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14.ディルとステビアの気持ち




 自分がどこにいるのか、一瞬、わからなかった。低い天井が目に入って、それから、温かな光がふわふわ舞っているのに気が付いた。ぼんやりした意識の中で、今まで見ていた夢のことを思い出す。

 屋敷で……何かから逃げている夢。黒い何か……理由はわからないけれど、それに捕まってはいけないからと、途中で窓をこじ開けて外に飛び出した。落ちていく先にあった大きな魔法陣が真っ黒く輝き、ディルを飲み込んだところで目が覚めたのだ。


「……ディル?」


 不快な夢だった。ただただ、不快な。


「アンゼリカ……」


 傍らに佇む小さな天使に、ディルは手を伸ばす。

 どこに行っていたんだよ、オレを置いてきぼりにして。ひどいじゃないか。

 伸ばした手に、アンゼリカが両手で触れた。しかしディルはそれを無視して、ふわりと揺れたピンク色のリボンを摘む。

 いらないだろ? こんなもの。いらないんだよな。

 金色の髪を一房結っていたピンク色のリボンは、少し引いただけでするりと解けてしまう。そのまま握ってぐしゃぐしゃにしようとしたところで、アンゼリカの浮かべた悲しそうな顔にはっとした。


 ピンク色の細いリボンは、ディルがアンゼリカにあげたものだった。路地裏で彼女を助けて、どうにか笑ってほしいと思ったディルが、選んでプレゼントしたもの。

 慌てて手を離した。


 ひらりと落ちたそのリボンを拾い上げたアンゼリカが、不器用な手付きで髪を結ぼうとする。


「ディル、広場で倒れていたのよ。気分はどう?」

「え……あ、ああ、平気。ここは……リコリスさんの家?」

「そうよ、バジリコが運んでくれたの。何か欲しいものはある? 水でももらってきましょうか」


 よれよれのリボンを頭に付けると、アンゼリカはふわりと浮かび上がった。そのまま部屋を出ていこうとする小さなその背中に、ディルは声を掛ける。「待って!」

 振り返ったアンゼリカはしかし、自らディルに近付こうとはしなかった。


「えっと……リボン。リボン直してやるから。だからこっち来て」


 アンゼリカの空色の瞳がじいっとディルを見つめる。ディルは一生懸命優しそうな笑顔を浮かべて、アンゼリカを手招きした。

 白い翼の光が明滅している。ディルは先ほどの自分の行動を後悔した。気持ちの悪い夢を見てぼんやりしていたとはいえ、アンゼリカに悪いことをしてしまった。どんな存在よりも悪感情に聡い彼女に向かってとんでもない気持ちを向けてしまった――だからごめん、ごめんを言わせて。

 そう願いながらアンゼリカの瞳を見つめ返すと、こわばっていた表情が少しだけ和らいだ。


「……ディルがそう言うなら」


 ほっと息をついた。



 *



 アンゼリカのリボンを丁寧に結び直しているとバジリコがやってきた。気が付いたディルを見てリコリスを呼び、現れたリコリスは大袈裟なくらい深く頭を下げた。ディルはそれに驚き、体調不良はリコリスのせいではないから謝る必要はないのだと何度も首を横に振った。それに、昼過ぎに起きたときは不調の気配などこれっぽっちもなかったのだ。逆にリコリスに悪いくらいだった。

 それから医者が訪れ、簡単な問診と検査をされるとしっかり休養を取るように言われた。元気の出る薬が入っているという注射を一本打たれる。


「君、めずらしいね。少しも魔力を持っていないなんて」

「えっ」


 目を丸くするディルに「それも関係しているかもしれないね」と言い置き、バジリコたちに話をすると部屋から出て行った。

 リコリスはプリヴェートのことがあるので部屋をあとにし、ディル、アンゼリカ、バジリコの三人が残っている状態だ。

 恐る恐るステビアのことを聞くと、セルリーのところにいるという答えをバジリコにもらった。


「一体どうしたんだ? ステビアがお前を放って広場からいなくなったっていうのは」


 そんなことを聞かれても、自分のほうが知りたいくらいだ。

 とにかく何もわからないディルは、出掛ける前から気を失うまでにしたことや話したことなどをかいつまんで説明した。それを聞いていたバジリコは始めのうちこそ適当に思える態度だったものの、終盤に差し掛かるとちょっと顔色を変えた。それに若干不安を覚えつつ、ディルはそのまま話し終える。

