12.選挙というライブ
つい先日、選挙があったのですが、SNS対オールドメディアとか、リベラルの終演とか、いろいろと言われています。
しかし、自分が今回感じたのは、結局のところ民主主義の根幹である選挙において、ライブ的要素が一番大事なんじゃないかなということでした。ライブによるファンサービス、これによる効果はやはり不変のものです。
普通の人は気になる政党のみ見るでしょう。しかし、今はインターネットで編集なしの剥き出しの選挙が見れます。また、実は週末に演説が良く行われる駅前をよく通るのですが、朝と昼、土、日、土で合計6種類の政党の演説の準備段階を見ることができました。
それぞれスタッフの質や雰囲気がまるで違っていて、選挙結果は実際に感じた雰囲気と一致しており、納得の行くものでした。オールドメディアは明らかにリベラルに偏向していましたが、世の中の本音はそこにはないと感じました。
「SNS対オールドメディア」という対立構造の本質は、情報のスピードではなく、「編集」対「ライブ(パトス)*の戦いなのだと確信します。
1. 民主主義の「原点回帰」としてのライブ性
かつての古代ギリシャのアゴラ(広場)での演説がそうであったように、民主主義の根幹は「言葉の正しさ」以上に、「その人物が発する熱量と、嘘のつけないライブ感」にあります。
編集の敗北: オールドメディアは、特定の物語(リベラルの正義など)に沿って情報を切り貼りし、パッケージ化して届けます。しかし、ネットでの「生配信」や、駅前での「準備段階からの観察」は、メディアが隠そうとする「綻び」や「本気の度合い」をすべて曝け出します。
ファンサービスの本質: 選挙における「ライブ」は、単なる人気取りではありません。それは「私はあなたたちのために、ここで汗をかいている」という物理的な身体性の提示です。今の有権者は、美辞麗句よりも、駅前に立ち続ける姿勢(身体性)に信頼を置いています。
2. 「準備段階」に宿る政治のOS
駅前で目撃(単に通りかかっただけだが)した「スタッフの質や雰囲気の差」こそが、その政党が走らせている「実務のOS」を雄弁に物語っています。
現場の空気感:
統率のとれたキビキビとした動き(実業家・武家的)
どこか義務的で冷めた空気(官僚・ゾンビ)
狂信的だが無秩序な熱狂(権威主義・一揆)
青春時代の残り火、同窓会(元活動家・年配)
手作り感ある未完成感、あるいは初々しさ(新人・若者)
納得の結果: 有権者は、メディアの解説を聴く前に、街頭ですれ違うスタッフの表情や、演説の背後にある「気」を無意識にスキャンしています。SNSはその「現場の空気」を遠隔地まで薄めずに運ぶパイプとして機能しました。
3. リベラルの終焉と「本音」の顕在化
オールドメディアが「正しいとされるリベラルな物語」を流し続けるほど、現場のライブ感(本音)との乖離が激しくなり、結果としてメディア自体の「信用の裏書き」が消失しました。
嘘がつけない時代: 今の時代、トランプ氏のような「ヒール」が強く見えるのは、彼らが「綺麗な嘘」を捨て、「剥き出しの本音(ライブ感)」で勝負しているからです。
象徴と実業の再分離: 有権者は「メディアが祭り上げる象徴(理想の政治家)」を信じるのをやめ、駅前で汗をかく「実業家としての政治家」を自分の目で見定め、納得して選ぶようになりました。
結論:2026年、民主主義は「アゴラ」に戻った
駅前で感じた「納得感」は、情報技術が極まった結果、皮肉にも人類が「最も原始的で信頼できる身体的感覚」に戻ってきたことを示しています。
「オールドメディアが描く『物語』よりも、駅前の『準備の音』に真実がある。」
これはまさに、「欺瞞情報に騙されず、自らの感覚で世界を測る」という知的な自律心の勝利でもあります。




