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23.霧の世界と少年少女5




 ぱかん、と真っ二つに割れた最後の薪を見て、ディルは額の汗を拭った。かたわらに積み上げてきたたくさんの薪を眺め、あと一踏ん張りとばかりに気合いを入れ直す。

 麻の紐で五本ずつまとめていった。


 あれから二日。エルダーは相変わらず眠ったままだった。

 アンゼリカは天使だからか怪我の治りが早いようで、切り傷や痣などはすでに跡形もなく消えている。オレガノいわく、今日また様子を見て順調だったら頰の布や頭の包帯を取るとのことだ。


 この二日間とも外には濃い霧が掛かっており、状況は何も変わっていなかった。ディルはせめて自分にできることをと、マジョラムに頼み込んで仕事を分けてもらっている。

 ピャーチのときのように、足手まといにはなりたくなかった。


 そんなディルが今いるのは地下室だった。

 マジョラムとオレガノの家は一階建てで、玄関とひと続きになっている大部屋を囲むように多くの部屋が配置されている。左回りにオレガノの部屋、マジョラムの部屋、水場とキッチン、客間が二部屋だ。地下室は大部屋の隅の床、カーペットで隠された小さな扉から降りることができた。

 梯子をくだってきたときはそれこそ肌寒かったものの、今ではそのひんやりとした空気が心地良い。

 小さな明かり一つしかないので、地上に続く扉は開けたままにして、そばにランタンを置いている。それでも薄暗いものの、空間としては広く、掃除でもしているのか埃っぽいということはなかった。

 マジョラムとオレガノはその場所を食料庫として使っているようで、いくつか置いてある木箱には野菜や肉、魚、果物などが入っていた。

 こんなところで薪割りなどするものではないけれど、外は危ないのでやむを得ずだ。


「ディルくん、もうすぐお昼にしようと思うんだけど」

「はい、すぐ行きます!」


 地上から掛けられた声に元気に答える。

 慣れないことをしているせいで手にマメはできるし体中の筋肉も痛いけれど、剣の稽古をしていたときもこうだった。こんなことで音なんか上げていられない。

 すべての薪をまとめてから大部屋に向かうと、テーブルには一人分の昼食が並んでいた。席に着いているのはオレガノだ。

 マジョラムは作っている最中に味見をするのと少食なのとが相まって、食事時はいつもハーブティーだけなのだそうだ。

 アンゼリカとディルの分は盆の上に用意されている。


 昼食をとる前に水場で手を洗っていると、マメのできたところの皮が剥けた。「いでっ」

 思わず涙目になる。


「見せて」

「うわっ!?」


 急に話し掛けられて飛び上がった。振り向くと、いつの間に後ろに立っていたのか、オレガノのむっとした表情にぎょっとする。


「え……え、と、はい、ただの、マメです」


 動揺したまま差し出した手を掴まれて固まった。

 オレガノは、マジョラムと違ってあまり笑うことがなく、ディルからすると仏頂面でいることのほうが多く感じられる相手だ。会話の数も、話し掛けやすい雰囲気のマジョラムに比べたら必要最低限しかしていない気がする。

 命の恩人と言っても過言ではないし、アンゼリカの怪我を手当てしてくれたり、悪い人間でないことはわかっているけれど。仲良くできているわけではないので、どうしても身構えてしまうのだ。

 しばらくマメを観察した後、オレガノはぱっと手を離した。


「ちょっと待ってて」


 言うが早いかその場を立ち去り、ものの十数秒で戻ってくる。その手には薬草と布があった。

 オレガノに言われてもう一度手を洗い、水気をきれいに拭き取ると薬草を塗られた。それから清潔な布を巻かれて、ため息を吐かれる。


「この間は言い過ぎたよ。ごめん。こういうのは潰れる前に処置しないとダメだから。今度から教えて」


 えっと思っている間に言いたいことだけ言ってまた立ち去ってしまった。追い掛けると、テーブルに戻って食事を再開している。


「あの、オレガノさん。ありがとうございます」

「そういうのいいから。早く持っていってあげたら?」


 ぷいとそっぽを向いた先には二人分の昼食が乗った盆が一つ。にこにことハーブティーを飲むマジョラムがうなずいたので、ディルは軽く頭を下げてアンゼリカのいる部屋に盆を運んだ。




 昼食後。オレガノにみてもらって頰の布と頭の包帯を卒業したアンゼリカは、その髪をリボンで結んでやると満足げに笑った。

 肩の傷は深いようで、しばらくは治りそうもないとのことだ。片付けや一通りの世話を焼き、無茶はしないように言い含めると、ディルは貸し与えられた部屋に戻った。

 眠るエルダーのかたわらに、しゃがんだ人影。


「……エルダーはどうですか?」


 立ち上がったオレガノはディルを見ると首を横に振った。


「昨日と同じでぐっすりだよ。原因はわからないけど、本当に眠っているだけみたいだね。顔色も悪くないし」

「そう、ですか……」

「根気よく声でも掛けていればいつか起きるんじゃないの」


 入れ違いのような形で部屋を出ていこうとしたオレガノを、ディルはとっさに呼び止める。「あのっ!」

 怪訝そうな顔が振り返った。


「なに?」

「あの……オレ、実は……」


 エルダーのことを思えば伝えるべき話を、それでもまだ言葉にできずに、ディルは怖くてたまらない心と懸命に戦っていた。もし、それが本当だったら、どうしていいのかわからないから。


