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プロローグ


 エルダーは魔法使いだ。

 それも、すごく優秀な。


 町の外れの森の近くにぽつんと、彼の家は建っている。

 小さな庭付きの一軒家で、彼は今日も慎ましやかに暮らしている。



 *



 その日のエルダーはかなりご機嫌だった。いつもより早く起きてさっさと家事を済ませると、昨晩作って寝かせておいた型抜きクッキーをどんどん焼いていく。一人で食べるにしては、かなり多いくらいの枚数だ。

 それでもエルダーはまだまだ焼く。出来立てのクッキーを皿に並べて、クッキーのたくさん並んだ皿を何枚も机に並べる。机の上には皿の他に一つ、開封済みの生成り色の封筒が置いてあった。


 その手紙が届いたのは三日ほど前のことだった。

 差出人は「セージ」。


 セージは世界中を旅して回っている、エルダーのたった一人の友達だ。手紙の内容は、そんなセージが今日帰ってくるという連絡だった。

 エルダーはセージが帰ってくるたびにお茶会の準備をする。それが暗黙の了解という感じになっているので、手紙を送ったほうのセージも、それを楽しみにしながら手土産を持って帰ってくる。エルダーはセージから聞く旅の話が大好きで、セージはそんなエルダーに旅の話をするために帰ってきているようなものだった。


 エルダーはすごく優秀な魔法使いだ。大抵のことは一人でできる。練習したから、クッキーだって上手に焼ける。

 けれども、誰かと話をすることは、さすがに一人ではできなかった。



 *



「よおし、準備できたぞ」


 お茶会をする予定の部屋の掃除をばっちり済ませて、丸い机に真っ白なテーブルクロスをかけて。机の上にはクッキーを盛り付けた皿を大量に並べて、いつものティーセットも揃えた。セージの寄越した手紙には茶葉を土産にすると書いてあったので、紅茶の用意はしていない。湯は冷めるのであとだ。エルダーは満足そうに二、三回うなずいた。

 もう一度セッティングした部屋を見回して、不備がないか確認する。机の上が少し異様な気がした。もしかして、クッキーを焼き過ぎたのだろうか。机の半分以上がクッキーの乗った皿に占領されているかもしれない。


「まあ、いいか」


 セージはきっとおなかを空かせているだろうし。


 再びうなずくと、エルダーは長い三つ編みを揺らして部屋の中を歩き回った。正午も回ったし、そろそろいい時間だと思うのだけれども。

 と、エルダーが落ち着きなくしていたところに、ノックの音が響いた。


「あ、来た来た」


 いそいそと玄関へ向かう。前にセージに会ったのが半月ほど前のことだから、それほど変わってはいないはずだ。いつかの日には真っ黒に焼けて帰ってきたこともあったけれど、それは太陽の光がすさまじい国に行ってくると言っていたときの話だ。滅多なことではない。

 黒い髪を肩から少し流して、左目にモノクルをかけたセージの姿を想像しながら扉を引いた。


「おかえり、セージ……って、あれ?」


 満面の笑みを浮かべていたエルダーは、しかし、その表情を向けるべき相手をそこに見つけることができなかった。

 そこに広がっていたのは、遠くの町と地続きの草原のみ。いつも一人のエルダーが見ている、代わり映えのしない風景があるだけだった。


「あれ? 誰も、いない?」


 笑顔を引っ込めて確かめるようにつぶやくエルダー。左右を確認してもやっぱり誰もいなくて、あれあれと目をしばたく彼の後ろから。


「おおおおりゃああぁぁあっ!」

 ――突然聞こえてきたのは、そんな蛮声と、ガラスの割れる高い音だった。


「え?」

 エルダーが何事かと振り向いたときにはすでに、その体は細い紐に拘束されてしまっていた。「うわっ、ととっ」

 バランスを崩しかけた体を踏ん張って支える。目を白黒させながら、体に強く巻き付いて緩みそうにないその細い紐を辿っていくと、そこにいた赤い髪の少年と目が合った。


「お前が悪い魔法使いだな!?」


 少年の口が動く。エルダーはとりあえず首を横に振った。

 それを見た少年が驚いたように目を見開く。


「え、お前じゃないの?」

「たぶん……」


 どういった基準で悪を決めているのかはわからなかったけれど、少なくともエルダーは自分のことを悪い魔法使いだと思っていない。ただ、すごく優秀な魔法使いかどうかを聞かれていたのなら、うなずいていたかもしれないけれど。

