七十六話・雨中の鈴の音[2]
朝。目覚めてまず見知らぬ天井が目に入り、あ、と思う。
法雨にきたんだった。しかも使用人兼護衛として、潜入していたんだ。
そして樹の計らいで男子寮に比較的近い一人部屋を割り振ってもらっていたこと、ここでは鈴として女装で過ごさねばならないということ。それらを案外スッと思い出し、そのまま身支度を始めた。
女物の着物はいつもより帯が高くて変な感じがする、とふと思う。いや、変な感じ……というよりかは……そうだ、懐かしいって感じだ。女物の着物、そういえば昔は普段から着ていたな。自分でもやけに着慣れてるなとは思ったが、そうじゃん。ほとんど外に出してもらえなかったあの時期、基本ずっと女装させられてたんだ、俺。
なんか……いつも以上に思い出さなくていい記憶の引き出し開けちゃったな。でももしかして女装させられてたのも例の立花の言い伝えに関係あったり……? いや、流石にないか。親父のことだし、それこそこういう任務でいつか役に立つとか思ってやってたんだろうな。そこまで考えて、身支度に意識を引き戻した。
思いの外着慣れてるとはいえ久々で少々時間がかかってしまったので急いで他の支度を済ませ、部屋を出る。使用人寮の厨へと向かい、既に朝食の用意を始めていた環さん達に挨拶をしていると、すぐ後ろから明るい声が聞こえた。
「おっはよ~たまさん!」
「おはようございます。遅いですよ茜雫」
「いやあ昨日れーくん達とゲームしてたら四時とかでさぁ! びっくりだよね~!」
「ほどほどにしなさいとあれほど」
茜雫、と呼ばれた白髪ピンクメッシュに水色のピンをつけた可愛らしい顔のお兄さん(といっても俺らとそう歳は違わないと思う)があくびをしながらもハイテンションで台所に顔を出す。オカンスイッチが入ったらしい環さんに怒られながらも朝食の準備を手伝い始める彼の手際の良さをつい眺めていると、目が合った。
「……あ! りんりーん!」
「へぁ!?」
急に覚えのなさすぎるあだ名で呼ばれ思わず変な声が出てしまう鈴の手を満面の笑みで握り、「茜雫で~す! よろしくね~!!」とブンブンと握手をする茜雫さん。気圧される俺。そして呆れ顔の環さん。
「すみません鈴さん、彼基本誰に対してもこんな感じなので……」
「む、誰が距離感バグ野郎って~?」
「違わないでしょう」
違わないだろうなあ、と内心で環さんに同意する。でもこの感じ嫌いじゃないな。なんなら親近感すら湧く。多分樹には俺もこう見えてる気がする。
仲良くなれそうな気がしたので(?)とりあえず先輩手際いいですね! と褒めると茜雫さんはノリノリで鈴にもやれそうな食材の下準備や配膳を教えてくれたので、つられてノリノリで後ろをついて回っていると、起きてきた櫻夜さんに「わんこ……」と呟かれた。隣にいた杳己さんに「さくがそれ言うの?」とツッコまれていたが、櫻夜さんってそんなわんこ系なのだろうか。
そんなこんなで朝食を終える頃には茜雫さんや環さんともかなり打ち解けられた、気がする。
それから日中は櫻夜さんと冬倭さんに昨日覚え切れなかった使用人の仕事を教えてもらった。敷地内の安全な通り方や屋敷の案内もしてもらいつつ、法雨についても色々と教えてもらえた。
里冉や樹が生きてきた世界を知れるのはもちろん楽しさや嬉しさもあったが、同時に伊賀忍である俺との距離を肌で感じてしまい、ほんのちょっと、悲しくもなった。
同じ忍びの名家だしうちと似通ってる部分もないわけじゃなかったが、それでも空気感というか、世界はかなり違った。立花は何故か親戚がかなり少ないのもあって規模感からして全然違うし。うちは伊賀の里内に普通に屋敷があるが、法雨は広大な敷地内に本邸と殺尾家(里冉と樹の家)、那岐家(白さんと双子の家)、樫家(奈茅さんの家)(今は親子共に本邸で暮らしているため倉庫と化している)と使用人寮があり、他にも鍛錬場や研究所など法雨の忍びに必要な施設が一通り揃っている。これだけ揃っていれば確かにわざわざ外と関わらなくても……と思っても仕方ない。というかそう思うように、内に閉じ込めるためにここまで充実させているのだろう。里冉を部屋に監禁しているあたりからも考えて、やはり十様の性格は独占欲が強く人を支配したがるタイプだろう。多分思い通りにならないと気が済まない王様気質で、機嫌を損ねると厄介なそれだ。
