「くだらない日誌を書くな」と追放された僕、実は領地の命運を握る観測士でした――僕を追い出した領主の領地は滅び、僕を拾った大公領は豊作になりました
「おいアルド、荷物をまとめて今すぐ出て行け。帳簿の清書しかできない木偶の坊のせいで、この屋敷の食いぶちが減ってると思うだけで腹が立つ」
領主の嫡男ヴィンセントは、僕の足元に泥だらけの革袋を叩きつけた。横では彼の新しい側近が鼻で笑っている。
「本当ですよ。こいつ、毎日毎日羊皮紙を無駄にして、『今日の風向き』だの『井戸の水位』だの、子供の落書きみたいな日記を書いてたんですから。全部暖炉にくべてやりましたよ」
「ははは、傑作だ! おい雑用係、二度とこの街に顔を出すな」
僕は足元の革袋を静かに拾い上げた。
彼らが燃やしたのは、僕が書いた「写し」に過ぎない。三年間、毎朝欠かさず観察して、自室の地下保管庫に溜め込んできた本物の『領地観察日誌』と、そこから導き出した『循環周期の計算書』は、もう僕の鞄の中にある。
「わかりました。今までお世話になりました」
反論も説教も忠告もせず、僕はただ一礼して領主館を後にした。
◇
二ヶ月後。領主館の執務室で、ヴィンセントは頭を抱えていた。
「どういうことだ! なぜ今年の小麦が全部立ち枯れてる!? 害虫の大量発生だと!?」
側近が青ざめた顔で書類を差し出す。
「は、はい……! 例年ならこの時期に散布する薬の調合とタイミングがあるはずなんですが……誰も知らないんです。記録がどこにもありません」
「バカめ、前任者の帳簿を見ろ」
「見つからないんです! 前にアルドがつけてた日誌を『くだらない落書き』だと言って、全部燃やしてしまいました……」
ヴィンセントの顔が青くなった。
あの無口な雑用係、アルド。彼が毎日書いていたのは、ただの日常記録ではなかった。過去百年の気候変動、風向きによる害虫の飛来時期、井戸の水位から読み取れる干ばつの前兆、それを防ぐための農政計画。
アルドはただ清書していたのではなかった。領地の命運を、たった一人で握っていたのだ。
追い打ちをかけるように、隣領の大公から緊急の召喚状が届いた。破綻寸前の領地を捨て、藁にもすがる思いで大公館へ駆け込んだヴィンセントを待っていたのは、豪華な執務机に座る、かつての雑用係アルドの姿だった。
「な……なぜお前がここに!?」
ヴィンセントが叫ぶ。アルドの隣には大公本人が立っていた。
「ヴィンセント殿」
大公が言う。
「アルド殿は我が領の最重要補佐官だ。彼が持ち込んだ三年分の気候予測データのおかげで、我が領地は今年、過去最大の豊作を迎えた。……一方、貴殿の領地は危機管理を怠って壊滅的な状況だと聞くが」
「ち、違う! こいつが情報を隠して領地を陥れたんだ! おいアルド、今すぐ戻れ! 過去のことは許してやる、お前の記録があれば我が領は助かるんだ!」
ヴィンセントはアルドに飛びつこうとしたが、騎士たちに取り押さえられ、床に組み伏せられた。
泥に顔を押し付けられたヴィンセントを見下ろし、アルドは静かに言った。
「僕が残した日誌の表紙には、こう書いてあります。『この記録は、観測者の継続的な判断があって初めて意味をなす』と。……羊皮紙を燃やした時点で、あなたたちは終わっていたんですよ」
「待て! 頼むアルド! 見捨てないでくれ!」
悲鳴が響く中、アルドは一度も振り返らず、次の領政計画書へとペンを走らせた。
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