17.出発と別れと町の向こう
また数日経ち、ピャーチを旅立つ前日の夕方。
セルリーの小屋で、ちょっとした送別会のようなものが開かれた。
エルダー、ディル、アンゼリカはもちろんのこと、バジリコやリコリス、ステビアが集まり、小屋の前にテーブルと椅子を用意して食事会をすることになったのだ。
企画はバジリコ、セッティングはセルリーとステビア、料理はリコリス。サプライズで森に招待された三人は飾り付けられたその場所に驚いた。
テーブルの花瓶にはセルリーがリコリスに贈ったものと同じ白い花が挿してある。
運ばれてくるリコリスの料理を楽しみながら談笑。エルダーはプリヴェートの面々に頼まれるまま簡単な魔法を披露してみせ、場を沸かせた。
バジリコは一人で酒を飲み、いつも以上にからから笑う。
「そういえばリコリス、セルリーからもらった花束、まぁた近所に配り歩いたんだってなぁ」
その言葉にぴくりと反応したのはディルである。リコリスの顔色を素早く窺い、バジリコを睨みそうになったところで。
「そうなの! お母さんまた、お父さんからもらった花を自慢しててね」
ステビアがうれしそうに言うので、拍子抜けしてしまった。
「あら、やっぱりわかっちゃう?」
リコリスも笑顔で料理の乗った皿をテーブルに置いた。「当たり前よ!」とステビア。
「……あれって、自慢だったんですか?」
ディルがぽかんとしながら尋ねると、セルリーが「へへへ」と照れたように頭をかく。
そうしてにぎやかに夜は更けて――。
片付けを手伝うリコリスとステビアはセルリーと一緒に小屋の中で動き回っていた。バジリコも彼らの使いっ走りにされるようにあちこちちょろちょろしている。
ゲスト扱いのエルダー、ディル、アンゼリカの三人は横たわった大木の幹に腰掛けて、細くとも明るい月を眺めていた。
「リコリスさんの料理、美味しかったな!」
「そうね。素敵な奥様で、セルリーが羨ましいわ」
ディルとアンゼリカが話している。
エルダーもにこにことおなかをさすった。リコリスの料理は何度も食べているけれど、今日は格別に美味しく感じられた。
明日から始まる旅にわくわくしているからかもしれない。
セルリーとリコリスには世話になった。もちろん、バジリコやステビアもだ。セージに話したら、いい人に巡り会えてよかったなと笑ってくれるだろうか。
笑ってほしいなあ。エルダーは目を細める。
「明日から、楽しみだね」
自然と口にした言葉に、ディルがすぐさま「うーん」と唸り声を返してきた。
どうしたのだろうとそちらを見る。
「オレは、エルダーみたいになんでもできるわけじゃないから。きっと、そんなふうに笑っていられないと思う」
エルダーは目をしばたいた。「ディル、君――」
「きっとこれから、たくさん迷惑かける。だけど、帰るって決めたんだ。だから」
ディルの青い瞳がエルダーを見つめる。
「エルダーも、絶対、一緒に帰ろう」
翌朝。
空は昨日と同じに高く、空気も澄み渡っていた。
すでに町を出て草原で出発の準備をしているキャラバンのそばに、エルダー、ディル、アンゼリカの三人はいた。
ディルはその背にぱんぱんのバックパックを背負っていた。中身はリコリスが用意してくれたお役立ちセットのようなもので、アンゼリカのものも一緒に詰めてあるらしい。エルダーももちろん受け取り、すぐさま帽子の中に収納した。リコリスもディルも帽子の構造を知りたがっていたものの、エルダーが魔法使いだったことを思い出して追及しなかった。
「今まで本当にお世話になりました。この恩は一生忘れません」
ディルが深々とお辞儀をする。三人の目の前にはバジリコ、リコリス、ステビアが並んで立っていた。
「恩なんていいのよ。それより、あんまり力になれなくてごめんなさいね」
「いえ! リコリスさんたちがいなかったら、オレたちどうなっていたか」
「そんな堅苦しい挨拶止めろよなあ。いってらっしゃい、いってきますでいいじゃねえか」
バジリコがからからと笑う。
エルダーは笑顔を浮かべながら、そのやりとりを眺めていた。
ピャーチに思い残すことはない。青い町並みも、荒れる海も、今日までにすべて見納めた。セージに話せるように、たくさんたくさん。
「そうそう、ステビアがディルに渡したいものがあるんですって」
「ちょっと、お母さん……」
「ほら、ぐずぐずしないの」
「もう……」
リコリスに背中を押されたステビアが、少し鬱陶しそうな顔をしながらディルの前にやってきた。ワンピースのポケットに手を入れると、そこからするする、ペンダントのようなものが出てくる。革紐に通っているのは、丸くて黒い石のトップだ。
そういったものを差し出されたディルはぽかんとして、ペンダントとステビアを交互に見つめた。それから「もらっていいの?」と控えめに尋ねる。ステビアは無言でうなずいた。
ディルがそっと出した両手の平に、ペンダントがぽとっと落ちる。
