どうやら思い違いがあるようですね
宜しくお願いします。
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神メドウォが創った愛の国、ヴィクストリア。
神メドウォは試練を与えるが、耐えられない困難に民を彷徨わせることはしない
愛し子である民たちは神の恩恵のもとに番い、産み、育て、繁栄を築く。
「シンシア様、嫉妬に狂って私を排除しようだなんて、横暴です!私たちは真実の愛で結ばれているんです!」
卒業パーティーのホール。場にふさわしくない大声が響いて会場は一挙に静まり返った。
声の主、マリアはまるで自らが物語の主人公であるかのように尊大な態度で一点の曇りもない瞳を王太子に向けた。
「そうですよね、ハレード様!」
ハレード・ブルノワ王太子は何かに耐えるように眉をひそめ、口を引き結ぶ。
学園中の子息令嬢が集まるこの場で、シンシアは名指しで悪役扱いされることとなった。この試練を、果たして神が定めたのか。
扇を握りしめたシンシアの拳に、自然と力がこもる。
「どうやら思い違いがあるようですね」
いつぞや彼女に伝えた言葉を繰り返すこととなった。
最初にこの言葉をマリアに伝えたのはいつだっただろう。あれは確か―――。
+++++++
「マリア様、婚約者ではない異性に、そのように近しい距離で寄り添うのははしたないですよ。高貴な方がお相手ともなれば尚更です。」
学園の中庭に響く凛とした声に、周囲の者達は自然と目をそちらに向けた。
「そんな‥‥これくらいの距離感は平民では普通です。それにここは学園でしょう?身分を問わず交流するべきじゃないですか?」
「マリアの言う通りだシンシア嬢。神経質なことを言ってマリアを悪く言うのはよしてもらおう」
短く切りそろえられた栗色の髪はふんわりと甘く、黒い瞳はうるうると濡れている。マリアは身体を震わせて隣へと身を寄せた。ただでさえ近かった二人の距離がさらに縮まり、シンシアは眉をひそめた。シンシアの後ろに侍る令嬢たちも「まぁ」「はしたない」と聞こえよがしにささやく。寄り添う二人は非難めいた視線を意に介さない。平民のマリアはともかくとして、隣のハレード王太子は王族としての己の立場を理解しているのだろうか。
「恐れながら王太子殿下に申し上げます。私はデグラーク公爵家の一員として、マリア様のためを思って‥‥」
「まぁ怖い‥‥!」
「控えろシンシア嬢。そんな風に身分を振りかざしてマリアを威圧するな」
中庭にはすでに相当数の生徒が集まりこの事態を見守っている。扇の中で溜息を押し殺したシンシアは、一呼吸置くとハレードに向き直る。扇で口元を隠し一歩王太子に近寄ると他には聞こえぬほどの囁きで尋ねた。
「‥‥マリア様を愛妾にでもされるおつもりですの?」
「!!何を言う!」
「‥‥そう疑われてもおかしくない状況でしてよ」
「マリアを愛妾になどしない。愛妾など遠い異国の制度であろう。私は伴侶以外の者を傍に置くことはない。いつから君は私に指図するようになった!」
「そのお言葉は行動で示されませんと。殿下の真意は周囲の者に伝わらないかと。」
「嫉妬してるんですね、シンシア様」
ハレードがギリギリと奥歯を噛みしめているとき、マリアが呟いた。場に不釣り合いな言葉は思いのほか大きく響いた。
「私がハレード様と仲良しだから、シンシア様は嫉妬してそんなことを言うんですね」
「‥‥思い違いがあるようですが。私がお二人の仲に嫉妬する理由はありませんよ。殿下と私は婚約者ではありませんから。」
「でもシンシア様はハレード様のお仕事を助けてお世話を焼いていらっしゃるのでしょう?いくら公爵令嬢としてお仕事を頑張ってもハレード様に振り向いてもらえず婚約すら結べないのだから、ハレード様の真実の番である私に嫉妬してしまうのも仕方ないですね。」
「でも安心してくださいね、私がハレード様と結婚しても、ちゃぁんとお仕事させてあげますからね、お仕事だけは」 と、最後の方はわざわざ私の耳元まで来て吐き捨てた。
