2.幻影ラビリンス
スピーカーのノイズも消え、教室には沈黙が流れていた。
お互い何から話して良いかもわからない。
『綺麗な夕焼けだね』馬鹿か。そんなこと言ってる場合じゃない。
『お互い頑張ろう』何をだ。
『僕がいるから安心して』どこの少女漫画だ。
「きっと、大丈夫」
「え?」
下らない考えを巡らせていると隣から声が聞こえた。そこには、逆光に佇む旭がいた。
「きっと、大丈夫」
同じ言葉を繰り返す。顔はこちらを向いていない。どうやら自分に言い聞かせているらしい。
「きっと、大丈夫。ね?岬くん」
彼女の顔がこちらに向く。逆光であまり表情は見えない。
「ああ」
僕は反射的にそう答えてしまった。なんの根拠もない肯定。少し後悔した。
何か話を切り出そうとした時、教室のドアが豪快に開いた。
「やあやあ皆の衆楽しんでるかい?」
飄々とした少女が右手をひらひらさせながら入ってきた。その登場は重苦しい空気を若干軽くした。
「私たちの他にまだ参加者がいるなんてねえ。ね、泉」
少女の視線の先には見覚えのある少女が立っていた。たしか、こいつは生徒会長。泉、なんだっけ?
下の名前は思い出せない。
「馬鹿、空気を読まないか」
泉がもう一人の少女の頭を軽く叩く。
「いやあ、だってこんな時は私みたいなのが一人くらい求められるじゃない?」
「馬鹿か」
二人の少女は飄逸な会話を繰り広げる。
「おお? これはこれは、噂の旭凪紗さんじゃない」
少女の言葉に旭が視線を逸らす。噂?
「失礼。私は橘汐里。こっちは知ってるかな。生徒会長の泉伊祈」
泉は軽く頭を下げる。泉は全校朝礼や生徒集会なんかで嫌でも目にする。
「泉だ。もう話を始めてもいいか?」
泉が橘を軽く横に避ける。
「それでだが――、ああ、そういえば君の名前を聞いていなかったな」
泉の目がこちらに向く。旭は既に知られていたが僕は知らなかったらしい。多分二人は同じクラスではない。あまり自信は無いが。
僕が名乗ると泉はあまり興味がなさそうに再び自分の話を始めた。
「まず、単刀直入に言う。君たちはこのゲームに関して何を知っている? 全て答えろ」
泉が凛とした瞳で僕の瞳を覗き込む。全て見透かされているような気がし、僕は口を開く。
「僕が知る情報はさっきの放送にあったとおりだ。他は何も知らない。多分、旭も同じだ」
「ふん、そうか。ではこちらの情報を明かそう」
泉は淡々と言葉を紡ぐ。どうも彼女からは感情というものが見えない。
「君たちは何か妙な感覚を抱いていないか?」
泉の言葉に旭と顔を見合わせ、首を横に振る。
「そう、か。うむ……」
「泉もったいぶんないでよー。もう私が言っちゃうね」
今まで黙っていた橘が唐突に口を開き、軽くステップを踏むように教壇に上がる。
「どうやらこの学校は迷路になっちゃったらしいのだー!」
ポカーンという擬音が本当に聞こえた気がした。
橘は勝ち誇った顔でこちらに人差し指を突き出している。だが、何に勝利したのかわからない。
「汐里、もういい。私が説明する。ちょっとそこで黙ってろ」
泉がやれやれと言わんばかりに再び口を開く。
「口で言うのも難しいんだが、学校の構造が変わっている。それも大幅にな」
「そうなんだよねー! 放送が終わって生徒会室を出たらさ、なんとそこは廊下じゃなくて教室だったの。もうびっくりだよ。それで、もう一回生徒会室に戻ろうと思ってさっき開けたドアを開けたらなんとそこは廊下。もうびっくりもびっくり!」
「それであちこちの教室のドアを開けて偶然たどり着いたのがココってわけだ」
泉がココ、というふうに人差し指で床を指す。
ふむ……なかなか理解しがたい話だ。まるでゲームの世界じゃないか。いや、今の状況はゲームだとついさっき宣告されたのだが。
「そこで提案なんだが、共同戦線を組まないか?」
泉がすっとこちらに手を伸ばす。
「私たちが考えるに、このゲームとやらは脱出ゲームだ。なら、別に競り合わずとも、全員で脱出すればいい。そうだろう?」
泉の冷静な瞳が僕と旭に向く。
脱出ゲーム、ね。本当にそれだけなのだろうか?
『アカネに染める勝者を待っているよ』
たしかにあのメールには“勝者”を望む文があった。それはつまり、敗者が存在するとうこと。だが、全員でクリア可能な脱出ゲームがシュウマツゲームだと言われると、なんだか拍子抜けである。仲間でゲームに勝利という意味で捉えればよかったのだろうか。
『何、楽しんでくれればいいんだよ。シュウマツを、ね』
これはつまり、迷路を楽しめと?
