表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅雨-架橋戦記-  作者: 法月 杏
一章
100/105

九十九話・惜春の長夜


「よく来たな、待っておったぞ」


 最後に来たのはあの宴会の日だったか。

 相も変わらず荘厳で静かなこの部屋に樹と鈴が招待されたのは、他でもない玖珂による襲撃事件の解決に一役買ったから。

 少なくとも、俺達はそう聞かされていた。




 ─────遡ること一時間前。

 樹のもとに、十様からの呼び出しが届いた。

 環さんの使用人復帰の話もあり、樹は何度か当主の部屋を訪れ玖珂の事件についての詳細な報告をしており、その際に鈴が活躍したことを伝えてくれていた。その甲斐あってか、樹と鈴の二人の功績を称えるため部屋に来いとのお達しがついに出たのだ。狙い、待ち侘びていたチャンス。行かない選択肢など存在しなかった。


 樹と共に少しずつ準備はしていた。覚悟も決めていた。それでもいざ十様とまた対面するとなると緊張と不安とが体を縛ってくる。幸いにも指定された時間は約一時間後の二十二時。準備をするには十分な時間がある。

 俺と樹は一度いつもの護衛が集まる部屋へと向かい、状況を確認し直すことから始めた。


 まずこの潜入期間中、十様の部屋付近はずっと警戒されていた。襲撃事件以降は特に。

 そのため、情けないことにこれだけ内部に居ても分析の進展がほとんどない。四知之伝(忍びが使う状況分析術)の一つ目の望、全容を見る段階ですら不十分な状態。十様についてのこと、法雨についてのことは調査の合間や夜間に樹の部屋に出向いて少しずつ教えてもらっていたが、何より肝心の〝事態の全容〟が掴めていない。樹は術についてまだ何か知っていそうだが教えては貰えず、宵さんが言っていた術者の家系についてもそう簡単に情報を得られるものでも無く、そもそも調べる時間すら取れず呼び出された、という現状である。

 宴会の夜里冉に会いに行った際にもっと情報を得られていれば良かったのだが、記憶の有無を確認するのが最優先だったし、正直色々ショッキングすぎてあれ以上の情報を求めて食い下がる気力も余裕もなかった。つまり四知之伝二つ目の聞──疑問点を見つけるために様子を探る──も明らかに不十分なのである。現状探れた様子は『十様が里冉に強く執着していること』と『里冉の中に俺の記憶が本当にないこと』の二つくらい。

 となると三つ目の問も現時点では『なぜ里冉にそこまで執着するのか』『記憶を奪ってまで俺から遠ざけたい理由はなんなのか』『どうすれば記憶を戻せるのか』『どうすれば記憶を持ったままでいいと判断されるのか』くらいしか無く、解決への具体的な取っ掛かりがまるで掴みきれないでいる。なんにせよこればかりは十様に直接聞くしかないため、今回もし対話や交渉に持ち込めそうであれば或いは、と思っているところだ。

 そうして問を踏まえて、四つ目の切、一から三を総合的に判断し策を練り忍び入る、ができれば理想。つまり可能であれば情報だけ抜いて即撤退、作戦を練り直す時間を設けてから出直す形に持ち込みたい、というのが俺達の現状の考えだった。


 ─────しかし、今回ばかりは佐倉鈴=立花楽であることが露呈した時点で潜入の続行はほぼ確実に不可能となる状況。一度退いて、などとは実際のところ言っていられない。

 そしておそらく、既に十様は鈴が俺であることを知っている。根拠があるわけではないが、今回わざわざ鈴を指名して呼んだことでその予感は確信に近付いていた。大方、哀さん辺りから樹と鈴の動きが十様に伝わって怪しまれていたのだろう。里冉が一人になるタイミングで接触しに行ったこともほぼ確実に伝わっているだろうし、伊賀に今俺がいないことも法雨の諜報力ならいとも容易く調べがつく。

 五事七計で比較分析しても、俺達があちらに勝っているのはかなり甘く見積もっても七つの内三項目がいいところ。俺達が圧倒的に不利─────だからこそ、相手が有利を取っている今、仕掛けてくる可能性が高い。樹も同じ考えのようで「当主の性格上、おそらくすぐにカタをつけようとしてくるからあまり悠長に考える時間があるとは思わないほうがいい」とのことだった。


