言うなら聞いてやろう。結論から話せよ?」
「あいっかわらず感じ悪いな! そんなんでよく、」
「お飾りの耳なら切り落とすぞ」
「ひっ!」
身に着けていた護身用の小刀をちらつかせたら黙ってしまった。先を促すように顎をしゃくると、縮み上がったままの少年は恐る恐る口を開く。
「き、聞いて驚くなよ? あんたがずっと探してた、オレガノって女のことさ……!」
――少女の手から、小刀が滑り落ちた。