 そうしてまごつくディルを、オレガノは黙って待ってくれていた。急かすことも呆れることもなく、ただ、じっと。


 そんなオレガノの態度に、ディルは何とか口を開く。だって、エルダーが昏睡している原因がわかれば、オレガノも対処の仕様があるかもしれないから。そうすれば、エルダーだってすぐに気が付くかもしれない。それなら、それなら言うべきだ。


「オレ、エルダーの首を絞めちゃったんです!」

「……ええ?」


 マフラーを引っ張ったせいで窒息させたかもしれないということを説明すると、オレガノは状況を細かく確認してから「原因はそれじゃないよ。その感じだと、あの子は元々倒れていたみたいだから」と少しだけ笑って去っていった。

 全身から力が抜けた。オレガノがいたベッドの近くに、今度はディルが座り込む。

 違った……。自分のせいでエルダーは眠り続けているのではないかという不安が払拭されたのはよかったけれど、振り出しに戻ってしまったので、複雑な心境である。


 ここにきて五日。アンゼリカの傷は驚異的な早さで治りつつあるのに、エルダーは一向に目を覚まさない。

 しばらくして持ち直したディルは、今日も自分にできることをする。


 オレガノに叱責されてから、ディルは毎日エルダーの様子を見る時間を作っていた。名前を呼んで話し掛けたり、ぺちぺち頰を叩いたり、体を軽く揺すったりと、簡単な安眠妨害を繰り返しているのだ。エルダーの反応が返ってきたことはないけれど、ディルはいつものように半刻ほどそれを続けた。

 早く起きろ、とひたすら念じる。夢の中ってそんなにいいものか?


 グルンまでの道のりを確認する必要があることはわかっていたものの、アンゼリカとエルダーがこんな様子では、そんなことを考えている余裕がないのが現状だ。焦る気持ちが心を窮屈にするたびに、ステビアの言葉と、自分を待っている幼い少女を思い出して、ディルは自らを奮い立たせた。

 帰ると決めたのだ。小さな一歩でもいい、着実に前に。



 *



 疲れて部屋から出ると、大部屋のテーブルで編み物をするマジョラムの姿を見つけた。伏せ目がちな瞳にどきりとして、掛けるべき言葉を取り落とす。

 その理由がわからずに生唾を飲み込むと、かすかに聞こえてきた美しい歌声に思わずぽーっとなった。

 張り詰めていたものがほわりとほどけるような、やわらいだ気持ちになる歌だ。どこか懐かしいその旋律は、マジョラムが口ずさんでいるものだった。


 なんてきれいなんだろう。

 ディルはその光景を、一枚の絵画を鑑賞するように、静かに眺めていた。


「あら、ディルくん。エルダーくんは起きた?」

「えっ!?」


 いつの間にか歌は止まっていたらしく、絵画だと思っていたものに急に話し掛けられてディルは驚いた。


「あ、ええと……まだ、です」

「そう。じゃあ、きっと明日ね」


 聞き惚れていたことを指摘されたような、そんな気恥ずかしさに顔を赤くしながらもごもご答える。マジョラムは今日も穏やかに微笑んでいた。


「あの……と、ところで、それは何を作っているんですか?」


 話を逸らすために自然な動きでテーブルに近付くと、マジョラムの手元を覗き込みながら尋ねてみる。

 そこにあったのは二本の細い棒針と白い毛糸だった。編み始めたばかりなのだろう、曖昧な形のそれが何になるのかディルには想像も付かない。

 マジョラムはうふふと笑って「ケープよ」と答えた。


「このあたりは冷えるから、アンゼリカちゃんにプレゼントしようと思って」

「え! いいんですか?」

「ええ。喜んでもらえるかしら?」

「もちろんです、ありがとうございます! へえ、これがケープに……!」


 感嘆の声を上げると彼女の笑みは一層優しくなった。


「ねえ、ディルくん」


 ふと棒針をテーブルに置いたマジョラムが、それまで毛糸をなでていた手をディルの頬に添えた。突然のことにびっくりして動けずにいると、こちらをまっすぐ見つめる深緑の瞳と目が合い、頭の中が真っ白になる。

 手袋越しとはいえ、自分の体に触れるマジョラムの指先に、わけもわからないまま心臓が早鐘を打った。

 どうかしている。本当にどうかしている。


「きちんと眠れている?」

「え……」


 そう言って離れた手に少しだけ名残惜しさを覚えたりもしたけれど、気遣うような声音のほうが心配で、ディルは自分でもぺたりと頰を触ってみた。


「大丈夫だと思いますけど……」

「そう? それならいいのよ」


 にっこり笑ったマジョラムが立ち上がった。ディルも誤魔化すように微笑む。


 本当は普通に嘘だった。ここのところ眠りが浅くてちょっと寝不足気味だし、気力だけで踏ん張っているようなものだからだ。

 マジョラムとオレガノが親切なのは身に染みて感じているし、それを疑うつもりなんて毛頭ない。しかし、アンゼリカとエルダーが動けない今、頑張ることができるのは自分だけだから。

 見逃してほしかった。ここでマジョラムに甘い言葉の一つでも掛けられようものなら、ディルはきっとそれに寄りかかってしまう。アンゼリカにそうしていたように。

 そんなのは嫌だった。


「……ディルくんは頑張り屋さんね。休むべきときは休むようにも、頑張りましょうね」


 苦笑したマジョラムが不意にディルの前髪をかき上げて、その額に触れるだけのキスをした。


「……!?」

「おまじないよ。ぐっすり眠れるように、これから行く君の旅路が幸せなものであるように」




 その日は普通に眠れなかった。

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