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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
92/105

九十一話・泉亭


 殺尾邸、居間。見慣れた青い眼が、背中を丸めて縮こまる俺を見つめていた。


「で、殴りかかっちゃったわけ」

「はい……」


 昨晩、俺は月咲に里冉のことを悪く言われてつい頭に血が上り、自身が正体を隠しての潜入中であることも忘れて、あろうことか素で殴りかかってしまった。

 あの場を離れて以降、あまりに忍びとして未熟で愚かな行動だったとずっと反省している。冬倭兄が口封じのためにあの場に残って月咲と交渉してくれたらしいので、上に報告されることはないし潜入も続行できるとのこと。幸いにも現状は変わらない。とはいえ、それは単に運が良かっただけで、もし冬倭兄が残ってくれていなかったら、交渉に失敗していたら、或いは味方ではない誰かに目撃されていたら────────そう思うと、後先考えずに感情に飲まれてしまった自分が酷く恥ずかしく、穴があったら入りたい。いやむしろそのまま埋めてほしい。

 ……という話をたった今俺から聞かされた樹。呆れられるか叱られるかと思ったが、予想と反してその表情はいつも通りで、むしろ少し面白がっているようにすら見えた。


「そのまま殴っちゃえばよかったのに」


 面白がっているように見える、どころじゃ無かった。完全に面白がっている。とんでもないこと言い出しやがってと思いながら、鈴として「それは流石にまずいです」と冷静に返す。


「一回くらいガチギレされて欲しいと思ってたんだよねアイツ」


 ただの女中だと舐めていた相手に殴りかかられて呆然とする月咲の顔を思い浮かべているのか、樹は「見たかったなあ」とニヤつく。

 その様子を見ながら、月咲みたいに誰彼構わず喧嘩を売って面倒ごとを増やさないだけで、コイツも大概だよな……と思う俺。そういえば白兄もその気があるっていうか、樹をからかって遊んでたし……やっぱいい性格してるぜ、法雨家。


「本当、他人のことになると沸点ひっくいよね」

「自覚はあります……」

「ま、とにかく今回はなんとかなったんだからいいんじゃないの」

「以後気を付けます……」


 面白い話を聞いた、と言わんばかりにご機嫌な樹に苦笑しながら俺は話題を変える。


「そういえば、環さんの動機って聞き出せたのですか?」

「いや……白兄も首謀者が別でいるって踏んで尋問してたけど、全然話してくれなくて」

「やはりそうですか……」

「茜雫の話の内容は本当って証言は取れたから、やっぱりまだ裏にいると思うんだけど……」


 あの話が本当、つまり環さんが法雨に捕まることはやはり計画の内である。そうだとした時に浮かんでくるのは共犯者或いは環さんに裏で指示を出している首謀者の存在だ。

 捕まることが最終目的な訳はないし捕まっている間に外で動く者が必要、というのもそうだが、環さんは茜雫さんが話していたように、自決用の毒をくすねるくらいには罪悪感に苛まれたり白兄だと知った時に思わず動揺してしまうような人だ。そんな彼が自発的に十様に刃を向けたりすることは余程でないと起こらないように思える。つまり誰かに唆されたか、脅迫されているか、人のいい環さんがつい協力したくなってしまうような相手からの協力要請があったか……。

 一つ確かなことは、まだこの事件は終わっていないということ。


「相手の術中な気もするのが癪だけど、ここまで内部で好き勝手されて黙ってる法雨じゃないからね」

「調査は続行、ですね」


 そんな話をしながら昨夜のことを反省し続けていると、朝食の片付けをしていた冬倭兄が居間に顔を出す。


「樹様~、藺月さんが用があるとのことで玄関まで来てるんすけど」

「藺月が?」


 珍しい、と呟きながら樹は立ち上がる。それから来ないの? と目配せしてきたので、俺もその後をついて玄関へと向かった。


「環さんが捕まったと聞いて思い出したことがありまして」


 俺達の顔を見るなり、前置きも無しに藺月さんはそう切り出した。


「思い出したこと?」

「環さんのご実家、玖珂っていうんですけど、法雨の傘下の家系なので宴会に招待されているんです」

「ああ、そういやそうだね」


 玖珂? と聞いたことのある苗字に記憶を辿ろうとしたが、とりあえず今は藺月さんの話に耳を傾ける。


「玖珂家、環さんは分家の方なのですが本家は五人兄弟で、数年前に当主様が亡くなってからはずっと長男、つまり若くして代替わりした本家ご当主と、その護衛として弟さん達が出席されていたのです」


