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紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
25/105

二十四話・焦りと加減



 倭の捜索を中断した、翌日。


 俺は師匠に驚かれる程できるだけ早く道場に来て、修行を始めた。

 午前は基礎体力作りや整息術の修行をし、手を鍛え、昼休憩の後は心練に励んだ。

 整息術の修行では鼻に付けた綿毛が飛ばないように呼吸したり、心練では二心の内の一つである断(無声の気合)を練習したりした。

 途中また夾が乱入してきて、無声どころか騒がしくなってしまっていたんだけどな……。


 そんなこんなで今は夾と並んで座り、術や心得などの座学をしているところだ。


「五情・五欲の理とは、人間の持つ感情や欲を刺激することで相手を自在に動かす術であり……」


 そこまで言い、ふと俺を見る師匠。


「………立花で育ったお主にはこんな話は退屈か」

「あ、いえ……まあ嫌ってほど聞いてはいますけど」

「だろうなぁ」

「オレはもっと聞きたいっす師匠ー!」

「夾、これは楽のための」

「いいじゃないっすか師匠。身内から聞くのと師匠から聞くのじゃまた違いますし」

「……そうか? なら続けるとしよう」


 師匠はそう言って、心得の話を続けた。

 ふと横を見ると夾が嬉しそうに俺を見て目を輝かせていたので、別にお前のために言ったんじゃねえからな! という視線を送る。……けど多分伝わってないな、この顔は。


「……と、これが人を車に乗せる術、つまり五車の術だ。元々忍びの心得は人心掌握とされている。現代になり在り方を変化させているとはいえ、根本は変わっていないからな。五車はしっかりと身につけておくこと」

「押忍!」

「ところで楽は得意なんだろう、五車」

「えっなんで知って」

「……桜日を誑し込んだ件、忘れてはいないだろうな」

「あっハイ……」


 今の顔は師匠というより父親の顔だったぞ絶対……。

つーか俺に振ったということは、もしかして……


「あの……まさか夾相手にやれとか言わないっすよね……」

「お、私の考えが読めるようになってきたか」

「えぇ~まじすか……かけられるってわかっててかかるほどコイツもバカじゃないっすよ多分」

「多分って」

「まあまあ、やってみなきゃわからんだろう? 手本として見せてやれ」


 ほんと急な無茶ぶりが多いなこの人。でも忍び相手の実践に近いと思えば、修行としてはいいのかもしれない。……仕方ない、やるか。


「いやぁ~流石に夾に術なんてかけらんねーっすよ、師匠の話すげえちゃんと聞いてるしコイツ」

「なんだよ急に」

「え、いや今一緒に座学やってて思ったんだよ、話す方も気分良くなりそうなくらいしっかり聞いててすげえなって…だから今の夾に術かけるなんて、俺にはちょっとハードル高いっつか、流石は兄弟子っつか」


 へへ……と俺が眉を下げて笑ってみせると、夾はまんまと気分を良くして得意げになる。


「ふふん、まあオレ兄弟子だからなぁ~!」

「師匠、これでいっすか?」

「ああ。喜車の術だな」

「な…っ! 今のがそうだったのか…!!」

「いやぁこんな分かりやすいおだてに乗るとは流石に思わなかった……やっぱバカだったな……」

「なんだとー! バカって言う方がバカなんだぞー!」

「あ、そうだよな……うん……俺のがバカだったわすまん……」

「え、いやそんなつもりじゃ……ごめんな?」

「…師匠、コイツ異常に五車かけやすいっす。全然修行にならねーっす」

「ふ、くく……わかった、もういいぞ楽」


 師匠はあまりに簡単に術にかかる夾にツボったらしい。いやこれ多分俺でなくても自在に操れるぞ。


「……ちなみに今の師匠に向けての楽車でもあったんすけど、どっすか」

「ほーうなるほど、やるなお主。まあ元々戦闘意欲のない私にかけてもあまり効果はわからんがな」

「そっすね」


 それは夾相手でも同じっすけどね。と思うがコイツは何故か俺と張り合う気でいるみたいだし、ある意味闘志はあるのかもしれない。……にしたって警戒心とかそういうの全くないから、手応えの手の字も感じてないけどな。