「シンシア嬢、」
固く、鋭い口調でハレードが呼びかける。
「君がマリアを怖がらせるからマリアは追い詰められている。マリアは神の花嫁になるかもしれない特別な女性だ。マリアが何を言っても敬意を払い尊重するように。」
「‥‥かしこまりました、仰せのままに」
シンシアは深く礼をとると、それ以上二人と言葉を交わすことは無く場を辞した。
+++++++
私ことシンシア・デグラークが前世を思い出したのは入学を間近に控えた冬。
高熱に浮かされた夜、長い長い夢の間に流れてきたのは、電車に乗って会社に行き、仕事をする自分の見た映像だった。
平日の事務仕事の合間にスマホで読む恋愛小説が好きだった私は、大きな持病もなく事件に巻き込まれた覚えもないけれど‥‥突然死か不慮の事故か何かで命が尽きたのだろう。
『真実の番~メリアの花に誓う愛~』は大人向けの恋愛小説だ。王がいて身分制度があって、『番』がある世界。
番は運命の相手同士を本能的に結びつける絆で、出会えば一目で惹かれ合う強烈な縁。
しかしこの世界では番を見つけるのに命がけの放浪の旅に出る必要もなければ、終生番が見つからない悲劇もない。
創造神メドウォは運命の番を引き裂くようなことはしない。大勢の中のたった一人の番を見つけるのは容易ではないけれど、探し続ければ大半が成人まで‥‥遅くとも、番うことの適う歳回りのうちに見つかるのが常だ。
けれども神とて万能ではない。稀に病や事故で番う前に番を失ってしまう人もいる。『真実の番~メリアの花に誓う愛~』は番と死に別れた悲劇の貴公子達と、平民マリアが愛を育むストーリーだ。番の本能を越え自ら選んだ真実の愛。『真実の番』とともに幸せを掴む物語である。
「そして私は悪役令嬢、シンシア‥‥。」
熱から覚め、すっきりとした頭で鏡を見る私。まっすぐに伸びた癖のない銀髪に陶器のような滑らかな肌。小作りな顔立ちに並ぶ宝石のような瞳は意思の強さを表しているようにも見える。
鏡の中には公爵令嬢シンシア・デグラークがきょとんとした顔でこちらを見ていた。
悪役令嬢シンシアはヒロインのマリアを虐め、マリアと王子を引き裂こうとする当て馬キャラ。王子の亡くなった番がシンシアの友人で、番でもないのに結ばれようとするマリアと王子が気に入らず、身分を笠にさまざまな妨害を試みる。
そんな妨害にも屈しず二人は最終的に認められ、マリアと王子は結婚し、二人の傍にはこれまたマリアを慕う眉目秀麗な攻略キャラが侍り‥‥。と、逆ハー要素も兼ね揃えRシーンも盛り込まれ。
「たしか悪役令嬢シンシアの結末は平民堕ちだった‥‥。」
生まれながらにして高位貴族であるシンシア・デグラークにとっては、平民落ち=バッドエンドだったかもしれないけど。前世を思い出した今改めて考えると、そう悪いことにはならない気がする。
「まぁ、そんな結末にはしないけど」
鏡の中の自分に微笑みかけた。まだ入学前のシンシア。学園に入りマリアと出会う時期は間もなくだ。けれど今前世を思い出したのだから結末はどうとでも変えられる。それにしても、美人の高位貴族に転生させてくれるだなんて神もずいぶん太っ腹だ。
+++++++
ハレード王太子は本日も公務から逃げ回っている。
学園内の執務室のデスクには手を付けたものの放置された書類の束。学園にいる時間だけでは間に合わず持ち出しても構わない物は持ち帰ってきた。シンシアに押し付けられる絶妙な量を見定めて放り出してくる、この才能を別のことに発揮しようとは思わないのか。
「殿下は今日もお出かけですか」
するりとシンシアの私室に入り込んだアイザックが書類を手に取った。
「困ったものだわ、マリア嬢と市街地を視察されると」
「視察、ね。流行のカフェでケーキを食べるそれは優雅な視察だね」
「あら不敬よ」
「いいじゃないか、今は二人きりだ」
ふと目を合わせたアイザックの視線は重い。
