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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
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九十五話・果ての息吹


 十様襲撃事件と毒殺未遂。その主犯であった泉狗が捕えられてきたあの日から、数日が経った。


 あの後、落ち着いてから改めて泉狗に今回の計画について一から話を聞き、やはり環さんには「最後のわがまま」と言って協力を頼んでいたことがわかった。俺達が思っていた通り環さんは上の兄達と仲が良くて弟組とも定期的に会っていた親戚のお兄さん(泉狗視点)だったらしく、上の兄達の失踪に関して何か知らないかという話をした延長で協力関係になったとのこと。泉狗が法雨に牙を向ける、つまり死ぬ覚悟であることは当然聞いていたため、環さんはあれほど思い詰めていたのだろう。実質的には本家に残された幼い子供二人の命を背負っているようなものだったのだ。彼等に辿り着かせるくらいなら、と計画を中断して自決の道を考える気持ちもわからないでもない。それでも軌道修正をして結果的に泉狗の思い通りに法雨を動かすことになったのだから流石長年法雨に仕えてきた忍びというべきか。

 それと目的を聞いてから疑問に思っていたのが『何故環さんが動いたタイミングで逃亡したのか』だったのだが、それに関しては一楓を巻き込まないため&時間稼ぎだったらしい。主目的である兄の死の真相の調査が終わっていなかった場合は環さんと同じく動機について吐かずに拷問に耐えることしかできなくなるため、少しでも時間を稼いでから捕まりたかった、とのこと。つまり白兄達が優秀すぎたおかげで拷問を免れたと。

 そして俺がもう一つ気になったこと、櫻夜さんとはる兄はどうやって逃亡中の泉狗を見つけたのか。これに関しては本人達に聞いても忍びが手の内をそう簡単に明かすわけないだろ、とあしらわれそうなので泉狗に直接聞いた。返ってきたのは「狼に追いかけられた。全力で逃げたけど撒けなかった」という答えと、む……とした顔。狼? と一瞬首を傾げた俺だったが、すぐにはる兄のとある言葉を思い出して、なるほど、わんこ系ね……と納得したのだった。


 肝心の泉狗の処遇については、念の為一度当主に話を通したのだが、案の定任せられたとのことでしばらく樹と白兄による話し合いが行われていた。いっそ俺、というか鈴のように法雨で雇うか、などという話も出たらしかったが、経緯が経緯だったこともあり見逃す方向で話は進み─────結局、泉狗と一楓、二人は家へと帰っていった。


 一方で俺達はというと、何事もなかったかのように法雨での日常に戻り、また里冉奪還への道を探り始めていた。

 十様の耳に今回の件がどう伝わったかはまだわからないが、今のところはこれといって特に動きもなく。

 どう手を打つか考えあぐねている最中、雨の匂いと共にその報せは届いた。


「藺月。どうしたの」

「これは樹様の耳には入れておくべきかと思いまして」


 玖珂の兄達の失踪について教えてくれた時のように、殺尾邸を訪ねてきた藺月さん。彼はいつもの無表情だったが声色がどこか神妙で、これから話す内容があまり明るいものではないことを予感させた。

 話の内容はこうだった。


 〝玖珂本邸から、泉狗と一楓、二人の亡骸が見つかった。〟


「現場の様子、知りたいですか」

「何、そんなにひどかったの」

「ええ、まあ……」


 樹が俺の方を見る。少し迷ったが、こくりと頷いた。

 薄暗い玄関。開けたままの戸から、降り出した雨の音が舞い込んでくる。


「聞かせて」


 言いながら、樹が藺月さんを家の中へと招き入れた。藺月さんは戸を閉め、一呼吸置いてから「わかりました」と話を始める。


「泉狗さんが見つかったのは玖珂本邸の台所。腹部を刺されたことが死因らしいのですが更に遺体には右足と心臓がなく、調理場は血だらけ、放置されていた鍋の中には生臭い何かのスープ。それと肉を焼いた形跡も」


 告げられた衝撃の内容に、思わずかまどやの話が頭を過ぎる。

 俺達が忍び込んだあの台所がそんな光景になるなんて、誰が想像できただろうか。

 話は続く。


「そして一楓さんが見つかったのが、食卓です。机に突っ伏した遺体の横には毒の瓶が。……もうお察しかと思われますが、彼が台所の惨状を生み出し、食べ、そして毒を飲み自決したのでしょう」


 聞き終わってまず、聞かなければ良かったと後悔する。ついさっき食べた朝食を戻しそうになり、思わず手で口を塞いだ。

 信じたくない。理解したくない。どうか嘘であってほしいなんて思ってしまう。それでも藺月さんはそんな悪すぎる嘘は吐かないことを、告げられた内容が事実であることを、二人がもうこの世にいないことを、はっきりと理解してしまう。

