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2.夜の森と火の魔法



 エルダーはちょっと途方に暮れていた。目の前では赤い髪の少年が座り込み、火起こしに挑んでいる。


 乾燥した丸太の上に木の棒の先端を立てて、それを両手のひらで挟んで擦り合わせるようにしながら、丸太に穴を開けんとばかりにこする。かなり原始的な方法だ。さっきから木の棒は折れまくっているし、少年の手も赤くなっている上、火が起こる気配など欠片もないというのに、彼は決して諦めようとしなかった。

 そのそばでは天使の少女が飛び回り、光の粒を散らしながら彼を元気付けている。


 手が縛られているせいで何もできないことになっているエルダーは、茂る木々で狭くなっている空を振り仰いだ。

 陽はとっくの昔に傾いて、時折強く吹く風も冷たくなってきている。


 森の木々がざわめく。夜の気配が忍び寄ってくる。



「ねえ。火くらい、僕が作ってあげるよ?」

「必要ないわ」


 天使の少女が間髪入れずに答えた。エルダーはがんばっている少年に尋ねたはずだったのにと、手を縛られたまま肩をすくめる。ちなみに今、紐の先は近くの木にくくりつけてあった。

 少年が火起こしを始めてから何度か同じようなやり取りをしているけれども、エルダーの提案はずっと跳ねのけられ続けている。少年は今にも泣き出しそうな顔をしているというのに、それでも懸命に火を起こそうとしていた。どうしてそこまで必死なのか、エルダーにはわからない。


 あの小さな魔法陣を玄関先で踏んでから、もうすぐ半日だ。エルダーは、自分を睨み付けてくる天使の少女に向かって、困ったように笑った。


 森を抜けて町に出ようということで歩き出した少年に引っ張られて森をうろついていたものの、どれだけ歩いても出口は見えず、時間だけがどんどん過ぎていった。

 暗くなって進むことができなくなる前に野宿をするなら野宿をするで準備をしたほうがいいんじゃないかなあ、などとぼんやり口にしたエルダーに、前を歩いていた二人がぴたりと動きを止めたのはどのくらい前のことだったのだろうか。そこから始まったのが、この、無謀とも言える火起こしだ。


 夕刻の風にぶるりと身を震わせているのはエルダーだけではない。少年を励ますように飛んでいる天使の少女もぷるぷる震えている。彼女の着ている白い衣装の生地はかなり薄そうなので、このままでは風邪を引いてしまいそうだった。


 エルダーはまだまだ余裕の構えでいられたけれども、少年はどうやら焦っているようだった。

 夜が近付きつつある森の中で、明かり一つ持たずに冷静でいられるほうがおかしい。


 エルダーはしばらく考え込み、少年の名前を思い出す。確か、ディル、とか呼ばれていたはずだ。

「えーっと。ディル?」

 話し掛けてみると、びくっと肩を揺らされた。弾みで木の棒が折れる。

 赤い髪の少年は――ディルは、火を起こすのを止めて、疲労に淀んだ虚ろな瞳でエルダーを見つめた。その瞳をしっかり見返して、エルダーは言う。


「これ以上暗くなったら、本当に危ないよ。僕も君も、森の生き物に食べられちゃうかもしれない。だから……」


 ディルの青い瞳がかすかに揺れる。

 エルダーはそのまま、この紐を解いてくれたら、火の魔法を使って火を作るから、と、続けようとして。


「適当なことを言わないで!」


 二人の視線を遮るように飛び出してきた天使の少女に、そう叫ばれてしまった。


 闇に取り囲まれそうな今、彼女の小さな光はどうにも頼りなかったけれど、それでも。

 その言葉はどうやら、彼には響いたらしい。

 ディルの瞳にほんの少しだけ、光が戻る。


 天使の少女はそれに気付かないまま続ける。

「そんなこと、あるわけないのよ! だって、あたしが、天使がついているんだから。それに、あなたの力なんか借りなくたって火は起こせるし、森も抜けられるはずだし、きっと、全部……全部、うまくいくんだから……!」


 尻すぼみになっていくその声を聞きながら、エルダーはまた、困ったように笑っていた。

 どんなに意地を張ったって、できないことはできないのに。そういうときは、誰かに頼るべきなのに。それが賢い、はずなのに。


 今にも泣き出しそうな天使の少女の後ろからすっと伸びた手が、彼女の頭をそっとなでた。

 小さな涙と小さな光がふわりと宙に舞う。天使の少女が振り返る。


「大丈夫だよ、アンゼリカ。オレ、まだ、やれるから」


 そうだ、アンゼリカだと、エルダーは思った。


 赤い髪の少年が優しく笑うと、天使の少女は涙を拭って彼の胸に飛び込んだ。

 それから彼らは何事か話し、更けゆく空の下で火起こしを再開した。摩擦を繰り返したディルの手から血が滲んでも、二人はそれをやめようとはしなかった。



 *



 太陽の欠片が落ちてなくなる前にと、エルダーは静かに目を閉じて、火の魔法のイメージを描いていた。

 ディルの手元の木から立ちのぼる煙や、ゆらりとした橙の光などを想像する。ここまではいつもやっていることと似ているのでそれほどの苦労はないけれど、問題はここから先だった。