今回の任務、俺が思うよりずっと難易度高いかもしれない。いやまあ元々容易くはないとは思っていたけれど。
ところで話は飛ぶが、使用人寮の風呂は時間で男女交代制のそこそこ広めの大浴場だった。
俺は女装してる以上どちらに入るわけにもいかないので、お湯を抜く直前にこっそり入ることに。本当はゆっくり入りたいがそうもいかないのでさっさと体を洗い、湯船に浸かる。ずっと鈴として気を張っていたのを今だけでもと緩めながら、他の人が来ないかの見張りをしてくれるついでに風呂掃除を始めた里冉組を眺めていると、ふとこちらへと視線をやった雪也さんと目が合った。
「……なんすか」
「いや、本当に男なんだなって」
思わぬ返しに「ど、どこ見てんすか」と動揺し、湯船の中で膝を抱えて丸くなってしまう。
「ていうか疑ってたんすか……!?」
「疑ってたわけじゃない……が、鈴でいるときのアンタが自然すぎたから」
涼しげな顔で何まじまじと見てくれてんすか……と気恥ずかしさを覚えていると、背後からも声が。
「あ、ほんとだちゃんと男の子だ」
びっくりして振り向くと、案の定杳己さんも俺へと視線を落としていた。
「ちょ、はるさんまで!?」
「いやぁ、鈴ちゃんすげーかわいいからびっくりしました」
女装がバレないのさてはクオリティが高すぎるからだな……!? と察する。忍びとしては嬉しいことではあるがどこか素直に喜べない俺もいる。そういや桜日にも手は綺麗にしておいて損はない云々言われたな……。
「そんな可愛いんすかね、鈴」
「可愛いな」
「そうすか」
クールな雪也さんにそうも真っ直ぐ言われてしまうと流石にちょっと照れる。嬉しいような、嬉しくないような。
「まあ元々ここの使用人野郎ばっかだし、女の子もみんな色んな意味で逞しいってのもあるから余計?」
「うちの女子は強すぎて可愛げがない」
「それ」
なるほど。女性陣に聞かれたらボコボコにされそうな会話だな。
「確かにイケメンだらけですよね、ここの使用人」
「そうそう、俺を除いて」
「はる」
「ごめんなさい」
でもだって顔に傷とかあるしそれでなくても周りの顔が良すぎて浮いてるでしょ俺ぇ! と流れるように自虐を重ねていく杳己さんに、雪也さんがヘッドロックをかます。
「お、俺……じゃない、まあいいか今は、もう上がりますねっ」
素っ裸で鈴やんのも無理あるな……と諦めた俺は、ギブギブ! と雪也さんの腕を叩く杳己さんの横を足早に通り抜けようとする。すると、雪也さんが「あ、」と何かを思い出した。
「鈴……いえ楽様、樹様が部屋でお待ちです」
* * *
昼間に人目につきにくいルートを教えてもらっていたのが、まさかこんなに早く役に立つとはな。
風呂で雪也さんに「あの樹様が連れてきたという時点で嫌でも目立つ。俺達以外の誰かに見つかったら厄介だ、気をつけるように」と言われたのもあり、俺は全力で人に見つからないように殺尾家へと向かった。
そうして辿り着いた樹の部屋では、どことなくいつもよりテンションの低い樹が待っていた。聞けば家じゃいつもこんな感じらしい。昨日はご機嫌だったのに、と思うが、そういやあれは俺で遊んでいたからか、なるほどな。
「んで? こんな夜に呼び出して何の用っすか樹様?」
「変に使用人モード混ぜるのやめてよ気持ち悪い」
相変わらず毒舌な樹に俺はちょっと笑って、「まさか夜のお誘いだったりしないよな?」と冗談を重ねると「ばっかじゃないの」とツンデレの模範解答のような反応が返ってきた。
「あ、そういや今日も櫻夜さん達に案内してもらって色々見て回ってきたぜ、敷地内」
「人ん家をそんな観光地みたいに……」
「実際そんくらい広いんだもん、すげえよなあ法雨」
そうかな……と呟く樹。そりゃここで育ったらわかんない感覚だろうけどな?
