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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
95/105

九十四話・泉亭[4]


 少し埃っぽい暗がりの中、改めて対峙した主犯はどこからどう見ても13歳の少年で。

 間違いなく、あの日万鱗のお菓子の棚の前で弟のおつかいに悩んでいた泉狗、その人だった。


「玖珂泉狗……一連の事件、裏で環さんを動かしていたのはアンタで間違いないんだな」

「ああそうだよ」


 絶対に口を割らなかった環さんと打って変わって、泉狗はあっさりと肯定する。

 後ろ手に縛られて椅子に座らせられている彼だったが、抵抗の意思がまるで感じられない。縛っていなくても逃げ出すどころか、この広い部屋の中でさえも動き回ることはないんじゃないかと思うくらい、その態度は落ち着いていた。


「動機を聞かせてもらおうか」

「……優秀な法雨の皆様なら、もうとっくに調べ上げてんだろ」


 努めて平静を装っていた白兄が、その言葉で顔を顰める。少しの間の後、泉狗が喋らないことを察して、調査の結果辿り着いたその〝動機となったであろう出来事〟について語り始めた。

 最後にこの部屋に入りそのまま出口の前に立っている、まだ何も知らない櫻夜さんとはる兄にも聞かせるように、一から、順に。


「四月の頭、玖珂家五兄弟のうち上の三人……阿曇、アザミ、雫狗が行方をくらませた。正確には上の二人が先に消え、その後すぐに雫狗も、といった形で」


 穏やかにすら見えた泉狗の顔から表情が消える。できることなら耳を塞いでしまいたい気分になりながらただこの場にいることしかできない俺とは対照的に、泉狗はひたすらに真っ直ぐ白兄を見据えて、彼が発する言葉へと耳を傾けていた。


「彼等が消えたのは……」


 白兄が珍しく言葉を詰まらせる。それから深く溜息を吐きながら頭を抱え、瞑った目を薄く開けて薄氷のような瞳を覗かせた。その視線は泉狗から逸らされている。

 一方で、泉狗の目はその薄氷を欠片の一つも零すまいと言わんばかりに白兄をじっと捉えたまま動かない。白兄はもう一度目を瞑ると、静かに息を吸って、再び口を開いた。


「俺達が、法雨が殺したから……」


 静かにそう言った後、また深く息を吸って話を続ける。


「法雨とは言ったが、正確には十様だ。……言い訳にすらならないけれど、俺達は全く知らなかった。当主以外、いやもしかしたら次期当主も知っていたかもしれないが、少なくともここにいる俺達は誰もこんなこと、聞いたこともなかった」


 それから白兄は知ってしまったその現実を少しずつ、懺悔でもするかのように─────いやそれは正しく懺悔だったのかもしれない、ゆっくりと言葉にしていった。語られたそれは何度聞いても悍ましく、俺はつい、泉狗を見ていられなくなる。


 だって、そんな、愛する兄弟の死因が〝人に喰われた〟だなんて─────


「料亭かまどや。あの店の裏の顔、真の姿は……人肉料理を提供する会員制の店。法雨が営業許可を出しているため、当然、店主の日野 陽(ひの あきら)と十様は繋がっていて……」