「それ、魔法石。魔力入れておいたから、付けておけば少しはましになると思う」
「え、なにが?」
「魔力がないせいで体調が悪くなるって聞いたから、それでちょっとは慣れさせられるかもって。お医者さんが言ってたわ」
「……ほんと?」
「だといいなって」
「そうなんだ! すっげーうれしい、ありがとう!」
ここ一番の笑顔を見せたディルに、ステビアがちょっと顔を赤くする。エルダーはよく知らない――というか興味がなくて気が付かなかったのだけれども、ディルとステビアは随分親しくなっていたようだ。アンゼリカだって微笑のまま固まっているし、間違いない。
しかし当のディルは恥ずかしそうにしているステビアのことも、その背からブリザードを起こしかねないアンゼリカのことも特に気にせず、ペンダントを首からぶら下げた。黒い魔法石を摘み上げて顔を輝かせている。
「エルダーと天使のお嬢ちゃんには、俺がいいものをやるからな」
言いながら、バジリコが歩み寄ってくる。どこに隠していたのか、両手に何か持っていた。
右手には小さな指輪らしき金色のリング。左手には古めかしい表紙の、分厚い本。
「エルダーにはこっちの本、天使のお嬢ちゃんにはこっちの指輪だ」
それぞれひょいひょい渡されたものの、エルダーもアンゼリカもそれが何なのかわからず、バジリコを見上げる。
「エルダーにやったのは魔術書だよ。魔法使いってそういうの好きだろ?」
「そうなの?」
「少なくとも俺の知ってる魔法使いはそうだぞ。俺は読んでも意味ないけど、エルダーなら何かに使えるんじゃねえかと思ってな」
「そっか。ありがとう」
笑いながら、エルダーはそれをとんがり帽子の中にしまった。
「天使のお嬢ちゃんにやったのは魔力を込めれば力が増す指輪。つっても、腕輪になっちまうだろうけどな。あったら便利だろ?」
「まあ……そうね。有り難く頂戴するわ」
「よしよし」
指輪を腕に通したアンゼリカを見て、バジリコは満足そうに笑った。
「おーい、三人とも! 挨拶は済んだか? もうすぐ出発するぞー!」
キャラバンの隊長が、列の先頭から声を張り上げる。「はーい!」と答えたのはディルである。
エルダーはちらりとセルリーの囚われた森へ目をやった。
「じゃあ、元気でね。くれぐれも気を付けて」
リコリスが三人に目線を合わせ、みんなまとめて軽く抱きしめると、祈るようにそう言った。
「はい!」
「みんな、絶対に帰れるよ。応援してるから!」
リコリスの抱擁から解かれると、ステビアが胸の前で気合いを入れるように拳を作り、三人を見つめた。
「うん!」
「ちゃんと全員で助け合っていけよ? 一人で抱え込むな、わかったか?」
最後にバジリコが三人の頭をぽんぽん撫でて、笑った。
「わかりました!」
ディルが元気に答えるたびに、エルダーとアンゼリカも静かにうなずいた。
「じゃあ、ええと……いってきます!」
「いってらっしゃい!」
三人分の声が返ってきて、ディルは手を振った。
それから指定されていた幌馬車に乗り込み、ピャーチを出発する――。
*
幌馬車はがたごと言いながら草原を進んでいく。青い町からどんどん離れていく。
幌から顔を出して長いこと三人に手を振っていたディルは、ふと、町の向こうにもわもわ立ち昇る灰色の雲らしきものに気が付いた。晴天に広がる他の雲は白いというのにそこだけくすんでいたので、違和感を覚える。目を凝らした。「なんだ、あれ……?」
「どうしたの?」
となりにやってきたアンゼリカに、奇妙な雲のある方角を指で差して教えてあげた。それがどんどん増えていくのを見て、アンゼリカは幌から飛び出す。
「……どうかしたの?」
それからようやくエルダーが反応し、ディルのそばまでやってくると幌をめくった。遠くの空が灰色に埋め尽くされている。
「ディル! 火事よ、森が燃えてるわ!」
ぴゅんっと戻ってきたアンゼリカが悲痛な声でそう叫んだ。
森。確かにそうだ、あの方角に町はない――森?
クマのような男の顔が、ディルの脳裏をよぎった。
「セルリーさん!!」
それから慌てて幌馬車の前方に駆け込み、取り付けられていた小窓から御者に声を掛ける。森が燃えてるみたいなんです、あそこには恩人が暮らしているんです。止めてください。早く!
幌馬車について警護に当たっていた隊員の一人がディルの喚き声に気付いて御者に話を聞く。御者はもちろんキャラバンの一員であり、勝手な行動を取ることは許されていない。ラバに乗った警備隊員が先頭に向かい、指示を仰ぐことになった。
ディルがそんなふうに必死になっている間、エルダーは空に流れる灰色の煙をぼんやりと眺めながら、その手の中で木の杖をもてあそんでいた。アンゼリカの姿は近くにない。ディルの叫びを聞いてキャラバンの先頭にすっ飛んでいったのだ。
一団はきっと動きを止めることだろう。
エルダーはただ、燃え盛る森を想像して目を閉じた。