 樹の方を見るとやはり顔色はあまり良くなく、小さく「そっか……」と呟いていた。


「一人で死ぬのはやめたけど、二人で死ぬ道を選んだんだね」

「です、ね……」


 思うことはありすぎるくらいだが、どう言葉にしていいかも俺にはわからないし、二人の選択を否定することもしたくない。そしてそれは樹も同じ気持ちなのだろう。それ以上は何も言わず、告げられた事実をただ受け止めようと咀嚼しているように見えた。


「ありがとう藺月。戻っていいよ」


 しばらくの沈黙の後、樹がそう言って傘を差し出し、藺月さんはそれを受け取る。そのまま一礼し、言葉少なに「失礼します」とだけ言って引き戸の窪みに手をかけた。

 心なしか先程より暗くなった玄関。開いた戸から鮮明な雨の音がなだれ込んできて、またすぐに靄がかかったようにくぐもる。

 嫌になるほど雨の音ばかりが聞こえる静寂を破ったのは、またしても樹だった。


「環さんのとこ、行こうか」




 話には聞いていたが、鈴が地下牢についていくのは初めてだった。

 俺が言っても説得力は無いのだが、敵の忍びを雇わないことを徹底している法雨。その上、入れ替えのスパンも短い。故に、これほどまでに長く仕えた使用人が当主に刃向かったケースが過去にほとんど無いらしく、環さんの処遇はなかなか決まらないようだった。


 足を踏み入れたそこは、圧迫感のある重い暗がりに薄明かりでぽっかり穴を開けたような、いかにも地下であるという顔をした空間だった。

 初めて来たはずなのにどこか覚えがある。まさか昔に来たことがあるのか─────なんて馬鹿げたことをぼんやり考える。そんな既視感を当然疑問に思う俺だったが、考えたところでわかるものでもないと早々に思考を切り上げて、牢の向こうの環さんへと意識を向けた。

 最後に見た姿より痩せたように思う彼は訪ねてきた俺達の姿を見て、少し驚いたように目を見開く。それから静かに頭を下げた。


「泉狗がどうなったか、聞いた?」


 挨拶もそこそこに、樹が切り出す。環さんは「いえ」と首を横に振る。

 続けて「聞きたい?」と投げられた問いに、彼は考える素振りもなく、掠れた声で「はい」と答えた。


 わかった。そう言って樹は淡々と、兄達の死の真相から二人の結末までの全てを環さんに話して聞かせた。

 泉狗の共犯者だった目の前の彼は何も言わずに樹の言葉を聞いていたが、話が終わったその瞬間頭を抱え、その背を丸めて、振り絞るような苦悶の声を上げた。


「ああああああっ、あああああああああ………ッッ」


 深い悲しみと後悔、そして罪悪感。それらの入り混じった悲痛な声だった。


 一楓まで喪うことになるとはおそらく彼も思っていなかったのだろう。それもその一楓が泉狗に兄達のような結末をもたらし、泉狗を〝弟一人を残して死んだ兄〟にしないようにか自らの命も絶っただなんて。そう簡単に受け止められるはずがない。

 それも───いや俺には聞いた情報と少しの関わりしかないが、問題児だらけらしかった玖珂兄弟の中でも一番素行が良く加害性の無いように思えた一楓が。もしかしたら泉狗の頼みだったのかもしれないが、それでも俄かには信じ難い結末で。

 罪悪感が溢れて止まらないのか、環さんは頭を抱えたまま「私は、私はなんてことを……」と自分を責め続けていた。


「最後のわがまま、叶えてあげたんでしょ」


 樹が言う。


「環さんが責任を感じるのは少し違うと思う。いや、うん、わからないけど、少なくとも俺には二人が望んで選んだように見えるよ。この結末は」


 樹にしては珍しく言葉を選びながら、ゆっくりと彼等を肯定していく。


「でも」

「なんにせよ悪いのは貴方じゃない。当主だ。そしてそれをわかってても当主に逆らえない俺達だよ」


 そんな……! と目を見開いた環さんが言葉を続ける前に、樹は彼に真っ直ぐ向き直って、意を決するように息を深く吸った。


「だから、もう遅いけれど、せめて今ここに生きている貴方に」


 言いながら、冷たい床に座る。


「許して欲しいなんて言わないし言えない。自己満足だと言われればそれまでだし、もちろんそう捉えてもらって構わない。それでも、だからって何も言わないのは違う気がするから言わせてほしい」


