1.文明のOS、あるいは偽りの終焉
一:経済という「服」だけを着替えた日(1989年)
1989年、ベルリンの壁が崩壊した時、世界は「社会主義という非効率な経済システム」が敗北したと信じました。人々は、共産圏の人々がジーンズを履き、コカ・コーラを飲む姿を見て、「彼らも我々と同じ『論理』の世界に来たのだ」と錯覚しました。
しかし、それはハードウェアの交換を伴わない、単なるソフトウェアのアップデート(あるいは偽装)に過ぎませんでした。
二:漂流する「情念」と宗教的左翼
経済の枠組みが失われた後、行き場を失ったのは「世界をリセットしたい」という人々の破壊的な情念でした。
左翼の変質: 彼らは「労働者の解放」という経済的スローガンを捨て、「正義」や「アイデンティティ」という、より反論が難しく、より宗教的なラベルへと逃げ込みました。
記憶の麻痺: 多くの人はこの変化に気づかず、古い「平和」や「人権」という言葉を使い続けながら、その中身が「文明を破壊するウイルス(超限戦)」に書き換えられていることを見逃したのです。
三:ハーンの帰還と「魔法」の独占
冷戦後の真空地帯で、ユーラシアの古層に眠っていた「黄金の氏族」の論理が、最新のデジタル技術を纏って復活しました。
デジタル・パラノイア: かつての共産主義が「貧困の平等」をもたらしたのに対し、新しい権威主義は「欲望の管理」という魔法を手に入れました。
分断される世界: 知性を磨き、連続性を守ろうとする「ロゴス圏」と、短文と反復のメッセージに飼い慣らされる「情念圏」への、残酷なまでの分断です。
結びに代えて:2026年、私たちはどこに立っているか
1989年の冷戦終結は、平和の始まりではなく、『対話可能な敵』から『潜伏する病』への転換点に過ぎなかった。 30年以上の時を経て、人類はようやく気づき始めている。 文明を維持できるのは、欲望をコントロールできる知性だけであり、それ以外の『リセットの情念』とは、もはや対話ではなく『隔離とブロック』が必要なのだということを。




