六十六話・桜吹雪[2]
桜日から告げられた〝楽が消えた〟という言葉。
樹はそれを素直に信じるべきかどうかを思考する前に、目の前の彼女の取り乱し様に嘘ではないことを察するしかなかった。
そうして目の前で起こったことへの動揺と、不安と、動けなかった悔しさでぐちゃぐちゃに泣きじゃくる桜日に狼狽えながらも、まずは話を聞くべきだと判断した樹。俺まで動揺してはいけない、と自らに言い聞かせ、先ほど後にしたはずだった忍冬へと戻るため桜日の手を引いた。
泣きじゃくる少女を連れて戻ってきた客を見て店主はもちろん驚いたが、楽がいないことや二人の只ならぬ空気からすぐに何かを察して一番奥の人目につきにくい席へと通してくれた。
「そもそもなんで君が楽を見てたのかは聞かないであげるから、何があったか詳しく話して」
「そのっ……楽様が……っ、消えてしまって……!」
「うんそれは聞いた。……君も忍びなら落ち着いて話してくれるかな」
「は、はい……っ」
泣き止まない桜日に困った樹は、思わず少し棘のある言い方をしてしまった。が、むしろ桜日には有効だったらしい。彼女は一度息を吐ききると、スゥ、と限りなくゆっくり呼吸を始める。息長だ。途端、動揺や不安を隠しきれていなかった彼女の周りの空気が、波ひとつない水面のような穏やかさへと変わった。
ここまで綺麗に切り替えができる忍びを身内以外で見たことがなかった樹は、思わず少し感心してしまう。同時に、彼女がしっかりと修行を積んだ〝忍び〟であることを理解せざるを得なかった。何となく少し悔しくなるが、今はそれどころではない。
「で、何が起きたの」
「店から出てきた楽様は、植木のそばで樹さんを待っているようでした。ここまでは何もおかしな点はなかったのですが、思えばここから先は怪しかったのです。異変に気づくべきでした」
異変? と樹が聞く前に、桜日は続ける。
「楽様は姿の見えない何方かに話かけられたようでした。内容までは聞き取れていませんが、おそらく……お兄様でしょう」
樹を見てそう言った桜日に、ああ……アイツか……と樹は思い出したくもない兄の微笑みを脳裏に浮かべてしまう。
「楽様の食いつき方からして、おそらく重要な任務の話だと推測できるのですが、よく考えればこんなところでそんな話をするはずがないのです。それも姿を見せずに、わざわざ伊賀でなんて」
確かに、と思う樹だったが、まあでもアイツ楽が関係してたら何しでかすか正直わからないし……とも思う。
「次の瞬間、楽様の周りにだけ風が吹いたように桜の花弁が舞ったのです」
「桜?」
「ええ。すると花弁は楽様を包み込み、姿が見えなくなったと思ったら」
「いなくなってた……と」
「はい」
急いで楽様が立っていた場所へと駆け寄りましたが少しすると花弁も消えてしまい、仄かに桜の香りが残るだけでした。と付け足す桜日。樹は桜日が口にしたことが嘘ではないと分かっている筈だが話を聞けば聞くほど増す現実味のなさに、思わず「信じられないんだけど……」と口にしてしまう。
「本当なんです……」
「あぁ、うん……そうだろうけど……えっと……」
聞いたはいいがさてはこれ俺じゃ手に負えないのでは? と困る樹。様々な思考を巡らせている最中、消えたのがもし身内なら……と考えた瞬間、ふととある可能性に気づく。
「……楽の居場所、わかるかもしれない」
「!? 本当ですか!?」
思わず立ち上がる桜日に、樹は冷静に「ちょっと待ってて」と言ってもう一度店の外へと出た。それから少しして戻ってきた樹は「多分いける」と口の端を微かに上げた。
「……!! それじゃ……」