どうもすっきりしない。だが、泉の推測が全くのハズレだとも思えない。自分でもよくわからない。だが、この凝りすぎたゲームがただの迷路とも思えない。
「岬くん?」
自分の世界に浸っていた僕の眼前には心配そうな旭の顔があった。どうやら心配させてしまったらしい。
僕は旭に軽く謝罪の言葉を口にし、泉に肯定の返事をしておいた。共同戦線に不服はない。
「じゃあ決定! 私たちは今から仲間だね」
橘が明るい笑顔をこちらに向ける。同時に尻尾のように結んだ横髪が跳ねた。
「さてさて、そちらにいるのはどなたさんかな?」
そして、そのままその笑顔を彼女は橘や泉が入ってきたのとは反対側のドアに向けた。僕らは一斉にそちらを向く。
するとゆっくりとドアが開き、その奥から人影が現れた。
「なかなか勘のいいお嬢さんだね。驚いたよ」
乾いた拍手が静かな教室に虚しく響いた。
そこには男子生徒が二人いた。拍手をしている一人はたれ目で、不気味に微笑を浮かべた少年。もう一人はどんぐりのようなくりくりとした丸い目で、心ここにあらずといった感じの少年。どんぐり目の方は中学から同じヤツだ。名前は、渡といったかな。下の名前は関わりもなかったためあまり覚えていない。
「あんたたちも参加者なの?」
橘のどこか高圧的な声。それに渡はひるんだ様子だが、もう一人のたれ目は全く動じていない。
「……よりによって彼方がいるなんてね。ほんと、どういう人選なのかしら」
橘が吐き捨てるように言う。
彼女の視線を追うと、そこにはたれ目がいた。“彼方”という名前らしい。
「随分僕は嫌われているようだね」
「別に嫌ってないわ。あまり好きじゃないの」
「それを世間一般では嫌いというんじゃないの?」
「そんなに私に嫌われたいの?」
「まさか」
橘の高圧的な発言をやんわり受け流すたれ目。お面のような微笑が不気味にさえ思えた。
「そもそも――」
「汐里」
何か話始めようとした橘に、唐突に泉が口を開いた。それに橘は一瞬動きを止め「ごめん」と一言言い、彼らから顔をそらした。
「君は汐里と顔見知りのようだが、私はお前らの名前を知らない。よかったら教えてくれないか?」
泉は、たれ目とは対照的にさっきまでと同じ冷ややかな表情で彼らに名前を問う。
「僕は柊彼方」
たれ目が名乗る。
その名前なら聞いたことがある。入学のころからずっと学年一位を取り続け、全国模試でもかなり上の順位を取り続けている、うちの学校の歴史上一番とも言われている天才。他人に興味の無い僕でも耳に入ってくるくらいだから、なかなかの有名人なのだろう。
「俺は……渡功助です」
渡がおどおどしながら名乗る。
僕はいまいちこいつがどんなやつだったかは覚えていないが、こんなヤツだっただろうか。
「渡くんはこの状況に少し困惑しているんだ。あまり責めてはダメだよ」
柊が言う。渡は落ち着かない様子でポケット突っ込んだ手を動かしていた。
「そうか。こちらは旭凪紗さん、その隣が岬拓哉くん。これが橘汐里。そして私は、泉伊祈だ」
「へえ、岬くんか」
四人を紹介したにも関わらず、柊の顔は僕に向き、歩み寄ってきた。
「素敵な目をしているね」
「ど、どうも」
「それにしても可愛いね」
「ああ、えっと……」
柊はどんどん近づいてくる。不意に鼻先がぶつかりそうになる。
「そいつ、ホモだから。気をつけてね、岬くん」
橘がゴミでも見るような目で柊を見ている。……なるほど、これが橘が柊を好ましく思わない理由か。
天才には変な奴が多いとは聞いたことがあるが、まさにこいつはそうなのだろう。
「君たち、少し離れたらどうだ。不愉快だ」
無表情なはずの泉もどこか気持ち悪がっていることがわかった。
「岬くん、そういう人なんだ……」
旭がこちらから目を逸らす。……いや、別にそういう人ではないのだが。
「失礼だね。僕は素直な気持ちを」
柊がまた口説き文句を口にし始めたその時だった。再び放送のスピーカーからピリピリというノイズが漏れ始め、聞きなれた木琴のチャイムが鳴った。
『やあやあ、やっとお揃いだねえ君たち』
あの声だ。さっきと同じ。
『どうやら君たちは鈍いようだからね。こちらから少しチュートリアルをしようかと思って』
スピーカーの向こうの声が笑いを含んだ声で語る。
『“音楽室へたどり着け”。これがチュートリアルさ。まあ、チュートリアルだからね。ゲームオーバーにもならないようにしてある。だから安心して頑張って。ルールのヒントは追って説明しよう』
ペラペラと声は語る。
『さ、ちょっと話が長くなったね。それじゃ、チュートリアル、スタートだ』
そうして放送はプツンと切れた。
こうして僕たちの詳細不明のシュウマツゲームが始まった。