三十八話・緑眼の旅人
「……もういいです、好きにしてください」
「ああ好きにするさ。もう君の指図など受けない」
その夜は、泪にとって最愛の彼との喧嘩から始まった。
喧嘩の発端は些細なものだったが、ついに彼は泪が見たことの無い冷たい表情で、聞いたことの無い冷たい声で、「勝手にどこでも行けばいい」と吐き捨てて、足早に店を去ってしまった。
どうしてかいつも近くに居るはずの紫鶴はおらず、彼が去った後その机に残されたのは泪一人。 まるで痴話喧嘩のような捨て台詞が男二人だった席から響いたことで流石に目立ったのか、店にいる他の客の視線が軒並み泪に集まる。が、数秒後にはもう大抵の客は騒ぎへの興味を失っていた。
しかし、大抵の客、ではない者もいた。
泪から少し離れた席に座る二人組。金髪をポニーテールにした男と、その付き添いなのか飲食店であるにもかかわらず黒いマスクを外そうとしない小柄の男。
「……行く?」
金髪が聞くと、黒マスクは少し考えてから「ああ」と短く返事した。その言葉が少し意外だったのか一瞬目をぱちくりとさせる金髪だったが、すぐに口元に笑みを浮かべる。
「そうこなくちゃ」
二人組は立ち上がり、片方は会計へと向かった。
そしてもう片方は、泪の隣で立ち止まる。突然現れた見知らぬ男に泪が視線をやると、目で〝ついて来い〟と言われた気がした。思わず怪訝な表情を浮かべる泪だったが、男がその場を動きそうになかったので渋々席を立った。
店の外に出ると、会計を済ませた片方が道端で待っているのが目に入る。
「僕になにか用かい?」
先に口を開いたのは泪だった。
「見たところ、君達は僕の知り合いには居ない顔のように思えるのだけれど」
「ああ、名乗りもせずすまなかった」
黒マスクはそれだけ言うと、金髪と並んで先を歩き始める。
「……それで、名乗ってはくれないのかい?」
なんとなくその後をついていく泪がそう聞くと、「お前から名乗れ」と言わんばかりの視線が返ってきた。ああそうか、と素直に泪が名乗ると、二人組は少し間を空けてからそれぞれ金髪が「紀一」、黒マスクが「松枷」とだけ答えた。
無愛想なその返答に、今はあまり会話する気分じゃないのかな、と考えた泪だったが、流石に怪しいので変な所へ連れ込まれたりする前に彼等が何者かだけでも聞き出そうと、話しかけ続けた。
が、それ以降は返事がないまま、泪はどんどん人気の無い道へと連れて行かれる。流石に少しまずいのではないか、そこそこ腕には自信があるとはいえ二対一、もしも襲われたりしたら……と不穏な想像を膨らまし始めた泪。しかし不思議なことに二人組に殺気やその類のものは感じられない。実際、二人も泪に危害を加える気はなかった。今のところは。
「……そろそろ用件を聞いても?」
泪が困惑しつつもそう聞くと、二人組は漸く口を開いた。
「瀬良を、調べているそうだな」
「……!」
その言葉で、泪の中の予感が確信へと変わる。
「梯、だね」
「ああ」
「そんなにあっさりとバラしていいのかい」
松枷が「……報告するか? 里に」と表情を変えずに言うと、泪は「まさか」と少し笑う。
「ここで殺されてしまうじゃないか、そんなことしたら」
「話の分かる奴で助かった」
冷静に言った松枷だったが、泪を見てほんの少し、目を見張る。
喧嘩で苛立っていた先程までの泪とはまるで別人のような、
「それに、僕はこの時を待っていたんだ」
喜びを隠せないその表情に。
「……やはり、その為に調べていたのか」
「うん。だから、折角会えた君達を里なんかに差し出してたまるものか」
泪は楽しそうだが、一方で紀一は飽きてきたらしく、早く帰りたそうにしていた。それを横目で見て、仕方ないな、とため息を一つ零し、松枷は泪に向き直る。
「単刀直入に聞く。お前、梯に入る気はあるか」
泪は、笑う。
「その言葉も、待っていたよ」
* * *
二人に連れられて辿り着いたのは、とある山奥、梯と名乗るその組織が拠点としている場所。
周囲に罠があるわけでも、複雑な道順があるわけでもなく、ただただ森を突き進んだ先に突然現れたそこに泪は、ほう、と息を漏らす。
決して辿り着きにくいというわけではない。常人なら少し険しい山道に苦戦するくらいで、忍びの足ならば余裕とさえ思えた。
