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そのビオラは死んでしまいました

五時の花

作者: 杏藤 輝行

『ゴジアオイ』

 時計の針は五時を示そうとしている。

 私は涙を堪えて走り出していた。


『バラ(薄い黄色のバラ)1』

「お姉さん、これあげる」

 その言葉と共に差し出されたのは、一本の薄い黄色のバラの花。

 会社からの帰り道にある花屋さんの前。花なんて買う機会が無いから寄ったことはなかった。だからその店の子と話すのだって顔を合わせるのだって初めてだったと思う。

「ありがとう……」

 と、少し経ってからお礼の言葉を述べる。初対面でいきなりのことだったから戸惑っていた。でも、彼女はそんなことはお構いなしに「どーいたしまして!」と人懐っこそうに笑う。純粋に素敵な笑顔だと感じて、その時やっと救われるような気がした。当時会社に勤めたばかりで仕事にも人間関係にも馴染めずに悩んでいた私。すっかり荒んでいた心が癒されていく感覚。それからは仕事帰りに彼女の居る花屋に寄るのが日課になった。


『バラ(薄い黄色のバラ)2』

「花は心を癒す力があると思うんです」

 いつだかの彼女はそう述べた。花の力? あの時のバラの花弁だけを押し花にして、フォトフレームに入れて飾ってある。それを見ると元気が出るから。そう、薄い黄色のバラの花言葉は“あなたをかげながら応援しています”で、彼女が応援してくれてると思って今も頑張れている。私にとっては彼女在りきで効果が発揮されてるように思えるけれどね。

「あの時のお姉さん、本当に辛そうだったから少しでも元気になって欲しかった」

 初めて会った時のこと。私にとっては初めてだったけど、いつも店の前を通る私の存在を彼女は知っていたと後に聞いていた。私を助けてくれる人なんて誰も居ない。そう思っていたのに、ずっと見守ってくれていて、助け出してくれた。

「私がここに居るのは葵ちゃんのお陰よ。本当にありがとう」

 あの時は言えなかった心からのありがとうの言葉。彼女、葵ちゃんは眉を下げて、目には涙を溜める。今にも泣き出しそうな感じで、私は戸惑いの表情を浮かべていただろう。だって悲しませてしまったのかと思ったのだから。そんな私の様子に首を横に振って笑顔を浮かべる。

「そんなこと言われたの初めてだから嬉しい!」と言う。

 やっぱり私は自分のことで手一杯だったから、安堵して、嬉しくて、深くなんて考えなかった。私と葵ちゃんの心は通っているようでお互い一方通行だったから。


『ベラドンナ・リリー』

 葵ちゃんは一七歳。高校には行っていない。苛められて不登校になったと言っていた。この花屋さんはお母さんの経営しているお店で、今はここでお手伝いをしているからいつも居る。小さい百合のような花が一つの茎に連なった花を手に取って愛おしそうに見つめる。花が好きだからお手伝いは楽しいけれど、お母さんが何も聞かないで優しいのは少しだけ辛いと、話す。

「こんなこと言うのお姉さんが初めてだよ」

 そう言って笑う葵ちゃん。なんで私に? なんて疑問は無かった。特別な関係なんだって信じていたから。

「ありがとう話してくれて。今まで辛かったわよね?」

 今度は私が葵ちゃんを癒したかった。でも、葵ちゃんは首を横に振る。

「苛めとか、そんなのは本当はどうでも良かったんだ」

 そう言って泣きそうな笑顔。

「どうしようお姉さん。今が一番辛いの」

 葵ちゃんの手に力が込められ、手中の花の茎が折れて地面に落ちていく。私もまた暗い中に突き落とされるような感覚を覚えた。私には葵ちゃんを救えないと感じたから。


『ムスカリ』

 葵ちゃんが私を特別に想っていなくても、私が大切に想うならそれで良かったのに。それだけのことだったのに、裏切られたような気持ちを持ってしまった。

 遠回りをして帰る日々。ふと、道端に咲いている花に目が留まった。ブドウの花と呼んでいたもので、本当の名前は知らない。葵ちゃんに聞いたら分かるかしら? と考えてしまう。その時ハッとした。私はやっぱり葵ちゃんが好きなんだって。恋とかそういうのではないけれど、声が聞きたい。お話がしたい。笑顔が見たい。もっと葵ちゃんのことを知りたい。私を見つけ出してくれたように、今度は私が全部受け止めてあげたい。