「うーんやっぱ楽車はまだ実践で使えるかは怪しいっすね……」

「楽なのに楽車が怪しいのか」

「言うと思ったけどな? あのな、人を楽しませるのって案外難しいんだよ」

「うむ、その通り。どんな相手でも楽しませたり羨ましがらせる為には、様々な分野や芸に長けている必要があるからな」


 エンタメ力ないんすよねぇ俺……とぼやくと、夾に唐辛子の一発芸やればいいじゃん! と言われ、アイデンティティ使ったら身バレまっしぐらだろ! とツッコむ。

 ……なんかだんだんメッシュを唐辛子って言われんの慣れてきてるな。アイデンティティって自覚しちゃってるしな。つか唐辛子の一発芸ってなんだよ絶対ウケないだろ。


「忍びは芸達者でないといけない。楽も何か忍術以外の特技を見つけて伸ばすといい」

「押忍!」


 ……とまあそんな調子で、午後は何故かいる夾と共に座学を受けた俺なのだった。




   * * *




 今日の師匠との修行は終わった。

 ……が、師匠が敷地内にある五十嵐邸に帰り、夾がふらっとどこかへ消えた後も俺は一人、修行を続けていた。


「……ッ、くそ……まだまだ……っ!」


 午前にやった手を鍛える修行。素手でひたすら柱を殴ったり、砂利に突っ込んだりして手そのものを丈夫に、凶器にするための鍛錬をしている。


 弟子入りの決まった日、師匠が手合わせでやっていた車がえしの術。あれの修行をするために、まずは手裏剣を受け止められる、というか受け損ねても大ダメージを受けない手から作ろうという魂胆だ。

 というかあれの為でなくても、手は忍びとして鍛えておいて損は無い。


「くっ……、」


 ひたすら砂利に手を突き入れる。

 一回、二回、三回、四回……とにかく何度も何度も繰り返した。この痛みの先に、固くて強くてかっこいい忍びの手があるのだと信じて、突き続けた。


 そうしているうちに俺はふと、廃村で関西弁の梯の手を触った時を思い出した。

 アイツの手は固くて、触った瞬間そこらの忍びとはレベルが違うことがわかる……それくらい、鍛えられた手だったのだ。


 梯には上忍クラスの忍びがごろごろいるという噂は聞いていた。強いことは知っていたし、どうせ噂だろう……とか思ってたわけでもなかったのだが、実際にあの手に触れたとき、あの噂は本当なのだと信じざるを得なかった。

 強い忍びというものがどれだけ自分とかけ離れているか、あのとき実感した。


 梯は、強い。


 そんな組織を、俺達伊賀は相手にしている。

 俺達には梯と張り合える強さが、必要だ。


 俺自身元々鍛えていなかったわけではない。鍛え方が甘かっただけだ。だから、少し厳しくしたところで一朝一夕でああはならないことも、よくわかっている。

 それでも少しでも早く、少しでも強くなりたい。


 今の俺は梯と張り合うどころか、まだ仲間の足を引っ張っているポンコツだ。自覚はある。実力でも経験でも才能でも劣っているし、ぶっちゃけ俺より火鼠の三人目に適任だった忍びがいたんじゃないかと考えてしまうこともある。

 でもだからこそ誰より努力して、里のために、大事な人をこれ以上梯に奪われないように、忍びとして強くならなければ。


 一心不乱に砂利の中に手を突き刺す。

 日も落ち静まり返った道場の庭に、石がぶつかる音や、突いた勢いで桶から飛び出た石の転がる音が響いていた。


 ──────ガリッ


「……ッ、いたっ……」


 痛みを感じた指を見る。


「……!」


 どうやら角が丸くなりきっていない砂利が混ざっていたらしい。切れた指から、血が垂れた。


 ……こんな傷、どうってことない。


 鍛錬は続行だ。

 幼い頃、剣術や手裏剣術の修行でどれだけ切ったことか。いや幼い頃のことはあまり覚えていないのだが、それでなくとも忍びにとっては手を切ることなんて日常茶飯事だし。これくらいで気にしてたら忍びなんてできないし。


