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19.霧の世界と少年少女1




 激しい衝撃の訪れとともに視界に映っていた景色ががらりと変わった。青い空も緑の草原も消え失せて、代わりに広がったのはどこまで続いているかわからないような濃霧である。

 起き上がったディルはあたりを見回してアンゼリカたちの姿を探した。


 真っ黒な光に飲まれたとき、アンゼリカはそもそもどこにいた? エルダーは? 確かにエルダーを掴んだはずなのに、一体どこにいってしまったんだろう。

 濃い霧のせいで近くの様子すらまともに把握できない。


 ふと肌寒さを感じて両手で体をさすると、握っていたものが手元から離れた。

 覚えのないその何かを追ってその場に屈み込む。霧の向こうにうっすらとした赤い色が見えた。


 エルダーの赤いマフラーだ。ひび割れた大地に無造作に落ちている。


「え、エルダー?」


 手を伸ばして拾い上げると、くん、と突っ張った。頼みの綱とばかりにマフラーの伸びる先に向かって歩いていくと、目を閉じて地面に転がるエルダーを見つけた。


「エルダー!」


 驚いて声を上げたものの、エルダーは何の反応も示さない。よく見たらディルの握っているマフラーがエルダーの首を締め付けていた。

 絶句して大慌てでマフラーを解く。肩を掴んで揺すってもまったく動かない魔法使いを前に、ディルはぺたんと座り込んだ。血の気がざあっと引いていく。


 想像しかけた最悪の事態を打ち払うように首を横に振り、


「ディルーッ! どこにいるの、ディルーッ?!」


 遠くから聞こえた声に泣きそうになった。


「アンゼリカ……! アンゼリカーッ!」

「ディル!」


 霧の中からぼんやりとした光がこちらにやってくるのがわかる。ディルは必死に「ここだよ、ここ!」と声を張り上げ、手を振った。

 光はしばらく彷徨うように飛んでいたものの、やがてディルの元に現れてくれた。

 見慣れた小さな影にほっとしたのも束の間、アンゼリカがエルダーのほうをちらと見たのでそのことを思い出しておろおろと助けを求める。


「落ち着いて、ディル。眠っているだけだから」


 エルダーのまわりをぐるりと一周して光の粒を撒き、口元や鼻のあたりに手をかざすなどして彼の様子を調べていたアンゼリカがディルを安心させるように微笑んだ。そういえば胸は規則的に上下しているし、顔色もそこまで悪くないかも。恐る恐る頬に手を当てた。ディルは大きく息を吐いて脱力する。きちんと温かい。

 ……びっくりした。


「あー、もう、なんなんだよ。これからってときに」

 ぼやくディルの肩にそっと触れたアンゼリカが、心配そうに顔を覗き込んできた。

「ディルは平気? あれ、魔法陣だったわよね」

「オレは大丈夫。アンゼリカは?」

「あたしも何ともないわ。この子だけどうして?」


 その答えと、ディルがエルダーの首をうっかり絞めてしまったことは関係があるのだろうか。わからない。


「えっと。そういえば、ここ、どこだろう?」

 その話題を思い切り避けて周囲を気にするようにきょろきょろしてみる。


「どこかまでは……。ただ、ピャーチではないことは確かよ」

「だよな」

「ディルを探していたときにあたりを飛んでみたんだけど、ずっと霧だらけで、地質も全然違うもの」

「それに、ちょっと寒いし」

「そうね……っくしゅ!」


 小さなくしゃみ。ディルはそこでようやく、アンゼリカが薄着だったことに気が付いた。

 こんなところにいたら風邪を引いてしまう。どこでもいいから、寒さをしのげる場所に移動しないと……。


 落ちていたエルダーの杖を拾い上げたディルは、解いた赤いマフラーを腰に巻いて立ち上がった。その隙間に杖を差し込み、ちょっと歩いてみて落ちないことを確認してからその場にしゃがみ込む。

 意識のないエルダーの腕を取り、上半身を起こしてやった。アンゼリカに手伝ってもらって何とか背負うと、少しばかりふらつく。

 重い。想像していたよりはるかに重かった。


「とにかく、進まなくちゃ。きっとまた知らない場所に飛ばされたんだ」

「どうするつもりなの?」

「ひとまず霧がないところを探そうと思って」

「それならあたしが空から見てみるわ」


 言うが早いか、ふわりと飛び上がったアンゼリカの姿が霧の向こうに消えた。

 いくら目をこらしたところで視界は霧に阻まれて、空があるのかどうかすら確信が持てない状態だ。天気も時間も何も情報がない、忍び寄ってくるような不安にかられて、ディルは首を横に振った。