『ブローディア』

 フラワーショップブローディアの看板が目に入った。葵ちゃんのお母さんが好きな花の名前で、お店を持ったらこの名前にしようって決めていたという。

 数日来てなかっただけでとても懐かしい気持ちになっていた。

 「いらっしゃい」と、いつもの様に優しく迎えてくれる葵ちゃんのお母さん。それからすぐ出てくる葵ちゃんが今日は居ない。

「ごめんなさいね。葵ったら久々に学校に行くって言って、今日は居ないの」

 葵ちゃんが苛められていたことを知らなかったお母さんはとても嬉しそうに笑っている。お母さんの気持ちと葵ちゃんの気持ちに板挟みになって胸が締め付けられる。でもどうして葵ちゃんは学校に行ったの? 苛めはどうでもよかったとは言っていたけれど、本当は行きたかったというようなことは絶対に無いと思う。


『午時葵』

「そうそう、これ葵がお姉さんにって」

 なんだか釈然としない気持ちを抱えていたところで、縦長のプレゼントの箱が手渡される。箱を開けると、鉢に植えられた萎てる花が入っていた。

「あら? これ、ゴジアオイかしら」

 お母さんが残念そうに微笑む。

「昨日丁度咲いたのね。どおりでお姉さんのこと、やたらと待ってると思ったら……」

 「でも、枯れたのでなくてまた新しいの見せればいいのにねー」と笑うお母さん。

「昨日咲いたのに、もう萎れちゃったんですか?」

「そうよ。一日しか咲かない花なの。それも午後の少しの時間だけね」

 漢字が“午時葵”って書くから、自分の花だって言っていて、花言葉が悲しい花だからあんまり……とお母さんは思ってるけれど、なんだかロマンチック! なんて、喜ぶという。葵ちゃんが一番好きな花だそうだ。ただ見せたかっただけだろうからって言うお母さんだけど、葵ちゃんのプレゼントを受け取りたかった私はそのままその萎れた花を持ち帰る。

 家で箱を開けてもう一度花を見つめる。今度は咲いているところを一緒にみたいなーと思いながら。

「ん?」

 その時、箱の下と鉢の下に手紙が挟まっているのを見つけた。その手紙を一通り読み、私は駆け出す。当てはないけれど、葵ちゃんの行っている学校へ。

 途中で涙が溢れそうになり視界が滲んだけれど、駆ける足は止めない。

 手紙には、私が葵ちゃんの好きな幼馴染の子に似ていたから、辛そうにしているのを放っておけなかったこと。それと同時に、自分から離れていってしまった幼馴染が、不登校を理由にまた戻ってきてくれると思ったけれど、やっぱり心が離れてしまっていたことが辛かったと書かれていた。私からしたら全く知らない幼馴染の子なんてどうでもいいはずだけど、憎い。矛盾した感情。でも一番は自分が憎い。葵ちゃんが私にわざわざ伝えるのは救ってほしいからでしょ? 自分のことばっかりで、助けを求めているのに気が付けなかったんだ。

 私の家からそう遠くはない葵ちゃんが通っている学校。近づく度に救急車やパトカーのサイレンの音が大きく響く。……嗚呼。間に合わなかった。膝から崩れ落ちて、私は泣き叫んだ。


 葵ちゃんは学校の屋上から飛び降りて死んだ。私は彼女を救うことが出来なかった。

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