 苛立ちを抑えきれずに舌打ちを漏らす樹の気持ちもわかる。むしろ部外者な俺より法雨本家の人間であるという立場上、更に思うところがあるのは当然で。


「日野を尋問したらあっさり吐きやがったんだ。当主が、玖珂本家の者達を『提供していい』と、許可を出していたことを」


 前を見ると、泉狗の顔に表情が戻っていた。

 それは憎しみでも怒りでもなく、ただただ深い絶望の色をしていた。


「……玖珂は謀反を企てていたらしかった。でもそれはおそらく上の兄達の間でしか共有されていなかった。違うか?」


 違わない。泉狗が首を軽く横に振りそう伝えると、白兄は「だよな」と少し優しい声色で零す。


「その計画を知った十様が始末の方法に悩んでいた時期に、丁度〝仕入れ〟の話があった」


 泉狗から逸らした視線を後方へやると、はる兄が今にも泣きそうな顔をしているのが目に入ってしまって。

 俺は思わず俯いて、使用人服のエプロンをぎゅう、と握り締めた。横を見れば英兄も同じように拳を握り、口をきゅ、と真一文字に結んで感情を抑えていた。


「日野曰く、兄二人は捕まる際に懇願していたそうだ。自分達が大人しく捕まる代わりに弟達には手を出すな、って」


 泉狗は何も言わない。


「それから少しして三男、雫狗が、いなくなった兄を追ってかまどやに辿り着いた。辿り着いてしまったんだ、アイツの元に……」


 十様は当然、玖珂の者達が姿を消すことを知っていた。自らそう仕向けたのだから。失踪した三人の捜索がされなかったのは、このためだった。

 一通り話して、白兄が息を吐く。


「兄を殺した、当主への復讐。そして知らずにいた俺達に自分達でこの現実を調べさせることが、法雨への復讐。そうだろ、玖珂泉狗」


 そう言った白兄を、泉狗はじっと見つめていた。否定も肯定もせず。

 直後、力が抜けたように顔を伏せ、肩を震わせた。


「ふ、ははは、はは……」


 真犯人は指摘されると笑う。環さんの時にも過ったそれが再び俺の頭に浮かぶ。

 しかし、何かがおかしい。そんな気がした。泉狗は笑うと同時にその海のような瞳をさながら波のように揺らがせ、今にも泣きそうだったから。


「そう、だったんだな……やっぱり兄貴達は…………」


 その言葉で、白兄がはっとする。そして数秒遅れて、俺も思い至る。


「お前、まさか───」

「ああ、そうだよ。ポンコツな俺一人じゃさ、どうやっても辿り着けなかったんだ。兄貴達に」


 泉狗は眉を下げて、無理やり口角を上げているかのように歪に笑う。その笑顔に滲むのは自分への嘲笑であり、真相を知った安堵と絶望であり、そして─────


「なるほど、全ては法雨を無理やり動かして、兄達の死の真相を暴かせるための計画……ってわけ」

「まあそんなとこ」


 計画通りに法雨を動かすことのできた達成感だった。


「あ~、そうか……そういうことか……忍びに色をかえる法か……」

「そ。俺の立場じゃこっちの方が簡単だったんだよ」

「結局いいように使われたってわけ…………」

「やるじゃん、白兄をも手のひらの上で転がすなんて」


 してやられた悔しさからか、白兄は項垂れて「あ~~~……」と声をあげている。その隙に樹が続けた。


「でも、それにしたって無謀っていうか、捨て身じゃない? 真相暴いて殺した奴に辿り着いても、結局自分が捕まってたら復讐も何もないのに」


 樹の言葉に、白兄が顔を上げる。


「もしかして目的は復讐じゃないのか」

「ああ。俺はただ〝知りたかった〟」


 それだけなんだよ。そう言って、泉狗は続ける。


「正直なところ、運が良ければ復讐も果たせるかも、とも思ってはいたよ。真相の揉み消しに法雨が、つーか十様が関わってんのだけは俺にだってわかってたから」


 ま、流石に俺なんかに運は向かなかったわけだけど。と付け加えて、泉狗は笑った。


「でも言った通り、主目的は兄貴達の死の真相を知ること。十様が揉み消したであろう案件を普通に依頼したとて、アンタら法雨どころかただの忍びの一人も動くことは無いってわかるし、ちょっと強引だけど俺達に興味が向くように仕向けさせてもらったわけ」


 白兄が「道理であっさり捕まった割には環さんの口が硬かったわけだ……」と納得していた。主目的がこれならば、確かに調査が行われていない段階で口を割るわけにはいかない。


「さ、話したぜ。正直俺はもう満足したからさ、あとは煮るなり焼くなりお好きにどーぞ」


 今この場で泉狗がそれを言うのは洒落にならないな。俺は彼の兄達の末路を思い、気分がまた悪くなる。


「煮るなり焼くなり、ね……」

「どうする? 当主にこいつが襲撃犯であり裏で手を引いてた黒幕です、って差し出してもいいけど」

「それしたって『好きにしろ』って雑に現場に投げられる気しかしないんだよな」

「そうなんだよね」


 十様が外の者と認識した相手に興味がないのは、今回の真相がよく物語っている。始末に悩んでいたのも、そこでたまたま行われた仕入れの話に乗ったのも、おそらく限りなくどうでも良かったからだ。自分で彼らの末路を決めるほどの興味はなく、丁度よく存在を消してくれるであろう傘下の者に一任するほどに執着もない。かまどやに彼らを渡したことに深い意味などはなく、ただそこに都合よく利害が一致する相手がいたから乗っただけ。ここに来てからずっと感じていた十様の周囲への無関心さは、どうやら気のせいではなかったらしい。