「‥‥ふふ、貴方がこの家に来てくれて良かったわ。お父様の執務の補佐は問題ないかしら?」
「あぁ、恙なく」
「それは良かったわ。あぁ卒業が待ち遠しいわ。殿下のお世話は私には荷が重いもの」
「シンシアに荷が重いとなると、この国にあの方をお支えできる人材は一人もいないことになるね。側近候補の三方も頼りにならないし」
攻略キャラでもある殿下のお友達はこのところ慌ただしく、いずれも学業にすら身が入っていない。全てシンシアの想定内ではあるが時代の王を支える立場としては頼りない。
「あの方々には一度、ご自分たちの置かれた立場を分かっていただかなければなりませんね」
シンシアはソファに深く座り込むと、今後のことを考え巡らせた。やるべきことは山積みだ。本来、王子の業務の肩代わりなどしている暇はないのだ。
一人掛けのソファにしどけなく身を投げ出したシンシアを見て、アイザックは喉を鳴らした。
じっとりと熱を発するかのような視線をシンシアは受け取る。
この男にマリアが私に言ったことを包み隠さず伝えたとしたら、いったい彼女をどうするだろうか。マリアを憎み、忌み嫌い、それから―――?
+++++++
あれはいつだったか、学園で常に男性を脇に侍らせているマリアが珍しく一人でいた。
シンシアを見つけるとスッと近寄ってきた。
「ねぇ、シンシア様も転生者なんでしょ?」
驚きシンシアの目が開かれる
「図星?ねぇディアロとレヴィンの番、生きてるよね?アンタが助けたの?シナリオ改編して楽しい?」
「ごきげんようマリア様。何を仰っているか分かりかねますわ。ディアロ・マルノワ侯爵令息、それからレヴィン・ラシェルド伯爵令息はいずれも婚約者様と円満に仲を深めておいでと伺っています。高位貴族の婚約者様に対して不躾な物言いはお控えください」
頭のおかしな女性と思われたくはございませんでしょう?
ニッコリ微笑んでやるとマリアは顔を歪めた。
「余裕ぶって何?こっちは王子と上手くやってるの。攻略イベ落としたのほんとダルいけど、まぁ逆ハー狙って失敗するリスク侵したくないし、王子に絞るから。アンタこれ以上前世チートでシナリオ改編するなら平民堕ちなんて生ぬるいことせず潰すよ?」
「大人しくしてたらお飾りの妻にしてあげても良いよ。王子に頼んであげる。貧しい平民になるよりずっとマシでしょ?」
そう言い残してマリアは去っていった。礼もとらずに退去したマリアの姿を遠目からみていた令嬢たちがありえないものを見る目でその姿を追っていた。
「ふふ、面白い方」
シンシアは扇の中でそっと微笑む。マリアに情をかけないと決めた瞬間だった。
あの娘は前世の記憶を持ち、この世界が物語のシナリオ通りに動いていると知りながら、人の不慮の死を防ごうとしないばかりかそれを望んだ。見た目の雰囲気に似合わずなんとも面白い頭の造りをしている。
「思い込みが激しいのね。悪いことにならなければいいけど」
誰ともなしに呟くのだった。
+++++++
学園では平民のマリアが数多の令息をたぶらかし、とりわけ王太子の傍によく侍っていたことから荒れに荒れた。ただ単に風紀が乱れただけでない。ある者はマリアを崇める一方で、別の者はマリアを忌避すべき存在であると言い募ったから彼女をめぐって学園が二分される様相だった。
それをマリアは「ヒロイン側と悪役令嬢側それぞれ盛り上がってるみたいだけど、どちらが優勢かなんて決まってるでしょ?」と意にも介さず、どれだけ咎められようとも令息たちとの距離感を改めることは無かった。
マリアはシンシアとすれ違うたびに呼んでもないのに近寄ってきては
「昨日、王子とカフェに行きました」
「この髪留めを買っていただきました。こっちのブローチは別の方に」
「卒業パーティーのドレスは王子がくださるって」
「お気を悪くされたら申し訳ないと思って‥‥」、と目を伏せ、人前ではか弱く装う演技を忘れない。
その振る舞いの全てをシンシアは淡々と受け流した。
令嬢たちはマリアの奔放な振る舞いを腹に据えかねていた。こちらも淡々と宥める。
