新たな婚約者はその頃...
その頃、王都では──クレハの悪夢が始まっていた
エミリアが辺境で新たな人生を歩み始めてから数週間。王都では新たに王太子の婚約者となったクレハが、夢見た生活を掴んだ喜びに浸っていた。
「ついに、私が王太子の婚約者よ……!」
豪華絢爛な鏡台の前で、クレハは自分の姿をうっとりと眺めた。王都で最高の職人が仕立てたドレスが美しいラインを引き立て、髪飾りには貴族たちが羨望する純金と宝石が輝いている。
「これが私の新しい生活……」
王太子アルベルトとの婚約が決まった瞬間、彼女の人生は一変した。豪奢な宮廷生活、上流階級の華やかなパーティー、美食の数々。幼い頃から夢見ていた贅沢の数々が、すべて手に入るはずだった。
「あれも欲しいし、この新作ドレスも手に入れなきゃ。宝石も追加で注文しておこうかしら……」
新たな生活に対する期待で胸を膨らませながら、クレハは指先でネックレスを弄ぶ。
「今まで私を見下してきたあの令嬢たちも、これで黙るわね。だって私はあのイケメン王太子の婚約者なんだから!」
クレハの瞳は喜びに輝いていた。
しかし、彼女の新たな生活は、夢見たものとは大きく異なっていた。
「クレハさん、この羊皮紙をご覧なさい」
王妃が差し出したのは「婚約者として覚えるべき百箇条」だった。その内容は、社交界での礼儀作法から刺繍や舞踏、歴代王妃が守った家庭内規則まで細かく書き込まれていた。
「これ……全部ですか?」
クレハは信じられない思いで王妃を見つめた。
「当然ですわ。あなたの前の婚約者、エミリアさんはこれをすべて完璧にこなしていらっしゃいましたのよ。それどころか、自ら進んで努力なさっていました。あなたも、そうしていただけますわね?」
王妃の冷たい声に、クレハは何も言えなかった。
王妃の要求は、それだけに留まらなかった。
「それと、明日はアルベルトのために詩を一編朗読していただきます。さらに、王宮の庭での乗馬にも付き合ってください。それが婚約者の務めです」
「詩、ですか……?乗馬も……?」
クレハは呆然としながら、次々と押し寄せる要求を聞き流すしかなかった。
さらに追い打ちをかけるように、義妹や遊びに来ていたその友人がクスクスと笑い声をあげた。
「クレハさん、そのドレス、去年の流行よ。まさかそんなものを着るなんて……」
「エミリアさんはいつも最新の流行を取り入れて、すごく素敵だったわね!」
その場にいた侍女たちまでもが、小声で同意する。
「前の婚約者のエミリア様、本当に素晴らしかったですからね……」
クレハは唇を噛みしめた。心の中で何度も叫ぶ。
「エミリア、エミリア……!」
★★
数日後、クレハはついにアルベルトと話す機会を得た。庭園で彼を見つけ、思い切って声をかける。
「アルベルト様、お願いです。お義母様の要求が多すぎて、私にはとても……」
アルベルトは困ったように眉をひそめるが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「母上が厳しいのは、クレハが僕の婚約者としてふさわしくなるためだよ。君ならできるさ。母上の期待に応える努力をしてほしい」
「で、でも……」
「それに、エミリアもすべてこなしていたんだ。君にできないはずはないよ」
アルベルトの無関心な態度に、クレハは目の前が真っ暗になる思いだった。
夜、一人部屋で鏡を見つめながら、クレハは涙をこらえた。
「こんなはずじゃなかった……」
夢にまで見た婚約者の座、贅沢な暮らし、華やかな宮廷生活。
「エミリアさん、本当にこれをこなしていたの……?」
贅沢な生活を手に入れるどころか、クレハの現実は悪夢に変わりつつあった。