 ピャーチに飛ばされたときのことを思い出す。あのときは闇雲に動いて迷子になって、エルダーのことを信じられずに空回った。純粋に手を貸してくれようとした、彼のことを。

 背中のエルダーにちらりと視線をやったものの、静かに眠り込んでいるばかりで、いつもの笑顔は返ってこない。ピャーチにいたときはあの微笑みに薄ら寒さすら覚えていたというのに、今はこれだ。勝手なものだと、一人でがっかりする。


 それでも。

 ディルはステビアの言葉を支えに、弱気な心がくじけないよう深呼吸をした。


 現状がどうであれ、帰ると決めたから。だから、どれだけ怖くても、踏み出さなければならないのだ。




「アンゼリカ、遅いな」


 待っている時間ほど長く感じるのはなぜだろう。そわそわと落ち着かない気持ちでディルはつぶやいた。

 そういえば、ここにくる直前まで一緒にいたキャラバンの隊員たちは今頃どうしているだろうか。急にいなくなったせいで騒ぎになっているかもしれない……彼らと引き合わせてくれたバジリコなどに迷惑が掛かっていなければいいけれど、もしかして何事もなく出発してしまっただろうか。

 考えても仕方のないことに小さく溜め息を吐き、改めて周囲の様子を確認した。


 どこまでも続いているような霧は薄れる気配がない。霧の出やすい条件といえば、まわりを山に囲まれた土地だと聞いたことがある。それ以外のものなら、何かしらによる魔力が干渉している空間だ。

 ディルにそれを判断することはできないけれど、少なくともここがグルンの近くでないことには確かだった。自分の暮らしている国の知識くらいはあるけれど、こんなふうに霧が出たり、土地が枯れたりしている場所はなかったはずだ。


 心の中にじわじわ広がるものを精一杯押しやっていると、きらきらと光の粒が降ってきた。

 上方から姿を現したアンゼリカは、難しい顔をしていた。


「どうしたんだよ、アンゼリカ?」


 すぐにでも道を示してくれるものと思い込んでいたディルは、それだけで怖気付きそうになる。


「あのね、ディル。この霧は……この場所は、おかしいの」

「え?」

「いくら高く飛んでも、なくならないの。霧が――」


 どことなく強張ったアンゼリカの声が途切れたと思ったら、彼女ははっとしたようにあたりに視線を走らせた。


「ディル! 構えて、何かがこちらに向かってきているわ!」

「えっ!?」


 一拍置いて、ディルの耳に届いたのは――遠くから近付いてくる、複数の足音?

 何も見えないこんな状況でどうすればいいのか、ディルには到底わからない。


「あの紐を用意して! 早く!」


 背負っていたエルダーを地面に下ろすとアンゼリカからもらった紐を取り出した。


 やがて聞こえてきたのは、獣の低い唸り声。

 濃い霧が掛かっていてもわかるほど近くに、何かの影が三つ四つと浮かんでいる。しかも、三人を囲むような形で。

 エルダーを背にしながら周囲を見回すディルの足は竦んでいた。


「な、なに!?」

「避けて!」


 アンゼリカに力強く押されて横に転がる。すると、それまでディルがいたところを灰色っぽい何かが風のように駆け抜けた。


 四つ足の、獣。


 急に降ってきた現実感のある恐怖に、ディルはぞわりと震えた。

 正面からぴりっと嫌な気配を感じて、腰に差していたエルダーの杖をとっさに抜くとがむしゃらに振り下ろした。ごつっと、何かにぶつかる。それからキャウンという弱ったような獣の鳴き声がして、遠ざかった。


 距離でも取られたのか、複数あった獣の息遣いが離れる。


「なんだよ、これ……!」

 手の震えが止まらない。アンゼリカの光に照らされてなんとか気力を保っているものの、ディルは今にも倒れそうだった。浮かんできた涙をアンゼリカに拭われる。

「こいつら、ツノオオカミよ! 貸して!」

 バジリコからもらった金の腕輪を光らせたアンゼリカがなかば強引に杖を奪う。まわりの霧を払うようにぶんと振り回すと、ディルはようやくそれらの姿を目にすることになった。


 眉間のあたりに生えた大きなツノ。背中にはひれのように小さなツノが並んだ、オオカミによく似た獣……。


 次の瞬間、一匹の獣が襲い掛かってきた。――エルダー目がけて。


「やめろっ!!」


 ディルの放った細い紐がツノオオカミの大きな口を戒める。そのまま乱暴に紐を引くと、横向きに倒れた。アンゼリカは依然として他のツノオオカミに応戦していたものの、相手の数が多すぎる。


 視界の端で閃いた牙に、ディルは完全に出遅れた。

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