透明な食卓
ねぇママ。「いただきます」という言葉には、命を食べる事への感謝を伝えるものだと。昔教えてくれたよね。
ならば、いつもテーブルにある何も無い皿に向けたその言葉には、一体何の命に言っているの?
そう言うと、ママは笑って私を見た。
「私たちは、名前も知らない命を食べているのよ。昨日の晩御飯。誰のお肉だったか知ってる?」
「豚肉?」
「どんな豚さん?」
私は首を横に振る。
「誰の命かは、そこまで重要じゃないの。私たちは、ただ命を食べないと生きていけないから、そうやって謝っているだけなの」
そう、ママは言った。少し悲しそうな顔をして、汚れひとつ無い皿を見た。
「冷めないうちに食べてしまいましょう」
ママが銀器を持ち上げる。私もそれに習う。私の目の前にある豚肉から登る湯気が顔にあたる。
銀器が皿に当たる音がする。ナイフで切り分けた豚肉を口に入れる。歯の間に挟まった筋を、舌で触れて転がした。
私とママの2人だけのテーブルに、3つ目のお皿はいつもある。
食事の度に、ママはそれを並べる。食事が終わると下げてしまう。
当たり前の事だった。それでないのだと、外の世界を知ってしまった。
学校の作文のテーマは、「私の家族」だった。ママの事を書こうとペンを取ると、あの皿が思い浮かんだ。
テーブルの端。そこにもう一人誰かが居るように置かれたその空席。
その席は、誰の命を食べるんだろう。誰が、命を食べるんだろう。
1文字も書けないその紙は、あの皿のように真っ白で。
そこにただ、私の名前だけを書く。
「先生」
「どうしたの?」
「命って、なんで温かいの?」
先生はうーんと唸った。
「誰かのことを想うから、暖かいと感じるのよ」
「なら、どうして冷めたお肉は温かくならないの?」
ねぇママ。私たちは、名前も知らない命を食べるのだと、そう教えてくれたよね。
ならば、その命はどこに行くの?名前は元々あったの?
そう言うと、ママは笑って私を見た。
「私たちだって命よ。あなたにも、名前があるでしょう?」
私は首を縦に振る。
「誰にでも、名前はあるものよ。どこかに行くと、そう思うの?あなたは、食べ物に命を感じたことがあるの?」
私は何も言えなかった。どうして、どこかに行くと思ったのだろう。
「私たちがいただきますと言う時には、そこにはもう命は無いの」
「なら、私は何を食べているの?」
「命を守る器よ」
私は少しだけ、ガッカリした。私は、命を食べていたのでは無かった。
「命は、食べられないの?」
そう言うと、ママは笑って私を見た。
「もう食べたじゃない」




