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幕間.とある従者と日暮れの賛歌


 道中にあった村で休憩を取りつつ、馬車で進むこと四日と半日。空が暮れなずむ頃、岩肌が剥き出しになった崖道に差し掛かったときに、それは突如として姿を現した。

 夕陽に照らし出された橙色の海面。陸地のシルエットが黒く浮かび上がり、暖かな街明かりが眼下にきらめいて――馬車の窓に張り付いていた少年たちは、その景色と同じくらい瞳を輝かせた。


「大きな街だね……!」

「ここが、イェーディーン……!」


 遠目にも確認できる三本の大河と、そこから枝分かれした川や運河が街中に広がるさまは壮観だ。中央に構えた城は凛とした佇まいで、都心部から少し外れた岬には巨大な灯台がそびえ、交易の要である港にはたくさんの船が停まっている。


「あれに乗って海を渡るのね」

「途中で沈んだりしないのかな?」

「さらっと恐ろしいこと言うなよな!?」


 わいわいはしゃぐ三人を尻目に、御者台のオウギは息をつく。


「すべての厄介ごとはカルダモンに通ず……」


 誰に言うともなくつぶやけば、脳裏に浮かんだ薄橙色の髪の女が「失礼ね」と唇を尖らせた。

 しかし、実際問題、あの少年たちをイェーディーンまで送り届けるよう仕向けたのは彼女なのだ。


「あら、妹ちゃんへの資金援助は蹴られちゃったの? あの男の子たちとイェーディーンに行くって聞いたけど、足代はどう工面するのかしらね。まさか、獣の出る道を歩いていくのかしら?」


 マジョラムの妹と入れ替わる形で屋敷を訪れてこれである。


 先に断っておくけれど、オウギは別に、彼女のお節介そのものを否定するつもりはない。何故ならそれは、途方もない後悔をくすぶらせたメドゥスイートを間違いなく救ったからだ。

 ただ、その過程でここまで大変な思いをすることになろうとは考えもしなかったのである……。


「!」


 急に現れた数匹のツノオオカミに、オウギはぐっと手綱を引いた。「おわあ!?」

 後ろから聞こえた悲鳴は無視して対処に当たる。


「あなた方は動かないように」


 念のために釘を刺しておいた。


 オウギを悩ませたのは一人の少年だった。エルダーという名前のその少年は、物凄く平たく言ってしまうと、とんでもなく身勝手だったのだ。

 魔法が使えるのはいいとして、襲い掛かってきたツノオオカミをあたりの岩ごと吹き飛ばして馬車まで破壊するわ、立ち寄った村でふらりといなくなって出発の時間は遅らせるわで、傍若無人のフルコースみたいな行いが連日のようにまわりを振り回した。

 駄目にしたものはその場で直し、怪我を負ったものにも同じようにしていたけれど、元に戻ればそれで済むという話ではない。

 メドゥスイートの遣いとして事態を丸く収めるのに奔走したオウギは、そんな彼にうんざりしていた。


「大丈夫ですか? オウギさん」

「ご心配なく。イェーディーンはもう目と鼻の先ですから、ごゆるりと過ごされるがよいでしょう」

「は、はあ……」


 ツノオオカミを蹴散らしつつ、オウギはそうだ、と思った。長かったこの日々も、もうすぐ終わる。

 彼らの世話をするという命はほとんど達成できている。あとは、もう一つの懸念事項をどうするか、だ。



 *



 運河をまたぐ大きな門をくぐったところで馬車を停めたオウギは、懇切丁寧に扉を開いた。


「わあー……!」

「すっげー……!」


 魔法灯の輝く日暮れの街を前に、少年二人が感嘆の声をもらす。港湾都市として栄えてきたイェーディーンは陸路よりも水路のほうが発達しており、そこを行き来する舟や煉瓦作りの建物などが水面みなもに映る様子は得も言われぬ趣があるのだ。


「あ! あれ、ジェレルの大灯台だ! ここからでも見えるんだな!」

「本当に大きいね。どういう仕組みで光っているのかな?」


 馬車から降りた途端にきょろきょろと周囲を見回す少年たち。こうしている分には子供らしくて微笑ましい気がしないでもないけれど……オウギがわざとらしく咳払いをすると、彼らは仲良く振り返った。