「ちょっと待つことになるから今のうちに桜日……さん、は楽の為なら今すぐ動いてくれそうな戦力、少しでも集めてくれるかな」
「は、はい!」
そうだね、できれば長にも逆らえそうな人を。
* * *
「本当はアンタに頼りたくないんだけど」
「樹、今回ばかりは諦めような」
しばらくして忍冬に現れたのは、樹が連絡を取った白と英樹、そして白から事情を聞いたらしい里冉だった。
「で、居場所わかったの」
「……梯だと思ってるんだろ」
「まあね」
「楽が俺のピアスを持ってるって確証は」
「無いけどそれに賭けるしかない」
「だよな」
樹が気付いた可能性。それは白の特注ピアスのスペアを楽が持ったまま消えたのではないか、という可能性だった。もし持っているのならば、白からの探知が可能になる。
「結果から言うと、本部からじゃ引っ掛からなかった。こっちに移動しながらも探してはみたけど楽の持ってるスペアは見つかってない。つまり目撃した通り一瞬にしてどこかへ、それも結構遠くに移動した可能性は高い」
「そういう能力者がいたとか……」
「可能性はある」
里冉は駆け付けてから一言も発さずに樹と白の会話を聞いている。いつもとはだいぶ違う雰囲気が少し気になるが、それよりも楽を探すのが先だ。
「いるとしたらやっぱり」
「梯だろうな」
「何で狙われたのかなぁ」
「楽ならいくらでも理由はあるでしょ。結構奴等と鉢合わせてるみたいだし、立花ってだけで狙ってる輩いてもおかしくないし」
法雨である俺達ならわかるでしょ、と視線を投げる樹。まあそれは確かに、と白は納得するが、英樹はあまりわかっていなさそうだ。里冉に至ってはその視線を見てすらいない。
「あと考えられるとしたらアイツの持つ苦無、かな」
「は? 何で苦無?」
「詳しく話してる時間ないから省くけど楽の苦無ちょっと特殊でさ。それが狙われたって可能性も無いとは言い切れない」
「なるほどな」
問題は本当に相手が梯なのか、そうだとしたら拠点に近づけるのか、そもそもまだ生きているのか、どうやってそれを確認するのか、もし生きていたらどうやって助けるのか、だ。
樹と白はそのよく働く頭で様々な策を練るが、どれもこれも無謀でしかないように思えた。
「……ところで」
「ん?」
「クソ兄貴どこ行ったの」
ふと樹が投げた疑問に、白は二つ隣の席を見る。
「え? あれ? 居ない……いつの間に?」
「冉兄ならさっき出て行ったよ? 見たことない顔してた」
呆気らとそう言った英樹に、二人の視線が一瞬にして集まった。二人の恐ろしく整った顔に睨まれた英樹は思わず怯む。そして次の瞬間、普段声を張ることのない樹が珍しく叫んだ。
「………………あンのバカ兄貴!!」
「絶対梯乗り込む気だ!!」
「ええ!?」
「なんで止めなかったんだよ英樹!!」
「てか気付いてたなら言え!!」
「ごめええん」
「追いかけるぞ!!」
二人に一斉に怒られて少ししゅんとする英樹。そんな中、凛とした少女の声が三人の鼓膜を揺らした。
「それ、桜日達も同行します」
「待たせたねえ、僕が来たよぉ」
忍冬に戻ってきた桜日は、樹が頼んだ通りの戦力を引き連れていた。
「……! 恋華……!」
「やあやあ班長。桜日ちゃんに呼ばれてさぁ、面白そうなことになってんじゃん」
「面白がってる場合じゃないけどな。戦力は少しでも多い方がいい。助かる」
樹と白と英樹と桜日と恋華。……と、里冉。
甲伊が混ざっている上に、班も違う。普段ならあり得ないメンバーが集まり、同じ目的に向けて動き出そうとしていた。
「まずは冉兄を追うぞ!」
「あいよ!」
「待ってろあの阿呆!!」
「ついに兄貴つけなくなったな」
─────こうして今、〝楽救出作戦〟が始まった。




