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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
83/105

八十二話・隠れ陽


 薄暗い廃寺で一人、蹲ってアイツを待っていた。

 ずっと。ずっと待っていた。


 でも今年も来ないんだ。わかってる。来年だってきっと来ない。

 アイツは俺なんか覚えちゃいないかもしれない。


 ────そもそも生きているかどうかすら、俺は知れない。


 それでも会いたかった。

 意味がないとわかっていても、足を運ばずにはいられなかった。


 伊賀者である俺は、甲賀の、ましてや法雨の後継に会いたいなんて、口に出来るわけがない。

 そうして年々内に溜まっていくばかりの感情。

 言いたいことがありすぎて、言えないことがありすぎて、吐き出せない言葉が喉の奥に詰まってたまに声が出なくなるくらいに、それは際限がなかった。


 アイツに、会いたい。


 言ったところで会えやしないのがわかっている。余計に惨めで寂しくて情けなくて堪らなくなるのがわかっている。だからなのか、声に出そうにも音にならない。


 こんなの、忍び失格だ。

 俺が忍びらしくいられないのは、いつだってアイツのせいだ。

 でもそれでもいいかなって思えるくらい、記憶も、感情も、捨てたくない。


 あの日繋いでいたはずの手の寂しさを紛らわせるように、ぎゅっと装束を握った。




   * * *




 流石にそろそろ見慣れた天井をぼーっと見つめ、嫌な夢見たなあ、なんて思う。

 昔の記憶だ。アイツをただずっと待ってる夢はよく見るし、別に、いつものことなんだけど。正直、今はあんまり見たくなかった。


 俺の記憶、全て消えてるんだろ、今のアイツ。

 てことは会えなかった間の、俺を想ってた時間の記憶もないってことだろ。


 何が「会いたかった、忘れた日はなかった」だ。

 こんなあっさり嘘にしてんじゃねーよ、ばあか。


 ………いや、わかってる。アイツの意思じゃないって。十様がやったことだって。樹の話じゃ最後まで嫌がってたらしいし、アイツのせいじゃないってのはわかってる。


 昨日のあれだって、多分、覚えてなくても相手が俺だったからあんなこと言ったんだってのも。

 まあそれにしてもワンナイトは無いけど。無いわ。マジで。鈴じゃなくて俺に向かって言われても「は?」つってたわ。はーあ。記憶戻したら絶対問い詰めてやろう、あの発言。そのためにもぜってー戻してやるから。待ってろ。ふん。


 なんて考えていたら昨日樹が言っていたことが浮かんで、あ、いつもの俺っぽい。と思った。


「あ、あー……んんっ」


 よし。声も出るな。


 夢のせいで別に今思い出さなくて良かったのに思い出してしまったことがもう一つ。俺はどうも昔から失声症になりやすいらしい。

 親父やうちの使用人だけじゃなく、茶紺や卯李にもいつものことだと思われてるくらいには定期的に声が出なくなるのだ。ストレスとかとは結構無縁に生きてきたつもりだったが案外そうでもないらしく、医者(ていうか杏子)には心因性だと断言されてしまってなんとなく悔しくなったのを覚えている。


 心因性……ていうかそうだ俺昨日……結構やべーとこ樹に見せちまったよなあ……と身支度を始めながらつい頭を抱えた。

 いつもなら多分声出なくなってると思う。でも問題なさそうなのは……もしかして樹に全部話したからか? ああそうか、今は夢で見た時期の俺とは違うんだ。あの頃には知り合ってなかった樹がいる。里冉のことを素直に話せる相手が、いる。だから夢で見るまで忘れていられるくらいには、失声症と無縁になっていたのか。