「どうするかなあ……」

「正直さあ、今回……まあいつもだけど、発端は大体恨みを買うようなやり方で人を切り捨てるうちの当主じゃん」


 うん。と白兄が同意する。その斜め後ろにいる英兄も頷くのが見える。


「謀反を企てていた上の兄達はともかく、それを知ってすらいなかった弟達まであの悪趣味な店で出そうとしてたんでしょ、あの人」

「みたいだな」


 それに、と樹が泉狗の方を見やる。言葉を続けようとしたその時、それは遮られた。


「殺せよ」


 なんでもないように投げられた泉狗からの言葉に、樹が珍しく目を見張って「は……?」と声を漏らした。目の前の少年は続ける。


「俺、十様ともあろうお方に楯突いたんだぜ? 環兄を無理やり巻き込んで、二度も殺そうとした」


 一拍置いて、彼は当たり前のことを言っているのだと言わんばかりの抑揚のない声で、こう言った。


「生かす価値はない。だろ」


 樹がぴくりと眉を上げる。


「死にたいの?」


 直球で投げられたその問いに、泉狗は口を閉ざした。この場の誰もが、肯定だと察しただろう。

 泉狗が生み出した沈黙の中、英兄が息を呑むのが聞こえた。


「殺せよなんて、忍びがそう簡単に口にする言葉じゃないと思うんだけど」


 樹が冷たく言い放つ。


「それに、生憎俺は死にたがっている相手を手に掛けてあげるほど優しくないよ。君が言った通り、俺らから見れば当主を二度も殺そうとした反乱者なわけだし、そんな義理はない」


 樹は相も変わらず冷静で、声には温度こそなかったが、その胸中は別のことを思っているのが俺にはわかった。

 さっき言おうとしていたのもおそらく意味合いとしては同じ。そして結論から言うと、樹には泉狗を始末する気は、ない。

 それはきっと白兄も同じなのだろう。口を挟まずに、ただ樹が話すのを聞いていた。


「かといってうちには当主に刃向かったものは即死刑、なんて掟は存在しない。傘下の人達はそのくらいの意識でいるみたいだけど、実際は別にそんなことはない。ただいつあの竜の逆鱗に触れるかがわからないから、逆らわないだけ」


 泉狗の表情が少しずつ、少しずつ曇っていく。

 眉根を寄せ、口を結び、視線を落とす。そして時たま何か言おうとして、やめる。


「それでも俺達に殺して欲しいって言うの?」


 泉狗は俯く。


「お兄さん達が自分と引き換えに守った、その命を?」


 その言葉で、泉狗の中の何かが決壊したらしい。


「だって、だってさあ!!」


 突如彼が張り上げた声は、見えないその表情が今にも泣きそうであることを、ありありと物語っていた。


「兄貴達、俺には何も教えてくれなかったんだ!!」


 張り叫んだ悲痛なその声に、鼻の奥がツンとする。同時に、ずっと堪えていた涙が俺の目に幕を張るのがわかった。零さないように顔に力が入る。

 少しぼやけた視界の先で、泉狗はずっと堪えていたのであろう胸の内を、吐き出し続けた。その双眸からはもう堪えることすらやめた大粒の涙が溢れ、幼い頬を濡らしていた。


「守ってほしいなんて言ってない! なのに! ずっと隣にいたはずの双子の兄でさえ、俺を庇護対象だと思ってやがった! 俺には何も言わず、その素振りすら見せず、勝手に一人で兄貴達を追って死んだ! みんな、みんな俺のことを足手纏いだと思ってる!! 役立たずだから置いて行かれた!! 役立たずだから、ただの一言すら伝えてもらえなかった!! そんな俺が残されたって、一楓のこと、任されたって、俺なんか、俺なんかが生きたって……!!!!」


