8.法なら、本の中にある。
西欧(旧世界)の統治モデルが「天から降りてきた絶対的な法(あるいは神の秩序)」を前提とする「垂直の支配」であるのに対し、アメリカは常に「地から湧き上がった実力」が後付けで法を形成していく「水平のフロンティア・モデル」です。
「なぜ破綻しないのか」という点、すなわち「聖書と個人の間にある法の雛形」という視点から、アメリカの特殊性を解剖してみましょう。
1. 「神」との直接契約:個人の内なるOS
西欧では、教皇や王権という「仲介者」が法を管理してきましたが、プロテスタント(特にアメリカに渡った清教徒たち)はそれを否定しました。
セルフ・ガバナンス(自己統治): 聖書を自ら読み、神と直接契約を結ぶ。この「神との一対一の対峙」という経験が、「他人に言われなくても、自分の中に法(倫理)の雛形を持っている」という強烈な自律心を生みました。
「法」以前の「規律」: 保安官がどれほどヤクザの親分のように振る舞っても、彼ら自身が「神の目」を意識している(=自分勝手なリセットは神への反逆である)という内面的な制約があるため、完全な無法地帯にはならなかったのです。
2. 常に「荒野」を求める保安官OS
アメリカにとっての「正義」は、書物の中に閉じこもっているものではなく、常に「フロンティア(未開の地)」との格闘の中に現れます。
法の動的な生成: 西欧にとって法は「守るもの」ですが、アメリカにとって法は「荒野を切り拓くための道具」です。
荒野に町を作る(フロンティア)
トラブルが起きる
保安官(実力者)がその場でルールを決める
それが後に「判例」となり、法として固定される
アメリカの迷走とアレルギーの正体: 1980年代以降、地理的なフロンティアが消滅したことで、アメリカの保安官OSは「敵」を求めて迷走し始めました。それが、先ほど議論した「自己免疫疾患(身内への攻撃)」や、中東への強引なインストール試行へと繋がったのです。
3. 「法の雛形」があるからこその「バイプレーヤー」への回帰
今、アメリカが「世界の警察(絶対的な法の守護者)」を辞めようとしているのは、彼らが本来の「バッジを付けた実力者(保安官)」という身軽な立場に戻ろうとしているからです。
「聖書(雛形)」を持たない者への絶望: アメリカは、自分たちと同じ「内なる法の雛形(自律心)」を持たない人々(ハーンの論理で動く人々)を統治することが、どれほどコストに合わないかを思い知りました。
2026年の新秩序: 「雛形(民主主義的素養)」を共有するEUや日本とは仲良くやり、それ以外の「荒野」に対しては、かつての保安官がならず者を追い出したように、「特定の利権と秩序を守るためのスポット介入」に切り替える。これが「バイプレーヤーとしてのアメリカ」の正体です。
ここで、グリーンランドで西欧と揉めてんじゃん?と思うでしょう。しかし、それはちょっと違います。西欧は、理想を口にしますが、お金がかかることには非常に消極的です。
ベネズエラより前、パナマ運河が中国企業に買収され、世界の物流が中国の意向でコントロールされそうになりました。この時トランプは、パナマを手に入れると脅したことで、中国企業は撤退しました。
実はカナダもかなり中国資本に飲まれているようです。そうなると、北方航路は中国やロシアに握られてしまいます。西欧が金のかかる安全保障に゙消極的なことから、アメリカが保護しない限り、北方航路は問題になります。それで先手を打って口先介入を始めたわけです。パナマの例もありますし、戦わなくて済むなら悪人にされても構わないというのがトランプの行動様式のようです。