「まぁ、王太子殿下がドレスを贈るだなんて」
「存じ上げていますわ。どのみち平民のマリア様にドレスの手配は難しいでしょうし」
「そうであったとしても、一人を特別扱いするだなんて。他にも奨学生はおりますのに」
「あらそうですわね。良いことを伺いましたわ。他の奨学生の方もドレスの手配に不自由していないか確認しておきましょう。卒業パーティーは一度きりですもの」
「~~もう、シンシア様ったら!今はあの娘の話をしておりましたのに!」
「ふふ、だってあの方お一人のことなんて、些末なことでしょう?」
「そうですけれど‥‥。あの娘が一体何を考えているか、私、気味が悪いわ」「ねぇ」
あの娘の考えていること。
本気で王太子と結ばれると考えているのだとしたら、頭がおかしいとしか思えない。
王太子ハレードの番は今も生きているのに。
+++++++
卒業パーティーのその日、ハレードから贈られた純白のドレスを身に纏いながらもハレードのエスコートを得られなかったマリアは、一人で会場に入った。身支度を手伝う者はシンシアが見繕って傍につけたがエスコート役までは手配していない。そもそも純白の装いの彼女をエスコートしたがる者を見つけるのは至難の業であるが。
入口にマリアの姿を認めた者達は、ひそひそと囁き合いその姿を見ていた。
「まぁずいぶんと豪華なドレスですこと。白のドレスとは‥‥」
「ハレード王太子も何を考えていらっしゃることやら。あんな物を贈ってこの場に来させて」
「またシンシア様にご迷惑をかけるおつもりかもしれませんわ。私たち、あの者を見張っていた方がいいかしら」
マリアを気にかけ「失礼なことを言うな」と止めた者もいたが、聞こえるように囀った言葉は本人の耳にもしっかり届いていた
誰にも伴われず、一人で大勢の侮蔑の目を浴びることとなったマリアはわなわなと震えた。その苛立ちは、少し遅れて会場入りしたハレードと寄り添う令嬢の姿を認めたとき、頂点に達した。
「ハレード様!一体どういうことですか!」
「それはこちらの台詞だ。マリア嬢、そうも大声で一体なにごとだ」
「なんで私ではない人をエスコートしてるんですか?」
「は、婚約者をエスコートして何が悪い?」
「‥‥婚約者?」
マリアは目を瞬き息を飲む。ハレードの傍らには彼の色を纏ったカティナ。ハレードと揃いの衣装だ。その背後には攻略キャラであった令息たちが、いずれもマリアに異質なものを見るような目を向けている。
「うそ、王子に婚約者なんて‥‥。おかしいわ。ねぇ、シンシア様が何かしたんでしょう?」
「何かしたかどうかと問われるなら、しましたわね。」
「はぁ?酷い‥‥。シンシア様、嫉妬に狂って私を排除しようだなんて、横暴です!私たちは真実の愛で結ばれているんです!」
「そうですよね、ハレード様!」
マリアの一方的かつ侮辱的な物言いに、ハレードは青筋を立て、シンシアの扇をへし折りそうになった。
この場は自分に託された。そう判断したシンシアは背を伸ばし一歩進み出た。
「どうやら思い違いがあるようですね」
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前世の記憶を取り戻したシンシアがしたことといえば、物語の中で不慮の死を遂げた人物を救うことだった。
シンシアは博愛主義者ではない。しかし知っていてみすみす死なせるのは後味が悪いし、高位貴族の番を救えば恩も売れる。物語の強制力があればスッパリ諦めるとしてシンシアは地道に行動を開始した。
後妻とその連れ子に虐められ自ら命を絶つところであった伯爵令嬢は、親切を装って邸に入り込んだシンシアがその虐待を暴いた
流行病で病死するはずだった商家の娘は、公爵家が有事に備えて買い積んだ薬を融通し領ごと救った
そして馬の暴走で起こるはずであった事故は、区画整備と馬車どまりの設備改善を実行し回避した