「軽く倉庫の掃除とかしてたんだけど、昔のアルバムとかすげえあんのな」
「ああまあ、うち親とかはそんなに興味無さそうだけど使用人が結構撮りがちで」
「こんながっつり忍びの家系なのに珍しいなって思った」
外の人間からするとわからない感覚かもしれないが、俺達が生きる甲伊は術や教えはほとんど全て口伝で伝えられるような世界だ。物として残すという文化が根付いていない。特に伊賀はその傾向が強いため多分立花にはアルバムなんて一冊も……………いや親父が勝手に俺の写真コレクションしてる可能性はあるけど、俺が知る限りは多分、ない。実際俺に見つかれば困るであろう母親や妹の写真なんて残せなかっただろうし。
「見てたらわかると思うけど、昔から若い使用人の比率が多くなるようにしてるっぽくて。しかも甲賀者って結構みんな新しいもの好きだからすぐカメラ類とか持ち込むんだよね」
そういえば朝茜雫さんも「ゲームしてたら~」とか言ってたな、と思い出す。あれ聞いてまず法雨内にゲーム機とかあるんだ……と思ったもんな。最初はアナログゲームかなとも思ったが、朝食中の話を聞く限り多分格ゲーの類だろう。ああいうのって実力同じくらいの友達とやるとどっちも勝ち逃げしたいからってすぐもっかい! ってなってやめ時見失うよな、わかる。……じゃなくて。
「カメラ持ち込み、当主は許してるんだ?」
「まあ、なんだかんだで身内バカだから……むしろいい写真はどんどん共有してくれスタイルっぽい」
「へええ」
ちょっと意外だなと思ったが、樹が「まあ兄貴の写真が欲しいだけだと思うけどね」と付け足し、思わず納得する俺。
「樹の昔の写真とか探したらいっぱいありそ~明日も倉庫掃除ないかな」
「ちょっと、勝手に見ないでよ?」
「ええ~~鈴も昔の樹様知りたいです~~」
「知らなくていいし今鈴やんなくていいし。ていうか櫻夜とか冬倭もそこまで昔は知らないよ」
そうなんだ? と言うと、本家に来てまだ二年とかだよあの人達。と意外な情報が飛んできた。
「そっか若い人の割合多いってことは」
「そうそう。すぐ入れ替えんの、当主が」
鈴が特例での採用ってこと以外は詳しく知らないので改めて聞くと、どうやら法雨の使用人は10代のうちに分家で下積みをしたのち、優秀な者や本家の人間と相性の良さそうな者は18~20くらいで本家に呼ばれるらしい。30近くなるとほとんどは分家に戻され次の世代の教育係として働く、というのが法雨の使用人の辿る道らしい。
当主の横暴に耐えきれずに辞めるものも稀にいるらしいが、そういう者は大抵は分家時代に弾かれるためそこまで入れ替えが激しいわけでもないとのこと。そして鈴みたいな感じで子供を本家の人間が拾ってきて使用人として抱えることもたまにあるらしい。なるほど、鈴が初めてじゃなかったからあんなにすんなり受け入れられたのか。
「改めて聞くとあれな……すげえ失礼だけど、杳己さんが分家で弾かれてないのがちょっと意外だよな」
「まあね、精神弱々に見えるからねあの人」
「見える……ってことは」
「ああやってその場でマイナス思考を発散できるタイプはなんだかんだ強いんだよ。変に溜め込まないからヤバい爆発の仕方しないし、わかりやすい分周りがメンタルケアできるから」