 まだ高さの残る声を掠れさせて振り絞るように泣き叫ぶ泉狗の姿は、ただひたすらに痛々しくて。

 13歳には背負いきれない、とてもじゃないが受け止められない、その重圧と悲しみを思うと胸が張り裂けそうだった。


 それに俺自身、よく似た思いを抱えている。もし里冉が泉狗の兄達のように突然いなくなったら。いや、いなくなったこと自体はあるし今だってそんなようなものだが、もしもその先で、俺を庇う形で死んでいたとしたら─────


「なあ!!! 殺せよ俺も!!!! 兄貴達みたいに、家畜よろしく呆気なくさあ!!!!!」


 泉狗は嗚咽を漏らして、息を乱しながら、今にも倒れそうな勢いで張り叫ぶ。

 その声に、言葉に、ついに堪えきれなくなった涙が俺の頬を伝った。聞きたくない。もうこれ以上、そんな悲しいこと。

 でも、でもきっと泉狗にとってはこの瞬間までずっと押し殺してきたこれ以上ない本心で。押し殺してきた等身大の玖珂泉狗の言葉で。


 俺と、樹と、白兄と、英兄、それから護衛組の計八名。こんなにも人がいるのに、誰一人として言葉を発することなく、ただ泉狗の呼吸が落ち着くのを待っていた。誰も何も言えなかった。動けなかった。ただその胸の内を聞き届けることしか許されないように思えた。そのくらい、泉狗の叫びは心からの悲鳴だった。


 しばらくの沈黙の後、少し落ち着いた泉狗がまた口を開く。その声は震えて弱々しく、残酷なほどに彼がまだ幼い現実を俺達に突きつけてきた。


「殺して、くれよ……早く会いたいんだ……兄貴に……雫狗に……」


 もう限界まで締め付けられていると思っていた胸が、更に締め付けられる。その感覚に、俺は思わず息を詰まらせてしまう。


「勝手に死ねよって思うじゃん……でもさあ、何度死のうとしても、どうやってもできなかったんだよ……いぶの…弟の顔がチラついて……だって俺までいなくなったらアイツ……」


 既に両親と兄を喪っている、幼い末の弟。彼にとってたった一人の家族となってしまった泉狗。その最後のたった一人を自分の手で奪うのは、確かに相当な覚悟がいる。何度も何度も死のうとしては弟を思って踏みとどまってしまう泉狗の姿を想像し、その計り知れない苦しみの深さに目が眩みそうになる。

 どれだけ平気なふりで笑ってきたんだろうか。どれだけ一人で追い詰められていたのだろうか。どれだけの思いと覚悟で今回の計画を実行に移したのだろうか。

 環さんは、彼の胸中を知っていたのだろうか。


「だからさ、俺みたいな兄貴いない方がいいって、いぶに思って貰えたらって、思ってさ……」


 弱々しい声は語り続ける。


「こんな馬鹿な計画にしたのも、それが理由なんだ……いぶにはこんな、環兄巻き込んでまで十様に逆らうような最悪な兄貴……見放して欲しくて……だから……」

「わざわざこんな回りくどいことしなくても、幼い弟一人置いて死のうとしてる時点でこれ以上ないくらい最悪だと思うけど?」


 ずっと黙っていた樹が、聞いていられないとばかりに鋭い声を挟み込んだ。泉狗がぴたりと言葉を止める。


「さっきから黙って聞いてれば、殺せ殺せって自分一人で死ぬことばっか……しかも死んでいい理由作りがこれ? 馬鹿じゃないの。自分もその何も言わず置いて行った兄達と同じ〝足手纏い扱い〟してんの、気付かないわけ?」

「それ、は……」


 何も答えられなくなる泉狗に、更に樹は怒りを顕にし、そのまま向ける。


「見てきた兄貴像ってやつがそんなんばっかなのはわかったけど、何も自分までそうなる必要ないでしょ。ていうかなに? 御涙頂戴の哀車のつもり? だとしたら生憎俺には通用しないし、尚更そんな傍迷惑な自殺には絶対に手を貸したくない。巻き込まれて迷惑だよ。どこまで俺達をおちょくったら気が済むわけ? 兄達を殺したからって、法雨の人間に全責任押しつけて死ねば丸く収まるとでも思った? 腹立たしい」


