ボス
「ふう…」
ホテルに戻った時、エムカからの電話が入った。
あの人は明日の午後1時に待っていると。
「………」
頭から過去から現実に戻ったとき、今の状況を思い出した。
ベッドの上で天井を見続ける自分と、部屋の角に座り込んだまま。動くこともしゃべることもしないアネシスの存在を。
「アネシス。ボスに怒られたのかい」
「…だってシュクシャ、逃がしちゃったんだもん」
感情というものを持つロボットは、ちゃんと落ち込むらしい。
「バッテレインでさえ、勝ち目があるのに、だよ。
でも、アネシスも最初は勝っていたの。でもね…でも」
「シュクシャがとんでもない武器を使ってきたのかい?」
「武器?…武器だね、あれは。アネシスの動きを簡単に止められるんだから」
「そうか。でもアネシスは、その武器の事もボスに報告したんだろう?それでも怒ったのかい?」
「報告はしたよ…でも、ボス、何も言ってくれなかったの。その無言が恐いの」
… … …
受け答えしない、無視する事。
心に負担を与えるなによりの怒りなのだろうか…。
思っている事を口ださない事は、その人が何を考えているのかわからない。
許してくれているのか、それとも許してくれないのか。許してくれないのならば、どういった罰、処理を考えているのか、相手はわからないのだから。
「………」
俺は明日以降の事を考えた。
あの人は、俺にも怒ったりしてくれるのかと。
俺を一人の後継者として見てくれるのかと。
「……」
沸き上がってきた不安を消してから、返答とともに寄ってきたアネシスの頭をなでた。
「順谷っていい人だね」
撫でることがロボットの心にも安心を与えるらしく、しばらくの時をへてからアネシスはにっこりと笑みを浮かべられるようになった。
でも、俺は苦笑するしかなかった…。
約束の20分前に、エムカがホテルのロビーまで迎えに来てくれた。
シュクシャの存在があるからだと思うが、緊張を和らげるためだと思う。
夏用のパンツスーツ姿のエムカさんは服と同じ日傘をさし、中に入れてくれた。
容赦なく照りつける太陽を妨げてくれる日陰は、噴き出させる汗を押さえてくれた。
とはいえ不安までぬぐいとれないけれど。
「今日は、アネシス忙しいんですか?」
人懐っこい子犬の存在がない事に気づいたものの、エムカは苦笑するだけだった。
ウエストルム・キングダムの本丸にあたる、ビルはホテルから5分ほど歩いた所にあった。
20階ほどの高さしかなく、俺が想像していたより低く、ガラス張りのどこでもあるようなものだった。
「この建物にボスがいるんですね」
その言葉はエムカさんよりも自分に言い聞かせるものだった。
「この建物から上半分はボスとコマンダー・ロボットの居住エリアになっています」
「下は?」
「スィージィのデータ処理施設です」
エムカの説明が終わったところで目の前の自動ドアが開いた。今まで開かなかったという事は、セキュリティシステムが厳重に管理しているらしい。
建物の中に入った俺は、ひんやりと涼しい空間とともにゆったりとしたソファー一式がおかれていた。
その奥に円柱型のエレベーターが、俺の存在を感知するやいなや口を開いた。
「ようこそ、本社ビルへ」
エレベータの前にたつ一人の受付ロボットが開いた扉と同時に一礼し、俺達の邪魔にならないように後退した。
アネシス-002
受付嬢の姿格好をしているものの、ボスの住む建物だけあってセキュリティロボットが管理しているらしい。
エレベーターの中に入り外側にいる受付嬢が一礼するのと同時にドアはゆっくりとしまっていき、微かなモーター音だけの世界に変わった。
短いようで長い時間。
でも時間は正確に時を刻み、あの人との距離を縮めていく…。
背にした扉が閉まり、エムカを乗せてエレベーターは下階へ進んでいった。
「………」
あの人に会う。
その一言だけで、極度の不安と緊張に陥り、頭は、もう何も考えられなくなった。
自分の素になる人。手紙がくるまで養父だった人。
どくんどくんと心臓の音が早くなり、周りに響くのではと思うほど良く聞こえる。
「…お、おじさん」
他に、あの人の呼び名がなかったので、とりあえずその単語を使うしかなかった。
目に入り込んだ空間は上役らしい仕事部屋だった。
天井と壁は白く、床はワインレッドのじゅうたんが敷かれている。