 ここに来てから何度目かわからない樹への感謝をしていると、急に窓の外が煩くなってつい意識がそちらへと逸れた。どうやら結構強めの雨が降り出したらしい。

 昨日のうちに部屋の方見に行ってて良かった。あの怪しい現場に気付けないままになっていたかも知れない。


「……よし。んじゃそろそろ行きますか」


 だんだんと緩やかになっていく雨の音を聞きながら支度を済ませた俺は、最後に白さんから預かっているピアスを懐に忍ばせた。

 これのお陰で梯から無事に生還したと言っても過言ではない。だからあの日からお守りのように肌身離さず持ち歩くようにしていた。

 ……それに、これを持っているとなんとなく俺まで法雨の一員になったみたいでちょっと嬉しくなれるんだよな。まあどこまでいっても〝みたい〟でしかないんだけど。


 部屋を出る。すると女中の一人から声をかけられた。話によると冬倭さんが鈴を探していたらしく、すぐに殺尾家へ向かうようにとのこと。

 樹と早く合流したかった俺にとって、それは朗報だった。




   * * *




「待ってたよ鈴ちゃん! こっち手伝って~!」


 殺尾家に着くと、冬倭さんが朝食の準備をしていた。「いつもは櫻夜がいるから楽なんだけどね……」と話し始める彼によると、殺尾さんや采女さん(里冉と樹のママさん)が不在の日はこうして護衛組が朝食を作りに来て兄弟と一緒に食べることになっているらしい。そもそも普段から使用人がやってるんじゃないんだ? と思うが、どうやら家族がある程度揃っていると采女さんや里冉が作って家族だけで食卓を囲むようにしているらしい。なるほど、道理であの里冉が樹の好き嫌いだけは完璧に把握してるわけだ。


「殺尾様と采女様は……?」

「昨日のアレで、親組は朝早くから本邸に集められてるっぽい」


 あとで子供組も集まるってさ、と続ける冬倭さん。それに対して「ほんっと面倒臭いよね……」と言いながら身支度を終えてきたらしい樹が台所へと顔を出した。


「樹様! おはようございます!」

「おはよ」


 そうして三人で朝食を食べた。櫻夜さんのいない樹組、ということに少し寂しくなりながら。

 しかも本当ならこの家には里冉もいるはずで………。


「そういえば、今回の事件もですが里冉様の記憶を戻す方法もまだ……ですよね」

「まあね」


 食器を片付ける俺達を見ながら、大方当主を説得するしかないんだろうけど。と続ける樹に、だよなあ、と思う。


「……里冉様の記憶……やっぱり奪われてたんすか」

「うん。そうみたい」


 冬倭さん達にはちゃんと報告していなかったことを思い出し、昨日あったことを改めて話した。すると何故か冬倭さんが楽様、と小声で俺を呼んだあと「昨日はすみませんでした……!!」と頭を下げてきて、困惑する。


「な、え、なんで……?」

「昨日……お辛い状況だということに気付けず……俺達……無神経なことを……」

「……あ!? あれっすね!? いや全然!? ていうか俺が聞きたいって言ったんで……!!」


 どうやら俺が逃げるようにあの場を離れたせいで、残された護衛組はやらかしてしまった……という空気になっていたらしい。いや全然、俺が勝手に羨んで勝手に逃げただけなんで、気にしないでいいのに。むしろ気を遣わせてしまって俺の方こそすみません、なんて思ってたら樹が「ふうん」と机に肘をついて冬倭さんへと視線をやる。


「へえ? うちの相棒泣かせたの君達だったんだあ?」

「ちょっっっ」


 泣いたこと言わなくていいって!! と俺が言う前に、冬倭さんが「目赤くなってたのやっぱそういうことですか!? えええ本当にすみません、あのバカップルだけならともかく止めるべきの俺達まで無神経に」と余計に謝り始め、あ……やっぱ泣いたのは気付かれてた……と恥ずかしくなる俺。多分今の俺、目じゃなくて耳が赤い。


「ち、違います違います、あれは里冉が悪いんで」

「でも……!」

「いや本当に……護衛組のせいじゃないんで……気にしないでください……!」


 樹も変なこと言ってんじゃねえ! と視線をやると、白々しく目を逸らされた。くそう、確信犯め。相棒という立場を使って俺や護衛組で遊ぶんじゃない。


「あと今更っすけど俺相手でもそんな畏まらなくていいんで……!!」

「え! あ! はい!」

「むしろ冬倭兄って呼んでいいすか!!」

「もちろん!!」


 そんなこんなで何故か冬倭兄と距離を縮めた俺は(?)、露骨に行くのを面倒がっている樹と共に本邸へと向かった。

 道中、昨日調査すんのノリノリだったじゃん、と聞く俺に、樹は「別に調査が面倒なわけじゃなくて、当主と顔合わせんのが嫌なんだよ」とため息混じりに言う。


「でも記憶戻すのも、当主様説得するしかないんですよね」

「そうだね。なんらかの手段で無理矢理戻したところでまた術かけ直されたら意味ないし、立場上、当主からアイツを引き剥がすのも不可能だし」

「ですよね……」

「当主がどういう心境の変化でこんなことしてんのかは正直わかんないけど、以前の……記憶奪われる前の心境に戻す、或いはそれに近い状態に変える、って考えた方が現実的かもね」