 そうなの? と、うかがうようにエルダーを見つめる少年に合わせるように、彼の握っていた紐の力が少し緩んだ。


「人違いじゃ、ないのかな……」


 エルダーが弱々しく訴える。痛いのだ、紐が。細い分だけ食い込んで。

 解いてくれないかなあと少年を見つめ返すと、青い瞳は素直に動揺を示していた。


 しかし。


「ディル、だまされないで!」


 どこからか響き渡った透き通るような声が、エルダーの言葉を跳ねのける。赤い髪の少年がびくりと肩を揺らすと、エルダーを縛る紐にもわずかに力が込められた。

 次の瞬間、少年の肩の後ろから、何か小さなものが飛び出してくる。エルダーの耳に微かな風切り音が届いた。


「この家には彼しか住んでいないのよ。間違いないわ!」


 飛び出してきた何かがそのまま少年のまわりをくるっと一周すると、その軌跡を追うように、きらきらした光の粒が宙に弧を描いた。それはしばらくちらちらと輝き、すっと溶ける。

 星空を彷彿とさせるそのきらめきと、一瞬でなくなってしまう儚さに、エルダーは思わず見惚れた。


 ほのかにかがよう小さな何かは少年の顔の横のあたりで動きを止めると、その場で華麗に一回転してまた光の粒をこぼした。エルダーの瞳も興味に輝く。

 風を切って飛んでいたそれは、全体的に作りの小さい、少女のようだった。ひらひらした薄い服をまとい、肩につかないくらいのふわふわの金髪にピンク色の細いリボンを結んでいる。サイズが小さいこともあいまって、実に愛らしい。


 が、エルダーの関心は見目の美醜などには向いていなかった。

 何しろ彼女の背中には、それよりももっと気になるものが生えていたから。


「アンゼリカ、でも」

 少年は何か助けを求めるようにその少女を見ている。


 少女の背中から生えていたのは、ぼんやりとした光を放つ、真っ白な翼だった。

 それに、目を凝らすと、頭の上に光の輪のようなものを浮かばせているのも見える。

 彼女の姿はまさに、セージが話してくれた物語に出てきた天使と同じだった。


 初めて見た。セージに自慢しないと。


 エルダーがそんなことを考えている間に、目の前で話していた二人は結論を出したらしい。

 ぐっ、と、紐の力が強まる。エルダーは少し首をかしげて、少年の青い瞳を再び見つめた。


「そう、それでいいのよ、ディル。さあ、このまま役場に連れていきましょう」

「うん」

「ええっ?」


 素頓狂な声を上げるエルダー。

 赤い髪の少年には戸惑っているような雰囲気があるし、エルダーはもちろん悪い魔法使いではない。役場に用などないのに。


「ど、どうして? 僕、何もしてないよ?」

「何もしていないのなら反抗する必要などないでしょう?」

 焦るエルダーの言葉に答えたのは少年ではなく、ふよふよと浮かんでいる天使の少女の方だった。

「おとなしくしていなさい」

 彼女の視線は冷ややかなものだった。エルダーを捕まえて役場に突き出すことが当然で、言い分を聞くことなど無意味だとでも言うように。

「だ、だけど……」

 エルダーは少年にすがる。しかし、彼はすぐに首を横に振った。

「何もなかったら早めに帰すから」


 そんなことを言われても。

 せっかくセージが帰ってくるというのに、なんと間の悪い。


 エルダーはがっくりしながら、少年と天使の少女のあとについていくしかなかった。



 *



 しかし、誰も予想していなかった出来事なんて、簡単に起こりうるものだ。


 割れた窓ガラスの破片を踏みながら歩く少年の後ろを、捕縛されたエルダーがよたよたと続く。

 飾り付けた部屋を振り返り、置き手紙くらいは残していきたかったなあと悲しそうな顔。


 赤髪の少年が玄関の扉を引き。

 渋々前に向き直ったエルダーが、ぞっとするような魔力を感じ取った瞬間。


「危ないっ!」

「え?」


 少年の足が地面を踏んだのと、エルダーがそんな少年に体当たりをしたのは、同時だった。


「ディル!」


 天使の少女の声。



 彼らの足元に浮かんだ小さな魔法陣が、静かに黒く輝いた。

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