九十二話・泉亭[2]
道中、ふと俺は気になったことを口にする。
「樹って同年代の友達いたんだな」
「それだと俺が友達の名前覚えてない奴になるじゃん」
「違うの?」
「ただの知り合い」
外だし、と思い、声を落としつつではあるものの楽として話しかけた俺は、樹とこうして話すのが少し久しぶりな気がして、奈茅姉に指摘されてから法雨の中では鈴を徹底していたことを改めて自覚する。や、まあはる兄の前とか車中とか、たまに出てはいたけど。
「マジで俺以外に友達作んないの?」
「友達なんか楽以外いらないでしょ」
予想していなかった答えに一瞬固まる俺。
「お前それ何言ってっかわかってる……?」
少し照れたのが伝わったのか、は? という顔をしながら少し考えた樹は、すぐに「あ、いや、」と弁解を始めた。
「別に、楽一人で十分っていうか、いや違くて」
「樹ぃ~」
「ちがっ……ニマニマするな! 楽の相手するだけで十分大変だからこれ以上増やせないってだけ! それも双忍の術の為に仕方なくなっただけだし!」
まあ実際樹の言う通り、友達という存在自体が不要だと思っている中で任務の為に仕方なくその枠に入れてもらっただけの関係だというのはよくわかっているし、単にからかいたくなってしまっただけなのだが、思った以上にいい反応をしてくれて気を良くする俺。もしかしてだけど本当に俺一人いれば十分って思ってるのか、こいつ。
「ま、なんであれあっちはなりたいと思うぞ、友達」
「アイツはどうせ兄貴に近付きたいだけだから嫌」
「そうかあ? 見た感じ樹のことも好きそうだったけど」
あの勢いで喋りつつも樹の塩対応をまるで気にしてなさそうだったあたり、相性自体は悪くないだろうし。
「……そういえばお参りって言ってたけど、もしかしてアイツん家って」
「神社。小さいけどね」
「へえ~御祭神は?」
「今はいいでしょその話。ほら鈴戻して、着いたよ」
樹がそう言って立ち止まった。見ると少し先に二階建てで現代らしさと和の建築が上手く混ざり合った大きめの家が目に入る。どうやらあそこが目的地らしい。
門から家までの間の手前の敷地がほとんど池で、その真ん中に橋をかけるように玄関までの道が伸びている。鯉とかいるかな、と呑気に視線をやっている俺の隣で、樹が「さて」と言いながら外套の中へと手を隠す。
「鈴は正面から。いいね」
「お任せください」
樹が外套の下から取り出した小道具の手土産を受け取って、俺は指示通り堂々と門の方へと歩を進める。一方で、樹はどこかへと姿を消す。近くにいるとわかっている俺でさえほとんど感じ取れない気配の消し方に思わず、流石、と心の中で賞賛を送る。
門の前に立つと視界に映るのは、玖珂と書かれた表札。そう、学校にいないとなると次に訪れるのはもちろんここ、玖珂の本邸だ。
俺、というか鈴は既に泉狗と知り合っているし法雨の使用人だということもバレていた。今回はそれを利用して、法雨に玖珂の住所を聞いたというていで正面から堂々と泉狗を訪ねる。
陽忍で仕掛け、陰忍に仕事をさせる。二人忍びの基本。つまりまずは俺の出番だ。
用意していた玖珂家の場所をメモった紙切れを片手に軽く辺りを見回し、確認する素振りをして、そわそわしながらチャイムを鳴らした。
……が、何も起こらない。門から邸宅まで少しだけ距離があるので聞こえないだけかもしれないが、家の中から人が玄関に向かって来る足音や気配すらしない。まさか、と思いつつしばらく待ってみる。すると裏から忍び込んでいた樹が邸宅の影から姿を見せた。なんなら堂々と池の上の道を歩いてこちらへとやってきて、門を内側から開けてくれた。
「ねえ誰もいないんだけど」
「そのようですね……?」
樹に招き入れられた俺も、家の周りをぐるりと見て回る。間違いない、人の気配が無い。樹ほどの陰忍であれば或いは、とは思ったが、ポストの中を見ると郵便物が溜まっておりそもそもここ最近人がいないのではないか? と考えを改めた。
すると近くの窓の隙間から樹の手がにゅっと生えてきて、こっち、と手招きされる。素直に近くへと寄ってその窓から中に入ると、そこは台所だった。
「見て」
「これは……」
樹に言われて視線をやったのは冷蔵庫。そしてどうやら俺の予想は当たっているようで、その中身はほとんど無かった。
「これとかちょっと前に賞味期限切れてますね」
「弟二人も行方不明……ってこと、かな」
「というよりは……」