 五人兄弟、で思い至る。そうだ、万鱗で知り合った泉狗の家か。

 ……え? アイツ環さんの親戚だったってこと? 全然似てなかった……けどまあただの親戚ならそんなもんか。


「ですが今回、彼らではなくその従兄である玖珂 (ろう)というお方が長男の代理で来ていらしたことを思い出しまして」

「当主が忙しかったとかじゃないの?」

「私も最初はそう思っていたのですが……」


 藺月さんは一度言い淀むが、またすぐに口を開く。


「そうですね、ここからは本来情報屋としては報酬を頂きたい内容でして……」

「それを話しに来たんじゃないの」

「そうなんですけど」


 仕方ないな、何が知りたい? と観念した樹が聞くと、元々そのつもりで来たのだろう、藺月さんは考える素振りすら見せずに「今回の犯人炙り出しまでの詳細ですかね」と答えた。樹の視線が俺に向く。おい待てまさか立案者として俺が説明しろってことか? と思うと同時に樹が「後でそこの立案者に聞いといて」と思った通りそのまんまの投げ方をしてきた。この……と思うが、鈴にとって樹は主君だ。仕方ない、と飲み込む。

 取引が成立したことを確認した藺月さんは、声のトーンを落として俺達にだけ聞こえるようにこう言った。


「実は玖珂本家のご兄弟、少し前に上の三人が失踪したとの噂で」

「失踪」

「はい」

「忍びの世界じゃそう珍しくもないけど」

「それがどうやらただの失踪ではないようでして」


 ただの失踪ではない?


「なんの捜索もされていないみたいなんですよ、初めから」

「えっ……?」


 俺が思わず驚く横で、樹が冷静に「なるほど」と呟いた。


「死んでる線が濃厚だね」

「そうなんです。里がなんらかの死因を意図的に隠しているような気がしませんか」


 その言葉で、俺は茉央のことを思い出す。まさか、な……。


「今回の件と繋がりがあるかは分かりません。が」

「調べてみるのが良さそう、だね」

「ですね」


 それから対価として昨夜の話をした俺は藺月さんと別れ、先に部屋へと戻っていた樹の元へ向かう。

 さあ、ここからは調査の時間だ。




   * * *




「まさか〝これ〟の出番が来るとは……」

「私も予想外でした」


 作戦会議を終えた俺と樹は、甲賀の街に出てきていた。隣を歩く樹はつい最近見た覚えのある学ラン姿で、鈴はというと、やはり覚えのあるセーラー服を纏っていた。

 双子から借りてきた学生の変装。こんな格好でいったいどこに向かっているのかというと、もちろん制服が相応しい場所、学校である。

 といっても目的はもちろん学業ではなく─────


「会えますかね」

「さあ、どうだろ」


 泉狗に接触すること。


 俺達が藺月さんから気になる情報を聞いた後、樹は里冉組の二人と白兄達に招集連絡をしていたらしい。もちろんここからの調査のための作戦会議だ。それから全員が集まる時間までの間、樹と共に殺尾さんに玖珂家の資料を見せてもらえないかと頼みに行った。使用人の身である鈴は資料を直接見ることはできなかったが写真は見せてもらえたので、顔と名前を覚えた後、資料を見た樹からざっくりとまとめて玖珂家について教えてもらった。それを写真で見た特徴と共にまとめるとこんな感じだった。


 玖珂 阿曇(あずみ) 24歳 長男

 糸目、横髪の毛先に赤グラデを入れた灰桜色の長髪。穏やかそうな顔立ちの通り性格もおおらかで人当たりが良く、人身掌握に長けた陽忍。弟達を溺愛するブラコン。玖珂本家現当主。