壁側に左右二つづつの棚があり・色の背表紙をした本が隙間を作ることなく並べられている。題名もなくすべて同じ本ということは、ここの施設にかかわりのある資料をまとめたものなのだろうと推測しかつかない。
そして何よりも、目に付くのは前方にある巨大な水槽…を思わせるスクリーンの映像だった。
足もとから天井まであるスクリーンには、澄み切った水と白い砂が敷きしめられていて、こぽこぽと音が聞こえた。空気を送り出す装置があるから、そこからの音らしい。
でも、肝心の魚がいなかった。水草も。
この遊園地のように、ここにも生物が存在していない。
「おじさん、順谷です」
その水槽スクリーンの前に飴色をした木製のデスクがあり、黒く革張りの椅子が背を向けておかれていた。
あの人は、俺の声を耳にしても振り返ることなく、巨大スクリーンに向いていた。
こぽこぽと音が響くだけの空間に、ためらい『出直してきます』と背を向けて逃げ出したかった。
でも、これを逃したら二度とここに来る度胸を失ってしまう事もわかっていた。
「おじさん」
俺は一歩前に進んだ。それから止まることなく前進した。
「…」
違和感を覚えたのは数歩進んでからだった。
足がじゅうたんを踏みしめれば踏みしめるほど、それは確信に変わっていった。
「………」
デスクをまわり、革張りの椅子の前にたどついた時、それは完全に確認することができた。
あの人はいなかった…。
その代わり、一枚の紙が置かれていた。
『前に進め』と、
「…前にって」
言われるままに進んだとき、突然目の前の映像が消えた。
消えて一色の壁になったとき、俺は細く黒い一線が縦にあることを気づいた。
その線が太くなって、その先に空間がある事を知った。
薄闇の空間にぱっと明かりがついて、エレベーターだと認識できた時、その空間から声が聞こえた。
「ボスに入室の許可がおりています。どうぞ、こちらへ」
言われるままに入り、そして時を待った。
一度緊張したせいか、今度は短く感じた。
「ボスがお待ちしています」
扉が開き、そう急かされなければ、俺は一歩踏み出すのに時間がかかったと思う。
現れた空間に明かりがついていなかったのだから。
無情に背の扉が閉まり、俺は闇中に閉じ込められてしまった。
「…おじさん」
情けない声になってしまったが、その声に反応してくれた。
まず、闇が薄れていった。
天井の照明が少しづつ強くなるに連れて、床にしきつめられたじゅうたんの模様、だだっ広い空間が見えてくる。
そして、その中央に“あの人”が立っていた。
「おじさん…」
唇が開くものの、声がかすれて出てこなかった。
その人を見て、自分が100%同じ細胞でできたクローンである事を改めて知らされた。
なんて…なんて俺にそっくりな人なんだろうか…
年は4、50はいっているはずなのに。老いた顔には、俺にはない責任者としての風格を備えているのに…。
それなのに、この人は気味が悪いほど同じなのだ。
闇中から現れたその人は笑っていた。
目の前にいるクローンを迎い入れるための笑みなんだろうけれども、苦笑に近いかもしれない。
「手紙は…読んだか?」
「は、はい」
低いけれども、やはりその声に違和感を感じてしまう。
「………。機械しかいない国の王になりたければ、王冠を見つけなさい。それを手にした者が王になれる」
工場で『王の口と手』が伝言してくれた言葉を同じ事を言った。
「王冠って、おじさん。あの人も狙っています。あの、シュクシャというロボットの主人は一体、誰なんですか?」
俺の問いに、あの人は答えなかった。
あの人は、手を伸ばしてこういった。
「順谷よ。お前は自由なのだ」
「…」
疑問に狩られながらも、俺は前に進み、差し出した手を握った。
伸ばした右手は、空をつかんだ。
「え…」
自分の素を見上げた俺は、その人が薄いことに気づいた。
実体はなく、後ろの壁が透き通ってみえることに…。
「………」
映像であることに気づいた時、俺は映像の後ろに目を向けることが出来た。
部屋奥にある机のようなもの。
いや、違う。腰ぐらいある4本の足は一つのものを持ち上げていた。
「…」
机だと思い込んだのは、目にしたとき、それを拒否したかったからに違いない。
ガラス張りの長方形の箱。
そこにいる映像と同じ物体。
あの人は眠っていた。
「…………………」
体から力が抜けた。
座り込んだとき、背後にある映像が今頃になって口を開いた。
『すまない』と、