 つまり不足している情報を補い、それを使って様子を探り、総合的に判断して作戦を実行する、の全てを今夜これから一度に行う。できなければ俺達に勝ち目はない。そしてそのチャンスはこの一回きり。改めて考えても、相当なプレッシャーである。

 それでもやらねばならない。

 これほど一人に執着するのも、勝ち筋のほぼない戦いに挑むのも、全く忍びらしくないことは嫌というほどわかっている。それでも俺はこんなところで里冉との未来を諦めたくはない。里冉だって同じように俺のことを助けに来てくれたんだ。だったら俺も、やるしかない。


 状況をおさらいして作戦を確認した後、残りの時間はほとんど息長をして、九字印を結ぶ。

 臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在り。俺達忍びには神仏の加護がある。諦めない。絶対に。そう気合を入れて、十様の部屋へと向かう覚悟を決めた。


「行くよ、楽」

「ああ」


 少し先を行く樹の背を見ながら、俺は懐に入れていたミサンガを握り締める。

 記憶がこのまま戻らなければ、これをアイツに渡す日は一生来ないだろう。そんな未来は、絶対に嫌だ。里冉の隣に並ぶことが俺の目標の一つであり、今の最大の望みだ。だからアイツが俺の前に戻ってこないと、一人で進んでいても、面白くない。

 俺の世界のもう一人の主人公はお前だ、里冉。何のために樹と双忍の術の修行を始めたと思ってるんだ。何のために俺達がここまで来たと思ってるんだ。着実にお前と並び立つ準備は整っていってるんだ。だからお前も思い出して、この道に来い。一緒に行こう。約束を果たしに──────────




 そうして訪れた、十様の部屋。

 灯された部屋の明かりは少なく、夜の闇が色濃く漂う重く静かな空間。部屋の奥には、初日に見たのと同じくらい若い姿の十様。里冉の姿はなかったが、おそらく十様の背後の仕切られた空間にいるのだろう。そう様子を窺いつつ、口を開こうとしたその時だった。


「手厚い歓迎はお気に召したか、伊賀の地の小鼠よ」


 十様が片方の口角を上げた。

 覚悟はしていたが、それでも心臓が跳ねる。鈴ではなく正真正銘〝俺〟へと向けられた威圧感。反射的に身が竦みそうになるが、すぐに平静を取り戻す。覚悟は決めていたんだ。むしろ早々に俺として言葉を発せるようになったのは好都合だ。そうして俺は鈴として口にしようとしていた台詞を、楽としての言葉にする。


「お招き頂き光栄です、十様」

「まどろっこしい挨拶など必要ない。さっさと本題に入れ」

「聞いてくださるのですか」

「そのために呼んだのじゃ。ワシの気が変わる前に話した方が良いのではないか?」


 その言葉に俺は無言で顔を上げ、その鮮やかな赤に映る俺の姿を覗き込むように、真っ直ぐに十様の目を見た。やはり地下牢で見た記憶の中の赤にとてもよく似ている、などという思考は一旦追い出し、心からの望みを浮かべ、口に出す。


「里冉の記憶を元に戻してください。お願い致します」


 こちらの心を読まれても良い。むしろ読んでくれ、と言わんばかりに俺はじっと目を逸らさず、十様の言葉を待つ。


「それができると本気で思っておるのか?」


 愚かな小僧だ。そう言わんばかりの表情と声色に、最悪の可能性が頭を過ぎる。

奪われたのでも封じられたのでもなく、消されたのだとしたら─────前提から全て、狂うことになる。

 しかし俺の目に動揺を見たらしい十様はフ、と笑みを浮かべ「案ずるな、冗談じゃ」と言った。どうやら俺を揶揄っただけのようだった。


「して、立花の」

「はい」

「伊賀の国の姫君がよくここまでの好き勝手を許されたものじゃな。籠の鳥ではなかったのか?」

「……!」


 それ……弥弌とかいう梯の構成員にも言われた……!


