雨宿り
ラバーソールを引きずりながら軽やかに鳴る下駄の後を追う。
白い浴衣が揺れている。
その浴衣の青い模様に木陰が落ちて別の模様を作り出していた。
白く光る部分から微かに白檀の匂いがこぼれている。
山と言うには緩やかで、神社と言うには傾斜の強い土の上を、前を歩く下駄は転がる様に登っていく。
からん、と乾いた音が響く。
その音について行く。
からん、と響く下駄は山肌の土を優しく撫でる。
幾つもの鳥居が立ち並ぶ参道を細い木々が取り囲むように立ち並び、その先の高い枝たちが風に揺られると、ひとつ、またひとつ、いくつもの葉が擦れ合い、まるで波の様な音を立てる。
ざざん、と頭上の潮騒は柔らかく耳朶をくすぐる。
それに合わせて白い浴衣の模様も静かに揺れ動く。
からん、と水底を転がる下駄の音が響く。
後を追う。
からん。乾いた音。潮騒が聞こえる。
ざざん。
いくつもの鳥居を潜っていく。
からん。
やわらかい潮騒が聞こえる。
ざざん。
山を登る。
からん。からん。
からん。ざざん。
「暑いね」
「そうだね」
「ラバーソール、大変じゃない?」
「下駄よりは楽だよ」
「お端折りしていい?」
「構わないよ」
「ごめんね」
「構わないさ」
「うそ、本当はちゃんとして欲しいでしょ」
「そんな事はないよ」
ざざん、とやわらかい波の音が響く。
下駄の上に剥きだされた踝はやはり白く、そして木陰の隙間から射す陽の光にあたって金色に光る。
ざざん、と波音が響く。
砕けることのない潮騒はどこまでも柔らかく、優しい。
水底の二人はさらにいくつかの鳥居を潜った。
木陰はさらに細かな模様を描く。僕は目をこらす。波音が輪郭を曖昧に溶かしていく。
またいくつかの鳥居を潜る。
波の音。下駄の音。光。
からん。
影。
ざざん。
土と葉の匂いがゆっくりと空気の密度を上げる。岩の上を水滴が走る。
苔が伸びる音すら聞こえそうだ。
「まだ着かないのかな」
「あとどれくらいだろうね」
「ずいぶんと歩いたのにね」
「もう帰るか?」
「うんん、わたしは戻れないから」
「そうか」
「もう、決まっているから」
下駄は休むことなく土の上を転がり続ける。
あとどれくらいだろう?
まだ水底で息もできずにいる。
目前に広がる鳥居たちは遠くまで立ち並ぶ。
緑色の水面は頭上はるか高く続いている。
乾いた下駄の音はどこまでも響き続ける。
落ちた光も影も形を定めることなく揺れ続ける。
白檀の香り。波の音。
下駄が土を撫でる。
もしも手を伸ばして止めることが出来たら戻れるだろうか。
その手を引いて帰ることができるだろか。
振り返るその顔を見ることができるだろうか。
ひときわ大きな波の音が響く。
水面が剥がれて舞い落ちる。緑たちが水底に落ちる。影が濃くなり光が強くなる。
下駄は水面だった緑を踏む。
乾いた音が消える。
潮騒が止まる。浴衣が静止する。
白檀の香りが濃く漂う。
陽が眩しい。
前にいた下駄を追い越した。
「待って」
浴衣から伸びたであろう手がシャツの袖を掴む。
その手を見る事ができない。
潮騒は聞こえない。
影も動かない。
指で探り出した手を掴む。
だが手は払われた。
「違うの、そうじゃない」
ざざん、と大きな波音がひとつした後に、乾いた下駄の音が、からん、と響いた。
水底でひとりうずくまり、やはりもう帰れないのだと思った。




