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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
98/105

九十七話・昔噺


 この和の国にはたくさんの神様がおられます。風の神、海の神、山の神、それから火の神。その他にも八百万の神様がさまざまな地のさまざまな人々をお護りになっておられます。

 そしてもちろんこの地にも、神様がおられました。水を求める人々の元に生まれ落ちたその神様は、水神であられると人々に信仰され、雨をお恵みになられました。生まれたばかりの神様はたいそう気まぐれで、不器用で、たまに神様が見える子どもが山にやってきても何も話すことはなくすぐに帰してしまうようなお方でした。


 あるとき、一人の少年が神様の住む山にやってきます。家の手伝いで山仕事をしにやってきた少年は神様に出逢いますが、お若い姿をなさっているそれが神様だとは気がつかず、友のように接してしまいます。少年の家はあまり裕福ではないようで冷えて硬くなった古い米の貧相な握り飯を、良かれと思い神様へと分け与え、神様であることを悟ることなく話し続け、最後にはあっけらとした笑顔を残し、下山して行ったのでした。神様は人間の友のように話しかけられたことがなかったためか、どうにもいつものようには帰す気にならず、気がつくと最後まで少年の話を聞いてしまっておりました。握り飯はおいしくはありませんでしたが、それも最後までお食べになられたのでした。

 次の日も少年は神様のところへとやってきました。その次の日も、更にその次の日も少年は神様のところへやってきては好きなだけ話し、飯を分け、帰って行きます。ある日は中身の飛び出した不恰好な饅頭をくれました。ある日は少年の木こりの手伝いをしました。そのうち少年の名前を知り、たくさんお呼びになりました。そして神様もたくさん名を呼ばれました。神様も少年のことが気に入り、毎日のようにやってきて神様の世話を焼く彼のことを楽しみにお待ちになっていました。しかし当然ながらそれがいつまでも続くわけではありませんでした。


 神様がお生まれになって数年。少年と出会ってから人に興味をお持ちになられた神様は、この地の人々のことを少しずつ好まれるようになりました。特にあの一番大きな屋敷に住まう若い娘のことをたいそう気に入っておりました。春にこの山を埋め尽くす薄桃色のあの花のような髪を編んで垂らし、同じ色をした長いまつ毛が縁取る黄金色の瞳はこの地に住まうどの人間よりも美しく、その声は澄んだ川のせせらぎのようで、一度話すと誰もを魅了してしまうような美しい娘でした。そして娘も、神様のことを気に入っておりました。もちろんこの地に住まう以上はそれは信仰でもあったのでしょうが、それ以上に彼女は神様のことを好いておりました。それは神様も同じだったのですが、どうにも人の色恋とやらに疎い神様はその感情をうまく娘に伝えることはできず、輪郭のない恋心をお抱えになったまま、刻々と時が経っていくのでした。


 娘にはいとこの兄と妹がいたのですが、優秀な妹と違って兄の方は落ちこぼれでした。容姿だけは娘や妹に似て美しかったのですが頭が悪く非力で、異能の才もなく、更に兄妹の家は代々女が当主となる家でしたので家は当然妹が継ぐことになっておりました。ですから、妹が十八を迎える日に行われる当主交代の儀の支度で、娘はあまり神様の元へと出向かなくなっていくのでした。

 娘が会いに来ない日が二日、三日と長くなっていき、いよいよ寂しく思われた神様がある晩、人里へお出向きになろうとしたそのときでした。ゆらゆらと、前方から提灯のあかりがいくつも神様の方へと向かってきたのです。なんだか悪い予感がなさった神様は身を潜め、その集団を眺めておられました。すると彼等が話している声が聞こえてきました。

「あの水神はどこだ」「この辺りにいるはずなんですが」「よく探せ」

 皆その手には棒やら鎌やら鍬やらを携えており、神様はそれを見て彼等がなぜ自分を探しているのかを理解なさります。神様は当然ひどくお怒りになられました。武器を持った人間の首を切り、腹を裂き、頭蓋を砕き、舌を抜いて、そんなふうにして全員が見る間に、元が何人いたかもわからなくなるほどばらばらになり、誰も立ち上がることはなくなりました。初めて人を殺めた神様はぼうとその場を眺めておられたのですが、ふと集団の中に、時が経ち随分変わってはいるもののどうにも見覚えのある顔があったことに気がつかれました。それは、握り飯をくれたあの少年でした。よく見ると少年の懐には、昔に神様と一緒に木の端切れを使って作った不恰好なお守りが今も入っておりました。


 一方で、里で一番大きな家は大騒ぎになっておりました。あと数日で家を継ぐはずだった妹が、亡くなったのです。それも彼女の恋人の手で。その報せを受けた兄は怒り狂いました。妹のことが何よりも大好きで大切だった兄ですから、妹を亡き者にした恋人の息の根を止めてやろうと刀を手に家を飛び出しました。しかし兄は落ちこぼれで非力だったため、妹の恋人に返り討ちにされてしまいます。

 しかし兄の怒りがおさまることはありませんでした。自分が死んだことも忘れる強烈な怒りは里を包み込んで行きます。それはまず初めに妹の恋人を殺しました。それから恋人の家族を殺しました。それでも兄の怒りはおさまりません。不器用がゆえに使いこなせなかっただけで、むしろ一族の誰よりも強い力を秘めていたものですから、その怒りは勢いが増していくばかりでした。このままにしておけば外へも災いが及んでしまうと恐れた里の人々は、怒り続ける兄を水神へと祀りあげ、鎮めることにしたのです。幸運にもちょうどこの里の水神の祠は、あの神様が邪神となったために空となっていたのです。そうして兄は、神様と交代するかのような形で水神となりました。妹を亡くした悲しみからか、この地はしばらく雨が降り止みませんでした。