 なんて考えていたら、忘れていた昔のことを少し、思い出した。俺が怪我をすると、親父や茶紺が飛んできて手当をされた記憶。当の俺はけろっとしているのに、周りばっか慌てて……今思うとどんだけ過保護だったか。いや今もあんま変わってないけど、自由に外に出れるようになっただけマシか。


 あと里冉と二人で修行してるときも、よく手当してもらってたっけ。器用で身体能力の高い里冉についていこうとして、不器用で鈍臭い俺はよく怪我して……帰ったら親父に「山で転んだ」とか適当に言い訳してた気がするな。


 そんなことを思い出しながら夢中で鍛錬を続けて、どのくらい経っただろうか。

 ふと手を見ると、痣と傷が増えて……なんというか、痛々しくなっていた。麻痺しているのか、不思議とあまり痛みがなかったので気づかなかったな。


 でも、まだまだだ。

 そう思い続行しようとしたその時、誰かに腕を掴まれた。


「……!?」


 驚いて顔を上げると、そこには少し怒ったような表情をした黒髪の少女がいた。


「桜日……」

「楽様。今すぐ修行を終えてこちらに来てください」


 俺が動こうとしないのを見て、桜日はもう一度、今度は少し語気を強めて言う。


「手当します、こちらへ」

「だ、大丈夫だって……こんくらい……」

「これから急に任務が入ったらどうする気ですか。その手で苦無は握れますか」

「……!」


 桜日の言葉に、ハッとする。


「楽様は直属班の一員なのですよ。いつでも任務に出れるようにしておくべきです」

「……俺が、バカでした……」

「はい。きちんと反省してください」


 真剣な目の桜日。その目から、俺の事を思って言ってくれているのが痛いほど伝わってきて。


「……焦るお気持ちは分かりますが、ご自身の今の限界を知り加減することも大切です。楽様がやってらしたのは鍛錬ではなく無茶です」

「はい……すみませんでした……」


 桜日は優しく俺の腕を引いて道場の中へと入り、床に座らせる。それから救急箱を取り出してきて、俺の前に座り、応急処置を始めた。

 消毒をする手つきはどこか不慣れで、それでも一生懸命手当をしてくれるその姿は、少しだけ昔の里冉と重なって見えた。


 少し俯きながら、桜日がぽつりと呟く。


「……桜日は、楽様に無理をして欲しくありません」

「………ごめん」


 俺が思わず謝ると、桜日は優しく微笑んだ。


 それからしばらく無言が続いたが、手当を終えると桜日はその綺麗な手を俺の手に重ね、真っ直ぐ俺を見て言った。


「やり過ぎは禁物です」

「はい」

「もっとご自身を大事になさってください」

「はい……」


 心做しか泣き出してしまいそうな桜日の表情を見て、反省する。

 わかっていた。急がば回れだということも、自分の力量を正しく見極められる者が優れていることも。そうだ、頭ではわかっていた。それでもつい、焦りが出てしまった。

 桜日の言う通り……直属班としての自覚が足りない。


「楽様はなんというか……一人になると頑張りすぎてしまう節があります……よね」

「そうかな」

「そうですよ。誰かと一緒なら相手のペースや疲労度を考えておられるので加減して動けるのですが、ご自身への配慮が無い分一人になった途端暴走しがちというか……すみません、わかったような口を……」

「……いやでも、そう……かも……」

「その……努力ができるのは大変素晴らしいことです。ですが、自分を大事にしてこそ努力は実ると桜日は思うのです。壊してしまっては意味がありませんから……」


 その通りだ。壊してしまっては意味が無い。

 自分への配慮がないってのも多分、かなり的確な指摘だ。自覚はなかったけど、否定できなかったから……

 ……ん? いや待てよ、なんで桜日が俺一人のときのことを知ってるんだ……?


