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38.晴天と旅立ちの贈り物




 その日の昼過ぎ。

 仮眠を取ってテグの町に降りることにした三人は、革の鞄を斜めに掛けたオレガノと共に軒先に立っていた。


「じゃあ、エルダーが言っていた魔法陣というのは、あなたが描いたものではないのね?」

「うん……気が付いたらあったものだから。力になれなくてごめんなさい」


 アンゼリカとオレガノが話しているのを小耳に挟む程度に聞きながら、エルダーはふわあとあくびをこぼした。

 晴れ渡った空の下に広がる、乾いた大地。遠くの山々の形がはっきり見えるほど、空気はからりとしていた。


「あの、本当にいいんですか? 床、直さなくて」


 ディルはエルダーがオレガノの家の内部をめちゃくちゃにしたことを気にしているらしく、先ほどから同じことばかり尋ねている。


「いいよ。自業自得だから」

「でも、オレガノさんの暮らすところが」

「そんなのどうにでもなるから」


 ぶち抜いた床を直そうが直すまいがどちらでもいいエルダーは、そっと目を閉じた。

 まぶたの裏に、心の奥に、霧の世界があることを確かめる。


「……さあ、ぼやぼやしてたら日が暮れるよ」

「あ! そういえばマジョラムさん、オレガノさんにも編んでるものがありましたよ!」

「え……」

「ちょっと待っててください!」


 ぱちり、目を開いた。

 出てきたばかりの家の中に戻ったディルは「危ないよ!」というオレガノの忠告通り、半壊していた床をバキリと踏み抜いて「うわあ!」と地下室に落っこちた。

 驚いたアンゼリカがすっ飛んでいく。


 エルダーとオレガノが地上から覗き込むと、彼はバックパックをクッション代わりに無傷のようだった。


「えーと、確か、このあたりに……あった!」


 白っぽい何かを掴んでぱたぱたと木くずをはたいている。


「早く登っておいでったら! あなた、自分が危なっかしいって自覚ないの!?」


 オレガノに指摘されてはにかむディル。杖を回してバックパックを吊り上げたエルダーは、宙に浮かんでばたつく彼をそのまま外まで運んでやった。

 目を白黒させながら礼を言われたので、にっこり笑っておく。


「これです。すっかり忘れてました」

「ひやひやさせないでよ……」


 肩から力を抜いたオレガノが、ディルに差し出されたものを受け取って唖然とする。それは、アンゼリカの羽織っているものとよく似たデザインの白いケープだった。


「……ありがとう」


 ディルがへへ、と笑った。



 *



 夢から覚めたオレガノは、自分に会いたがっているというメドゥスイートの顔を見て、マジョラムの墓参りを終えたらこの町を出ると言った。迷惑を掛けたと謝られたところでディルは口ごもったけれど、エルダーは「うん」と笑ったので肝を冷やしたのが起きてすぐのことである。それから世界地図を広げてイェーディーンを指差し、「お詫びにはならないかもしれないけど、ここまでわたしが責任を持って連れていくから」と、是とか非とかなさそうな提案をしてきたのだった。


 四人揃って町に降り、メドゥスイートの屋敷を訪れると、オレガノは一人で中に入っていった。彼女がまたひどいことを言われるのではないかと心配したディルは同行を申し出たものの、「気持ちだけでいいよ」とあっさり断られ、今は屋敷の外で待機中だ。