「私はここで失礼しますが、何かお困りの際はこちらを提示するようにと、メドゥスイート様から預かっているものがあります」


 努めて冷静に前置きしながら取り出したのは、リングケースのような箱に収められた一枚の銀貨だった。植物と、ツノの生えた獣がモチーフの浮き彫りがされている。

 赤い髪の少年が目をむき、魔法使いの少年とマジョラムの妹はきょとんとした。


「くれるってことかな? 何か特別なものなの?」

「わたしにはわからないけど……。でも、この姿、ツノオオカミに似てるような……」


 天使の少女は銀貨を見ても表情を変えず、話に入ってくる素振りもない。四人の反応を注意深く観察したオウギは、そこで一旦きりを付けて、銀貨の説明をすることにした。


「こちらに描かれているのはテグ男爵家の紋章です。サーラル国にいる間は身元の保証ができますが、」

「ダメです!」


 オウギの言葉を遮ったのは赤い髪の少年だった。


「そんな大事なもの、受け取れません」


 ほう、と思う。オウギは彼の真意を探るべく、その瞳をじっと見つめた。

 澄んだ青は少し揺れただけで、毅然とした眼差しは変わらない。


 彼は花の高台でメドゥスイートに食って掛かった要注意人物だ。ただ、ここまでの道のりでは存外おとなしく――むしろ、魔法使いの少年とは対照的に規律を守ろうとする姿が印象に残っているほどだった。

 考えてみれば、この数日の間にこんな態度を取られたことは一度もない。


「……どうしても、ですか?」

「どうしても、です」

「そうですか……」


 オウギだって、メドゥスイートからこの銀貨を渡されたときは面食らったものだ。マジョラムの妹が一緒にいるとはいえ、あんな見ず知らずの子供たちにそこまでする必要はなかろうに、と。

 しかし、そんなことを進言したところでメドゥスイートの決断が覆ることはなかった。それどころか、預ける相手はオウギが選べと、分不相応な大役を任されてしまったのだ。

 最初はもちろん、マジョラムの妹にするつもりだった。その気持ちに迷いが生じたのは、ついさっき。


 赤い髪の少年が胸元に手を当てて首を横に振る。懐に箱をしまったオウギは、


()()()()()()()


