七十話・邂逅[4]
理解した。このくノ一こそが、刹那を、楽を、攫った張本人だと。
「桜の匂い……貴女の……能力で……」
「ああ、そうか君は刹那の」
知られている、ということに一瞬怯む桜日だったが、それは今はどうでもいい。
どの道丁度こちらから仕掛けるところだったのだ。見張りを引きつける。その役割をしっかりと果たそう。思い直し、頼みましたよ、英樹さん……と救出を託す。
「君、桜の日って書いて桜日って名前なんだってな」
じっと見つめながら表情ひとつ変えずに淡々と語りかけてくる姿は、あの日恋華を捕らえていたあの女にそっくりだ。血縁者か何かか、と思考を巡らせていると、くノ一は続ける。
「いい名前。私も桜、好きなんだ。名前にも入ってる。お揃い」
いや、そっくりというより、これはむしろ……このくノ一の方が不気味、というか怖い。
言っていることはむしろ友好的とも取れそうな内容だし、問答無用で攻撃してこないあたりは拍子抜けしてしまいそうなのに、その綺麗な顔には表情がなさすぎる。見開かれた目があまりにも笑っていない。感情の一切読めない瞳がただじっと、桜日を見つめている。
怖い。そう認識してしまった桜日は硬直してしまう。動きたくても、何か下手に刺激したら次の瞬間には頭が吹き飛ばされているのではないかとすら思ってしまうくノ一の纏う空気に、足が竦む。
「あれ、でもその髪飾り……梅?」
「へっ……?」
投げかけられた言葉に、やっと声が出た。一気に意識が会話の内容へと引き摺られ、桜日はまずい、と直感する。
「桜じゃない……桜じゃないのか……」
途端に悲しげに、がっかりしたと言わんばかりに視線を落とす。
まずい、なんとか言わなきゃ、というか、梅だとだめなんですか? 桜だったらよかったんですか? お揃いって、急になんの話ですか? 混乱する頭で、桜日は最適解を導き出そうと必死で考えるが、咄嗟に出た言葉はこうだった。
「どうして、父と楽様を」
「そういう指示だったから」
無表情に戻る。答えてくれるのですね、と思いつつも聞きたいのはその指示の理由だった。
もちろん問うに落ちないことは忍びである以上理解はしているが、そもそもが人見知りで人と話すこと自体が苦手な桜日には楽のような話術は使えない。無力だ、と悔しさが込み上げる。
「指示の理由が聞きたいって顔してる」
「……っ」
「肉親である君には伝えとくべきだったとは思ってたんだ」
聞きたい、けど、聞いてはいけない気がする。そんな緊張が桜日を支配する。
そして案の定、次の言葉は彼女の頭を真っ白にさせた。
「梯になるため、だ」
呆然と、立ち竦む。聞いてはいけない質問だったこと、相手の術中に見事にハマってしまっていること、質問の答え、それら全てが桜日を絶望させていた。
父様が? 梯に? そんな……楽様まで? 無理矢理攫ったように見えたのはまさか目撃されてもいいように? だとすると今救出に来ている自分達は、まんまと釣られた……?
何も言わなくなってしまった桜日を見て、くノ一はさっきまで表情のなかったその顔でニンマリと笑う。そしてくノ一が桜日の首に手を伸ばしかけたその時。
「やっと見つけた」
声がした。と思った瞬間、くノ一は後手に締め上げられる。はっとした桜日が顔を上げると、そこには里冉の姿があった。
「危なかったね」
「里冉さん……」
「無事?」
「は、はい……!」
そうだ、今は術にハマっている場合ではない。確かめるまでは本当かどうかはわからないし、どうであれ楽を助けたいことに変わりはなかった。形勢が逆転したことで術が解けた桜日は「遅いです」と文句を言いつつも、安堵していた。
桜日は正直なところこれまでずっと里冉のことが気に食わなかった。だが、この時ばかりはつい頼もしいと思ってしまった。それが少し悔しかったが、助かったのは確か。
「……ありがとうございます」
「え? あ……うん。いえいえ」
離せ、と暴れるくノ一を抑えながら里冉は微笑む。その余裕が、微笑みが、気に食わないんですけどね。と思いながらも桜日は何故かほんの少し、違和感を感じた。
(いつもの里冉さん……ですけど……)
何かがおかしい。そう思った時、拠点中に声が響き渡った。
「冉兄ぃぃぃぃぃいいい!!!!!!!!」
あまりの声量にビクッとする桜日だったが、それは楽の生存と居場所を知らせる英樹の声だった。声がしたのは案の定、このくノ一が見張りをしていた部屋の方だ。
合図しろとは言ってましたが名前呼ぶか普通!? と心の中でツッコミを入れる桜日。しかし、合図と同時に、先ほど感じた違和感の正体に気がついてしまった。
今日の里冉は、〝いつもの里冉〟ではなかった。
その上、呼ばれたのに、合図があったのに、目の前の里冉はまるで他人事かのように表情を変えなかったのだ。
そして桜日は思い出す。楽が消えた時の情景を。
「里冉……さん……では、ない………?」
「やっと気付いた?」
顔に似合わない関西訛りでそう言いながら、目の前のそいつはくノ一を拘束する手を緩める。
今度こそ本当にまずい。そう思った瞬間、桜日は問答無用で声のした部屋の方へと駆け出していた。
「あっちょっなんや逃げ足はっやいな」
「バーカ。ばかぐれ。紅姉に言いつけてやる」
「すまん」
「お前のせいだバカ」
「ほんますまんかった」
* * *
声がした。すげえ聞き馴染みのある声が、里冉を呼んでいた。