 ディルのとなりでぷんぷん怒し出したアンゼリカにはしばらく静かにしているよう頼んだ。アンゼリカは何か言いたげにしていたものの、結び直したばかりのリボンに触れながら引き下がる。


「……なるほどな」


 その間にバジリコは何か得心したらしかった。ディルにはさっぱりわけがわからない。

 勝手に怒って勝手にどこかへ行ってしまったステビアが全面的に悪いではないか。ディルはそういうことに同意をしてほしかったわけだけれども、バジリコは小さく唸るだけで何も言わない。ステビアを批判することもなく、ディルの頭にぽんと手を乗せた。


「難しい話だな」


 ……。それだけ?

 ディルは眉をひそめた。


「そんな顔するなよ。お前の気持ちもわかるけど、俺にはステビアの気持ちもわかるんだからさ」

「……わかるんですか?」


 表情を変えずに尋ねたディルの斜め上で、バジリコはからから笑った。ディルはバジリコのこの笑い声がどうにも好きになれず、むっとする。頭を振って手をどけさせると、バジリコが笑うのを止めた。


「知りたいのか? ステビアの気持ち」

「そりゃそうですよ。最低とか言われたんですよ」

「え! ディルお前、そんなこと言われちまったの?」


 さっき話していなかったことだったと気が付いて、ディルはさらにむくれる。恥ずかしいやら情けないやら腹立たしいやら、複雑な感情を込めて、バジリコのにやにやした顔を睨み付けた。


「……まあ、なんだ。ディルが聞きたいって言うなら教えてやるけど、だからって別に今の気持ちを忘れろとか言ってるわけじゃないからな。そこは覚えとけよ?」


 よくわからないことを言うバジリコに、ディルはそれはもう雑にうなずいた。教えるなら教えるでさっさとしてほしい。

 バジリコはそれを確認してから「わかった」と返す。


「あのな、ディル。教えてほしいんだけどな」

「……はい?」


 教えてほしいことを聞いているのはディルのほうだ。それなのにどうして、バジリコが「教えてほしい」などと言うのだろう。ディルの頭の上に「?」が三つほど浮かぶ。

 バジリコはそんなディルの様子を楽しげに観察しつつ、続けた。


「セルリーの家ってどこにあると思う?」


 ディルは今度は「はあ?」と言ってしまいそうになった。すんでのところで「はあ?」の形に開いていた口を閉じて、その声を飲み込む。

 セルリーの家。セルリーの家と言えば、あの小屋だ。森の中にある、木造の。

 そう答えると、バジリコはにやにや笑いながら「はずれー」と言い、両腕で大きな罰点を作った。それにかちんときたディルは吐き捨てるように言葉を投げ付ける。


「何なんですか? ステビアの話をするんじゃなかったんですか?」

「してるさ。ただちょっと、ディルにも考えてほしいと思っただけだよ」

「何を」


「セルリーの娘であるステビアのことと、ステビアの父親であるセルリーのことをさ」


 木こりのセルリーは「森に囚われた男」だ。

 妻をめとり、娘を授かった彼の帰るべき場所は、あの森の中ではない。

 セルリーからしてみればそれは事故であり、天災であり、不可抗力である。

 目には見えない絶大な力で森に縛られた彼はこれまで、様々な方法で妻子に会いに行こうとしたことだろう。しかし、彼はどうしても森を出ることができなかった。バジリコいわく、その結果として、死の危機にも瀕したことがあるらしい。