 獣が唸るような低い声を出した。「え゛!?」

 びくりとした少年のことなど構うことなく、右手をぬうっと伸ばす。


「ゔにゃっ!?」

「……へっ?」


 赤い髪の少年が唖然とした。その後ろに隠れていた小柄な少年を掴み上げると、それを見たマジョラムの妹と天使の少女がほとんど同時に息を呑む。

 ぼろ切れを継ぎ合わせたような服に、薄汚れたターバン。道行く人とは明らかに雰囲気の違うその少年は、オウギの手から逃れようと必死に暴れていた。


「服の中に入れたものを出せ」

「な、なんだよ、いきなり! 離せよ!」

「聞こえなかったか? そこにしまったものを出せ、と言っているんだ」


 オウギに凄まれた少年は観念したように小さな麻袋を取り出した。赤い髪の少年は「あ!?」と絶句し、魔法使いの少年も「へえ」と驚く。


「メドゥスイートからもらった餞別だね」

「いつの間に!?」


 背負っていたバックパックを下ろして中身を確認する少年。「底のほうに穴が空いて……? な、なくなってる!?」

 オウギに掴まれたままの少年がふんと鼻を鳴らした。


「落ちてたから教えてやろうと思ったんだよ! 文句あるか!?」

「そんな話が信じられるとでも?」


 麻袋を奪い取ったオウギは少年を地面に叩き付けると、腰に巻かれていた布を踏みながら刺すような視線を向けた。


「彼らは大事な客人でね。こんなふうに手を出されて黙っているわけにはいかないんだ」

「くっ……」


 躍起になって布を引っ張る少年に、ふつふつとした怒りを覚える。

 先ほどの言葉は半分以上が建前だ。オウギがここまで感情をたぎらせているのは、あの餞別がメドゥスイートのあがないだったからに他ならない。

 役場に突き出すのは当然として、どんな制裁を加えてやろうか――そんなふうに口元を歪ませたオウギは、しかし、小柄な少年の一瞬の動きに気付かなかった。


「……っそ!」


 足を払うように腕を振られ、ぴりっとした痛みがすねに走る。


「オウギさん!」


 わずかに血が舞った。バックパックの底を裂いたのと同じ刃物で切り付けられたのだろう、その隙を突いて逃げ出した少年の後ろ姿が見る間に小さくなっていく。

 抜かったと舌打ちをすれば、ぐいと腕を引かれた。


「オレの不注意ですみません!」

「……はい?」


 にわかに聞こえてきた雑踏の中、オウギはわけがわからずに目を白黒させた。バックパックを抱えた赤い髪の少年が頭を下げているけれど、彼が謝る必要などどこにもないはずだ。

 咎があるとすればそれはあの盗人のほうだろうし、落ち度の話をするのならどう考えても自分が悪い。

 なぜなら彼は、メドゥスイートの客人なのだから。


「エルダー、その、オウギさんのケガって治せるか?」

「それはもちろん。君の鞄に空いた穴も直そうか?」

「よ、よろしくお願いします……」


 そうこうしているうちに傷はなくなり、金貨の詰まった麻袋もあるべき場所に収まった。

 困惑気味のオウギは「あの……」と控えめに声を掛ける。


「あなたは、すりに遭ったんですよ? そして私は、それを取り逃がした……」

「あんな小さな子がすりなんて、オレがしっかりしなくちゃいけないですよね。オウギさんがいなかったら、もっと大変なことになってたかもしれないですし」


 申し訳なさそうに笑う少年は、不思議な既視感をオウギに抱かせた。天使の少女が「ディルのせいじゃないわよ!」と彼を励ましている。


「えっと、とにかく! ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございました!」

「……かしこまりました。メドゥスイート様に、そう、お伝えしましょう」

「あれ? この場合はその……このお礼はそう、オウギさんに対してのものというか……あれ?」

「私に、ですか?」

「はい!」


 戸惑いから抜け出せないオウギは返答に窮するばかりで、彼の言動をこれっぽっちも理解できない。自分はメドゥスイートの遣いなのだから、主人の命令に従うのは当たり前のことで……特に手厚く扱うよう言い付けられた結果としてこうしただけなのに、よりにもよってこの少年は、そんなことも認識できていないのだろうか。

 さっき感じた迷いの元は、ただの偶然?


「帰り道、気を付けてください。それから、あの薄橙髪の女性にも心からの感謝を」


 丁寧に礼を述べられたオウギは、ふと、奇妙なほど自然に、昔のことを思い出した。二十年以上も前――メドゥスイートに仕え始めて間もないときのことだ。

 新入りとして失敗も多く、たどたどしいながらも主人に奉仕していたオウギに、少年だったメドゥスイートは穏やかな声で言ったのだ。

 いつもありがとう、と。


 オウギは幼い頃からテグ男爵家の使用人として育てられてきた。それは彼自身が選択したわけではなく、身寄りをなくして彷徨っていたところをそういう家に拾われたから、流れとしてそうなっただけのことだ。

 当たり前のことはそつなくこなし、求められるもの以上の働きを。

 主人に尽くせることを至上の喜びとせよと、教え込まれてきた。


 だから、そのときのオウギは恐れも知らずに口を開いたのだ。

 その感謝は不適格なものです、と。


「……やはり、こちらの銀貨はあなたに預けておきます」

「えっ!」


 ぎょっとした赤い髪の少年に銀貨を収めた箱を手渡すと、彼はおろおろした様子でオウギを見上げた。

 為すべきことを為したオウギは、四人の顔を順々に眺めてふっと微笑む。


「この国の光が、あなた方の旅路を照らさんことを」


 彼らがこの先どんなものに出会い、そして何を感じるのか。そんなことは、オウギには知るよしもないけれど。

 少なくとも、それが悪いものでなければいいと、確かにそう思った。


 心をこめて礼を返したオウギは、改めて馬車を繰り、来た道を引き返していった。

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