 玖珂 アザミ 23歳 次男

 伸びたピンク髪、垂れ目、口元に黒子。一族の中でも上位の問題児。派手髪の割にのんびりした印象だが、性格は神経質でプライドを傷つけられると相手を許せなくなるタイプ。そのせいで学生時代は問題を起こして停学を食らったりしていた。忍びとしての実力は不明。


 玖珂 雫狗(しずく) 13歳 三男

 横髪の毛先が青の白髪、深い青の瞳。双子の兄の方。自由人で双子の弟への愛が重い問題児②。泉狗を傷付ける相手に対して容赦ない報復をするタイプだが、他でもない雫狗が弟のいじめの首謀者だという情報もある。真偽は定かでない。


 玖珂 泉狗 13歳 四男

 双子の兄である雫狗と瓜二つ、兄よりツリ目で癖毛気味。自信家で生意気な問題児③。兄弟以外と積極的に関わろうとしない人見知り。いじめられていた過去があり、その関連で本来なら罪に問われる殺しを行ったことがあるが、法雨の判断で不問とされた。


 玖珂 一楓(いぶき) 11歳 五男

 横だけ長い明るい金髪、中性的な顔立ちと服装。大人しい性格で甘えん坊な末っ子。兄達の横に立つために修行中。学校でも特に問題行動は見られないため上の三人よりは長男似と思われる。


 玖珂 浪 24歳 分家長男

 後ろで一つに縛った黒い長髪、暗い青眼。穏やかで優しい頭脳明晰な陽忍。年下に甘い。襲撃のあった宴会の日、阿曇の代理で出席していた。阿曇とは定期的に飲みに行く仲らしい。顔立ちも雰囲気も環さんに一番似てる気がする。


 玖珂 遊沫(ゆま) 12歳 浪の妹

 斜めぱっつん前髪の黒髪、暗い青緑の瞳でボーイッシュな格好。無口で人見知り。兄に甘やかされて育ったためお兄ちゃんっ子。一楓と同じ学校に在籍。こちらも特に問題行動は見られない。


 ……とまあ個々の情報はこんなところだ。

 玖珂家自体の話で言うと代々法雨傘下の忍びの家で、玖珂から使用人になる者もいる。環さんがそうだ。

 それと現代はあまり人数を要する大型な任務が頻繁にあるわけではないためまだ樹は一緒に仕事したことはないらしいが、昔はよく法雨が中心となる任務で人手が必要な時に呼ばれるような優秀な一族とのこと。……にしては当代は問題児が多いように思えるが。


 それで俺達がどうして泉狗の学校へ向かっているかだが、俺と樹が下の二人の調査、つまり泉狗と一楓を調べることになったから。

 ちなみに上の三人の行方の調査は白兄と英兄に、環さんの情報収集は雪也さんと冬倭兄に、誰かの捜索が必要になった場合は櫻夜さんとはる兄に任せる、ということになった。


 泉狗───と失踪中の双子の兄・雫狗が在籍する学校は甲賀の中でも大きめの忍者学校で、護衛組の皆は櫻夜さん以外がここの出身らしい。といってもはる兄はほぼ不登校だったみたいなので主に雪也さんと冬倭兄に学内の情報をざっと教わり、俺達は双子の他校の友達という体で生徒や教師に最近の様子を聞きに来たのだ。


「着きましたね。ここが泉狗くん達の通う学校……」

「近くを通ることはあったけど実際来るのは初めてだな」


 中等部と高等部が一緒になっているためか思っていたより大きい校舎を見上げる俺と樹。あまり見ていても不自然だと思いすぐに視線を落として校門から昇降口へと向かおうとした、その時。


「あ、やっぱ樹さんじゃないっスかー! どうもー!」

「げ」


 斜め後ろからかけられたやけに明るい声に驚く俺と、顔を顰める樹。早速知り合いと遭遇してしまったらしい。……おい待て、樹って同年代の知り合いいたのか?


