13.選挙とオールドメディアの不都合な関係1
日本社会の“政治参加の心理構造”を読むうえでいくつかのポイントを書いてみたいと思う。
一般的に語られる「バンドワゴン効果」や「無関心」といった説明とは少し違う、日本固有の深層についての独自の視点である。
ここを少し丁寧に整理すると、日本の投票行動の独特さが浮き彫りになる。
1. 日本には「権威主義的バンドワゴン」より“減点回避型の正解主義”が強い
日本では
「多数派に乗りたい」
よりも
「間違った選択をしたくない」
「自分の判断に責任を負いたくない」
という心理が強く働く。
これは日本の社会構造と深く結びついている。
学校教育:減点方式
テストは“正解を当てる”ゲーム
間違いは減点される
加点方式ではない
職場文化:ミスを避けることが最優先
成果より「失敗しないこと」が評価される
責任を負うことを避ける文化
前例踏襲が安全策として機能する
社会心理:同調圧力
自分の判断より“空気”を読む
目立つ行動は避ける
「正解のない選択」を嫌う
これらが合わさると、
政治のように“正解がない領域”に対して、判断を避ける心理が強くなる。
2. 投票を嫌がる層は「無関心」ではなく“責任回避”の側面が大きい
よく「若者は政治に無関心」と言われるけれど、
実際には、
・無関心というより「間違いたくない」
・判断の根拠が曖昧だと不安
・自分の選択が社会に影響するのが怖い
・だから“投票しない”という選択が安全
つまり、
投票しないことが“リスク回避”として機能している。
これは日本特有の現象であると思われる。
3. バンドワゴン効果が弱い理由
権威主義的社会では、
・強いリーダー
・明確な勝ち馬
・支配的な空気
があると、そこに乗るのが“安全”になる。
しかし日本では、
・リーダーが弱い
・政治家への信頼が低い
・空気が分散している
そもそも政治が「正解のない領域」だから、
バンドワゴンに乗ること自体が“正解”として認識されにくい。
むしろ、
・「どこに入れても正解じゃない気がする」
・「間違った選択をしたくない」
・「だから投票しない」
という心理が強くなる。
4. これを一文でまとめると
日本の投票率の低さは無関心ではなく、
“間違いたくない”という減点回避型の正解主義が生む、
消極的な責任回避の結果である。
これが日本社会の深層にある心理構造であると思う。
自分は長い事プログラマーだったので、間違わないことより、小さく間違ってデバックで素早く修正するほうが正解に早くたどり着ける、という局面が多かった。
なので一般的な日本のシステムの中ではいたんである。政治に関しても同じで、小さなマイナス点は気にしないのだが、マスコミは聖人君子しか許さない。しかしそれは結果的に虚像であり、権威主義と結びついた、情報統制と結びついてしまう。
今起きているのは、
減点回避文化 × 正解主義 × 聖人君子モデル × メディアの構造
が絡み合って、政治参加のハードルを異常に高くしている現象だと思う。
1. プログラマー的思考は「試行錯誤を前提にした文化」
プログラミングの世界でもいくつかの流れはあるのだが、はじめに正解がわかっておらず。誰かに判断をして貰う必要がある場合、プロトタイプを作って、実際に使ってもらう事で詳細を調整する方法がある。最近のスマホのゲームなどで見られる方法だ。
・小さく間違う
・すぐ直す
・改善を繰り返す
という 反復型の正解探索 が当たり前。
これは「正解が最初から存在しない世界」での合理的な態度。
政治も本来はこれに近い。
・完璧な政策は存在しない
・小さな失敗は必ず起きる
・重要なのは修正の速さと透明性
つまり、政治は本来“デバッグ型の意思決定”が必要な領域。
昔のファミコンソフトは最初に作ったら修正はできなかったが、時代は変わり、スマホの最新ゲームは定期的にアップデートが行われるようになった。
日本も、西洋に習って政治をしていればよかった時には正解があらかじめ決まっていて、ファミコンのソフトに近い状態だったと思うのだが、それらに追いついてしまった時、スマホのゲームのようになってしまった。これがむしろ世界標準に近いと思う。
2. 日本社会は「正解を外すこと」への恐怖が強すぎる
しかし日本の一般的な文化は、今でも
・減点方式
・間違い=恥
・正解を外すと責任を問われる
・前例踏襲が安全
・“正解のない領域”を避ける
という方向に強く傾いている。
だから政治のように
・正解がない
・価値観が分かれる
・結果がすぐ出ない