 里の一番大きな家では、娘が代わりに当主の座につくことが決まりました。娘は勤めを果たそうと努力しました。そうしたのちに、里の長にまでのぼりつめたのでした。

 長となった娘はあるとき、あの神様に会いたくなって監視の目を盗んで山へと入りました。しかし人を殺め邪神となった神様は二度と娘の前に現れることはありませんでしたので、このときも影から娘を眺めることしかなさらなかったのです。

 娘の黄金の瞳には、いつかに神様に名を聞かれた桜の花弁がひらひらと舞い散るのが映るばかりでした。




 ***




 珍しく父から借りて本を読んだ奈茅。彼女は目当てのその章を読み終わると、静かに本を閉じて机に置いた。

 おつかいで訪れた白獏屋でいつものように店主と話している際に、甲伊が舞台じゃないかと言い伝えられている神話があると聞いて興味が沸いた。きっかけはそれだけのことだったのだが。


「びっくりするくらい誰も幸せにならなかった……っ」


 ううむ……むむ……と呻きながら身体を前後左右に揺らし、奈茅はそのなんとも言えない後味を噛み締める。

 救いはないのかと期待して父の部屋へと赴いたが、樫は更に「少年も神様のことを特別好きだった説がある」と奈茅が期待した方向性とは逆の情報を渡してきた。奈茅がより一層渋い顔をするのを見て、樫はこうも言った。


「これはあくまで本の中の話。実際は違うかもしれない」

「実際は……ってやっぱりこれって甲伊で実際にあった話なの!?」


 樫は口を滑らせたとばかりに目を瞑り、唇を一文字に結ぶ。しかし少し考えたあと、また口を開いた。


「娘、と思われる長の記録がこの里に残っている」

「そうなの!?」

「名は不明……でも特徴は一致する……」


 はえ~と声をあげる奈茅に、更に樫は語る。どうやら普段本にあまり興味がなさそうな娘が自分に本を借りに来て読んで更に話まで聞きにきたことを、余程嬉しく思ってしまったらしい。やはり娘に頼られると嬉しいものなのだ。父親だもの。


「それと……作中は代替わりと数年差と書かれている神様の誕生」

「うん」

「実話だとして、元にした神様が合っていれば、百余年の時差がある……」

「え!?」


 驚きを素直に顔と声に出す奈茅が、続けて「つまり……どういうこと?」と聞く。あまりに丸投げな質問に樫はまた目を細めたが、返却された本を開いて「ここ」と指をさした。奈茅の視線が文字の列を捉える。


「神様を殺しに来た集団のシーン?」

「これ、いまいち人間側の意図がわからない」

「あ……確かに……?」


 普段読書をしない分そういうものかと思ってすんなり受け入れてスルーしていたが、言われてみれば違和感がある。そう思いながら奈茅は樫の次の言葉を待つ。


「なぜ殺しに来たか、伏せられている」

「作為的にってこと?」

「多分そう」


 それから、と樫は続ける。


「即邪神堕ちする事象として、これは弱い」

「そ、そうなの……?」

「信仰によって生まれた神様を邪神とするのもまた人の信仰」

「そういうもの……?」


 なんでそんなに詳しいんだ。と疑問に思う奈茅だったが、樫が大抵なんでも知っているのはいつものことなため考えるのをやめた。


「神様は彼等を見る間に全滅させてる。目撃者はいない。人間が見ていないことで、どうやって人間が彼を邪神と認識する?」

「あ、そうか、確かに」

「あと、この一帯に百年以上水神がいない時期の記録は、ない。そして娘と思われる長の時代、恐れられた邪神は確かにいた」

「ということは」

「入れ替わりでなったのは多分、本当。だから、おそらく人間側の企てによる邪神化」

「嵌められたかもってこと……!?」


 表情の変わらない樫が小さく頷く。夜討ちの理由が伏せられていることも考えると確かにそう思えてくる気もしなくない、と奈茅は感心した。が、樫はすぐさま「まあ、あくまで考察。全部妄想」と梯子を外してきた。とはいえ実在する記録を元にした考察であることは口ぶりからわかるし、こういう勘の類は極めて鋭い樫が語ることだ。ここまでの話を聞いて変な説得力があると感じる人間はおそらく奈茅だけではない。


「そういえば、もうひとつ」

「なになに」

「筆者が不明なのは嵌めた側、つまり集団を送り出した側が書いたものだから説……」

「なる……ほど……?」


 どこまでが実際にあったことでどこからが創作か、読み手側には判別はできない。少年を含む人々を殺めるシーンそのものが創作かもしれないし、それどころか全て作られた物語かもしれない。それでも不思議と樫が言うとそうかもしれないと思えてくる。もっとも、普段から本の世界に浸かって物語の中でも息をしているような樫なので、彼にとってもう一つの現実とも言える本の中の話は彼が口にすると自然とリアリティを帯びてしまうだけかもしれないが。

 それにしても、父さんがこんなに喋ってるとこ久々に見たな。やっぱり本の話になるとよく喋るんだな。などと考えながら、奈茅は一番気になっていた質問を投げた。


「その元になった神様の名前って……?」


 樫はその問いに少し迷ったように間を開けたあと、もうここまで話したならいいか、と諦めをつける。

 そうして小さく息を吸って、薄く唇を開いた。


「名は─────」

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