「どうして、それを……」

「ワシが知らないとでも思っていたのか?」

「それ、は……」

「ふむ、お主が何も知らないというのは真のようじゃの」


 そう言ってからからと笑う十様。この……弥弌と同じような反応しやがって……。ってだめだ、このまま十様のペースでは交渉も何もなくなる。有名らしいという俺のその肩書きは非常に気になるところだが、ここで動揺していてはいけない。


「……好き勝手が許されているというわけではありません。俺が勝手に里冉に会いに来たんです」

「ほう」

「ですから、俺としてもできれば手短に済ませたい」


 一呼吸おいて、続ける。


「俺がアイツに釣り合わないのはわかっています。いつも助けてもらって、里冉を危険な目に遭わせてばかりで、不甲斐ないことは自分が一番よく理解しています。いつもいつも守られてばかりの情けない自分が嫌で仕方ない」


 術など必要ない。ただ俺が本心から思うことを、真っ直ぐに伝える。それだけ。

 わかってくれるかどうかじゃない、まずは本音を知ってもらうこと。


「でも、そんな情けない自分で終わる気なんてこれっぽっちもない。いつかアイツに並び立つために俺だって日々進んでるんです。その分アイツが進んでることだってもちろんわかってる。けど、それでもいつか絶対、里冉の足手纏いにならない、むしろ俺だってアイツのことを守れる忍びになるために、今俺はここにいる」


 今は、今だけは、何も欺いてはならない。十様も、自分の心も。


「俺は里冉と忍びとして生きたい。だから、だからどうかお願い致します。里冉の記憶を、元に戻してください」


 頭を下げる。畳に両手と額をつけ、そのまま少しも動かずに十様の言葉を待つ。


「お主にとって彼奴はなんじゃ」

「掛け替えのない親友、です」

「そんなに彼奴が大事か」

「はい」


 少しの沈黙。


「……あの男の息子で間違いないようじゃの。腹立たしい」


 そう呟いた十様は、はあ、と一つ溜め息を吐いて、言った。


「戻したくば自力で思い出させてみよ」


 その言葉に俺は思わず顔をあげた。その視界の先で十様は扇を広げ、口元へと持って行く。おそらくその向こうで矢羽音が交わされたのだろう、背後からすらりとした人影が俺達の前に現れる。


「里冉……!」


 宴会の日に見て以来のその姿は、相も変わらずこの世の全てを虜にしてしまいそうな妖艶さを纏っていた。

 あの日は下ろしていた髪が、今日は見慣れたポニーテールだった。しかしだからこそ際立つ、俺の知る里冉との空気の違い。冷たく、影のある表情。鋭くこちらを捉える黄金色の瞳。片方が前髪で隠れて見えない分、影の中で煌めくその右目は夜空にぽっかり浮かぶ月のようにも思えた。半分は欠けた、上弦の月。俺はそれが満ちるのが見たい。


「君は、この前の……」


 俺、というよりは鈴のことを認識した里冉が少し表情を緩めた。


「鈴じゃない。俺だ。楽だ。わかるか……?」


 俺は里冉の目の前まで近づいて、この前ははっきりとは聞けなかった言葉を口にする。やはり記憶がないのは間違いないようで、案の定里冉は申し訳なさそうに「ご、ごめんね……」と眉を下げた。

 例え覚えていなかろうが、目の前に里冉がいて、俺として言葉を交わせていることがもう嬉しいと思ってしまう自分もいる。一方で、やはり俺だけが知っているこの状況は苦しく、寂しいものだと強く実感してしまう。できるだけ冷静でいたいのに、そのために樹と準備してきたのに、それでも揺さぶられる感情が俺のコイツへの想いを嫌というほど物語っていて、思わず唇を噛む。


 しかし悔しがってもいられない。十様は〝思い出させてみよ〟と言った。もしかしたら、何かのきっかけで記憶の蓋が開くことがあるのかも知れない。やるだけやってみる価値はある。何より十様が折角チャンスをくれているのだ、無駄になど出来ない。