とあることに気付いた俺は、近くにあったゴミ箱の蓋を開ける。この前会った時に買っていたお菓子やら食料品やらのゴミは見当たらず、かなり少量ではあるがおそらく数週間放置されているであろうゴミが異臭を放っていた。顔を顰めてすぐに蓋を閉じる。
「自宅は使っていないだけ、ではないでしょうか。私が彼と会ったのは数日前ですが、この家はそれよりも前から放置されている気がします」
「……ねえ、もしかしてなんだけど、冷静に考えたら俺らより幼い子供二人だけでこの家に住み続けてる方が不自然?」
その言葉にハッとする。
「た、確かに……? 忍びである以上は無いとも言い切れませんが、おそらく頼れる親戚がいるならそちらへと移っているのが自然……かもしれないですね……」
「そう……だよね……いやそうだよなあ、よく考えたら」
そういえば俺も樹も、常に使用人や傘下の者がいて家事をしてくれたり保護者代わりをしてくれたりする名家育ち、所謂お坊ちゃまの類の人間である。そのせいか、保護者がいなくなったら自宅を離れて面倒を見てくれる親戚のもとで暮らす、という発想がすっかり抜けていた。同じ状況になったとしても俺達はむしろ親戚の大人を呼びつけて自宅で暮らすだろう。立場や育ち上、自分の方が拠点を変えるという発想とはかなり縁遠い。
忍びは庶民に溶け込んでこそであるという教えの通りに庶民的な暮らしもしてきたつもりではいたが、こういう無意識の部分というか自然と根付いている思考というかはやはり少しズレているらしい。
「…………分家も行ってみる?」
「賛成です」
そうして俺達は玖珂家を後にする。去り際に庭の池を覗いてみたが、家中同様、そこには何も居なかった。
分家の場所も一応メモってきておいて正解だったな。なんて思いながら、そう遠くはない場所にあったその家のチャイムを、先程と同じように手土産を持った鈴が鳴らした。同じく樹も、近くに身を潜めて忍び込む機をうかがっている。
「…………まさかこっちもいないとかないよな」
本家よりこじんまりしているし庭もほとんど無いが、設計者が同じなのか外観の印象は近いものがある。そんな分家の玄関をじっと見つめる俺だったが、まさかのこちらも誰も出てこない。まじかよ。
樹からのアクションも無いし、まあもう少し待ってみるか、と思いながらもう一度チャイムを鳴らす。
すると数秒後。ゆっくりと静かに、おそるおそる、といった様子でほんの少しだけではあるが玄関扉が開いた。人がいる、ということに一先ず安心しつつ、声をかける。
「玖珂様のお宅で間違いないでしょうか……?」
出てきてはくれるのになんでそんなちょっとしか開けないんだろ、扉。そう不思議に思いつつ返事を待つ。
……が、何も聞こえてこない。ん? え? あれ?
「えっと、法雨の使いの者なのですが、その……」
もしや、と思い至ったその時、扉を開けてくれたその人物がゆっくりと姿を見せた。それはやはりというかなんというか、浪の妹、玖珂遊沫だった。
「こんにちは……?」
写真で見ていた通りの青緑の瞳がこちらの姿を確認したその一瞬だけ目が合ったが、その視線はすぐに落とされてしまう。
なるほど、無口で人見知り、ね。
「遊沫様……ですよね? お兄様は……」
聞くと、遊沫が小さく首を横に振る。不在ってことか。まあそりゃそうか、平日の昼間だし……ていうかよく考えたら遊沫って学生なはずだが、なんで家にいるんだ。
「本日は学校は……?」
相変わらず遊沫からの返事はないが、一瞬だけ視線を家の中へと戻す。その様子に、もしや一人で留守番しているわけではない……? と察する俺。ていうか本当に喋んねえな、この子。俺まだ声聞いてないぞ。
「ええと、要件なのですけれど……実は御本家の泉狗様に用事がございまして、自宅を尋ねてもいらっしゃらなかったのでもしやと思いこちらにも伺わせて頂いた次第なのですが……」
泉狗の名前を出したからか、少し警戒が解けた……気がしなくもない。遊沫が鈴を見上げて、少しハスキーで少年にも聞こえなくない声で小さく返事をしてくれた。
「いずはいない」
「どちらにいらっしゃるかご存知だったりは……?」
「知らない」
く~~~知らないか~~~~……。
「最後に泉狗様と会ったのはいつか伺っても……?」
そう聞くと、また喋らなくなる遊沫。言うなって言われてるのか単純に警戒心が強いが故のそれなのか覚えてもいないのか……せめて答えられない理由だけでも知りたいが、沈黙のみから察するのは流石の俺でも無理だ。