 エルダーが魔法を使う上で必要なものというのがいくつかあるのだけれども、今の彼にはそれが欠けていたのだ。


 魔法使いが魔法を使うために必要とするものは基本的に二つだ。

 一つは、魔法の効果を及ぼしたい範囲を指し示し、それを描くための「手」。

 もう一つは、「手」で描いた魔法をきちんと発動させるための動力となる「魔力」。


 「手」というのはただ単に指や手を伸ばして使いたい魔法の下準備をする魔法使いが多いからそう呼んでいるだけで、正確に言うと何かを描けるものならなんでもいい。たとえばそのあたりに落ちている石でもいいし、もっと言うと細長く丸めた紙でもいい。ナイフやフォークでも問題ない。

 魔法を使うためにはまず、効果を引き起こしたい範囲を示すための円を描く必要がある。次に、魔力を込めつつ、魔法のイメージを固めたところで、その中にある標的の上に罰点を描き足せば完成だ。魔法使いによってはそこに創意工夫を加える者もいるけれど、魔法はだいたいそれで発動する。

 実を言うと、魔法というのは、この工程を踏みさえすれば誰にでも使うことのできるものなのだ。


 すごく優秀な魔法使いであるところのエルダーももちろん、基本的にはこの工程を踏む。「基本的には」なので、別に踏めなくても不自由はない。たとえば今の彼は手を拘束されているけれど、それは別のもので代用できるので、魔法を行使するだけなら支障はない。


 けれども、それでも今の彼には魔法を使う上で必要なものが欠けていた。それは何か。


 「魔力を調節する力」だ。


 魔法使いと魔法使いでないものの線引きをする唯一の要素、それが「魔力」である。

 単純に、魔力がたくさんあればあるほど魔法をたくさん使えるから、魔法使いと呼ばれるのだ。


 ……エルダーは魔法使いだ。魔法をたくさん使える。魔力が有り余るほどあるから。

 しかし、彼は魔法使いとして優秀すぎるほどの魔力を持っている分、その調整が破壊的に下手くそだった。

 それを助ける道具が、使い慣れた「杖」がない今、彼の優秀さは半減していると言っても過言ではない。


 深呼吸をしながら目を開く。

 そこには今にも目を回しそうなディルと、彼のまわりを飛びすぎて目を回しているアンゼリカがいた。


 エルダーがこっそりと魔法を使って、発火したように見せ掛けることができれば。

 二人はきっと努力が功を奏したと思い込んで喜ぶだろう。


 できるかなあ、と思案顔。

 魔力の調節を誤って強大な火炎を呼び出し、巻き起こった灼熱の風に森が焼き尽くされるところなんて、エルダーには簡単に想像できてしまう。地面などに実線を描くことができればまだましなのだけれども、あの二人の前で堂々と魔法を使える気はしない。エルダーはちょっと唸る。

 突然連れ出されたせいで愛用の杖を持ってこられなかったのが相当痛い事実だということにようやく気が付いたのだ。


 そうこうしているうちに、太陽の残光が薄らいでいく。

 仕方がない。魔法で二人が消し飛んでしまったとしても、それはそれで、彼らがついていなかったというだけの話だ。


 エルダーが困り顔でそう決め込むと、突然、背後の草むらががさりと鳴った。



 *



「なんだなんだ、ガキが二人もいるじゃねえか」


 振り向いた先にいたのは、無精髭を生やした大柄な男だった。

 鋭い目付きでエルダーとディルを見下ろしている。


 ふらふらしていたアンゼリカの動きが急によくなった。ばっと両手を広げ、その小さな体でディルを隠すように男の前に出ると、威嚇するように睨み上げる。

 エルダーはそんな二人を交互に見ると、体格差がすごくてちょっと面白い、などと考えていた。


「おっ、こりゃすげえ。妖精さんもいるのか」


 男はアンゼリカの刺すような視線などまるで受けていないといった感じで彼女に歩み寄る。少しだけたじろいだアンゼリカを、立ち上がったディルが引っ張って後ろに隠した。まっすぐに立って男を見上げるディルの気概は伝わってきたものの、その足元はふらついている。

 エルダーは拘束されている身なのでどのみち自由に逃げることはできない。やり取りを見守ることにした。


「あ? なんだ、お前……」


 男の声は低く、一言一言に重さを感じる。

 今にも倒れそうなディルにずいっと顔を寄せて睨めるように見澄まし、ぐっと腕を掴まえると。



「その手、血だらけじゃねえか。なんだ、火を起こそうとしてたのか? バカだな、そんなひ弱じゃ着くわけねえだろ。ほら、見せろ。ああ、無茶しやがって……」


 ディルの後ろに転がっていた木の棒や丸太にも目を走らせ、そのいかつい顔をほんの少しだけ歪めて、気遣わしげにそう言った。

 しかし、腕を掴まれた時点でディルは気絶していたらしい。ゆっくりと膝から崩れ落ち、男の方に倒れ込む。


「あ?! おい、ガキ?!」

「ああっ、ディル!? あなた、ディルに何したのよ!」

「はっ? 俺は何もしちゃいねえぞ。おい、ガキ、大丈夫か、おい!」


 アンゼリカが強気な態度で男を責め、男は男でディルを抱えたまま狼狽える。

 そのそばでエルダーはついに目を回してしまったディルを憐れみ、男に事情を説明することにした。

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