 とはいえ出会いからこれまでのことを十様の前で詳細に話すわけにもいかない。里冉の中の記憶がどうなっているか、まずはそこから確かめるんだ。

 四知之伝、望と聞。まず全容を把握し、様子を探る。


「俺は立花家の後継で、お前の親友で、里冉班の班員だ」


 一先ずどういう存在なのかを簡潔に伝えると、里冉はわかりやすくその顔にはてなを浮かべ、にわかには信じ難いという表情で「立花にはもう後継は居ないはずじゃ……?」と言った。

 もう……? どういう意味だ……? まさか俺の存在する記憶が全て奪われたというよりは、俺がもうこの世にいないことになっているのか……? でも名前は覚えていないようだし……などと俺が考えている間に、里冉は続ける。


「それに俺、今は伊賀者に友人とか居ないよ……? 法雨は外の人間と深く関わらないの、知らない?」


 やっぱり、昔は居たみたいな言い方だ。


「それは知ってる、けど、」

「同じ班なのも樹だけで……」

「いや、里冉班はちゃんとスリーマンセルだぞ。三人目が」


 俺だ。しかしそう続ける前に、里冉は言う。


「ああまあ確かに、伊賀からは五十嵐刹那が編成予定だったからね。彼があちらに寝返ったから欠けたままだけれど」


 なるほど、そうなってるのか。師匠が編成予定だったのは確か、というか事実かどうかはさておき里冉から聞いた話ではそうだった。しかしこれならどうだ、と俺は切り出す。


「里冉班がなんで活動停止になってるか覚えてないのか?」

「それは俺が無茶したからでしょ?」

「どんな無茶だ」

「一人で梯の拠点に乗り込んだ」


 そこは覚えてるんだな。じゃあそれが何故かは、流石に俺抜きじゃ語れないんじゃないか?


「なんでそんな無茶」

「梯を壊滅させようとして……」

「お前そんな脳筋じゃないだろ」

「あの時は気が立ってたんだよ」

「気分に左右されるような忍びでも」


 ……それはあるか。


「待ってどうして黙るの? 今のは否定してくれる流れじゃないの?」

「ごめん、どの道あん時は感情的になって助けに来たんだったなと思って」


 里冉は驚いたように「助けに? もしかして君を?」と俺を見る。


「ああ。梯に攫われた俺を里冉が助けに来てくれたんだよ。半ば無理やり樹とか白さんとか引き連れて」

「君の中ではそうなってるんだ……」


 やめろ。憐れむような目で見るな。

 ……こうして話してみると、確かに里冉だ。確かに、間違いなく里冉なんだけど、俺のことだけを知らない。話せば話すほどその現実を強く実感して、苦しくなる。


「そんな顔しないでよ」

「ごめん……」


 ってなんで俺が謝ってるんだ。

 だめだ、感情に左右されていてはまた宴会の夜の二の舞になる。ショックだとか余裕がないだとかはもう言っていられない。ゆっくりと呼吸し、それから祈るように里冉の手をとる。


「里冉……なあ……本当に全部、何もかも忘れちまってるのか……」


 雨の廃寺で繋いだこの手を。初めましてのフリで握ったこの手を。あの桜の夜に触れたこの手を。全部忘れたなんて、言わせない。言わせたくない。

 お願いだ。どうか、返してくれ。きっと、いや間違いなく里冉にとっても大事な記憶なんだ。

 今なら、今の俺なら、寂しい思いをさせたあの時の俺より、お前のこともっとちゃんと大事にできる。だから─────


「忘れた俺じゃ、だめ……?」


 え、と思わず声が漏れる。顔を上げて里冉を見ると、どこか悲しそうに眉を下げて俺を見ていた。


「あの夜君を見た時から、確かにずっと気になっていたんだ。この穴を埋めてくれるのは君じゃないかって……」


 里冉は恐ろしく美しいその顔で、目を伏せて薄く微笑む。


「だから君がこうして会いに来てくれたのが、自分でも信じられないくらい嬉しくて……でも」


 おそらく続く言葉は「覚えていない俺じゃ嫌、なんだよね……」とかだと思う。というか、言わずとも表情が物語っていた。


「里冉……」


 繋いでいた手が、いつの間にか俺の頬に触れていた。

 その長い指が耳を擽る。まさかこいつ、と思ったその時だった。


「楽に何する気か教えてよ、後継様」


 見慣れた猫手が、里冉の喉元で怪しく光った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