これ以上粘ると怪しまれるかな、と思いつつこれだけ……と俺が口を開こうとしたその瞬間。
「いず兄を探してるの……?」
別の声がした。見ると、遊沫の後ろから金髪の少女……のような少年が顔を出す。それは俺が今まさに所在を聞こうとしていた玖珂本家の五男、一楓だった。
「そ、そうです……! 一楓様、ですよね? こんにちは」
「こんにちは……あ、えっと、いず兄は昨日から任務でいない……です!」
明らかに不慣れな敬語で喋ろうとしてくれているのがわかる口調に思わず、可愛らしいな、と思う。中性的な顔立ちに高めの声、そしてこの話し方。なんか覚えがある気がするなと思ったらあれだ、ちょっと卯李と似てるんだ。
「いぶき、だめ、寝てて」
「このくらい平気。ゆまは優しいね」
考えている間に聞こえてきたその会話とさっきの話で、察した。おそらく俺らの推測通り少し前から分家に二人で転がり込んでいて、その状況で一楓が体調を崩し、泉狗が任務で不在なため遊沫が一楓と共に留守番をして看病している、というのが現状だろう。
不在理由が本当に任務かは、さておき。
「任務、ですか……いつお戻りになられるか、などはお聞きしておりますか?」
「聞いてない……」
「そうですか、ありがとうございます」
できるだけ柔らかく微笑んで、礼を言う。その裏で、俺は浮かんできた一つの可能性について考えていた。
任務、というのは周りに深入りさせないための言い訳で、泉狗は俺らがこうして探しにくることがわかっていて逃げたのではないか。だとしたら──────
「いず兄に何かあったの……?」
不安げに聞いてくる一楓。その様子からは、泉狗が本当に何も伝えていないのが見て取れる。
「すみません、不安にさせてしまいましたね。実は私───ああ、申し遅れました。私、鈴と申します。その、少し前に泉狗様と買い物中に偶然知り合いまして、その際に美味しい和菓子のお店を教えて頂いたものですからお礼をと思いこちらを……折角なら直接お渡ししたいのと是非またお話がしたくて、それで勝手ながら訪ねさせて頂いただけなのです」
俺はそう話しながら、持ってきていた手土産のどら焼きの箱を紙袋から出し、二人に差し出した。
「あ、ええと、怪しくてすみません! 見ての通り開封していませんしもちろん何も入れていないので安心してください! 信用できないかもしれませんが! 害意も悪意もございません! 泉狗様が帰宅なされてからお渡し頂けるだけでもっ!」
警戒されているのか受け取ってくれない二人の様子を見て俺はわざとあたふたし、再度「すみません……」と言いながらへらりと笑ってみせる。そうして少し空気が軽くなったところでやっと一楓が手土産を受け取り、ぺこりと頭を下げてくれた。簡単には受け取らないのが流石、忍びの家系の子だな。
なんて思っていると、背後から急に声がかかる。
「なんだ、今やっと渡したとこ?」
「樹様!」
調べ終えたのか、まるで近くで鈴の用事が終わるのを待っていましたがと言わんばかりの登場をする樹。鈴が「お待たせしました……!」と付け足すと「いやいいんだけど」と返ってきた。
「泉狗は? いなかったの?」
「任務で不在のようで」
「へえ? 今って玖珂に任務回してないはずだけど、本当に?」
「え」
樹くぅん!?! ぶっ込むねぇ!?! とツッコみたい衝動を抑え、その一言でやりたいことがわかった俺は樹に合わせて「言わないようにしてたんですけどそれ……」とわざと頭を抱えて見せる。
「玖珂の関係者が法雨でちょっとやらかしてさ、今その関係で信用ないから回してないはずなんだよね」
「え……?」
ぽかんとする二人に、樹は「やっぱ聞いてなかった?」と視線をやる。二人が返事をする前に鈴が「そりゃそうですよ、まだ初等部ですよ彼等」と言うと、そんなもん? とピンときていない様子の樹。そんな困った主に、んもう、と膨れて言う。
「心配かけないように手土産だけ渡して帰ろうと思ってたんですけど私ぃ……!」
「鈴は子供に過保護すぎ。ていうか本当に行方不明だったらどの道心配することになるんだから、俺達法雨が動いてるって事実はむしろ安心材料でしょ」
「そ、そうかもしれませんがぁ……!」
むむん、と膨れてみせたあと、観念したように「仰る通りですね……」と零しながらため息を一つ吐く。それから鈴は二人に向き直って「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「聞いての通り法雨が動いていますから、もし本当に泉狗様の身に何かがあったのだとしても、きっと見つけ出してみせます。法雨の皆様はとっても優秀ですからね!」