いずれも公爵家に大小さまざまな恩恵を産んだ。無事に番との出会いを果たした令息たちが番に構うあまり学園を休みがちになったのには辟易したが。その間に肩代わりした雑事は逐一記録してある。
しかし王太子の番、カティナ嬢を救うのは最も骨が折れた。
物語の中で、辺境伯が四女カティナ嬢は国境を越えて紛れ込んだ隣国の罪人に刺殺される筋書きだった。
かねてより辺境を悩ませていた治安の悪化。略奪等の罪で追われた荒れくれ者の中の、逃げ損ねた一人がカティナ嬢を人質にとろうとし、逃げられないと見ると勢いのまま刺したのだ。
四女とあって最低限の侍女のみをつけ、日ごろ自由に行動していたことが災いしたようだ。
シンシアは父に辺境への私兵派遣を提案した。広大な公爵領と辺境は端と端が触れ合う程度だが地続きだ。シンシアの”勘”の恩恵を受けてきた公爵に否やはなかった。学園入学と共に王太子補佐に召されたシンシア自身の身分も低い物ではない。
隣国にも働きかけ国境付近の治安の改善に奔走し
蛮人に襲われた悲劇の令嬢の逸話を詩人に語らせ危機感をあおり、
アイザックが商人見習いとして辺境に紛れ込み、監視を担ってもらうまでした。
国境付近でいくつかの小競り合いが起きたとき、まだ番のない令嬢を公爵家の王都のタウンハウスで保護してはどうかと辺境伯に提案した
番がいればあらゆる危険から身を挺して互いを守る。しかし番に出会う前の令嬢はその術を持たない。本能的な危機回避能力が働かないのだ。治安が安定するまで辺境から逃れるべきだ。
公爵家嫡女と親交の厚い令嬢に何かあってはいけないと、やや強引に打診した。
とはいえ、嫁入り前の令嬢が辺境から王都への長距離移動をこなすことに、辺境伯家がもろ手を挙げて賛成したわけではない。
番に出会う前の女性は基本的に家にとどまり生活する。みだりに移動しては番が探しに来ても出会えないと古くから言い伝えられる。
そんな『淑女はひとところで待つ』教えに反すると、辺境伯ははじめ難色を示したが「何かあってからでは遅い」と押し切った。
強引な働きかけに気を逆撫でられた辺境伯であったが、見送った先で四女と王太子の出会いが果たされたのだから一転して自らの英断を称える変わり身の早さであった。
「やっと見つけた!俺の、俺だけの番‥‥!」
「殿下、」
「名を呼んでほしい、ハレードと。」
「ハレード様。私のことも、カティナと呼んでくださいますか?」
「あぁ、カティナ、カティナ、カティナ‥‥!」
公爵邸で密やかに開かれた茶会が二人の初めての邂逅となった。当然シンシアの差配である。
これで公爵家は王家と辺境伯家の双方に莫大な恩を売り、その地位を盤石なものとした。
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「私は殿下の婚約者ではありません。私には別に婚約者がいますから、マリア嬢に嫉妬する理由はひとかけらもありませんわ」
隣に寄り添うアイザックと視線をかわす。二歳年上ともあって正装に身を包んだ姿はひときわ凛々しく見える。
「殿下は先日そちらのカティナ辺境伯令嬢と出会われ、婚約を結ばれました。お二人こそ運命の番でありますれば婚約を結ぶのも当然のことかと」
「そんな‥‥!王子の番が‥‥生きてたの?」
ざわり、と周囲がさざめいた。
「でもこんなのおかしいわ、番だとか婚約者だとか決められた物にすがるだなんて。私なら肩書でもなんでもない、ありのままのハレード様を愛せます!」
「!」
ぶわりと身の毛がよだつような怒気がハレード王太子から発せられた。
「お前は、このカティナを害するか」
ハレードの脳内ではマリアが番に及ぼす危険が高速で計算されている。そしてマリアの口ぶりから、まさか既に害をなそうとしていたのではないかという疑惑までもが産まれた。それこそ物理的にあり得ぬことであるのに。
今にも掴みかかってきそうなほどの敵意をあらわにしたハレードに、マリアは青ざめ後ずさった。
