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35.魔法使いと鮮烈の少女




 霧の世界に歩き出したディルを見送った後。その場に残されたエルダーは、どろどろした眠気にまぶたを落としそうになっていた。

 彼らがこの場を離れてからどのくらい経ったのかわからない。手首に括り付けられた紐が張ることはなかったから、意外と近くをうろついているのかもしれないけれど。

 それよりも、エルダーには気になることがあった。


 ぼやけた視界の中で。

 エルダーと影の間に立った赤い髪の少年が、震える声で言ったこと。


「ねえ……、彼女たちはさ……」


 ディルの残していったバックパックに背を預けて、朦朧とした意識でそこにいた影に問い掛ける。


「かわいそうなんかじゃ、ないよねえ……?」


 そんな言葉が聞こえたのだ。エルダーには認められない、納得できない、そんな言葉が。

 先ほどの話通り、ここが夢の中であるならば。オレガノは自分の力で忘れてきたものを取り戻し、目を覚まさなければいけないはずだ。

 そもそも、オレガノとマジョラムが出会えないのは必然で、それ以外の選択肢などあるわけがない。そんなものに対して、あろうことか「かわいそう」なんて表現はそぐわないと思った。


「その答えは、見つけるしかないのよ。生きている君たちが」

「また、それ……?」

「そうよ? 死者のことを語るのはいつだって、生者だもの」


 何か言い返そうとしたエルダーは、ここにやってきて最初に目を覚ましたときとは比べ物にならない気怠さに押し負けそうになった。ぐっと息を止めて杖を支えに立ち上がったところで、ぐらりと傾く。


「あら」


 頭に鈍い衝撃。



 *



 だって、セージが言っていたのだ。いつかの昔、何かの折に口にしたこと。

 死者にしてやれることはなく、生者は前に進むことしかできない、と。



 *



「君は眠っている場合ではないのよ?」

「うわあ?」


 ぺちんと頬を張られてはっとした。

 いつの間に意識を失っていたのか、エルダーは横になっていた体を起こすと、じんじん痛む頭にそっと手を当てた。

 ちょっぴり腫れているかもしれない。


「思いっきりぶつけていたわよ? 床に」


 影が親切に教えてくれたものの、別段覚えがないわけではなかった。想像していたより力が入らなくて、勢いよくすっ転んだのだ。

 眠気覚ましに何回かまばたきしてみても効果は薄く、あくびをこぼすと頭に響いた。起きていられるのなら何でもいいので、エルダーは出来立てのたんこぶを放置することにした。


「時間はそんなに経っていない、よね……?」


 見たところ周囲に広がる深い霧は晴れていないようだったから、ディルたちがうまくいっていないことは明らかだけれども。


「そうねえ、半刻も経っていないくらいよ。日もまだ明けていないし」

「そう……。それは何より、だけど……いてて」


 それはそれとして、いつまでたっても魔力が足りないというのは困りものだ。痛みで多少は目が冴えているとはいえ、魔力不足が引き起こしている症状が緩和されたわけではない。さすがのエルダーも、どこまで耐えられるかわからないこんな状況に付き合っている暇はなかった。

 動けるうちに、為すべきことを為さねば。


「……今回は、何? どうすれば、いいの?」

「相変わらず話が早いのね」

「うん……まあね……」


 アンゼリカの言うように、オレガノを見つけて霧を晴らすというのは正しい方法なのだろう。いくら時間が掛かっても、この霧が彼女によって作られているものであるならば、それは間違いなく正攻法だろうから。

 しかし、それだけだったら、この影がエルダーを起こす理由がない。

 ということはつまり、あるのだ。この霧をどうにかするための、他の手立てが。


 秘するようにしばらく黙り込んでいた影が、かすかに揺らいだ。


「……()()()を、壊すのよ」

「……え?」


 聞こえてきたのはあまりにも予想外の言葉だった。瞬時には理解できないような、意識の外からやってきたもの。


「魔法、陣……?」

「あの子は確かに魔法を習っていたわ。でも、こんなに複雑な魔法は使えないはずなの」


 一拍置いて影の言っていることを飲み込み始めたエルダーは、それでも腑に落ちないことに心の中で首をかしげた。


「そんなもの、どこに……」

「あら、君は一度見ているはずよ? この家に刻まれた、大きな魔法陣をね」


 エルダーは眠気と痛みの中で懸命に記憶を探った。

 彼がこれまでに見たことのある魔法陣は二つだ。トゥヴォーからピャーチに移動するときに踏んだ小さな魔法陣と、ここにやってくるときに現れた大きな魔法陣。そのどちらにも共通していたことは、黒く輝くことと、描かれた図柄が非常に緻密で精巧だったことだ。曲線と直線が入り混じった、美しい模様のような……。


「……あ」


 あった。エルダーはそれを、確かに見ている。

 薄暗くて、その上にはいくつも木箱が置かれていたから、気付かなかっただけで。

 あの床の傷は、()()()だったのか!