「オレガノさん、大丈夫かなあ」

「あれだけ大口を叩いたんだもの。好きにさせればいいのよ」

「そうなんだけどさ」


 エルダーは屋敷のまわりを散策しているため、アンゼリカと二人でぼそぼそしゃべっていると、道の向こうから一人の女がやってきた。

 胸元の大きく開いたロングドレスに、ぎらぎら光る薄手のストール。フリルやレースがたっぷりあしらわれた日傘……。


「あら、あのときの男の子じゃない。今度は誰を探しているの?」

「……あ!?」


 話し掛けられてその正体に思い至ったディルは、反射的に間抜けな声を上げていた。

 二人の前で立ち止まったのは、マジョラムを探して夜の町に降りたときに出会った、派手な化粧の女だったのだ。


「あのときはどうも、お世話になりました……!」


 即座に頭を下げると、女はにたりとした。


「へーえ? 義理は果たせたってわけね」

「それは……」


 どうだろう、と思った。

 なぜならディルは、今回の件に関して何もできなかったからだ。オレガノの目を覚ましたのはエルダーだし、自分はむしろ、マジョラムの望まない道を進もうとしていた。

 しかし、彼女に報いるということは、そういうことではない。大切なのは、きっと別のことだ。


「……わからない、ですけど。そうできたらいいなって、思います」


 ディルの答えを聞いて「ふうん?」と笑った女は、ふっと顔を近付けると頭が痛くなるような甘い香りを振りまいた。


「ねえ、あなた、この町の子供じゃないでしょ。これからどうするの?」

「えっ、ど、どうしてわかるんですか?」

「赤い髪なんて目立つからよ。それに、マジョラムのことを知らない人間なんてこの町にいないもの。で?」

「いや……その、ええと。今日中にはここを出て、イェーディーンに……行く、予定、ですけど」


 謎のプレッシャーに圧されてしどろもどろに答えてしまった。間に入ったアンゼリカが女の顔を押し戻している。


「ちょっと痛いわよ、もう。何だっけ……ああそうだ、屋敷に入っていった女の子、マジョラムの妹でしょ? あの子も?」

「!? 知ってるんですか?」

「まあね。で、どうなの?」

「そこまで案内してくれる、って話にはなってますけど……?」


 遠回りで掴みにくい会話に疑問符を浮かべていると、女は満足したのか、「そう」と意味ありげに微笑んで顔を遠ざけた。それからぷらぷら手を振って視界の外に消えていく。


「な、何だったんだ?」

「毒婦だわ! 悪い感じはしなかったけど!」

「だよな。あの人、いい人だもんな」


 ぽかんとしていると、散策していたエルダーと屋敷から出てきたオレガノが同じようなタイミングで戻ってきた。オレガノの手にはピンク色の花が握られており、ディルは躊躇いがちに口を開く。


「あの、テグ男爵は……」

「ものすごく謝られたよ。でも、お姉ちゃんのこと色々やってもらったのもあったから……うん。行こう。もう大丈夫」


 はっきりした口調のオレガノに促されて、一行は再び歩き始めた。

 町を抜けて、剥き出しの乾いた地面を進む。民家が減り、周囲の障害物がなくなって見晴らしがよくなると、花の高台はもうすぐだった。



 *



 陽光に照らされて、ピンク色の花々が穏やかに咲き誇っている。

 中心に立つ白い墓標にも日がよく当たっており、オレガノはそのまぶしさに目を細めた。


「夜に来たときもきれいだったけど、昼は昼できれいだね」

「……そう、だな」


 気を遣っているのか、残りの三人は高台の入り口あたりから動かなかった。

 爽やかで優しい風が吹く。すっきりした香りが一面に広がると、オレガノの心は震えた。


 不意に、姉の歌が聴きたくなった。大切で大好きな姉の歌。

 本当は、ずっとずっと、聴いていたかった。


 墓標の前に進み出たオレガノは、できるだけ丁寧に手元の花を捧げた。その場に屈んで、少しだけ泣いた。



 *



 買い出しを済ませて町を出ると、手に入れた近隣地図を頼りに、ひとまずとなり町まで向かうことにした。馬車で三日の道のりを徒歩で進むとなると二倍以上の時間が掛かりそうではあったけれども、それほど無茶な距離ではないはずだ。

 ディルは気合いを入れるようにバックパックを背負い直した。


「よし! 行くぞ、イェーディーン!」


 などと奮起していると、目の前に小型の馬車が一台停まった。妙なところに停車するものだと思いながらその脇を通り過ぎようとしたディルは、御者台から下りてきた人物にぎょっとする。


「お待ちしておりました、四人方」


 馬車の扉を悠々と開けたのは、メドゥスイートの従者であるオウギだったのだ。


「えっ、ど、どういうことですか?」

「メドゥが貸してくれるって言ってるんだから、子供はおとなしく甘えなさいな」

「へ?」


 聞き覚えのある声にディルは戸惑った。オウギの手を借りて馬車から降りてきたのは、先ほどメドゥスイートの屋敷前で会った派手な化粧の女。

 何が何だかわかっていないエルダーとオレガノは目をしばたき、アンゼリカは大慌てでディルの前に出る。


「ディルに近付かないで!」

「細かいことは気にしないの。御者はオウギだから安心していいわ。イェーディーンまで行くんでしょ?」

「あ、だからあのとき!? あなたは一体……」

「子供の足で何日掛かると思ってるのよ、ツノオオカミも出るって言うのに」


 質問を無視された挙句、呆れたように溜め息をつかれる。


「メドゥが好きでやってることだもの、存分に利用してやればいいんだわ。あとこれね、餞別」


 女に投げ渡された小さな麻袋を反射的に受け取ると、ディルはその重みに驚いた。何が入っているのかと思って中身を確認したところ、詰まっていたのは金貨だ。

 固まっているうちに背後に回られて肩を押され、よろけたところをオウギに支えられたと思ったら馬車にねじ込まれた。即座にアンゼリカが飛んでくる。


「さあ、あなたたちも」


 女に催促されてしばらく考え込んでいたオレガノは、その後ろからひょいと馬車に乗り込んだエルダーを見て、実にあっさりとそれに続いた。

 あっけなく扉が閉まる。


「いってらっしゃーい!」

「え、え、え!?」


 笑顔で手を振る女を、ディルは呆然と眺めていることしかできなかった。



 *



 女がどんどん遠くなる。町が見る間に離れていく。

 崖の上の家も。花の高台も。爽やかながらも甘い、優しかった香りも。


「……いって、きます」


 走る馬車の音にかき消されそうなほど小さなオレガノの声は、彼女に聞こえていればそれで十分だった。

 第2章 了

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