「王太子殿下に申し上げます、マリア様は不慣れな場で心にもないことを語ってしまったご様子。これも番を失った悲しみの為したことですわ。どうぞご寛大な対処を」
「君がそう言うならば」
「ありがとう存じます。ときに殿下、この場でマリア様に関するお知らせがおありでは?」
「そうであった。皆、聞いてくれ」
「このマリアは誠に異例ながら、卒業をもって王宮付きの”神の花嫁”となる。その学才を活かし外交官としての任務も一部担ってもらう予定だ。皆マリアの今後の活躍を祈念して欲しい」
住居は白の離宮である、と述べることも忘れなかった。王家の住居区間から最も遠く、偶然にすら会うことの無いと王宮に出仕予定の者は皆理解する。
”神の花嫁”―――。
それは番のない者にのみ許された特別な職種である。何らかの事情で番を失った者は生涯誰とも婚姻を結ぶことができない。番なき独り寝の狂おしいほどの寂しさを思い、同じ悲しみをもつ者を慰めるのが”神の花嫁、あるいは花婿だ。
神の花嫁は王都の市街地にいる。前世の言葉でいうところの娼婦、あるいは男娼として。番を亡くした者だけでなく番とまだ出会えぬ者を慰めることもあり、市井ではむしろ後者の需要の方がある。
ヴィクストリアの民は神が定めし相手と番う前に他と深い関係になることはない。しかしその手前の慰める行為ならばさまざまに求められている。神の花嫁は人を慰め、励ます存在としてこの国では捨て置かれることがない。
やっていることは娼婦のそれではあるが。番を失った者は自死すらあり得る。多くの者を支え慰める特別な身分は一つの幸福な身の立て方とされてきた。
番う前に番を失った者の悲しみなど、当事者にしか分からないのだからこそ。その立場は尊重されている。
学園で評判の悪いマリアの卒業後の処遇は決まらなかった。
入学当初は将来文官として勤め仕事に身を捧げるのではと両親も期待していたようだが。それ以外では、番を亡くした高齢の貴族の後添いか。しかし手を変え品を変え大勢の子息達にすり寄っていたマリアを受け容れたいという手ごろな貴族はいなかった。
ハレードが傍に置いていたことも一因であったからと、王宮付きの神の花嫁を創設することとなった。王族や高位貴族を慰め、外交の場での活躍も期待される。働きぶりによって丁重に扱われるだろう。そうそう代わりの効かない存在だ。
打診に対し、マリアの両親は即座に了承した。どこに嫁いでも問題を起こしそうなマリアの処遇としては破格である。
朗々たる宣言が一区切りすると、どこからともなくまばらな拍手が起こり、それは会場全体に伝わった。
「そして―――皆には私と辺境伯四女、カティナとの婚約も祝ってもらいたい。このカティナと力を合わせ、神の御許に安定した治世を約束する。また婚約に先立ち公爵家及び次期公爵たるシンシア嬢に助力を貰ったことにこの場を借りて感謝を述べたい。」
その言葉が終わるとドッと歓声が沸き起こり拍手が巻き起こった。次々に降り注ぐ祝福の声。マリアの姿は、もはや誰の目にも映っていなかった。
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「あの娘は、私が王太子補佐として置かれたことも分かってなかったみたい」
学び舎を離れ久しいある昼下がり、公爵邸の庭園にシンシアとアイザックの姿があった。王宮への出仕と領地経営を交互にこなし、結婚式の準備も並行する忙しさにあって、ゆったりと並び立つ時間は貴重なものだ。
「うん、まるでシンシアが殿下の婚約者の座を欲しているかのように言われて、物凄く不快だった。‥‥ん?婚約者の座を欲するってなんだろうな?」
「ふふ、理解に苦しむ思考ね」
腑に落ちない様子のアイザックが可愛らしく感じられて、シンシアは目を細める。
この国にはそもそも、王族の‥‥誰かの婚約者という地位を求める発想が存在しない。
番以外との営みは番う行為ではない。結ばれることがない相手を求めることは、小さな子どもが鳥になって空を飛んでみたいと言うようなものだ。
