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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
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八十九話・頤の雫[2]


「気付いた?」


 部屋にいた者達全員に本家の忍びによる身体検査が行われたが、誰からも怪しいものは出てこないままに終わった。その後、部屋の中なら動くことが許可されたので入り口の封鎖中の樹の元へと向かった俺は、隣に立つなりそう聞かれた。


「何にです?」

「また茜雫が居ない」

「あ」


 言われてみればそうだ。あと、と樹が続ける。


「白兄だとバレた時に困惑よりも先に動揺していた人が居た。気のせいかもしれないけど」

「……! それは……」

「環さん」


 聞くなり、思わず環さんへと視線をやる。確かに他の使用人に比べて顔色が悪いように見える……気がする。


「自分が影武者を知らなかったことによる動揺か、それとも……」


 考え込んで何も言わない俺に、樹が「責任感じてる?」と小声で聞いてくる。


「いえ、白様が覚悟の上だったのは理解していますし、そのようなことは」

「そう」


 とはいえ、本当に危険な目に遭ったとなると単純に心配にもなるし、犯人への憤りも少なからずある。そしてこのまま犯人に撒かれてしまったら。そう思うと、穏やかではいられない。


「大丈夫だよ、本人言ってた通りかなり毒耐性あるしあの人。那岐さんもいるし心配いらない」

「そう、ですか」


 樹が言うならそうなのだろう。そうであって欲しい。


「それにしても、本当に食いつくとはね」

「そうですね」

「お手柄、と言いたいところだけど」

「犯人を見つけられていない以上、まだ収穫があったとは言い難い……ですね」


 十様が標的だと分かったことはでかい。つまり櫻夜さんが犯人だという可能性もほぼゼロになったわけで、護衛組にとって大きな収穫はあった。でも俺、楽としての目的は、襲撃犯に辿り着いて十様の信用を得て交渉に挑むこと。つまり結局、犯人がわからない限りは……。

 そう考えていると、すぐ後ろから妙に明るい声がした。


「毒を盛った犯人、分かったよっ」

「この声、茜雫先輩!?」


 襖を開けると、そこには「ごめんね、聞いちゃった☆」と舌を出す茜雫さんの姿があった。樹と顔を見合わせるが、先程の言葉を思い出しまずは話を聞くことにした。


「やっぱり君達の作戦だったんだね~今回の宴会」

「ええ、まあ。それで、犯人が分かったってどういうことですか」

「心配しなくても今から話すよっ。君達二人にも証言して欲しいことがあるから、協力よろしくね!」




   * * *




 誰一人外には出していない宴会場に、一人の青年が新たに増えた。その彼が皆の前に立ち、話し始める。


「結論から言うと、毒を盛った犯人が分かったよ」


 そう話し始めた茜雫さんに、一斉に視線が向く。


「これが証拠品」


 彼が手に持っているのは、どこかで見たことがある気がする小瓶だった。そしてそのままなんでもない雑談をするかの如く、さらりとこう言った。


「そして犯人は、たまさんだよ」

「……ッ!?」


 突如名を出された環さんが、驚く。

 こういう時、真犯人は指摘されたら笑うだのなんだのと聞いたことがあるが、その理論でいくと今の反応は白っぽいな、と思う俺。しかしまあなんというか、相手は忍びである。そんなものは当てにはならない。というか、だとしても今はその段階ではない。まだなんの根拠もないのだから。


「そんな……! この私が当主に毒を盛るなど……!!」

「そう、一番しなさそうな人だよね。襲撃を企てることも、この毒殺未遂も」

「……!? そもそもその二つが同一犯だという確証は」

「ない。けど繋がってるでしょ、実際」


 言い切ってみせる茜雫さんに、環さんは不思議そうな顔をしながら「……それで、その小瓶が証拠品というのは?」と聞く。


「当主を狙った襲撃があったその翌日、ボクとたまさんは備品の補充のために倉庫に行ったでしょ?」

「ええ、行きましたね」

「その時にたまさんが盗って、当主に盛った毒が、これ」


 あ、安心して! さっき特定作業中のこむぎんのとこ持ってって同じものって確認したから使われた毒ってのは確かだよ! と茜雫さんはウインクする。


「で、厨房からこの部屋までの廊下の窓の下にこれが落ちてた。身体検査が終わって解放された後に回収する気だったんだろうけど、その前にこの優秀なボクに見つかっちゃったってわけ」

「なぜそれを私が盗ったと?」

「あの日ボクとたまさんが倉庫に入った時点ではC-3の5段目の右奥2番目にあったはずのこの小瓶が、ボクらが出る時には消えてたんだよねぇ」

「あの倉庫には私達以外にも人がいましたが」

「うん、そうだね」


 そこで俺と樹に茜雫さんと環さん二人の視線が向く。俯き気味に話を聞いていた樹が一歩俺の方に寄り「俺達二人がいた」と顔を上げた。そして続ける。


「俺達は二人が来る前に倉庫に入って、二人が出る前に去った」

「つまり容疑者は四人、というわけだね」

「そうなるね」


 樹が冷静に同意する。急に容疑者として話に挙げられたのにこの落ち着きである。かくいう俺も自分の立場はそっちのけで茜雫さんの話の続きが聞きたくてうずうずしている。


「でもボクはもちろん盗ってないし、いっくんとりんりんもボクらが入ってから二人が出て行くまでの間はその棚には近寄ってない。だよね?」

「はい」

「入ってきた二人と倉庫の中ですれ違う形で外に出たからね」


 無くなっていた小瓶の位置が入り口側であれば樹と俺も十二分に犯人の可能性があるが、実際は入り口側の棚から数えて二つ向こうの棚の話であり、すれ違いざまに盗みに行けるような距離ではない。つまりこの時点で俺達は白だ。