いつの間にか気絶していたらしい。何故か拘束は解けているが、体が酷く重くて起き上がれない。顔を上げるのが精一杯だ、と思いながら目を開け、俺は状況を確認する。
扉が開いている。さっき叫んでたのはどうやら英樹さんらしい。梯のリーダーは……!? と見回すと俺の側で佇んでいた。英樹さんを俺に近づけないように牽制しているようにも見えるが、どうして攻撃はしないんだろう。そう不思議に思っていると、開け放たれた扉から勢いよく誰かが部屋に入ってきた。
「楽様っ……!!!」
思考が停止する。
「ご無事でしたか……!!」
その声に、姿に、俺は気付けば泣いていた。
ぼろぼろと溢れ出す涙に自分でも訳がわからず混乱する俺に、彼女は心配そうに駆け寄ってきて「どこか怪我でも……!?」とオロオロしている。
「桜日」
「はい……!」
「桜日ぁぁ……」
起き上がらせてくれた桜日に縋りつき、ここが梯であることも忘れ、俺は泣いた。
「ごめん、ごめん……俺……全然知らなくて……気付けもしなくて……ほんっとだめな兄貴で……ごめんなぁぁ……」
「に……い……さま……?」
俺の言葉を聞いた桜日は呆然とする。
一方で俺はやっと認識できた妹の姿に、名前に、愛おしさと罪悪感が襲ってきて、どうしようもなく涙が止まらなくなっていた。
本部で恋華と話した夜、あの時あいつが言っていた名前は、桜日だ。どうして誰だかわからなくなっていたんだろう。そもそもどうして実の妹のことを忘れて、師匠のとこの娘だと思って────────
「ど、どうして記憶が……!? 兄様に何を……!?」
動揺している桜日が、梯のリーダーに向かって問いかける。
「何も。ただ見せただけだ」
「見せた……!!??」
そして見せられた、と小さく呟いた気がした。どこか元気がない気がするが気のせいか……?
「俺が兄貴だって……桜日は知ってたんだな……なんで教えてくれないんだよおお……」
「それは……それが……しきたりですから……」
しきたり。その言葉で何故かふと、白偽が前に見せてきやがった俺が気絶している間の不審な親父と茶紺の姿が浮かぶ。もしかして何か関係があるのか? 秋月家が古くから立花と共に歩んできたのは、まさか……
「それよりも今はここを脱出しましょう兄様……!」
「おう……」
明らかに俺が最初にここで目覚めた時より威圧感が減っているリーダーに視線をやる。すると奴は逃げようとする俺らを止めようともせず、横目でただ見ていた。
奴は確かに白偽の力が欲しくて俺をここに攫ってきたと言った。それに俺が気絶していた、体が重い、ということは多分さっきまで俺は白偽として奴と交戦していたのだろう。
でもどうしてか桜日の存在を思い出させてくれた。そして何故か元気がなくなっているし、俺達を止める気が失せているように見える。
うーん……?? 何があったんだ……???? 全くわからん………。
「感動の再会してるとこ悪いんやけどなあ、ここ、敵地やで?」
「逃げられると思うな」
そう言いながら現れたのは、目の下に桜の模様を入れた初めて見るくノ一と──────里冉だった。
困惑する俺。関西弁? と首を傾げ、あ。と思い当たる。なるほど、アイツか。
黒外套の男を知っている俺はすぐに気付いたが、英樹さんはおそらく初めて見るのだろう。俺よりずっと困惑していて、誰が見てもわかるくらいオロオロしていた。説明してる暇……あるかな……と考える俺だったが、次の瞬間、その必要がなくなった。
「勝手に俺の姿でらっくんに近づいたらしいですね」
「ぐふぅ!」
本人の登場だ。と同時に、キレているらしい里冉にかなり強めに殴られて偽物は床に転がる。
「なんっ……いつの間に背後に……」
「ずっといましたよ。さて、らっくんを返してもらいます」
偽物とはいえ里冉が里冉に踏みつけられてる絵面、とんでもないな……とインパクトの強すぎる光景を思わずまじまじと眺めてしまう。
そして英樹さんは頭がどうやらキャパオーバーしたようで完全に理解を諦めた顔をしていたが、里冉(本物)に背後から襲い掛かろうとするくノ一を見た瞬間、誰よりはやく、動いていた。
「な、おい、何する……!」
「こっちだよ~~~!!!」
「待てこら、返せ!!!」
英樹さんは素早い身のこなしでくノ一から奪った苦無をチラつかせながら、ものすごい勢いで部屋を出て行ってしまった。それを追いかけてくノ一も部屋を出ていく。……なんか今しれっとすごいことしてたなあの人?
怒涛の展開にすっかり涙が止まっていたことに気付いた俺は、ごしごしと目元を袖口で拭う。
その間に桜日と里冉は何やら目配せをしており、頷いた桜日が俺の手を引く。
「え」
「桜日達が着く前にだいぶ消耗しているようですので、大人しくしていてくださいね」
そう言って俺を担ぐ。すると拠点中にまた大きな音が響き渡った。
「なっ……!? 壁に大穴開いたみたいな音しなかったか……!?」
「壁に大穴が開いたんですよ。行きますよっ」
え、えええ!?!? と驚く俺をよそに、桜日は偽里冉を踏みつける里冉の横を通り、部屋を出た。すれ違いざまに、里冉が「任せたよ」と言ったのが聞こえた。
まさかアイツ一人で残って戦う気じゃ……!? と振り向こうとする俺を桜日が「信じましょう」と落ち着いた声色で止める。
「……っ、ああ」
そうして俺と桜日は、〝大きな音がした方とはまるで違う場所に用意していたらしい脱出口〟から外へと出ることができたのだった。