 以前の心境。多分俺の存在は取るに足らないと思っていたか、そもそも里冉が隠し通せていたかのどちらかだろう。いやむしろ知ってはいたが忍びとして使う以上は外に出さないといけないため仕方なく放置していた……とかで、あの誘拐で我慢の限界を迎えた、かな。

 だったらむしろ、以前よりずっと俺への敵意のない状態に持って行かなきゃいけない気がする。ていうかそれが一番……この先もアイツと一緒にいられる道、な気がする。


「……今回の事件の真相暴いたら、俺の話、聞いてもらえたりしないかな。そんで悪影響じゃないって、証明できたら……」


 俺としてのその言葉に樹は少し考えて、言った。


「難しいとは思うけど、まあ賭けてみてもいいんじゃない」


 あと本邸もうすぐそこだしちゃんと鈴でいてよね。と怒られた。あ、はい。すみませんでした。




   * * *




「らっ……」


 らっくん。そう言いかけた彼の口をものすごい反応速度で塞いで、胡散臭いほどの爽やか笑顔を浮かべる隣の美少年。


「白様、英樹様! 昨日の宴会以来でございますねっ!」


 改めて『新入り』の『鈴』と申します! とこちらもわざとらしく強調し、笑顔を貼り付けて自己紹介をする。呼ぶなよ。楽って呼ぶなよ!!!! そう釘を刺すように英樹さんの手を強めに握り、握手をしながら。

 そんな俺に白さんが横から爽やか笑顔で「アッハハ~よろしくね鈴さ~ん」と言い、そのまま英樹さんと俺を近くの客間に引き摺り込んだ。そして一言「おい馬鹿」と英樹さんを戒める。


 本邸に着き、当主の部屋に向かった樹を見送った矢先、遭遇したお二人。

 まさか樹に注意された側から本名を呼ばれかけるとは思わなかった俺はもうドッキドキで、白さんにとりあえずお礼を言う。その間、英樹さんは申し訳なさそうに背を丸めていた。


「ご、ごめんね……鈴ちゃん……でいいの?」

「はい! 是非そう呼んで頂ければと!」

「……で? 昨日から気になってたけどなんでうちにいんの君」

「えーっと……色々事情がありまして……」


 俺の言葉で話せば長くなることを察したらしい白さんは「わかった、ちょっと後でまたこの部屋で話そう。俺ら先に当主のとこ顔出してくるから」と早々に切り替えて部屋を出て行ってしまった。




 それから数十分後。

 言葉通り用を済ませ客間に戻ってきた白さんと英樹さんに、俺は今回の潜入の事情や昨日の事件について、色々と話した。上に怒られること覚悟で俺を助けに来てくれた(里冉についてきてくれた)お二人ならきっと協力してくれるだろう、と。

 里冉が俺に関する記憶を奪われたらしいことも伝え協力を頼むと、案の定お二人は「大して役に立たないとは思うけど俺らにやれることなら全然やるよ」と快く引き受けてくれた。


「白兄と英兄……って呼んでもいっすか」

「急にどうしたの。好きにしなよ」


 ここに来てから(というか樹から)この呼称ばっか聞くんでつい俺も呼びたくなっちゃって。と言うと、もう好きなだけ呼んで! と英兄が嬉しそうに笑ってくれた。


「でその、白兄と英兄って……その」

「ん?」

「……付き合ってるんすか?」


 わあド直球。と苦笑する白さんを他所に、英樹さんが「そうだよ~」とあっさり肯定する。


「おい」

「事実じゃん?」

「………そうだっけ」

「やーいツンデレ~」


 うるせえ、と英兄のマフラーを引っ張る白兄。なるほど、白兄はあんまり大っぴらには言いたくないけど恋仲なのは確か……って感じかな。


「馴れ初めとかは流石に聞いちゃダメな感じっすか?」

「うーん、だめっつか話せるような馴れ初めらしい馴れ初めが無い……かな。ガキの頃からずっと一緒にいるし、いつの間にか相棒の延長で……まあ……そういう関係にもなってた……ってだけ」