確かに。そういえば仕事自体はストレスなく(なんなら楽しく)やってそうだったし、悲観的なのは元の性格というだけで別に法雨が弾くようなタイプではないのか。
「あとまあ、ああいうのが一人はいた方が周りが仲良くやれるからね」
「結構人間関係のバランスとかも考えて採用してんのな?」
「閉鎖コミュニティだし、むしろ一番重視してるかも」
勝手に実力が全ての世界なイメージがあった分、かなり意外だった。
「そういう意味じゃ、櫻夜が一番危ういかもね」
「へ? そうなのか?」
「まあちょっと、アイツ色々とややこしくて」
気にはなるが、樹がそれ以上続けなさそうだったのでふうん、と流す。聞いちゃいけない話もあるだろうし、な。
「……ていうかそういえば俺も昔のアルバムとか見たことないな」
「樹はああいうの興味なさそうだもんなあ」
「どうせ兄貴ばっかだろうし見たいとも思わないけど」
「それはそれで見たくね?」
それは楽だけでしょ。と返されるが、俺が「いやちっさい頃ならギャン泣きしてるとことか情けない姿も写ってるかもだぜ?」と言うと「それは確かにちょっと見たいかも」と手のひらを高速で返す樹。流石すぎるぜ相棒。そういうとこ嫌いじゃない。
それからしばらく話し込んだあと、やっと本題を伝えていないことに気付いた樹が何やら紙とペンを用意し始めた。
はてなを浮かべながら大人しく待っていると、樹は「あとで燃やすから今暗記して」なんて言いながらすらすらと見取り図らしきものを描き始めた。
「とりあえず改めて当主の部屋の位置教えとく」
「お、マジ? 助かる」
だだっ広い法雨の敷地の中でも特に一番広い屋敷である本邸。その本邸の奥、渡り廊下の先にある十様の部屋。描き終えると、樹はペンの先でその部屋をトントンと叩いた。
里冉は、そこにいる。
「基本的にはずっと当主が傍にいると思う」
「だよなあ」
「用もなしに近づくのはまず無理だし、兄貴が一人で部屋にいる状態で中に入るのは多分もっと不可能」
記憶が本当に抜かれているのかをまず確かめたいのに、直接会うことですらかなり難しい。わかってはいたが、改めて確認すると本当に難度の高いことをやろうとしているんだな、と思う。
あの日からずっとそうだ。俺はただ里冉と会いたいだけなのに。里冉もきっと、ただ俺といたいだけだろうに。
どうしてこんなことにならなくちゃいけないんだろうな。
「……けど、当主が不在且つ兄貴が部屋で一人になる……と思われるタイミングがある」
「お!?」
思わず身を乗り出して食いつくと、今言うから落ち着きなって、と言わんばかりに元座っていた場所へと戻された。
「当主は定期的に開かれる宴会には、必ず姿を見せる」
樹は表情を変えずに続ける。
「今のこの状況でどれだけの時間参加するかはわからないけど、傘下の者を呼び出している手前最低でも三十分から一時間は大勢の人の前に出てくることになる、はず。そして兄貴は」
「そっか、宴会には……」
「十中八九、いや確実に今回は欠席だろうね」
そしてその宴会が、三日後に予定されている。
「つまり」
「当主の目を盗んで会うなら、その日がチャンスだよ」