 それを知ったリコリスは愛する夫に森での生活を勧めた。自分が娘を連れて森を訪れるからと、セルリーに微笑みかけた。

 あの優しい男にはもはや、為す術がないのである。

 帰るべき場所に、リコリスとステビアがずっと待っている家に、帰ることができない。

 それは仕方がないことかもしれない。セルリーが森を出て彼女たちの元に帰ることを諦めてしまっても、それを責める権利は誰にもないのかもしれない。

 しかし、ステビアにとっては。


 バジリコが話したのはそんなことだった。そこまで聞けば、バジリコが教えようとしている少女の気持ちというものが、ディルにはわかる。

 心に、一筋の冷たい汗が流れた。


 そうだった。ステビアがあまりに強引な性格をしていたから、その態度ばかりが目立ってしまって、失念していたのだ。彼女はセルリーの娘で、リコリスと二人でこの家に住んでいて、そして。セルリーが暮らすはずのこの部屋をきれいに掃除して、彼のことをずっと待っているということを。

 セルリーだって家族のいるこの場所に帰りたいだろうに、森から出ることができなくて、苦しんでいる。リコリスやステビアから会いにきてもらう以外は顔を見る手段もなく、たくさんの花をバジリコに預けて贈ることしかできない――そんな状態だったのに。

 エルダーに嫉妬して、ステビアに正論を突き付けられて息が詰まったディルは、深く考えずに言ってしまったのだ。自分は帰れないし、それは仕方のないことだと。


 何もしていないくせに。

 父親がそばにいないことをきっと不安に思っていた彼女に、そんなことを言ってしまった。


 それは耐え難いことだった。


「どうしよう……オレ、ステビアにひどいこと言った……」


 ぼろりとこぼれた言葉。

 セルリーは優しい男だった。無骨だけれど確かに温かくて、それはあの日ディルが作り出そうとした灯火によく似たものだった。

 会って間もないディルがそう感じたのだ。ステビアにとってはもっと大きくて大切なものだろう。


 ディルはふと、父親というものがああいった人であったならと、思った。

 父親というものがああいった人であったのなら、ステビアにあんなことを言わずに済んだかもしれない――。


「ディルも自分のことで手一杯なんだから、あんまり落ち込むなって」

「そんな! オレがひどいことを言ったんです。謝らなくちゃ……」


 ステビアの見せた険しい表情が脳裏に蘇る。

 アンゼリカに謝ったときとはわけが違う。アンゼリカはディルのことを待っていた。怯えながらではあったけれど、彼女にはディルを受け入れる姿勢があったのだ。


「……ステビア、許してくれるかな」

「さあな。でも、キャラバンは何日かすれば来るだろ。こじれても後腐れないぜ?」

「そういう問題じゃないと思うんですけど……」


 こっちは真剣なのにとむくれそうになるディルの肩を軽く叩き、バジリコは笑った。


「それくらいの気持ちでいかなきゃ、これから先がつらいって。な」

「だけど、オレ、本当に悪いと思ってるんです」

「そんなに後悔してるなら、許しを乞うんじゃなくて、償う気持ちでいったほうがいいんじゃないか。あんまり相手にばかり求めるなよ」


 ディルは首をかしげた。バジリコの言っていることは少し難しい。


「あ、そうだ。ディル、天使のお嬢ちゃんとばかりじゃなくて、エルダーとも仲良くしてやれよ?」

「え?」

 唐突に出てきたのは、最近会ったばかりの、どこか浮世離れした魔法使いの少年のことだった。おとなしくしていたアンゼリカもぽかんとしている。

「エルダーはさ、たぶん、一人でなんでもできると思ってんだよ」

「……?」

「これから先もさ、きっとそう思ってるだろうよ」

「そうじゃないんですか? エルダーは魔法使いですし、なんでもできますよ?」

 ディルのその言葉に、バジリコは軽くため息をついた。ディルは何か間違ったことを言ってしまっただろうかと少々びくつき、しかし何が間違っているのか見当がつかず、黙ったままでいる。


「そうじゃない。一人で生きていけるやつなんて、どこにもいないんだよ」

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