前世で言う所の『政略結婚』という文化は現世では無駄でしかなく生まれなかった。番に出会う前の繋ぎの婚約者など。平民はもとより貴族であれば尚更争いを産む関係を嫌う。
あの娘は人の意思で結ばれる相手を決められるものだと思っていたようだけど。
その「真実の愛」こそ一体どれほど人の意思といえるだろうか。神の与えたものではなく自ら作り出したものだと言い切れるだろうか。
‥‥と、前世でそこそこに長く生きたシンシアは思う。
番を探し、見つけ、婚姻を結び、番う。
それが自然の摂理であってこの国の王家も民もその摂理を受け容れて暮らしている。
「それから”神の花嫁”を聖女か何かだと思っていたみたいね」
「聖女‥‥?」
「えぇ、前世では特別な力を持つ神聖な女性につけられる称号よ」
もっとも前世の、少なくとも私が暮らしていた国に聖女は実在しなかったけど。
「へぇ、そんなものがいるんだ。シンシアの前世の世界は本当におもしろいね」
「‥‥前世を語る番なんて、気持ち悪いと思わない?」
「まさか!君のことは何でも知りたいし、俺だけが知ってるっていうのは嬉しい。分かってるくせに」
「まぁ、ふふふ」
愛しい番が拗ねたように笑う。
彼がいるだけでそこが眩く光るかのように―――。番とは幸福の源なのだ。
己が番を見つけたハレード王太子はシンシアに平身低頭でひれ伏すかのうようだった。放っておけば謝罪の言葉と感謝の言葉を交互にまるで壊れた機械のように延々と垂れ流しそうなほどであった。
彼は番を見つけるまでに時間がかかった。辺境の四女ともなれば偶然の出会いはない。王族は番探しを兼ねた視察巡業を定期的に行うが、その終盤に組み込まれていたのが辺境の地であった。周囲の者達が番を見つけ幸福になるなか、焦れた気持ちが彼をマリアに向かわせた。それとて番を裏切るほどの触れ合いではなかったが、褒められたものではない。
カティナはハレードに他の女性の影があることを噂と本能から察し、傷ついた。
マリア自身を希っていたわけではないこと、番をなくし心をおかしくした様子のマリアに同情していたことを、シンシアが手を変え品を変え説明し取りなした。
後はハレードが誠実に振る舞うことで距離を縮めるしかないだろう。元より番とて、心がすれ違うことはある。さまざまなすれ違いを乗り越えて人が絆を深めるのは、前世も今世も変わらない。
ハレードはこれまでの振る舞いを反省しいっそう執務に打ち込むことを誓った。そしてシンシアに、王都に不慣れなカティナを支えるよう下げた頭をさらに深くして頼むのであった。元よりそのための王太子補佐だ。いつ、どんな身分の番が現れるか出会うまで分からないからこそ、さまざまな面で助力できる者が置かれる。王太子妃となる番のサポート役が高位の女性から選定されるのは道理だ。
この国はそうして、番ありきで動いている。
そんな番を、マリアは失った。もう何年も前の話であるが。
番の青年はマリアが15歳のころに湖に転落して亡くなった。
領地での散策中、前日の雨のぬかるみに足を取られてのことだった。周囲に居合わせた者達が即座に引き上げたものの、にわかに間に合わず息を吹き返さぬまま故人となった。
なぜ唯一の番をみすみす死なせてしまったのか、とシンシアは思う。
番であれば、溺れるのも顧みずに自ら飛び込んで助けようとしても不思議ではない。
それなのにあの娘は、側にいながら己が番が死ぬところを、ただ震えて見ていただけだというから呆れてしまう
おそらくその時点で前世の記憶があったのだろう。平民の番の命など惜しくもなかったのか。
現世の記憶をもとに危険を回避するか‥‥せめて応急処置の一つでもすれば助かったかもしれぬのに、だ。
思えばそのときから、娘に違和感を持った、とはマリアの母が後に語った言葉だ。
神メドウォは越えられない試練を民に与えない
そしてそれは神が与えし試練を超えられないほどの者には、生涯誰とも番うことを許さぬ冷酷さの表面だ。
番を見捨てたマリア。神の花嫁となったマリアは、果たして神に選ばれたのか―――。