ただ、人が拠点として使っているにしてはあまりにも目印や痕跡が無い。なるほど、これはなかなか見つからないわけだ。それにここまで近づいても、外からはただの家屋にしか見えない。つまり、万が一見つかったところでさほど怪しまれない。顔が割れていない者がただの住人のフリをして応対すれば気付かれることも無いだろう。まあ中に入った時点で、おそらくその忍びは二度と里には帰れないのだろうけど。
泪がそんなことを考えている間に、既に二人は拠点の入口で泪を待っていた。松枷に、早く来い、と目で促される。
そうして、拠点の中に入った。
やはり泪が外から見て感じていた〝普通さ〟は中も変わらず、ここを見ただけじゃとても里を脅かす脅威の根城だとは思えなかった。
「俺のこと、なんかわかった?」
「君は」
「あ、待って。柊って呼んで」
泪を待っていたらしい彼は、泪を遮りそう言った。どうやら本名を知っていることは、知られているらしい。
「よくあれが梯に繋がるってわかったね、お兄さん」
「ふふ、まさかスカウトまでして貰えるとは思わなかったけどね。光栄だよ」
「へへ、いやぁその眼、便利だから欲しくなっちゃって」
どこまで知って、接触してきたのだろうか。泪の中にそんな疑問が浮かぶ。
「なんで知ってるの……って顔だ。あはは、ごめんごめん。ぶっちゃけ能力についてはほとんど勘なんだけど」
「どこまでわかってるんだい?」
「〝過去視〟」
勘と言いつつも、柊は断定してみせた。泪はすごいなぁ、と笑って肯定する。
「えぇうわ、やっぱそうなのかよ! 全くも~、黒歴史なんだけどな~? プライバシーとか全っ然ねえよなぁその能力~」
柊は茶化すような口調でそう言う。
「ごめんね。普段はほとんど使わないんだけど、君達に会うための近道だと思うとつい。人には話さないからその件については許して欲しいな」
「え~? う~ん……じゃあ」
柊がその後に続けたのは、泪が弱点として自覚している〝彼〟についての言葉。
思わず泪は、ほんの一瞬、動揺を見せてしまった。
それを見逃さなかった柊の口角が上がる。
「松枷、ついてきてくれ」
「……アイツ、起こすか?」
「ああ、頼むよ」
松枷に指示をして部屋を出ていこうとする柊は、泪を振り返ってにっこりと笑う。
「俺達の仲間になるなら、話してくれるよなぁ? 泪さん」
ああ、喜んで。
泪には、そう答えるしかなかった。
柊について行くと、とある部屋に案内された。
殺風景なそこには既に松枷が待っており、もう一人、三つ編みの少女が松枷によって連れて来られたようだった。
気だるげな少女の空気に、泪は松枷が言っていた〝アイツ〟が彼女であることを察する。それにしても、こんな少女まで居るのか。女性が苦手な泪は、少しだけ表情が強ばる。
「それじゃあ、始めようか」
「法雨について知ってること」
「〝全部〟話してよ、泪さん」
後ろ手に扉を閉めながら、無邪気に投げ掛けられる柊の言葉。
それを聞いた泪はこれから自身に起こることを全て理解し、同時に、死を確信した。
もう、逃げられない。
これから泪が彼の為にできるのは、どれだけ拷問されようが黙秘することだけ。
「あ、思ったより察しよかったなぁ……」
「……いつ……気付いた……?」
あの喧嘩が嘘だと。
あの店を使ったのはわざとだと。
全ては、任務だと。
柊の真っ赤な瞳が、口が、弧を描いた。
「最初から」
* * *
「可哀想になぁ、捨て駒にされちゃって」
結局、この潜入任務について泪から聞き出せたのは〝里冉からの指示だった〟ということだけであった。
というのも、余程信頼していたのか、それとも心酔していたのか、そもそも泪が里冉から聞いていたのはどう動くかの指示だけ。意図や詳細は聞かずに、ただ言われるがまま動いていた。
柊が「ちぇ、やっぱガード硬いなぁ法雨」と口を尖らせる。里冉はおそらく、泪が拷問を受ける可能性が高いとわかっていて自分の意図を話さなかったのだろう。捨て駒という柊の表現は、あながち間違っていないようにも思える。
「さ、花月運ぶぞ」
部屋の床には、泪の亡骸が。壁際には、術を使ったおかげで再び眠ってしまった少女───花月が座り込んでいる。寝室へと運ぶ為に花月を抱き上げた松枷は、ふと、先に部屋を出ようとしている柊を見た。
「……本当か? 最初から気付いていたってやつ」
「え、本当だぞ?」
答えても、松枷はまだ疑いの目を向けている。
「最初っていつだ」
「この旅人さんが俺を嗅ぎ回り始めた頃、かな」
「どうしてそこでわかる」
部屋を出て、並んで歩く二人。松枷が姫抱っこなんてするの、花月くらいだろうなぁ……なんて思いながらも柊は問に答え始めた。