甲賀でその事実を知らない者はおそらくいないだろう。例に漏れず二人もそうであるようで、泉狗が向かったのが任務ではないと知ってから強張っていた表情が鈴の言葉を聞いて少し緩んだように見えた。いや嘘、遊沫の方は無表情すぎてよくわかんねえ。
「とはいえ何事もなく帰宅なさるのが一番なのですけどね……」
「もしかして怪しい組織とかから請けた任務だったりして」
「怖いこと言うのやめてくださいよ」
「だとしたら十中八九罠だろうしもう死んでるかもね」
「友達を心配する女の子に向かってなんてこと言うんですかぁ。しかも弟さん達の前で」
「最悪の想定はしてた方がいいでしょ」
「人の心……」
「何?」
「いえ何も」
そこまで会話して樹が「……ま、脅かすのはこのくらいにして」と二人に向き直る。
釣られて二人の方を見ると、さっき緩んだはずの表情はそれ以前よりもっと強張っていた。流石の遊沫も一楓の袖を掴んでおり、明らかに樹を警戒している。そりゃそうだ。怖い兄ちゃん連れてきてごめんな。こいつ多分子供相手にすんの慣れてないんだ。大目に見てやってくれ。
……いやまあ多分、実質この場で一番怖いのはそんな怖い兄ちゃんに打ち合わせも無しにその場で便乗し、二人の味方のふりをしながらこういう会話の流れに持っていった共謀者である女装の兄ちゃんだということは言わずもがななんだけど。はてさて、どこの誰なんだか。
俺がそんなことを思っている間、樹が外套の下に手をやって何かを探しながら言う。
「そういうことだから、何か泉狗についてわかったこととか気になることとかあったら法雨までよろしく」
そう言った樹に続いて「私からもお願い致します~……!」と頭を下げた。その横で、メモ用紙を取り出した樹がさらさらと何か書いている。
「はいこれ。君がうちの門番にこれ見せて『樹に用事』って言えば、俺らに繋いでもらえるようにしておくから」
樹はそう言いながら、受け取ったそのままで一楓が手に持っていた手土産の箱の上にメモ用紙を置き、人差し指でトントンと叩く。忍び文字で書かれたそれは二人が読めるかはわからないが『玖珂一楓がこれを持参してきた場合のみ、樹へと繋ぐべし。』と樹の筆跡で書かれていた。一楓はメモに視線を落としながら、わかりました、と答える。
これで俺達は〝泉狗に関して動きがあった時に真っ先に知らせる相手〟として二人の中に印象付けられただろう。樹の狙いはこれだ。
特に一楓にはまさに最近、上の兄三人が今尚帰ってきていないという大きな不安、或いは既にトラウマのようなものがあるはず。もしかすると彼にとっては藁に見えるかもしれないが、例え藁でも縋ることのできる相手として名乗りをあげておくのは無駄では無い。
「さ、そろそろ帰るよ、鈴」
樹がそう言って踵を返した。鈴はそれに「はい」と短く返事をし、そんな俺らの様子をじっと見ている二人に微笑みかける。
「遊沫様、一楓様、突然の訪問にも関わらずお話して頂きありがとうございました。失礼致します!」
翻った外套を追うように、その場を後にした。
そうして法雨へと帰る道中、俺は樹の方の話を聞いた。
樹が言うに、家の中には他の者の気配は無かった。それを確認してからは俺達の話を聞いていたらしいのだが、一楓の〝昨日から任務でいない〟の言葉を聞いて俺と同じ考えに至ったとのこと。
「学校も行かず、弟を分家に預けて、ありもしない任務だと嘘をついてまで一人で行方を眩ませた……」
「それも環さんが捕まった昨日、ね」
つまり────────逃げた。
ここまで揃っていて気づかない俺達ではない。
思えば、襲撃のあった日に俺が見た子供の人影は、泉狗ほどの背格好だった。
万鱗での姿を思い出して信じられない───もっと言えばあまり信じたくないな、と思う反面、これまでのことを思い返すと全てが腑に落ちる感覚があった。
間違いない、一連の騒動は玖珂泉狗、彼が仕組んだものだ。
「ここからはアイツらの出番だね」
「そうですね」
俺達ができるのは一先ずここまで。
あとは人探しが得意らしいあの二人に任せる。
「にしても、それだけで本当に捜索できるのですか?」
樹がこっそり玖珂家から拝借してきた泉狗のものであろう衣服。が仕舞われている外套を見ながら聞く。
「あの二人なら、ね」
そう言った樹の視線の先には、法雨の門の前で待機する櫻夜さんとはる兄の姿があった。