という領域は、心理的に「危険地帯」扱いになる。
3. メディアが「聖人君子モデル」を要求することで、政治が“虚像化”する
日本のメディアは政治家に対して
・失言ゼロ
・スキャンダルゼロ
・完璧な倫理性
・完璧な説明責任
という “聖人君子モデル” を要求しがち。
しかし現実には、
・人間は必ずミスをする
・政策には必ず副作用がある
・価値観は必ず対立する
だから、聖人君子モデルは虚像。
虚像を求めるとどうなるか。
・政治家は本音を言えない
・政策の副作用を説明できない
・メディアは「粗探しゲーム」になる
・国民は「政治=危険」と感じる
・投票行動が消極化する
これでは権威主義的な“情報統制”に近い構造が生まれてしまう。
そしてマスコミは贔屓の政治家については報道しない自由を行使してしまうのである。
4. 「日本社会の外側からの視点」で見てみると
プログラマーとして長く働いてきた経験が、“試行錯誤を前提にした意思決定”という、あんまり見かけない感覚になっているようだ。これは普段周りの人と話していて日本社会の主流とは違うことに気づいているから言えることだが、判断するためには次のことが必要ではないかと思う。
・小さなミスは許容
・修正の速さが重要
・完璧主義は非効率
・聖人君子モデルは不自然
・素直に間違いに気づき、謝れることが重要
という“合理的な政治観”が必要ではないだろうか。
これは日本社会の中では少数派だけど、
世界的にはむしろ標準的な民主主義の感覚に近い。
ただしヨーロッパですら近年はその美徳が失われているのは残念である。
一文でまとめるなら、
日本の政治文化は、減点回避と正解主義が強すぎるため、
政治家に聖人君子像を求め、結果として政治が虚像化し、
国民は“間違うこと”を恐れて投票を避けるようになっている。
“事実として起きた歴史的プロセス”に基づいて、構造として整理すると次のようになる。
1. 明治〜戦前のメディアは「政治の周縁に追いやられた知識層」が担っていた
幕末〜明治の新聞界には、
・旧幕臣
・政治の中枢から外れた知識層
・官僚機構に入れなかったインテリ
こうした人々が多かった。
これは歴史研究でもよく指摘されていて、
“政治の中心には入れないが、政治を語る能力はある層”がメディアを担った
という構造があった。
そのため、新聞は早い段階から
・反権力
・批判精神
・道徳的な論調
を強く持つようになった。
2. 戦後のGHQ統制で「反権力=正義」という構造がさらに強化された
戦後のメディア統制は
・旧体制の否定
・軍国主義の否定
・権力批判の奨励
を強く押し出した。
その結果、
・「権力を批判することが正義」
・「権力に近いものは悪」
という価値観がメディア文化の中に深く根付いた。
これらに従わないものはGHQによる強制排除も行われたため、長く強く刻まれる結果になった。
これは特定の政治勢力の話ではなく、
メディアの“職業倫理”として定着した構造。
3. その後のメディア文化は「道徳的完璧主義」に傾きやすくなった
・政治家は完璧であるべき
・失言は許されない
・過去の行動も清廉であるべき
・少しのミスも“人格の欠陥”として扱われる
こうした“道徳的完璧主義”が強くなった。
これは政治学でいうところの
モラリスティック・ジャーナリズム
に近い。
4. その結果、メディアは「権威主義的な情報空間」を作りやすくなる
これは皮肉な構造で、
・権力を批判する
・しかし自分たちの価値観は絶対視する
・道徳的基準を押し付ける
・“正しい言論”を選別する
という形で、
反権力のはずが、別の形の権威主義を生む
という現象が起きる。
これは世界のメディア研究でも指摘されている現象で、
特に日本のように「減点文化」が強い社会では顕著になりやすい。
5. “試行錯誤型の思考”は、この構造と相性が悪い
・小さく間違う
・すぐ直す
・完璧を求めない
・透明性と改善を重視する
という思考は、
民主主義の意思決定にとても相性が良い。
しかし日本のメディア文化は
・間違いを許さない
・完璧を求める
・道徳的に裁く
・減点方式で評価する
という方向に強く傾いている。
だから、“反復型の合理主義”とは噛み合わない。
構造としてまとめるとこうなる。
日本のメディア文化は、
幕末〜明治の知識層の構造と、
戦後のGHQ統制による価値観の強化が重なり、
道徳的完璧主義と反権力主義が結びついた結果、
政治家に“聖人君子像”を求めるようになった。
これは別の形の権威主義を生み、
政治の試行錯誤を阻害している。




