期待外れの王宮生活
「早くお家に帰りたいなぁ……。」
エミリアは寒空の下で膝をつき、凍える指先で庭の枯れ葉を拾い集めていた。冷たい風が髪を揺らし、薄手のドレス越しに刺すような寒さが彼女の体を襲う。それでも手を止めることはない。ただ淡々と与えられた「嫁修行」をこなすだけだ。
辺境伯家の長女であるエミリアにとって、今の生活はまるで別世界だった。かつては広大な森でのびのびと育ち、家計を助けるために狩りに出る毎日。とはいえ辺境伯家は貧しく、使用人を雇う余裕もないため、領地の維持や弟妹たちの生活のために彼女自身が必死に働いていた。
その彼女が王太子との婚約話を受け入れたのは、実家の経済を立て直すためだった。宮廷の煌びやかな暮らしを想像し、「玉の輿だね!」と喜ぶ弟妹たちの顔を思い浮かべながら、エミリアは覚悟を決めた。だが実際には、そんな希望を打ち砕く現実が待っていた。
「エミリア、まだ終わらないの?本当に使えないわね。」
義母の冷たい声が聞こえる。庭を見下ろすバルコニーに、豪華な毛皮のコートを羽織った義母と義妹ルミナが並んでいる。
「ルミナ、寒いでしょう?早く中に入りなさい。」
義母は義妹に優しく微笑みながら肩を抱き寄せた。その姿は愛情深い母親そのものだった。だがその優しさがエミリアに向けられることは決してない。
「お義母様、申し訳ありません。あと少しで終わります。」
エミリアは作り笑顔を浮かべて答えた。心の中では怒りと疲労が渦巻いていたが、声に出すことはしない。辺境で妹たちが以前より豊かな生活ができていることを思えば、まだ耐えられると自分に言い聞かせるしかなかった。
(こんな作業、本当なら5分で終わるのに)
エミリアは1年前の王宮初日の自分を思い出した。
広大な庭の枯葉掃除をお義母さまに言いつけられ、自身の類稀な身体能力を活かして5分で終わらせたところ、王宮のしきたりとかで、葉っぱ一枚あたり2分かけて拾うようにと命じられ、葉っぱ拾いの作法なんかも習わされたのだった。
エミリアが回想に浸っていると、義妹ルミナが紅茶を乗せたトレーを手にしてエミリアの元へ歩み寄ってきた。
「姉様、お茶でもどうですか?」
その笑顔に悪意が見え隠れしているのをエミリアは察する。案の定、ルミナはわざとトレーを揺らし、紅茶のカップを倒そうとした。
「っ!」
エミリアの体が一瞬で動いた。紅茶が宙を舞う直前、彼女は驚異的な反射神経でカップを取り、飛び散りそうな液体をすべてその中に収めた。辺りが静まり返る中、エミリアはにっこりと微笑み、ルミナにカップを差し出す。
「ルミナ様、お気遣いありがとうございます。いただきますね」
ルミナは一瞬驚いた顔をした後、ふんと鼻を鳴らして踵を返す。義母は何も言わず、ただ冷たい視線を送り続けていた。
エミリアは再び膝をつき、枯れ葉を拾い始める。遠くに広がる庭の向こうには、彼女の心に刻まれた辺境の風景がちらつく。狭いながらも温かな家族と、慣れ親しんだ自然の匂い。
「早くお家に帰りたいなぁ……。」
小さな呟きが冷たい風にかき消される中、彼女はまた一つ枯れ葉を拾い上げた。