 そう前置きして、樹は深く頭を下げた。


「泉狗と一楓から、そして貴方から、大切な家族を奪ってしまって、本当に申し訳ありません」

「樹……様……」

「恨んで頂いて構いません。俺達法雨には恨まれて然るべき理由がある」

「樹様、おやめください、そんな」


 あの二人には言いそびれてしまったんです。二度と謝ることすらできなくなってしまった。だから。

 そう続ける樹の声が少し震えていて。


「顔を上げてください、樹様、お願いです」


 必死の頼みに、樹はやっと顔を上げた。環さんは困り顔で、自身と同じく罪悪感に苛まれている少年へと語りかける。


「私が何年この家に仕えてきたと思っているのですか。当主の横暴には慣れています。そして私だって逆らえない者の一人で、とっくに共犯者です」


 そして、願わくばこれからも。環さんはそう続ける。鈴も知る彼らしい、優しい声色で。


「あの方が一度刃を向けた私を置いてくださるかはわかりませんが、もし許されるのであればこれからもここで里冉様や白様、小春様、小麦様、奈茅様、英樹様、そして……樹様」


 眼鏡の奥、泉狗より明るい浅瀬の澄んだ海のような青を携えた瞳で、環さんは真っ直ぐに樹を見つめる。


「貴方がたを支えさせて頂きたい。貴方がたに仕えさせて頂きたい。家族を奪ったことに責任を感じるのであれば、尚更、私のもう一つの大事な家族のそばに居させて欲しい」


 ゆっくりと噛み締めるようにそう言葉にした環さんが、はにかむように眉を下げて微笑んだ。


「……というのを、私の最後のわがままにしてはいけないでしょうか……?」

「環さん…………」


 返事があるまでの間で、差し出がましいことは承知の上で……あの……とごにょごにょ言っている環さんに、樹が漸くふ、とその表情を和らげる。そして「わかった」と言いながら立ち上がった。


「当主に口利きしてみる。ダメだったらその時は……まあ何かしら仕事は斡旋するよ」


 そんな風に樹と環さんの話がまとまり、地下牢から立ち去ろうとしたその時だった。


 ─────ぐらり。


 俺は酷い目眩に襲われる。

 思わず右手で顔を覆い、その場に膝をついてしまう。


 少し先を歩いていた樹が俺の様子に気づいて「鈴……?」と心配そうに声をかけるので、俺は薄く目を開きながら「大丈夫です」と答えようとする─────が、その声は呆気なく途切れた。

 薄く開いた目の前には、顔を覆っていた自分の右手。しかし、強烈な違和感が俺を襲う。合わない焦点で少し先を見ようとすると、そこには今いるはずの地下牢では無い景色が。驚いた弾みに酷い頭痛と共に意識が急激に覚醒し、その光景をはっきりと目の当たりにする。

 女性の死体。落とした苦無。そして血塗れの自分の右手。悲鳴を上げようとした喉から声は発されることはなく、再び目を開けていられないほどの目眩と頭痛が襲ってきて、俺は顔を顰める。

 次に目を開けた俺が見たのは地下牢で、しかし、また俺が今いるはずの景色ではないことがわかる。なぜなら地下牢は地下牢でも、俺は今、牢の中にいるらしかった。そこから見る牢の外には、どこかで見覚えのあるような風貌の誰かが立って、こちらを見下ろしている。鮮やかすぎるくらいの真っ赤な瞳が真っ直ぐに俺を捉えていて、そしてそれは強烈な憎悪と、苦渋の色をして歪んでいた。


 次の瞬間、俺は呆気なく頭痛から解放される。

 眼前には心配そうに俺を覗き込む樹の顔があり、俺が肩で息をするのを見ながら「……大丈夫?」と聞いてきた。


「だ、大丈夫です……」


 先程の目眩や頭痛は嘘のように体の調子は元通りで、なんの問題もなく鈴として答えながら俺は立ち上がった。その様子を見て、樹はまだ少し心配そうではあるが「そう、ならいいけど」とだけ言って先を行く。

 そうして俺は樹の後を追いながら、先程見た光景を頭の中で反芻していた。


 あれは一体なんだったんだ……?

 思い当たるとするならば、白偽。奴だ。ていうかむしろ奴しかいない。

 思えば、法雨に来てからやけに大人しい。正直今の今まで忘れていたくらいには、なんの主張もしてきていなかった。

 あれは奴の、白偽の記憶なんだろうか。だとしたらあの光景は一体……?


 しばらく考えてわかったことは、あの赤眼の人物がおそらく十様か、その近しい血縁の者だろうということ。

 もしかしたら先程の記憶らしきものは、白偽が大人しい理由に関係しているのかもしれない。

 それだけ考えて、今はもう一度白偽のことは忘れておくことにした。




 その日の夕飯は、鰈の煮付けだった。

 珍しくほとんど箸を付けることなく部屋に戻った俺は、樹に分けてもらった飢渇丸を一つ、口に放り込む。いつもはあまりおいしくは感じない薬のような味が、今日だけは随分とありがたく思えた。

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