「へえ……」


 少し照れながらも話してくれる白さん。単にツンデレ故に認めにくいだけで言いたくないわけではないのかな、と認識を改める俺。


「で? 何? 嫁いでくる気にでもなった?」

「なっ……違っ……」

「冉兄のこと好きなんだろ?」


 あっさり話してくれたの、さてはそういうことか……! と気づく。まあさっき記憶戻したいとかそのために来たとか散々話したしそりゃそう……なる……か!? いや白兄なら二人の関係聞いた時点でもう俺が何話したくて振ったか察してそうだな。ていうか……


「それが……その……わかんない、っつか……」

「はあ?」

「俺はアイツに思い出してもらって……どうしたいんだろうって……」


 色々と問い詰めたいし文句は言いたい。言いたいけど、別にその先は……付き合いたいとかそういうわけじゃないし……多分。と心の中で付け足す。いや、うん、多分。どうこうなりたいわけじゃない。今のところは。

 そんなことを思っていると、英兄が「どうしたいとか特別な理由とか、いらないでしょ」と真っ直ぐに俺を見つめて言った。


「好きな人に忘れられたらそりゃ辛いし、思い出して欲しいに決まってるよ~! 俺がもし白に忘れられたらショックすぎて三日は寝込むもん!」


 その言葉に、そっか、そうだよな、と思う俺。そして間髪入れずに「それで済むあたりがバカっぽくてウケる」と英兄を弄り始める白兄。


「さては白は三日で済まないんだ?」

「んなこと言ってない」

「ちなみに寝込んだあとは新たに思い出作ってこモードに切り替える!」

「はいはい相変わらずポジティブでちゅね英樹くんは」

「でもこういうとこが好きなんでしょ」

「うるさい。確かに嫌いではないけど」


 俺そっちのけで夫婦漫才始まってる? とつい微笑ましくなってしまった。うーんなるほど英兄のポジティブさが白兄のツンを全部惚気に変えてく感じが微笑ましいのか、なんて分析してると、あれなんか既視感……と思う。…………あ、俺と樹か。


「……そんで? もしかして冉兄の置かれてる環境知れば知るほどこのまま忘れられてた方がいいのかも……とか思っちゃった?」

「……っ」

「図星か」


 白兄にはお見通しなんだな、やっぱり。

 当主の説得のために必要になる、悪影響じゃないって証明。どうすればそれができるか、お二人を待ってる間に考えていた。でも考えれば考えるほど、俺はアイツにとって悪影響でしかないんじゃないかと思えてきて。

 そもそもここまでして取り戻そうとしている時点で、当主から見たら多分、邪魔な存在でしかなくて。


「……俺、アイツにとって完璧な次期当主であることを邪魔する存在……なんだなって……」


 里冉はどう足掻いても法雨の一族の期待を背負った次期当主で、俺に会えなかった数年で当主への道を頑張って歩んできたはず。会えなかった間のその努力はきっと法雨のためにあるもので、もちろん、俺なんかのためじゃない。

 里冉が本来歩むべきは当然法雨当主への道であって、俺のために危険を冒す道じゃない。……まあこれは里冉だけじゃなくて、立花次期当主である俺にも言えることなんだけど。ほんと、何してんだろ俺。


 とにかく法雨を知れば知るほど、里冉がこの家にとってどれだけ重要な存在かを理解してしまうのだ。そんな中、俺個人の感情ひとつで当主の束縛から解放しようだなんて……


「冉兄ってそんなこと言うタイプだっけ」

「へ」


 白兄の言葉に、思わず間抜けな声が漏れる。


「好きな人を忘れてまで完璧な次期当主で在りたい、って、本人が言ってた?」

「……!」


 いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げ、白兄を見る。いつも通り涼しげな表情。でもいつもより真剣な眼差しが俺に向いていた。

 ぐるぐる考えていたのを全部見透かされた上で、頬に平手打ちを食らって目を覚まさせられた気分だ。


 ────そんな俺に、別の声がもう一発の平手打ちを食らわせた。しかも今度はちゃんと痛いやつ。


「でもりーくんがりーくんらしく居られなくなってる元凶、どう考えても君だよね」


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