「興味無いだろ、普通に考えてさ。見ようと思えば見れちゃう人が、わざわざ俺を選んで見るなんて、誰かの指示だと考えるのが妥当だって」
松枷は少し考えて、また聞く。
「俺達への手がかりだと自分で気付いた可能性は」
「無いな。そもそも甲賀って里に生まれながら旅人の道を選ぶような変わり者にとっちゃ、俺達は多分、道端の雑草くらいどうでもいい存在だ。手がかり探そうとすら思わねーって」
「変わり者だからこそ興味を持った、ってのは」
「それはまあ、あったとしても俺のこと嗅ぎ回って誘き出すなんて回りくどい手は選ばない、と思う」
どうも泪への決めつけが多いようにも感じるな、と思いながらも、柊の言うことだし大方その通りなのだろう、とも思う松枷。
「まあでもぶっちゃけこの辺までは半信半疑だったけどな。確信に変わったのはあの店を待ち合わせ場所に選んだあたり、かな」
「盗み聞かせる、か」
「そう。アイツらが声を雑音に紛れ込ませたとしても、優秀な忍びなら聞ける。で、多分俺達が既に旅人さんに監視をつけてることに気付いてた里冉は……っていうかわざとつけさせたんだろうけど、俺達なら確実に盗み聞けるとわかってていつも人で賑わう店を使っていた。俺達にだけ、聞かせるために」
俺達の力量を信頼していないとやろうとも思わない作戦だよなあ、と付け足す柊。
「今日の喧嘩の前、何話してた?」
「俺達についてだったが、旅人の方が何か言った後に空気が変わっていたな」
「聞き取れてねーのかよ大事なとこ! ……ま、大方俺らを肯定するような発言だろうよ。過去を見て同情でもしたか、これ以上調べるのをやめろとかそういう」
花月をベッドに寝かせる松枷の横で、柊はベッド脇に座る。
「確かにその後は任務続行を巡って口論をしていた。主語を濁して話していたから他の客には何を話していたかはサッパリだっただろうが」
「だろうな」
「どうして予測出来た」
「俺ならそうするから。あからさまに餌を撒いて、ここだってタイミングを用意する。それが今回の喧嘩」
ベッド脇には座らず、腕を組んで壁にもたれかかった松枷。そんな彼にチラと視線をやり、柊は話を続ける。
「俺に読まれることも、読んだ上で食いつくことも、全部わかっててやったと思うぜ、アイツ」
「お前が直接来ないことも?」
「現場の判断をお前らみたいなのに任せることも、な」
どういう意味だ。と素直に煽られる松枷に柊は、そういう所だよ、と笑う。
「でも読みが甘かった。というか、俺を買いかぶり過ぎてたんだよ、アイツは」
不思議そうにする松枷に、柊は答える。
「更なる裏を読んでくれる、ってね。ま、実際はあっさり殺しちゃったわけだけど、里冉の奴は多分、旅人さんを通して俺ともっと読み合いを続ける気だったぜ。……でも俺嫌なんだよね、アイツの玩具にされるの」
玩具にしているのはお互い様なんじゃないのか、と思う松枷だったが、なんとなく口にはしなかった。
代わりに、新たに質問を投げる。
「……それにしても、簡単に連れてきてよかったのか」
「いやぁどうせ殺しちゃうんだもん、死人に拠点や顔がバレたところで、なぁ」
「せめて盗聴器や発信機は警戒すべきだろ」
「あの里冉が危険な任務を任せるんだぜ? 潜入ってバレそうなアイテムをわざわざ持参してくるバカなわけない」
柊も十分に敵の力量を信頼していた。それも、特に法雨は。
なるほど、と漸く素直に納得して質問をやめた松枷。
二人が花月の寝室を出ると、いつの間にか居なくなっていた紀一と鉢合わせた。どうやら相棒を探していたらしい。自分から先に戻ったくせに……と言いたげな顔の松枷がマイペースな紀一に連行されていく姿を、柊は笑顔で見送った。
「残念だったな旅人さん、大人しく成仏しろよ」
梯の間では試練部屋と呼ばれる、この部屋。
そこへ一人戻ってきた柊は、彼の左目のあった場所に出来た空洞を見つめながら、語りかける。
「……間違ってもあの子供の前に姿見せようとか、思わないほうがいいぞ」
あの子供────紫鶴に、霊視能力があることも泪に吐かせていた。
柊は幽霊など信じていなかったが、どうやら見える人には見えるらしい。もし泪が死んでまで梯の情報を届ける気だった場合、わざと裏を読まないことまで読まれていたことになるが、本当のところはもう、分からない。
「じゃあな」
新入りの為の準備で忙しいんだ。
そう言い残して、部屋を去った。