「そもそも、ボクが小瓶があることを視認していたのは二人が出入り口で傘を開くタイミングだよ。二人が盗めるわけがないし、もし万が一にも樹様が暗殺目的で毒を盛る気があったとしても……」

「即効性のものなんて絶対に使わないし、こんな風に簡単に証拠を辿らせない。当たり前でしょ」


 陰忍舐めんな。と澄ました顔で言い放つ。樹が言うと説得力がある。さて、俺の番だ。


「そして私には動機がありません。騒ぎを起こして樹様の顔に泥を塗るわけにはいきませんし、そもそもこの場にいる誰よりも法雨に来て日が浅い。私も忍び、この場では出自は話せませんが、当主様のことをよく知る家系の出ではございません。もしこの何もないところから殺意が湧いたとして、私もこんな人前で毒を盛るなどパフォーマンスめいたやり方は致しません」


 まずこうして己の身を使い潜入任務を行う陽忍な時点で、毒殺などというやり方は好まない。とはもちろん言えないけれど。


「信用に値しないな」


 そう言ったのは月咲だった。まあそう来るだろうとは思ったが。


「そんなものいくらでも嘘はつける。法雨(ウチ)の者のように異能持ちで物質転送系の能力を持っているかもしれない。盗んだ本人でなくとも事件に絡んでいる可能性もある。例えば」

「まあまあ、彼女が犯人かもしれないという話を続けたところで得をするのは真犯人のたまさん一人ですよ。これ以上続けるなら共謀者を疑われても仕方ないと思いますが、月咲様」


 茜雫さんがそう言って月咲を黙らせた。おかげで最小限の自己開示でこの場を乗り切れて安堵する俺。


「茜雫、貴方が本当に盗っていないという証拠はないですよね。それに小瓶の正確な場所まで記憶しているのは不自然では」

「あっははは」


 環さんに言われた途端、茜雫さんが笑い出す。


「綺麗に並べられた瓶の中から不自然な位置の一本だけが欠けていたら流石に気付くよ」


 そう言った茜雫さんの表情はいつものように口角が上がっているが────


「忍びの観察眼、舐めてもらっちゃ困るなぁ」


 目は少しも笑っていなかった。

 この法雨内で極秘任務を任されている(という噂がある)だけあるそのオーラに圧倒され、環さんはそれ以上の追求をやめた。茜雫さんがそこまで把握する力があると思っていない、ということを皆の前で見せるほどに彼と一緒に倉庫に訪れた時に盗みを実行した本人であるという説得力が増すことにも気付いたのだろう。


「他に誰か潜んでいたという可能性も」

「ほぼ無いに等しいよ。あの日は雨が降っていたし、出入り口に立てかけてあった傘はいっくんとりんりんの二本だけ。わざわざ濡れ鼠になって不自然な痕跡を残してまで忍び込むなんて忍びのやることじゃない」


 完全な第三者が雨が降り出す以前より潜んでいて、環さんに擦りつけるためだけにそのタイミングで瓶を抜き取り、それをわざと茜雫さんに記憶させ、雨が止んでから倉庫を去った、という可能性もあるにはある。が、そこまでして環さんに擦りつけたい相手がもし存在しているのであれば証拠品は環さんの所持品の中に混ぜるだろう。そして何より、実際にあの日倉庫にいた俺達があの場には四人しかいなかったと確信している。


「そもそもこの宴会が決まったのはその日より後です。この宴会を見越して盗んでいたとでも言うのですか?」

「ああそれはね、元は当主に使う気じゃなかった、が答えでしょ?」

「……なんですって?」


 気になっていた部分の答えが突如明らかになる。元は当主に使う気じゃなかった……? ということは……


「罪の意識に耐えられなくなった時の自決用。だから持ち運んでいた」


 環さんは何も言わない。そして茜雫さんが続ける。


「ていうか最初から当主を殺す気ならあんな迎撃前提が見え透いた襲撃は仕掛けないでもっと確実でバレない方法を使うし、たまさんはそれが使える立場なのに、そうしなかった。ってことは何かの作戦か術の一端でしょ?」


 環さんは何も言わないままだ。


「でも全くの無関係であるさっくんが捕らえられるのは想定外。これは勘だけど、そもそもあの襲撃自体ちょっと予定から狂っていたんじゃない?」


 茜雫さんは更に続ける。


「で、今日の宴会の話が出てふと思った。さっくんが捕まっている中で十様を狙う者が現れれば彼の無実が明らかになってすぐに解放されるのでは? と」


 ということは、つまり────


「あわよくば本来の計画通り自分が炙り出されて計画が元の軌道に戻る……って感じかな」


 本当に水月の術を使っていたのは環さんの方だった、ということにならないか?


「誰かが私から奪って使った可能性もありますよね」


 やっと口を開いた環さんは俯いていて、表情は見えない。


「それなのに私がやったという根拠は」

「白様の変装だったと知った時の動揺」

「なぜそれが」

「あの十様が毒如きで死ぬわけはない。でも白様なら?」


 茜雫さんがいつもの朗らかさとはかけ離れた、別人の様に畏まった雰囲気で問いかける。


「それに貴方はあの方の過去もご存知だ」


 そう言った茜雫さんの表情は少し悲しげに見えた。


「英樹様が取り乱したことでより罪悪感が募り、思わず動揺を顔に出してしまった」


 ふといつもの空気に戻った茜雫さんが、環さんを真っ直ぐ見て、泣きそうに微笑む。


「それほど法雨の人間を愛しているたまさんが、本気で彼らを手に掛けようだなんて思うはずがないから」




「私の、負けです」


 環さんはそう言って、少し安堵したように眉を下げて笑った。

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