弟と王妃
時は遡り、エミリアが去った後の辺境の領主館。
華やかな王宮とは対照的に、辺境の館は、よく言えば実用性を重視した、悪く言えば質素な作りになっている。
そして――王妃の怒声が響く。
「――エミリアがいない? それはどういうこと?」
つんとした顔に冷たい怒りを浮かべ、王妃は座っていた椅子から立ち上がった。
静かな口調ではあったが、その場の誰もが一歩引いてしまうほどの圧力があった。
だが、その真正面で唯一、落ち着いていたのはエミリアの弟、フィリップだった。
「姉は、現在帝都におります」
「……私の許可なく?」
「ええ」
王妃は美しい指でこめかみを押さえた。
「……私や王太子という重要な来客がありながら、物見遊山に出かけるなんて。」
「姉はそういう人ですので」
フィリップは淡々と答えた。
王妃は彼を見据え、次に問いかける。
「それであなたが後任ということなのかしら。」
「辺境の管理は、有能な部下たちに任せ、引き継ぎも済ませました。」
弟は優雅に微笑む。
「それよりも、よろしければ、王都にお二方をお送りいたしても?こんな粗末な場所に引き留めるのも大変恐縮ですので。」
王妃の目がすっと細められた。
エミリアがいなくなったのであれば、王妃や王太子がこれ以上辺境に止まる理由もたしかにない。
それに―
(この子……よく見れば、なかなか良い顔をしているわね)
王妃はほんの少し考え、ゆるりと微笑んだ。
「……いいでしょう。あなた仕事ができそうね。しばらく王宮にいて、王太子の仕事をエミリアの代わりに手伝いなさい」
フィリップは、静かに一礼した。
★★
王宮に入った弟は、すぐに仕事を始めた。
だが、その内容は王宮の改革――そして、王太子への無理難題だった。
「王太子殿下、こちらの案件の決裁をお願いします」
弟は静かに書類を差し出した。
王太子アルベルトは、思わず眉をひそめる。
「……これは、貴族派と王党派の利権がぶつかっている案件じゃないか」
「はい。どちらも譲れない内容ですが、決断が必要です」
「僕が決めたら、どちらかの派閥が反発するだろう……!」
「ええ。しかし、王太子殿下が決めなくてはなりません」
弟は涼しい顔で言う。
「王宮の改革を進めるためには、避けて通れない問題ですから」
王太子は頭を抱えた。
(エミリアがいたときは、こんな問題をあいつが片付けてくれていたのに!)
各派閥の間に立ち、調整をし、対立を和らげながら進める。
王太子は初めて、エミリアの負担がどれほど大きかったのかを実感した。
「……おまえがきてから仕事がむしろ増えた気がするぞ。」
弟は優雅に微笑む。
「まさか、王太子殿下ともあろうお方が、この程度で不満をお持ちではないでしょう?」
「ぐっ……」
王太子は悔しそうにメモを握りしめた。
(なんなんだこいつは?!涼しい顔しやがって。母上に言いつけてやるからな。)
★★
「母上! 聞いてください!」
王太子は大広間へ駆け込んだ。
王妃は優雅に紅茶を楽しんでいる。
「どうしたの?」
「アイツが、僕に煩わしい仕事を依頼してくるんです――」
王妃はカップを置き、静かに王太子を見た。
「貴方が次期王としての器を示せば済む話でしょう?」
「え……?」
思わず言葉を失う王太子。
「私の望む王なら、その程度のことで文句は言わないわ」
冷たい笑みが、王妃の顔に浮かぶ。
王太子は、母の瞳を見た。
そこにあるのは、息子への慈しみではない。
(……母は、僕を愛しているのではないのか?)
母は、「僕自身」を見ているのではない。
「自分の思い通りに動く理想の王」を作り上げようとしているだけなのではないか...
初めて、王太子アルベルトは気づいた。
母が自分にかける愛情が、本物ではないことに。