シンシアとアイザックの間を、一筋の爽やかな風が吹き抜けて木々を揺らす。
「もう見習いの商人には見えないわね、次期公爵さま」
新緑に映える飴色のジャケットを着こなすアイザックはまた一段と凛々しくなった。公爵家の後継者教育もそろそろ終盤だ。
「やめてくれよ、次の公爵は君だろう?僕は婿にすぎないよ」
「ふふ、どちらでも同じよ。ずうっと一緒にいるのだから」
手を触れ、目を見つめるたびにどろりとした何かが身体の奥底から流れてくる
自分と相手の境目が日に日に曖昧だ
このどこか焦燥感にも似た感覚が番うその日まで刻一刻と募ってゆく。ともすれば、その後も。深く。
END
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マリアSIDE:
「明日、湖に行こうよ。メリアの花が見ごろだって姉さんが言ってた」
その言葉を聞いたとき、私の脳裏には前世での記憶が一挙に押し寄せた。学校、スマホ、ネット、日本、小説―――。覚えがないのに覚えている感覚の波に気圧された。
次の日、約束通り湖の畔で落ちあって歩いていると、とつぜんディアロが足を踏み外し、湖に落ちて亡くなった。
ディアロの家族も、私の家族も、友達や近所の人もみんな泣き暮れて、そして幼くして番を失った私に心底同情してくれた。
目の前で人が、それも大切な人が亡くなる出来事に動揺しながら、私は確信した。これは物語の世界。私は転生者だ。
そのショッキングな出来事から私は――マリアは変わった。
寝る間を惜しんで勉強に勤しみ、小さな街ではありえないほどの学力を身につけて
王都の学校で入学試験を受けた私に奨学生としての入学が認められた。
ディアロが亡くなってから私に腫れ物に接するようにしていた両親は、娘が新たな目標を見つけたことに喜んだ。時折り娘を案じるような視線をよこしていたけれど、基本的には私の好きなようにさせてくれた。
それから学園に通い、ハレード王太子と男の子たちが優しくしてくれた。
優しい人たちはまるで女神のように私を慈しみ敬ってくれるのに、そうでない人達は見たくないものを見てしまったような目を向けた。
たくさん寄り添って話を聞いて褒めて良い気持ちにさせてあげたのに、誰一人私を唯一として選ばなかった。
ヒロインなのに、どうして、って思った。
卒業後、”神の花嫁”になると伝えられた。神の花嫁なんて知らない。常識?授業でも習った?そんなの知らない。ぜんぶ知らない間にそう決まっていて、両親も手紙に散々書いたって。読んでないから知るはずもないのに。
ここでは平民ではとても買えないような美しい物に囲まれて、一点の染みもない真っ白なドレスを着て、いつだって綺麗にしてもらえる。
それから時折訪ねてくれる男の人たちに優しくしてもらって、私も優しくする。
離宮の庭に何を植えたいか聞かれた。花の種類なんか知らない私はただ「どれでも」と答えた。
庭師が手によりをかけて育てた花々の中に、メリアの花はない。
私はヒロインなのでみんなに愛されるし、私も愛する。
でもその誰一人として、私を選ばない。
番の物語で、番が見つかったり見つからなかったりするのってすごい格差だなと思うことがあり
探しても見つからない番って、いないも同じじゃないかな…というところからこの物語を書きました。
結果、番と出会う前に死に別れてしまう人にとっては、無慈悲な世界となりました。
番を死から救うチャンスが与えられるかは、神の采配次第。
残された者にとっては無慈悲な世界です。
神は生命力が高い者のみを合理的に番わせてるんじゃないかと思います。それこそ格差なのですが。
この国はその後、番と出会っても即座に感知できない人が現れだす→番を感知しない人が現れる→番を感知する人が少数派となる→恋愛結婚が完全常態化する
…という変遷を遂げて、最終的に番の概念は消失します。
読んでくださりありがとうございました。