 樹はすらすらと一気にそこまで言ってから、大きく溜息を吐き、少し間を空けて続けた。


「……それに、それ以外がどれだけ最悪でも、そばにいて弟のことちゃんと見てやれる兄貴だったら、死んでほしいとか思うわけないでしょ。弟ならさ」


 先程までと違って寂しげな声色に、もしかして、と思う。

 そうだ。樹も弟なのだ。思うところがないわけがない。俺と同じように自分に重ねて聞いていたのかもしれない─────というか、だからこそ黙っていられなかったのだろう。もしも自分の兄が、里冉が、泉狗と同じように自分勝手に死のうとしていたら。

 そんな風に思っていると、まだ言いたいことがあるらしい樹が泉狗の返事を待たずに続けた。


「……君の弟は俺と違って、お兄ちゃん大好きみたいだし?こんなところまで来ちゃうくらいには」


 言いながら振り向く。つられて視線を出入り口の方へ向けると、そこには小さな人影が増えていた。急に話を振られてびっくりしたのか、小さな人影───玖珂一楓は、びくりとその薄い肩を震わせる。


「一楓……!?」

「いず兄……ごめん、なさい……勝手に聞いちゃって……」


 そう言った一楓の声も震えていた。泉狗はその目を再び波のように大きく揺らがせ、それからすぐに顔を伏せる。


 すると樹が何も言わずに泉狗の背後へと回る。何をするのかと思ったその時、す、と彼を拘束している縄を解いた。

 解放された泉狗は椅子から零れ落ちるようにして地面に膝をつく。それを見て、迷うことなく駆け寄って泉狗に抱きついた一楓。一体どこから聞いていたのかわからないが、今の泉狗を見てもなお、兄と呼び慕っている。そんな事実をまざまざと突きつけられた泉狗は、その手を少し彷徨わせたあと一楓の背に回し、優しく抱きしめた。


「ごめん、ごめんな、俺の方こそ、ごめん……」


 樹は気付けば音もなく二人のそばを離れ、俺の隣に立っていた。その顔を見れば、樹は視線を二人へと向けたまま「藁でも、差し出しておいて正解でしょ」と小さく言った。俺は勘付く。そうか、引き継ぎの時に樹が櫻夜さんに「見つかったらちゃんと服は返しておいてね」と話していたのは、このためか。


 泣きながら弟を抱きしめる泉狗の姿へと視線を戻し、確かに正解だったな、と思う。


「最低な兄貴でごめん、兄貴達よりずっと、俺が一番ダメな兄貴で、本当、最悪だ……」


 そんなことない、と即答する一楓。泉狗はそれでも謝り続けた。

 それから、更なる胸の内を話し始める。


「俺って欲張りだからさ、全部守りたいんだ……全部……」


 抱きしめていた手を離し、一楓に向き直る泉狗。

 だがその言葉は一楓に向けられているというよりは、独白に近いように感じる。


「でも守れなかった……兄貴達のこと……いぶのこと……俺自身のこと…………」


 殺せと泣き叫んでいた先程までの泉狗とは別人のように、落ち着いた様子で、しかし取り繕っているようには思えない言葉をゆっくりと紡いでいく。


「昔っから弱虫で、背だって小さくて、ひょろくて、殺しのセンスだけはあったみたいだけどそれでも雫狗や兄貴達には勝てなくて、なんの取り柄もなくて……だけど……だからこそ、心根だけは正しく忍びで在りたかった……」


 一楓の手を取り、続ける。


「自分の手で守りたいものを壊す勇気なら、そんなもの持てなくていい。俺の正心に反する。そう思ってしまったんだ……」


 追い詰められた先でも、忍びで在ろうとしていた。

 他の何を犠牲にしても、大切な弟だけは手にかけないと決めた泉狗の生き様。それは、ぐずぐずに泣いた後のぐちゃぐちゃの顔でも、渇望した道が忍びならば最も望むべきではない死であっても、俺の目には十分すぎるくらいかっこよく映っていた。


「結局昔から変わらず弱虫で甘ったれのガキだってのはわかってる……わかってるけど……だったら自死じゃなくて兄貴達の仇にやれるだけ牙を剥いてみて、やるだけやったって、どう転んでも俺自身が逃げたと思わない、〝やらない後悔をしない選択〟を……したんだ……」


 したと、思ってたんだ。

 そう言って泉狗はもう一度、弟に向かって「ごめん」と呟いた。


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