「……とにかく、楽様がまずやるべき修行はご自身を大切になさる修行だと桜日は思いますっ」

「っはは、うん、そうかも。忍びは生きてこそだしな」

「ええ。それに……これは個人的なあれですが……大切な方の痛々しい姿は見たくないので……」

「うん……」

「楽様だってそうでしょう…?」

「ん……」


 その言葉で何故だか真っ先に里冉が浮かんで、なんか癪だしとりあえず俺だけの秘密にしておこう……と口を噤んだ。


「それと……桜日が思うに、楽様は外から見えやすい体の部位はあまり分かりやすく鍛えない方がいいかと」

「ほぁ……!? なんで……!?」

「せっかく可愛らしいお顔と中性的な体格を持っておられるのですから、女装が似合わなくなってしまう鍛え方は宜しくないと思います。変装のバリエーションは少しでも多い方が有利ですから」

「な……っ」


 それもそうだと思ってしまい、反論ができない。女装が似合うなんてスペック、俺が忍びじゃなかったら真っ先にいらねえ! と投げ捨てていたところだ。でも忍びなんだよなあ。役に立っちゃうんだよなあ。

 にしても、こうもハッキリと可愛らしいお顔って桜日に言われると……なんか……すげえ複雑だ……。(あと暗にチビって言われた気がする……)


「楽様の忍びとしての強みは戦闘力ではなく、〝人の懐に忍び込む力〟です。自覚、ありますよね……?」

「お、おう……」

「父様が他の門下生には殆ど教えない座学を楽様の修行に組み込んでいるのは、そこが強みだと理解しているからです。もちろん身体的強さも必要ですが、それは父様の専門分野ですから父様に任せていれば良いのです」


 なるほど……というか座学を他の奴らにしてなかったのは初耳だな…そうだったのか師匠……。


「……はっ、なんだか説教のようなことを長々と……すみません……! その…つい……」

「はは、いいって」


 急にあたふたし始めた桜日がなんだか可愛くて、思わず笑う俺。

 ていうかマジで桜日が謝る必要ねえよ。むしろさ……


「……ありがとな、桜日」

「へ……?」

「俺の事、俺より考えてくれてさ……桜日が止めてくんなかったら、俺多分任務に支障出しちゃってたし、今日だけじゃなく無茶してたと思う……だから、ありがと」


 言いながら少し照れ臭くなって、顔を逸らした。……けど無言の桜日が気になって、チラリと視線を戻すと、そこには赤くなった顔を両手で隠すようにした桜日の姿が。

 き、気まずい……というか……俺こういう空気……慣れなくて……どうしたらいいんだこれ……。

 なんてソワソワしていたら、桜日は少し口を尖らせるようにして呟いた。


「……やっぱり楽様はずるいです」

「そ、そうかなァ~……」


 これはまた師匠に「うちの娘を誑し込もうとするな」とお叱りを受けるパターンでは……と不安になる俺。別にそんなつもり無いんだけどな……。


「……あ、てか聞いていい?」

「……?? なんでしょう……?」


 周りに人居ないし特に意味は無いんだろうけど、俺はなんとなく耳元でこそっと聞いてみる。


「桜日さ、なんで俺が一人の時のこと知ってんの……?」

「……っっ、そ、それは……」


 今度は顔を青くしてあたふたとし始める桜日。この反応……まさかとは思うが……な。


「ひっ……秘密です……」

「それ言うか様付けやめて楽って呼ぶか、どっちがいい」

「ごめんなさいどちらもできません~……!」

「えぇ~~」


 とか話しながらもこの前言ってた特技を思い出し、なんとなく察する俺。

 もしかしなくても桜日……可愛い顔して結構ぶっ飛んでるかもしれないな……。


「ま、いつか暴いてやるからいいもーん」

「暴かない方が楽様の為だと思われますが……!」

「ふは、なんでだよぉ」

「なんでもです~…!」


 ……バカしたせいで手は負傷したが、結果的に桜日とまた少し仲良くなれた気がする。(俺の気の所為だったら悲しいけど)


 そうでなくてもこんなに俺のこと考えてくれてることは知れたし、結果オーライだと思うのは間違ってない……といいな。



 明日からまた、自分に合ったペースで修行を続けていこう。焦らず、無理せず、でも努力は怠らず。


 桜日の巻いてくれた少し不格好な包帯を見ながら、そう心に決めた俺なのだった。

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