「わかったみたいね。じゃあ、あとは君のお好きなように」


 霧の向こうで影が笑った。

 しかし、地下室にあったものがこの世界を作り出しているのなら、新しい疑問が浮かんでくる。


「それなら、どうして……」

「どうして、あの子を探させているのかって?」


 そうだ、それだ。ディルたちがオレガノを探しているのは、この霧を生み出しているのが彼女の魔法によるものだと思われたからだ。なのに、その原因がそもそも彼女になく、その前提からして誤っているのなら、彼らの行動には意味がない。彼らがすべきことはオレガノの捜索ではなく、地下室へ繋がる扉を探すことだからだ。ディル側かエルダー側の行動を片方の保険として扱うのとはわけが違う。

 エルダーの気持ちを汲んだ影がふう、と息をつく。


「あれは私じゃなくて天使の女の子が言い出したことだもの。それに、彼らには別の役割があったから」

「別、の……?」


 そこでエルダーは初めて、この影が一体何なのか、不思議に思った。ディルが似たようなことを尋ねたとき、返ってきたのは「マジョラムの欠片」というふわふわした言葉だったけれど。

 回らない頭で考えを巡らす。あのとき、この影は言ったではないか。自分は待つことしかできない、そういうものだと。


「自分を罰しようとするあの子の封じ込めた記憶が、辿り着いた答えが、間違っていないということを証明してほしかったの」

「……君、は」


 その口振りはまるで、マジョラムの視点ではない。


 重い腕で杖を持ち上げたエルダーは、ありったけの力で空を横薙ぎにした。

 魔法を使ったわけでもないのに、影のまとっていた霧があっさり裂ける。


「あら?」


 その隙間から現れたのは――美しい紫色、だった。

 エルダーが今日ずっと追い掛けていた、鮮烈な。


「やだ、もう、びっくりするじゃない。一言くらい掛けてくれればよかったのに」


 オレガノの姿をした少女が楚々と微笑み、マジョラムの口調で穏やかにぶうたれた。



 *



 渾身の魔力で足元の床ごと地下室の魔法陣を粉砕したエルダーは、霧が散っていくのと同時に眠気が覚めていくのを感じた。地下室に降り立ったころには怠かった体に力が戻り、頭の中もすっきりしていたので、周囲の床を吹き飛ばして念入りに魔法陣を潰す。

 一通りの作業を終えて振り返ると、埃の向こうにうずくまる一人の少女を見つけた。少し離れた場所でドスンという低い音がしたけれど、特に気にしないまま目に付いた床を破壊する。

 途端にびっくりした様子のディルが飛び出してきた。


「な、何やってんだよ、エルダー!?」


 とりあえずそちらも気にしないことにする。そんなことより、目の前のオレガノだ。

 霧に隠れていた少女とは違う、彼女を置き去りにしたほうのオレガノ。


「おはよう」


 声を掛けても反応がなく、片手で頭を押さえていると思ったら、どうやら血を流しているらしい。

 赤いマフラーを揺らしてその場に屈んだエルダーは、オレガノの額に人差し指を押し当てた。その血でぐるりと円を描き、罰点を足して傷を治してやる。


「目は覚めた? マジョラムはもう、死んでるんだよ?」

「っ、エルダー!」


 駆け寄ってきたディルが詰問するように名前を呼ぶので何事かと思ってそちらを見上げると、彼はアンゼリカよろしくエルダーのことを睨み付けていた。当の天使の少女はその場に浮かぶばかりで、加勢する気配はないようだけれども。


「床をぶち抜いたのもお前か? どうしてこんなことしたんだよ!」


 鋭い声を飛ばされて顔をしかめる。


「霧を払う必要があったからだよ。わかっていたことじゃないか」

「それは、そうだけど! オレがしてるのは方法の話で……!」


 ディルの言葉に首をかしげると、彼はあからさまに眉をひそめた。


「なんで……こんな。こんなの、間違ってるだろ……!?」


 苦虫を噛み潰したような顔でエルダーを否定したディルは、何だか泣き出しそうでもあった。

 その表情に覚えがあったエルダーは無意識のうちにむっとして立ち上がる。


「じゃあ、どうすればよかったの? 君も彼女も、ずっとここで立ち止まっていればよかった?」

「そういうわけじゃないけど、」

「それなら前に進むしかないじゃないか。僕はそのために最善の手を打っただけなのに、君たちはどうしてそんなことを言うの?」


 湧き上がった不快感をそのままぶつけると、ディルは口をつぐんだ。

 胸に居座るずっしりしたものの正体が掴めない。セルリーの言いたかったことが、夢の中で手にしたそれが、エルダーには不要な荷物のように感じられて仕方なかった。


「僕は彼女をかわいそうだなんて思わない。生きているのなら、前に進まなくちゃいけないんだよ」


 何があっても、エルダーにこの主張を曲げることはできなかった。

 ディルの青い瞳は逸らされることなく、エルダーを見つめていた。

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