「えーっと……薺」

「菘っスよ!! それもうわざとっスよね!?」


 振り向くと、そこには対梯隊の本部で顔を合わせたことのある、でもって俺に何やら嫌な視線を送っていた菘の姿があった。制服を着ているということは、菘の通う学校でもあったのか。

 楽だと気付かれるとまずいので顔をあまり見られないように樹の影に隠れるような位置どりをしつつ、二人の会話に耳を傾ける。


「樹さんとこんなとこでお会いできるとはー! お久しぶりっスー! いや~今日も麗しいっスね~! あっ里冉さんお元気ですー!?」


 満面の笑みで嬉しそうに樹に向かって次々と話しかける菘の姿は、さながら尻尾をちぎれんばかりに振りながら人に寄っていく犬のようだ。


「ってあれ、なんで樹さんがうちの学校にいるんスか? あとその後ろの子どちらさんっスか?」

「使用人。気にしないで」

「あ、そうなんスね。ていうか制服似合ってていいっスねぇ! もしかしてうちの学校に編入してくるとか!? あ、でも法雨の人間って学校じゃなくて……え? じゃあなんで制服?」


 樹が心底めんどくさいと思っていそうな表情をしているのが、顔を見なくてもわかる。菘のマシンガントークは樹がまともに相手をするタイプのそれでは無い。案の定先程の質問にも「諸事情」とだけうんざりした様子で返している。

 というか菘、本部で会った時とずいぶん印象が違うな。そういえば樹も「いつもと違いすぎて思い出せなかった」とか言ってたな……てことはこっちがいつもの………と俺が思っていると、何かを察したらしい菘が「……ああ!」と声をあげた。


「もしかしてうちの生徒に用とか?そうなら俺が呼んでくるっスよー!」

「本当? 玖珂の双子に用があるんだけど、知り合いだったりする?」

「あ~あの……まあ知ってはいるっスよ、有名人っスからね」

「へえ、そうなんだ」

「悪い意味でって感じっスけどね。そんで双子に用なら今日は無駄足でしたね。ずっと休んでるっぽいんで」

「え?」


 雫狗はともかく、泉狗もいないのか?


「なんかお兄ちゃんの方がずっと来てなくて。んで弟の方もしばらく休むって言って本当にそれから一度も来てないらしいっス。一人で学校来んのがそんなに嫌だったんスかねえ」

「それっていつ頃?」

「確か新学期始まってすぐって話なんで、四月の頭? だから校内ではちょっとした噂になってて、学年違う俺の耳にも入ってきてるって感じっス」


 そういえば万鱗で会った時も学校はサボってるって言ってたな。ていうか四月頭からってことは俺が会うより前から行ってなかったのか。


「玖珂双子になんの用だったんスかー?」

「君に言っても仕方ないから……で、君こそなんでこんな時間に校門の前にいるのさ」

「え?あー、えへへへ……」


 どうやらコイツもサボりらしい。授業を抜け出して先生に見つからないように忍んでいたら俺達が来るのが見えて、樹だと気付いて出てきた……ってとこかな。俺も樹も彼が背後にいたことに気付かなかったのはおそらくそういうことだろう。


「……学校にいるってことは今日は隊の任務ないんだ?」

「色々あったんで上の方針固まるまで帰されてるんスよ~法雨の皆さんもそうでしたよね?」

「ああ、そうだったね……」


 里冉班の活動停止理由が特殊すぎて他の班も休んでんの忘れるよな、わかる……と心の中で樹に共感する。

 そうして話しているうちに突如何かを察知したらしい菘が「あ、やべ」と零して、そのまま手をブンブンと振りながら「またうちにお参り来てくださいね~樹さ~ん!」と言い残して去って行った。

 その様子を見て諸々を察した俺と樹も、急いでその場を離れる。遠巻きに視線をやるとさっきまでいた付近に誰かを探している様子の大人が立っており、やはりな、と思う俺達。見つかってもいいように変装してきてはいるが、菘のおかげで既に知りたい情報が手に入っている分見つかっていたら手間が増えていたな。危なかった。


 さて、と。顔を見合わせた俺達は無言で頷いて、結局入ることのなかった校舎を背に次の目的地へと向かうのだった。


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